空気が凍えていた。
夜7時過ぎ、自転車で、最寄り駅の武蔵境からアパートに帰る途中、ワイシャツの胸ポケットのiPhoneが震えた。
尾崎からだった。
珍しいことだ。
尾崎から電話がかかってくることは、滅多にない。
年に一回、あるかないかだ。
「カナから電話があった」
尾崎が、唐突に言った。
尾崎との会話は、いつもそうだ。
自分を名乗ることもせず、いきなり本題に入る。
それが当たり前になっているので、私は「おまえの最初の子どもだな」と答えた。
尾崎は、三十前に一度結婚して、前の奥さんとの間に娘がいた。
前の奥さんとは、五年足らずで別れた。
別れた原因が何だったか私は知らないが、尾崎に非があっただろうということは、想像がつく。
尾崎の娘のカナは、21歳になっているはずだ。
そのカナが、尾崎に用があるというのか。
「何年ぶりだ」と私は聞いた。
「15年になるか」と尾崎が答えた。
養育費は、欠かさず送っていたようだが、尾崎が元の奥さんと、娘と会わないという約束を交わしていたかどうかは知らない。
立ち入ったことは聞かない。
面倒くさいからだ。
しかし、そのカナが尾崎に電話をしてきた。
「突然だったのか」と聞いてみた。
「ああ、突然の電話だったな」
乾いた声で、尾崎が答える。
「会いたい、と言っているのか」と、私。
「まあ、そうだが・・・・・」
尾崎にしては、歯切れが悪い。
ためらうことを一番嫌う男だ。
父親・・・・・だから、か。
小さく息を吸う音のあとに、尾崎が言葉を吐いた。
「俺は、会ってもいいのか」
声の色が、弱々しい。
尾崎らしくない問いかけだった。
父親であることに、自信がないのかもしれない。
まして、15年間、会わなかった娘なのだ。
養育費を払っていたとしても、尾崎の中で、父親としての確かなものが見出せずにいるのだろう。
尾崎が、ためらっている。
もがいている、と言ってもいいかもしれない。
それが、受話器越しに伝わってくる。
「なあ」と、尾崎が言う。
「俺に父親の資格は、あるのか」
母親は、自分の腹を痛めて子どもを産むから、産んだ時から、母親としての自信がある。
「自分の子ども」という自覚を、身を持って感じている。
その自信は、揺るぎないものだ。
ただ、その自信は、ときに子どもを私物化してしまうが。
しかし、父親は、子どもを一個の人格としていつも意識しているから、母親とは距離感が違う。
父親としての自信が、どれほど経っても持てないのだ。
思春期に、子どもたちが父親を遠ざけるのは、父親が作るその距離感を、彼らが敏感に感じ取っているからだろう。
私も、自信がない。
「俺が父親でいいのか」と絶えず思っている。
そして、怯えている。
きっと死ぬまで、父親としての自信を持てず、私は怯えながら死んでいくのだろうと思う。
そして、それでいいとも思っている。
父親なんて、その程度のものなのだから。
尾崎も、きっとそう思っているに違いない。
だから、尾崎らしくもなく、ためらうのだ。
しかし、私は友だちだから、言わなければならない。
たとえ、恥ずかしい言葉でも、ここは言うべきところである。
だから、私は言った。
「父親の資格を決めるのは、おまえじゃない。子どもだ。そして、子どもが会いたいと言ったとき、それを拒む権利が、おまえにはない」
沈黙。
弱い北風が吹いてきた。
気温が、少し下がったようだ。
iPhoneを持つ手が、冷たくなって、少し感覚が薄れてきた。
私は、人差し指から順番に、指の関節を動かしながら、尾崎の言葉を待った。
「フー」という息を吐く音。
そして、そんな力のぬけた吐息とともに、尾崎が言った。
「父親というのは、そんなものか」
「ああ、そんなもんだ」
もう一度、沈黙。
「わかった」
乾いた笑い声とともに、電話が切れた。
尾崎が、どんな顔をして娘に会うのか。
それは、知りたくもあったが、どうでもいいことでもある。
次に、いつ尾崎から電話がかかってくるか。
半年後か、一年後か。
あるいは、五年後か。
確実に言えるのは、そのときも「父親としての自信」を、尾崎も私も、持てずにいることだ。
それだけは、間違いがない。
