リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

歴史は繰り返す?

2010-12-30 08:54:04 | オヤジの日記
どうでもいい話だとは思うが・・・・・。


「オレとおまえは、似てるよな」

中学3年の娘が、そう言う。
「ホントに、似てるよな」
それを嫌がっている気配は、まったくない。

父親として、そこが嬉しい。

なぜ似ているかといえば、彼女が幼い頃から、私の影響を強く受けてきたからだろう。

3歳の頃から私のオヤジギャグ的ボケに、的確な突込みを入れるという天才ぶりを発揮した娘。
ヨメと息子が冗談が通じない分、私は、この娘の天分を宝物のように愛した。

この宝物は、音楽好きである。
そして、ここでも、私の影響を強く受けている娘は、小学校2年から椎名林檎を聴いて素直に育った。
東京事変も聴く。
椎名林檎を、「神」と崇めている。

だが、それだけではない。
娘の携帯電話には、クラシックからロック、ジャズ、J-POP、K-POP、環境音楽まで、あらゆるジャンルの曲が入っている。
このグローバルな選曲も、私の影響だ。

そんな娘が、こんなことを言う。
「日本のラップだけは聴かないよ。正確に韻をふんでいないし、ちっとも日本語がリズムに乗っていない。すべてが、あまりにもパターン化していて冒険がない。詞が生きていない。曲が生きていない。だから、聴く気にならない」

これは、いつも私が娘に言っていることだったが・・・・・。


娘が、友だちとどこかに出かけたとき、たとえばお昼にマクドナルドに入ったとする。
他の子は、みなセットを頼むが、娘はポテトだけ。

ケチというわけではない。
「食べるのが、面倒くさいんだよね」
それも、私がよく言うセリフである。

娘と二人で外に出かけたとき、昼メシをどうしようか、というと、お互いが決まって「面倒くさいな」と言う。

「腹は減っているけど、面倒くさい」
そこで、コンビニで菓子パンを一個ずつ買って、歩きながら食うのだ。
貧乏くさいことが、これほど似合う親子もいない。


「人と同じことをするのは、嫌だな。まわりの雰囲気に流されるのは、嫌いだ」
そう言う娘は、私と同じで、何かあると必ず少数派につく。

だから、学校で、一人ポツンと淋しそうにしている子を見ると、放っておけない性質をしている。
押しつけがましくない程度に、その子たちの面倒を見ている姿をよく見かける、と担任が言っていた。

ただ、徒党を組むことは決してしない。
相手が一人の時間を持て余していると思ったときだけ、話しかけるのである。
無理に、立ち入ることもしない。


少数派ということとは関係ないかもしれないが、最近娘は、K-POPのあるグループに入れ込んでいる。
本国の韓国でも、まだそれほど名を知られていないグループだから、日本での知名度はゼロに等しい。
それが、娘の父親譲りの「ひねくれ心」をくすぐるようなのだ。

そのグループの名は、「大國男児(テグンナマ)」。
平均年齢18歳の若いグループだが、どこかの国のアイドルグループと違って、実力は相当なものだ。

娘は、そのグループの追っかけに近いことを、今やっている(私もむかし売れる前の浜田省吾のライブによく足を運んだ)。
今週の火曜日は、新宿歌舞伎町まで「ハグ会」なるものに、行ってきた。

帰ってくると、一緒に行ったお友だちと大興奮しながら、一時間以上、ハグされた時の感触などを大演説していた。
ハグされたときの感触を忘れないようにと、その日は、風呂に入らなかった。
洋服も着替えなかった。

相当なものである。


そして、その娘のお友だち。
彼女は、今年の7月から9割以上の確率で、我が家に住みついている。
同じ中学だが、クラスは違う。
しかし、ふたりは波長が合うらしく、かなり密度濃く、まるで仲良し姉妹のように過ごしている。

そして、二人は容姿も似ているのだ。
教師が頻繁に間違えるらしい。
ときに親も間違うほど、二人は同じ雰囲気を撒き散らしている。

彼女は、メシの食いっぷりがいい。
そして、言う。
「マツコのパピーの料理は、ドンピシャだよね。全部が私の口に合う」

だから、何を作っても、「うまいうまい」と残さず食べてくれる。
米粒一つ残さないのである。

感動する。

朝ごはんを娘と二人で食って、一緒に学校に行く。
学校を終えて、二人で帰ってきて、当たり前のように、おやつを食う。
そして、風呂に入り、当たり前のように、晩メシを豪快に食う。
そして、娘と二人で寝る。

娘が、もう一人できたようなものだ。

しかし、これは向こうの親にしてみれば、「誘拐罪」のようなものではないか、と思うときがある。
大事な娘が、帰ってこないのである。
だから、申し訳なく思うことがあるが、「いいんじゃねえの」と娘が言うから、「いいんじゃないか」と、後ろめたさを感じつつも、彼女の素晴らしい食いっぷりを見たいために、毎日5人分のメシを作っている。

「今日は家に帰る」と言われたときの寂しさは、心に空洞ができるほどだ。


そして、そう言えば・・・・・と、私は昔のことを思い出した。

私の中学時代も、同級生が、私の家に住みついていた。
彼は、6人兄弟の長男だったが、親が自分に5人兄弟の面倒を強制するのに嫌気が差して、私の家に逃げてきたのである。

彼は中学2年のとき、ほとんど我が家に居ついて、風呂掃除や玄関掃除、買い物などを時に手伝いながら、私と一緒に学校に通った。

彼は必ず、ご飯を2杯お代わりした。
その食いっぷりは、見事なものだった。
そして、彼は私の祖母と母に、愛されていた。

我が家に住むもう一人の娘は、ご飯のお代わりは一度だけだが、食べ終わったあとの満足そうな笑顔が、その彼によく似ていた。
そして、同じように、私もヨメも彼女のことを、とても愛している。


子どもの友だちが、何ヶ月も住みつく家。


歴史は繰り返すんだな・・・・・、と小さな運命を感じずにはいられない、最近の私だった。