リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

父親の資格

2010-12-29 10:16:43 | オヤジの日記
空気が凍えていた。

夜7時過ぎ、自転車で、最寄り駅の武蔵境からアパートに帰る途中、ワイシャツの胸ポケットのiPhoneが震えた。

尾崎からだった。

珍しいことだ。
尾崎から電話がかかってくることは、滅多にない。
年に一回、あるかないかだ。

「カナから電話があった」
尾崎が、唐突に言った。
尾崎との会話は、いつもそうだ。

自分を名乗ることもせず、いきなり本題に入る。
それが当たり前になっているので、私は「おまえの最初の子どもだな」と答えた。

尾崎は、三十前に一度結婚して、前の奥さんとの間に娘がいた。
前の奥さんとは、五年足らずで別れた。
別れた原因が何だったか私は知らないが、尾崎に非があっただろうということは、想像がつく。

尾崎の娘のカナは、21歳になっているはずだ。
そのカナが、尾崎に用があるというのか。

「何年ぶりだ」と私は聞いた。

「15年になるか」と尾崎が答えた。

養育費は、欠かさず送っていたようだが、尾崎が元の奥さんと、娘と会わないという約束を交わしていたかどうかは知らない。
立ち入ったことは聞かない。
面倒くさいからだ。

しかし、そのカナが尾崎に電話をしてきた。

「突然だったのか」と聞いてみた。

「ああ、突然の電話だったな」
乾いた声で、尾崎が答える。

「会いたい、と言っているのか」と、私。

「まあ、そうだが・・・・・」
尾崎にしては、歯切れが悪い。
ためらうことを一番嫌う男だ。

父親・・・・・だから、か。

小さく息を吸う音のあとに、尾崎が言葉を吐いた。
「俺は、会ってもいいのか」
声の色が、弱々しい。

尾崎らしくない問いかけだった。
父親であることに、自信がないのかもしれない。
まして、15年間、会わなかった娘なのだ。
養育費を払っていたとしても、尾崎の中で、父親としての確かなものが見出せずにいるのだろう。

尾崎が、ためらっている。
もがいている、と言ってもいいかもしれない。
それが、受話器越しに伝わってくる。

「なあ」と、尾崎が言う。
「俺に父親の資格は、あるのか」

母親は、自分の腹を痛めて子どもを産むから、産んだ時から、母親としての自信がある。
「自分の子ども」という自覚を、身を持って感じている。
その自信は、揺るぎないものだ。
ただ、その自信は、ときに子どもを私物化してしまうが。

しかし、父親は、子どもを一個の人格としていつも意識しているから、母親とは距離感が違う。
父親としての自信が、どれほど経っても持てないのだ。

思春期に、子どもたちが父親を遠ざけるのは、父親が作るその距離感を、彼らが敏感に感じ取っているからだろう。

私も、自信がない。
「俺が父親でいいのか」と絶えず思っている。
そして、怯えている。

きっと死ぬまで、父親としての自信を持てず、私は怯えながら死んでいくのだろうと思う。

そして、それでいいとも思っている。

父親なんて、その程度のものなのだから。

尾崎も、きっとそう思っているに違いない。
だから、尾崎らしくもなく、ためらうのだ。

しかし、私は友だちだから、言わなければならない。
たとえ、恥ずかしい言葉でも、ここは言うべきところである。

だから、私は言った。
「父親の資格を決めるのは、おまえじゃない。子どもだ。そして、子どもが会いたいと言ったとき、それを拒む権利が、おまえにはない」

沈黙。

弱い北風が吹いてきた。
気温が、少し下がったようだ。
iPhoneを持つ手が、冷たくなって、少し感覚が薄れてきた。
私は、人差し指から順番に、指の関節を動かしながら、尾崎の言葉を待った。

「フー」という息を吐く音。
そして、そんな力のぬけた吐息とともに、尾崎が言った。
「父親というのは、そんなものか」

「ああ、そんなもんだ」

もう一度、沈黙。

「わかった」
乾いた笑い声とともに、電話が切れた。

尾崎が、どんな顔をして娘に会うのか。
それは、知りたくもあったが、どうでもいいことでもある。

次に、いつ尾崎から電話がかかってくるか。
半年後か、一年後か。
あるいは、五年後か。


確実に言えるのは、そのときも「父親としての自信」を、尾崎も私も、持てずにいることだ。


それだけは、間違いがない。