得意先で、訳の分からない呪文を唱えられた。
仕事を出してくれた担当者が、「ライオンズの選手は、甘えているよ。監督の責任じゃないのに」と言ったのだ。
プロ野球に疎い私でも、ライオンズというのがプロ野球チームだということはわかる。
しかし、突然「選手は甘えているよ。監督が~」と言われても、意味不明だ。
私が苦手な会話の中に、プロ野球と高校野球の話題がある。
まったく興味がないのだ。
お得意様相手だから、話を合わせた方がいいのだろうとは思う。
だが、話を合わせるといっても、まったく知らないのだから、話の合わせようがない。
いい加減なことを言ったら失礼になると思ったので、ここ6年ほどの私は、「すみません。全然興味がないので、わかりません」と答えている。
それが功を奏して、最近は、その種の話題を振られなくなった。
本来なら、この担当者も野球の話を振ることはなかったが、よほど我慢できなかったのだろう、突然言い出した。
色々なご不満を私にぶちまけたが、私は、その話の5分の1も理解できなかった。
理解できなかったから、相づちを打つこともしなかった。
自分でも失礼な男だと思う。
しかし、わからないものは、わからない。
だから、「ごめんなさい」と言うしかなかった。
担当者は、私が頭を下げたものだから、我に返ったように「ああ、ごめん。Mさんは、知らないんですもんね。俺の方こそ、ごめんなさい」と頭を下げてくれた。
それを聞いて、私の中で、彼への好感度が上がった。
生まれが福岡で、物心ついた頃からのライオンズ・ファン。
親会社が変わって、埼玉に移ってきても、彼はライオンズを応援し、長男には「怜央(レオ)」と名付けるほどの筋金入りのファンだ。
つまり、愛すべき野球ファン。
そのことが気になったので、家に帰ってネットで「選手は甘えているよ」事件を調べてみた。
そこで、「伊原監督“休養”ナゼ? 前近代的な指導や規律にナインの心が離反」という記事を見つけた。
読んでみた。
ライオンズの今シーズンの成績が悪くて、それが監督の「前近代的」な指導、練習法によるものだ、という記事だった。
前近代的な方法とは何か、と言えば、選手に対して、長い裾のユニホームやひげ、茶髪を禁止、門限も午後10時に設定。野球以外の部分でも厳しい戒律を求めた、ということらしい。
メディアは嘘をつくのが当たり前だが、もしそれが本当なら、「前近代的」というより、「時代錯誤の勘違い」と言っていいのではないだろうか、と思った。
私は、ニューヨーク・ヤンキースが所属選手に対してヒゲを禁止していることに、苦笑を禁じ得ないのだが、これは、それよりも遥かに上をいく「拘束」ではないか。
聞くところによると、プロ野球の選手は「個人事業主」として、球団と契約しているという。
すべての野球選手が、個人事業主として契約するとき、「監督の命令は絶対だ、長い裾のユニホームやひげは禁止、門限は午後10時」という条項を受け入れてサインしているのだろうか。
それは、ありえない、と私は思うのだ。
プロは、プロとしてのパフォーマンス(能力)だけが求められる世界だと思っている。
契約社会のメジャーリーグでは、ヤンキースと契約するとき、「ヒゲ禁止」が盛り込まれているかもしれないが、日本では、どうなのだろう。
個々の契約の詳細はわからないし、プロ野球に「長い裾のユニホームとひげ」の選手がいるかいないかもわからないので、そこは保留にしておく。
お互い納得しての年俸契約を交わしたプロに必要なのは、個人成績とチームの優勝だと思う。
チームの勝ちに貢献して、そのチームが優勝すれば、それはプロとして最高の結果だろう。
個人事業主は、個人の能力を最大限に発揮した結果、チームが優勝することが命題で、それによって年俸が上がるものだと私は考えている。
そして、素人考えでは、チーム内での個人パフォーマンスが上がれば、勝ちがついてくるものだと単純に考える。
その現実的な事象に、「長い裾のユニホームやひげは禁止、門限は午後10時」は必要なのだろうか。
彼らは、子どもではないのだ。
高い年俸を得ている大人に、そんな「しばり」は必要なのか。
自称「常勝球団」という奢りを持ったニューヨーク・ヤンキースでさえ、いま「常勝」ではない。
あのチームに、「ヒゲ禁止」の効力は、どれほどあるのだろうか。
勝利に有効なのは、ユニフォームやヒゲや門限ではないだろう。
指揮官が、どれほど真剣にチームの現状に向き合い、「個人事業主」を気持ちよく働かせることができるか、が必要ではないのか。
保守的な指揮官は、過去の栄光だけにすがっている。
しかし、個人事業主にあるのは、今だけだ。
今の成績が、「明日の年俸」に繋がる。
それが理解できない指揮官は、無能だ。
ただ、「休養した監督」が、負けを認めて勇退したことは、潔いと思う。
私が見たネットでのコメント欄では、「選手も同罪」「ヒゲは必要なのか」「長いユニフォームは見苦しい」などという監督擁護の意見が目立った。
