オンボロアパートの庭の段ボールに、野良猫が住み着いている。
勝手に、セキトリと名付けた。
頭のてっぺんの模様がマゲに似ていたからだ。
体格も良くて、ふてぶてしい面構えが、昭和の大横綱、北の湖に似ていた。
我ながら、いい命名だと感心している。
そのセキトリが、庭の段ボールに住み着いて4年が経つ。
つまり、4回目の正月だ。
東日本大震災のときは、18日間行方がわからなかったが、19日目の朝、日課のように段ボールの中をのぞいたら、セキトリが寝ていた。
起こしては悪いと思って声はかけなかったが、その寝姿を見て涙が出た。
野良猫でも、彼は家族だ。
セキトリが住み着いている段ボールには、夏仕様と冬仕様がある。
夏仕様は、普通の段ボールに、小さいビーチパラソルを刺してある。
これで、夏の日差しを遮っている。
猛暑のときは、それなりに暑いとは思うが、完璧に日差しを遮っているので、たまに温度計で気温を測ってみても、滅多に30度を超えることはない。
避暑地ほど快適ではないだろうが、段ボール内で、茹で上がることはないはずだ。
冬は、大きめの段ボールとやや小さめの段ボールを重ねて、段ボールの間に層を作っている。
この空気の層が、温かい空気を溜めて、段ボール内を暖かくしている。
さらに、ブルーシートを段ボールサイズに切って、まわりに貼ってあるから、冬の冷気が入りにくい構造になっている。
段ボールといえども、侮れない住まいだ。
昨年一月の大雪のときは、屋根に大量の雪が積もっていたが、雪に押しつぶされることなく、セキトリは中に敷き詰めた毛布の上で、快適な眠りを楽しんでいたようだ。
私が様子を見に行くと、「なんだよ、おまえ、起こすなよ。せっかくいい眠りを貪っていたのによお」というような目で、私を見上げた。
悪かったな、と言って、昼メシのハンペンのバター焼きを皿の上に置いた。
これは、セキトリの大好物なのである。
今年の正月の献立は、カマボコとハンペンのバター焼きの上に鮭のそぼろを乗せたもの。
これをセキトリは、1分強で食う。
食べ終わると、「ご馳走になったな」というように私を見上げ、その視線を一秒ほど停止させる。
おそらく、感謝の意を表しているのだと思う。
オンボロアパートの2階からは、富士山が見える。
東京武蔵野の外れだが、富士山の稜線が綺麗に見て取れる。
しかし、今年の元旦は、富士山が見えなかった。
それほど悪い天気ではなかったのだが、なぜか見えなかった。
毎年見えるので、損をした気分だ。
セキトリに話しかけてみた。
今年は富士山が見えなかったんだよ。
せっかく世界遺産に登録されたというのにな。
セキトリが「ナー」と鳴いた。
セキトリは、いつも「ニャー」ではなく「ナー」と鳴く。
今回の「ナー」は、おそらく、「そんなこともあるさ」の意味だと思う。
あるいは、「毎回見えていたら、ありがたみがないよ」の「ナー」かもしれない。
もう一度、セキトリが私を見上げて、短い時間見つめた。
目が合った。
今年もよろしくな、と私が言うと、セキトリは目をすぐにそらして、まるで猫のように背を丸め、段ボールの我が家に帰っていった。
お互い、照れ屋だ。
改まったことが嫌いなタチだ。
だから、どうしてもぶっきら棒になる。
まあ、新年の挨拶もしたことだし、よしとするか。
そう思って、私も家に入ろうとした。
すると、段ボールの中から「ナー」という声が聞こえた。
言い忘れた「おめでとう」を言ったのかもしれない。
これで、新年の儀式は終わった。
セキトリにとって、今年がいい年でありますように。
勝手に、セキトリと名付けた。
頭のてっぺんの模様がマゲに似ていたからだ。
体格も良くて、ふてぶてしい面構えが、昭和の大横綱、北の湖に似ていた。
我ながら、いい命名だと感心している。
そのセキトリが、庭の段ボールに住み着いて4年が経つ。
つまり、4回目の正月だ。
東日本大震災のときは、18日間行方がわからなかったが、19日目の朝、日課のように段ボールの中をのぞいたら、セキトリが寝ていた。
起こしては悪いと思って声はかけなかったが、その寝姿を見て涙が出た。
野良猫でも、彼は家族だ。
セキトリが住み着いている段ボールには、夏仕様と冬仕様がある。
夏仕様は、普通の段ボールに、小さいビーチパラソルを刺してある。
これで、夏の日差しを遮っている。
猛暑のときは、それなりに暑いとは思うが、完璧に日差しを遮っているので、たまに温度計で気温を測ってみても、滅多に30度を超えることはない。
避暑地ほど快適ではないだろうが、段ボール内で、茹で上がることはないはずだ。
冬は、大きめの段ボールとやや小さめの段ボールを重ねて、段ボールの間に層を作っている。
この空気の層が、温かい空気を溜めて、段ボール内を暖かくしている。
さらに、ブルーシートを段ボールサイズに切って、まわりに貼ってあるから、冬の冷気が入りにくい構造になっている。
段ボールといえども、侮れない住まいだ。
昨年一月の大雪のときは、屋根に大量の雪が積もっていたが、雪に押しつぶされることなく、セキトリは中に敷き詰めた毛布の上で、快適な眠りを楽しんでいたようだ。
私が様子を見に行くと、「なんだよ、おまえ、起こすなよ。せっかくいい眠りを貪っていたのによお」というような目で、私を見上げた。
悪かったな、と言って、昼メシのハンペンのバター焼きを皿の上に置いた。
これは、セキトリの大好物なのである。
今年の正月の献立は、カマボコとハンペンのバター焼きの上に鮭のそぼろを乗せたもの。
これをセキトリは、1分強で食う。
食べ終わると、「ご馳走になったな」というように私を見上げ、その視線を一秒ほど停止させる。
おそらく、感謝の意を表しているのだと思う。
オンボロアパートの2階からは、富士山が見える。
東京武蔵野の外れだが、富士山の稜線が綺麗に見て取れる。
しかし、今年の元旦は、富士山が見えなかった。
それほど悪い天気ではなかったのだが、なぜか見えなかった。
毎年見えるので、損をした気分だ。
セキトリに話しかけてみた。
今年は富士山が見えなかったんだよ。
せっかく世界遺産に登録されたというのにな。
セキトリが「ナー」と鳴いた。
セキトリは、いつも「ニャー」ではなく「ナー」と鳴く。
今回の「ナー」は、おそらく、「そんなこともあるさ」の意味だと思う。
あるいは、「毎回見えていたら、ありがたみがないよ」の「ナー」かもしれない。
もう一度、セキトリが私を見上げて、短い時間見つめた。
目が合った。
今年もよろしくな、と私が言うと、セキトリは目をすぐにそらして、まるで猫のように背を丸め、段ボールの我が家に帰っていった。
お互い、照れ屋だ。
改まったことが嫌いなタチだ。
だから、どうしてもぶっきら棒になる。
まあ、新年の挨拶もしたことだし、よしとするか。
そう思って、私も家に入ろうとした。
すると、段ボールの中から「ナー」という声が聞こえた。
言い忘れた「おめでとう」を言ったのかもしれない。
これで、新年の儀式は終わった。
セキトリにとって、今年がいい年でありますように。