「日本国」という名の山があるとは、知らなかった。
標高555メートルだという。
ゴーゴーゴー、とは、できすぎた高さではないか。
その555メートルの「日本国」が、小さな騒動を起こしているというのをネットの記事で読んだ。
新潟県村上市と山形県鶴岡市にまたがるゴーゴーゴーの小さな山。
5月5日の山開き前に、新潟県が登頂に成功した人に「日本国征服証明書」という登頂証明書を出す企画を発表したら、約50件の批判が寄せられたという。
村上市では、30数年前から、ゴーゴーゴーの山の高さにちなんで、5月5日の山開きを「征服登山」と呼んでいたらしい。
その延長線上に、今回は「日本国征服証明書」という登頂証明書の発行を企画した。
「出来のいいシャレ」とは思えないが、私の感覚では、それは「悪ノリ」とも言えない。
市のオッサン、オバサン、若者たちが、それなりに知恵をしぼって、地域振興を真剣に考えた結果だと思うのだ。
だが、「征服という言葉には違和感がある」「(尖閣問題など)領土問題で揺れている時期に不謹慎」などの否定的な意見が、メールや電話で寄せられた地域振興局は、その反応に慌てて、証明書の名を「日本国登頂証明書」に急遽変更した。
50件の否定意見は、重いのか軽いのか。
どんな小さな意見も汲み取るのが民主主義、という観点に立つなら、50件は、相当に重いと見ることもできる。
しかし、その企画に肯定的な人は、おそらく「いいね」などというメールは寄越さないだろうから、強い肯定も弱い消極的肯定も含めて、「まあ、いいんじゃねえの」の意見がほとんどだと思う。
しかし、その無言の肯定は、表面には出てこない。
ただ、50件の否定の意見の陰には、「百倍の否定が存在する」という考え方もある。
しかし、それは統計学的にはアバウトすぎて、それでは、否定的な意見への評価が高すぎるという問題点を残す。
「富士山征服」「エヴェレスト征服」などは、昔から普通に使っている。
「槍ヶ岳征服」などとも言う。
だったら、「日本国征服証明書」だって許容範囲ではないか、と私は思うのである。
「(尖閣問題など)領土問題で揺れている時期に不謹慎」というご意見は、もっともらしく聞こえるが、市地域振興局は、登山成功の証として、前例に倣って「征服」という文字を使っただけである。
まったく次元の違う話だ。
それを領土問題に絡めて批判するという感覚が、私にはとても威圧的な恐ろしいものに感じられる。
「登山成功」を「征服」と表現する話と「領土問題で揺れている時期だから不謹慎」との意見には、接点がない。
それは、ただ単純に「征服」という言葉に反応しているだけではないか。
「日本国」というのが555メートルの山だと気づけば、ただの「笑い話」で終わる。
「おれ、日本国征服したんだぜ」
「エーッ! ほんとかよ! すげえな!」
「まあ、山なんだけどな」
「ハハハ」
領土問題と登山成功の話は、全く関係がない。
それを結びつける人の意図は、どこにあるのだろう。
無理矢理「領土問題」と関連づけて、騒ぎたいだけのように思える。
ただ「煽りたい人」なのか。
それは、私にはまったく理解できない感覚である。
標高555メートルだという。
ゴーゴーゴー、とは、できすぎた高さではないか。
その555メートルの「日本国」が、小さな騒動を起こしているというのをネットの記事で読んだ。
新潟県村上市と山形県鶴岡市にまたがるゴーゴーゴーの小さな山。
5月5日の山開き前に、新潟県が登頂に成功した人に「日本国征服証明書」という登頂証明書を出す企画を発表したら、約50件の批判が寄せられたという。
村上市では、30数年前から、ゴーゴーゴーの山の高さにちなんで、5月5日の山開きを「征服登山」と呼んでいたらしい。
その延長線上に、今回は「日本国征服証明書」という登頂証明書の発行を企画した。
「出来のいいシャレ」とは思えないが、私の感覚では、それは「悪ノリ」とも言えない。
市のオッサン、オバサン、若者たちが、それなりに知恵をしぼって、地域振興を真剣に考えた結果だと思うのだ。
だが、「征服という言葉には違和感がある」「(尖閣問題など)領土問題で揺れている時期に不謹慎」などの否定的な意見が、メールや電話で寄せられた地域振興局は、その反応に慌てて、証明書の名を「日本国登頂証明書」に急遽変更した。
50件の否定意見は、重いのか軽いのか。
どんな小さな意見も汲み取るのが民主主義、という観点に立つなら、50件は、相当に重いと見ることもできる。
しかし、その企画に肯定的な人は、おそらく「いいね」などというメールは寄越さないだろうから、強い肯定も弱い消極的肯定も含めて、「まあ、いいんじゃねえの」の意見がほとんどだと思う。
しかし、その無言の肯定は、表面には出てこない。
ただ、50件の否定の意見の陰には、「百倍の否定が存在する」という考え方もある。
しかし、それは統計学的にはアバウトすぎて、それでは、否定的な意見への評価が高すぎるという問題点を残す。
「富士山征服」「エヴェレスト征服」などは、昔から普通に使っている。
「槍ヶ岳征服」などとも言う。
だったら、「日本国征服証明書」だって許容範囲ではないか、と私は思うのである。
「(尖閣問題など)領土問題で揺れている時期に不謹慎」というご意見は、もっともらしく聞こえるが、市地域振興局は、登山成功の証として、前例に倣って「征服」という文字を使っただけである。
まったく次元の違う話だ。
それを領土問題に絡めて批判するという感覚が、私にはとても威圧的な恐ろしいものに感じられる。
「登山成功」を「征服」と表現する話と「領土問題で揺れている時期だから不謹慎」との意見には、接点がない。
それは、ただ単純に「征服」という言葉に反応しているだけではないか。
「日本国」というのが555メートルの山だと気づけば、ただの「笑い話」で終わる。
「おれ、日本国征服したんだぜ」
「エーッ! ほんとかよ! すげえな!」
「まあ、山なんだけどな」
「ハハハ」
領土問題と登山成功の話は、全く関係がない。
それを結びつける人の意図は、どこにあるのだろう。
無理矢理「領土問題」と関連づけて、騒ぎたいだけのように思える。
ただ「煽りたい人」なのか。
それは、私にはまったく理解できない感覚である。