しかし、私は思うのだ。
個人事業主のプライドを最大限尊重して、試合を作るのが監督の仕事だということを。
休養した監督にあったのは、「自分の過去の流儀」だけ。
それだけでは、説得力がない。
それは、自己満足というものだ。
「現在」を見つめて、選手を尊敬しなければ、人の心は未来に向かわない。
保守的なライオンズ・ファン(あるいは、昔はよかった的な野球ファン)は、選手に対する尊敬を忘れているのではないか、と素人の私は考えた。
経験ある監督が示唆するルールは絶対である、という認識は「盲目的な従順」を前提にしたもので、それはチームの戦略とは関係ないものだ。
監督を擁護する人たちの気持ちは、私には全くわからない。
選手の尊厳を無視したチーム作りは、否定の感情だけが際立ったネガティブな「歪んだ統治」だ。
そんな「歪んだ統治」が蔓延している、と思ったのが、その記事の下の方にあったリンク記事だった。
ジャイアンツの監督が、自己の球団の投手が、打って一塁に走った際に、足に違和感を感じて降板したことに対して、「あの程度で足がつってもらったら、そりゃ困りますね」と、記者に向かって言った記事だ。
怪我をした投手を労ることもせずに、目の前のメディアに自分のチームの投手を批判することを言ったという。
しかし、そんなことは、本人に直接言えばすむことで、メディアに言うことではない。
監督は、選手を批判するのが仕事ではない。
選手をかばうのも仕事の一部だ。
かばうことで、選手は、落ち着いて仕事をすることができる。
しかし、これは私には呆れる出来事なのだが、ファンの多くは、メデイアに同調して監督同様、選手を批判するコメントが多かった。
本来なら、ファンも選手の怪我の状態を心配するものではないのか。
これでは、選手は、怪我を申告できなくなるではないか。
小さな怪我が、大事になることもある。
しかし、監督にそんなことを言われたら、我慢せざるを得なくなる。
我慢したら、怪我は悪化する。
悪循環だ。
監督や盲目的ファンは、選手の将来をどう思っているのだろう。
選手を使い捨ての駒だとおもっているのか。
選手の悪口を言う監督は、他の人が受け入れたとしても、私には受け入れられない。
チーム事情よりも、選手の状態を優先できない人は、結局は「自分本位」の人だと私は思っている。
後日、得意先の担当者に、そんなことを言ったら、「野球を知らない人に、言われたくないね」と完全に否定された。
そう言われたら、何も言い返せないのだが………。
仕事を出してくれた担当者が、「ライオンズの選手は、甘えているよ。監督の責任じゃないのに」と言ったのだ。
プロ野球に疎い私でも、ライオンズというのがプロ野球チームだということはわかる。
しかし、突然「選手は甘えているよ。監督が~」と言われても、意味不明だ。
私が苦手な会話の中に、プロ野球と高校野球の話題がある。
まったく興味がないのだ。
お得意様相手だから、話を合わせた方がいいのだろうとは思う。
だが、話を合わせるといっても、まったく知らないのだから、話の合わせようがない。
いい加減なことを言ったら失礼になると思ったので、ここ6年ほどの私は、「すみません。全然興味がないので、わかりません」と答えている。
それが功を奏して、最近は、その種の話題を振られなくなった。
本来なら、この担当者も野球の話を振ることはなかったが、よほど我慢できなかったのだろう、突然言い出した。
色々なご不満を私にぶちまけたが、私は、その話の5分の1も理解できなかった。
理解できなかったから、相づちを打つこともしなかった。
自分でも失礼な男だと思う。
しかし、わからないものは、わからない。
だから、「ごめんなさい」と言うしかなかった。
担当者は、私が頭を下げたものだから、我に返ったように「ああ、ごめん。Mさんは、知らないんですもんね。俺の方こそ、ごめんなさい」と頭を下げてくれた。
それを聞いて、私の中で、彼への好感度が上がった。
生まれが福岡で、物心ついた頃からのライオンズ・ファン。
親会社が変わって、埼玉に移ってきても、彼はライオンズを応援し、長男には「怜央(レオ)」と名付けるほどの筋金入りのファンだ。
つまり、愛すべき野球ファン。
そのことが気になったので、家に帰ってネットで「選手は甘えているよ」事件を調べてみた。
そこで、「伊原監督“休養”ナゼ? 前近代的な指導や規律にナインの心が離反」という記事を見つけた。
読んでみた。
ライオンズの今シーズンの成績が悪くて、それが監督の「前近代的」な指導、練習法によるものだ、という記事だった。
前近代的な方法とは何か、と言えば、選手に対して、長い裾のユニホームやひげ、茶髪を禁止、門限も午後10時に設定。野球以外の部分でも厳しい戒律を求めた、ということらしい。
メディアは嘘をつくのが当たり前だが、もしそれが本当なら、「前近代的」というより、「時代錯誤の勘違い」と言っていいのではないだろうか、と思った。