夜7時過ぎ、自転車で、最寄り駅の武蔵境からアパートに帰る途中、ワイシャツの胸ポケットのiPhoneが震えた。
尾崎からだった。
珍しいことだ。
尾崎から電話がかかってくることは、滅多にない。
年に一回、あるかないかだ。
「カナから電話があった」
尾崎が、唐突に言った。
尾崎との会話は、いつもそうだ。
自分を名乗ることもせず、いきなり本題に入る。
それが当たり前になっているので、私は「おまえの最初の子どもだな」と答えた。
尾崎は、三十前に一度結婚して、前の奥さんとの間に娘がいた。
前の奥さんとは、五年足らずで別れた。
別れた原因が何だったか私は知らないが、尾崎に非があっただろうということは、想像がつく。
尾崎の娘のカナは、21歳になっているはずだ。
そのカナが、尾崎に用があるというのか。
「何年ぶりだ」と私は聞いた。
「15年になるか」と尾崎が答えた。
養育費は、欠かさず送っていたようだが、尾崎が元の奥さんと、娘と会わないという約束を交わしていたかどうかは知らない。
立ち入ったことは聞かない。
面倒くさいからだ。
しかし、そのカナが尾崎に電話をしてきた。
「突然だったのか」と聞いてみた。
「ああ、突然の電話だったな」
乾いた声で、尾崎が答える。
「会いたい、と言っているのか」と、私。
「まあ、そうだが・・・・・」
尾崎にしては、歯切れが悪い。
ためらうことを一番嫌う男だ。
父親・・・・・だから、か。
小さく息を吸う音のあとに、尾崎が言葉を吐いた。
「俺は、会ってもいいのか」
声の色が、弱々しい。
尾崎らしくない問いかけだった。
父親であることに、自信がないのかもしれない。
まして、15年間、会わなかった娘なのだ。
養育費を払っていたとしても、尾崎の中で、父親としての確かなものが見出せずにいるのだろう。
尾崎が、ためらっている。
もがいている、と言ってもいいかもしれない。
それが、受話器越しに伝わってくる。
「なあ」と、尾崎が言う。
「俺に父親の資格は、あるのか」
母親は、自分の腹を痛めて子どもを産むから、産んだ時から、母親としての自信がある。
「自分の子ども」という自覚を、身を持って感じている。
その自信は、揺るぎないものだ。
ただ、その自信は、ときに子どもを私物化してしまうが。
しかし、父親は、子どもを一個の人格としていつも意識しているから、母親とは距離感が違う。
父親としての自信が、どれほど経っても持てないのだ。
思春期に、子どもたちが父親を遠ざけるのは、父親が作るその距離感を、彼らが敏感に感じ取っているからだろう。
私も、自信がない。
「俺が父親でいいのか」と絶えず思っている。
そして、怯えている。
きっと死ぬまで、父親としての自信を持てず、私は怯えながら死んでいくのだろうと思う。
そして、それでいいとも思っている。
父親なんて、その程度のものなのだから。
尾崎も、きっとそう思っているに違いない。
だから、尾崎らしくもなく、ためらうのだ。
しかし、私は友だちだから、言わなければならない。
たとえ、恥ずかしい言葉でも、ここは言うべきところである。
だから、私は言った。
「父親の資格を決めるのは、おまえじゃない。子どもだ。そして、子どもが会いたいと言ったとき、それを拒む権利が、おまえにはない」
沈黙。
弱い北風が吹いてきた。
気温が、少し下がったようだ。
iPhoneを持つ手が、冷たくなって、少し感覚が薄れてきた。
私は、人差し指から順番に、指の関節を動かしながら、尾崎の言葉を待った。
「フー」という息を吐く音。
そして、そんな力のぬけた吐息とともに、尾崎が言った。
「父親というのは、そんなものか」
「ああ、そんなもんだ」
もう一度、沈黙。
「わかった」
乾いた笑い声とともに、電話が切れた。
尾崎が、どんな顔をして娘に会うのか。
それは、知りたくもあったが、どうでもいいことでもある。
次に、いつ尾崎から電話がかかってくるか。
半年後か、一年後か。
あるいは、五年後か。
確実に言えるのは、そのときも「父親としての自信」を、尾崎も私も、持てずにいることだ。
それだけは、間違いがない。