東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

自分史ー8

2017年12月11日 13時16分26秒 | 自伝
 結婚のことを書いてみよう、

 私たちはリコー昔は理研光学といったが、その旧社名のときの付き合いであった、当時私は横浜営業所に転勤になった、そこで、社内にあいさつに行ったのだが、その時、銀座営業所の電話交換室も含まれていた、

 電話交換係の皆さんはのことは、当時ものすごく声がきれいだったので、姿かたちは見えないものの我々があこがれていた、電話交換手はどの会社でもあこがれの的だった、なにしろ、社内から発信する場合でも交換手に頼むのだから親密になる、

 その中でもひときわ光った声の女性がいた、もとより名前も顔もわからないのだが、その時横浜営業所に転勤になったと、その子にあいさつをした、

 そうしたら、

 その子が、Kさんという人を知っていますか?と言うではないか、Kさんとは、いっとき私の家に住むようになった女の子である、私の家の後、高円寺の家で、家の家内と一緒に住んでいたのだ、なんという偶然であろうか、そんな縁から

 リコーで一番声の良い子と知り合えたのである、

 交換室に初めておとずれ、彼女と初めて会った、声もさることながら、彼女は私の好みの、おっ〇いとお〇りの大きい女性であった、

 はじめてあった時から、私は彼女と結婚するような気がしていた、彼女もそうであったらしい、彼女のことは社内のだれもが憧れていた、私はひときわ声が気になる人だった、今でもうちの電話に出る声はかなりのレベルであると思う、

 それから二人はデートを重ねた、電話交換室では5時ちょうどにタイムカードを押して外に出ることができたので、私も早く帰れるように勤めた、彼女の家(部屋)は高円寺の駅からすぐのところだった、退社後必ず彼女の家によることになった、時間のたつのは早くて、彼女の家で、つい長居をしてしまい、家に帰るのはいつも終電であった、彼女の妹が同居していたのだが、いつも長風呂に行った、気を利かしてくれたのであろう、

 結婚の申し込みは横浜でのデートの帰りの横須賀線電車の中であった、

 小さな声で「はい」という返事を得たときはうれしかった、

 新婚生活は麻布の小さい家で、両親と同居、別居したかったので、住宅公団の分譲住宅を申し込んだ、幸い千葉市花見川の3LDKが当たった、ローンの申し込みの時支店長に報告したら若くしてと驚かれた、

 若くしてローンを組んで住宅を買ったのは、小学校の友達 K のちえだ、読売新聞に勤めていた K は、日本はインフレになるに違いない、ローンで家を買えと言っていた、 K が同じく公団住宅を買うよりかなり早かったな、

 公団の分譲住宅の次は、土気の分譲地、その次は厚木の分譲地、銀座のワンルームマンションと、次々乗り換え、若干のもうけもあったものだった、(続きます)


 最近80才になった、ホテルニューオータニで写真を撮ってもらったので、半分だけ見ていただこう、





 なんとかうまく生きている、明日から東北旅行、ところが、昨日新玉川温泉から電話が来て、大雪で、車では来られない、田沢湖に車を置いてバスで来てもらいたいともことだった、ところが、行きは、田沢湖12:35.かえりは、新玉川温泉9:35の2本しかないのだ、帰りはいいとして、行きはどうしてもこの時間には行けそうもないので、キャンセルした、

 ところが、今旅行ブームなんですね、盛岡市内のホテルはどこも満員、やっと一つとれた状況です、(続きます)