私は、ニューヨーク・ヤンキースが所属選手に対してヒゲを禁止していることに、苦笑を禁じ得ないのだが、これは、それよりも遥かに上をいく「拘束」ではないか。
聞くところによると、プロ野球の選手は「個人事業主」として、球団と契約しているという。
すべての野球選手が、個人事業主として契約するとき、「監督の命令は絶対だ、長い裾のユニホームやひげは禁止、門限は午後10時」という条項を受け入れてサインしているのだろうか。
それは、ありえない、と私は思うのだ。
プロは、プロとしてのパフォーマンス(能力)だけが求められる世界だと思っている。
契約社会のメジャーリーグでは、ヤンキースと契約するとき、「ヒゲ禁止」が盛り込まれているかもしれないが、日本では、どうなのだろう。
個々の契約の詳細はわからないし、プロ野球に「長い裾のユニホームとひげ」の選手がいるかいないかもわからないので、そこは保留にしておく。
お互い納得しての年俸契約を交わしたプロに必要なのは、個人成績とチームの優勝だと思う。
チームの勝ちに貢献して、そのチームが優勝すれば、それはプロとして最高の結果だろう。
個人事業主は、個人の能力を最大限に発揮した結果、チームが優勝することが命題で、それによって年俸が上がるものだと私は考えている。
そして、素人考えでは、チーム内での個人パフォーマンスが上がれば、勝ちがついてくるものだと単純に考える。
その現実的な事象に、「長い裾のユニホームやひげは禁止、門限は午後10時」は必要なのだろうか。
彼らは、子どもではないのだ。
高い年俸を得ている大人に、そんな「しばり」は必要なのか。
自称「常勝球団」という奢りを持ったニューヨーク・ヤンキースでさえ、いま「常勝」ではない。
あのチームに、「ヒゲ禁止」の効力は、どれほどあるのだろうか。
勝利に有効なのは、ユニフォームやヒゲや門限ではないだろう。
指揮官が、どれほど真剣にチームの現状に向き合い、「個人事業主」を気持ちよく働かせることができるか、が必要ではないのか。
保守的な指揮官は、過去の栄光だけにすがっている。
しかし、個人事業主にあるのは、今だけだ。
今の成績が、「明日の年俸」に繋がる。
それが理解できない指揮官は、無能だ。
ただ、「休養した監督」が、負けを認めて勇退したことは、潔いと思う。
私が見たネットでのコメント欄では、「選手も同罪」「ヒゲは必要なのか」「長いユニフォームは見苦しい」などという監督擁護の意見が目立った。
しかし、私は思うのだ。
個人事業主のプライドを最大限尊重して、試合を作るのが監督の仕事だということを。
休養した監督にあったのは、「自分の過去の流儀」だけ。
それだけでは、説得力がない。
それは、自己満足というものだ。
「現在」を見つめて、選手を尊敬しなければ、人の心は未来に向かわない。
保守的なライオンズ・ファン(あるいは、昔はよかった的な野球ファン)は、選手に対する尊敬を忘れているのではないか、と素人の私は考えた。
経験ある監督が示唆するルールは絶対である、という認識は「盲目的な従順」を前提にしたもので、それはチームの戦略とは関係ないものだ。
監督を擁護する人たちの気持ちは、私には全くわからない。
選手の尊厳を無視したチーム作りは、否定の感情だけが際立ったネガティブな「歪んだ統治」だ。
そんな「歪んだ統治」が蔓延している、と思ったのが、その記事の下の方にあったリンク記事だった。
ジャイアンツの監督が、自己の球団の投手が、打って一塁に走った際に、足に違和感を感じて降板したことに対して、「あの程度で足がつってもらったら、そりゃ困りますね」と、記者に向かって言った記事だ。
怪我をした投手を労ることもせずに、目の前のメディアに自分のチームの投手を批判することを言ったという。
しかし、そんなことは、本人に直接言えばすむことで、メディアに言うことではない。
監督は、選手を批判するのが仕事ではない。
選手をかばうのも仕事の一部だ。
かばうことで、選手は、落ち着いて仕事をすることができる。
しかし、これは私には呆れる出来事なのだが、ファンの多くは、メデイアに同調して監督同様、選手を批判するコメントが多かった。
本来なら、ファンも選手の怪我の状態を心配するものではないのか。
これでは、選手は、怪我を申告できなくなるではないか。
小さな怪我が、大事になることもある。
しかし、監督にそんなことを言われたら、我慢せざるを得なくなる。
我慢したら、怪我は悪化する。
悪循環だ。
監督や盲目的ファンは、選手の将来をどう思っているのだろう。
選手を使い捨ての駒だとおもっているのか。
選手の悪口を言う監督は、他の人が受け入れたとしても、私には受け入れられない。
チーム事情よりも、選手の状態を優先できない人は、結局は「自分本位」の人だと私は思っている。
後日、得意先の担当者に、そんなことを言ったら、「野球を知らない人に、言われたくないね」と完全に否定された。
そう言われたら、何も言い返せないのだが………。