私は、バカ親なので、いくらでも自分の娘の自慢ができる。
いま大学3年の娘は、今年92歳になる私の母を尊敬していた。
娘が小学5年のとき、私の母が「夏帆ちゃんに介護してもらったら、こんなに幸せなことはないわ。この世に未練を残さずに死ぬことができるわね」と言ったのを真に受けて、娘は「私がおばあちゃんの介護をする。でも、おばあちゃんは死なせないよ」と言ったのである。
それから、娘は中学に進学し、介護の勉強ではなく、独学で英会話とハングル語の勉強をし始めた。
ハングル語を覚えようと思ったのは、娘が韓国の「少女時代」のファンだったからだ。
当時は、まだ日本ではデビューしていなかったが、YouTubeの映像を見て、娘はすぐにファンになった。
そして、歌詞を理解するために、ハングル語に興味を持った。
英語とハングル語の勉強は、高校に上がってからも続いた。
英語は「英検二級」、ハングル語は「ハングル能力検定四級」を取得した。
だから、私は、娘は大学で語学部に入るものだとばかり思っていた。
高校3年の三者面談。
担任から、「娘さんは、MARCHレベルの大学に入る学力があります」と言われた。
それを聞いて、私と同じ大学に入ってくれたら嬉しいのだが、と勝手に思った。
しかし、娘は毅然として言ったのだ。
「私は社会福祉学部のある大学に入りたいと思います。
祖母と約束をしたんです」
まさか、娘が祖母との8年前の約束を覚えているとは思わなかった。
それは、意外だったが、感動する言葉だった。
学校からの帰り、娘とファミリーレストランに寄った。
いいのか、MARCHにだって入れるかもしれないんだぞ。
私は、娘の意思が固いのを感じながらも、あえて聞いてみた。
「確かにMARCHには入れるかもしれない。
でも、MARCHには、頭のいいヤツも沢山いるだろ。
入ったとしても『特待生』にはなれない。
でも、少し下のレベルの大学だったら、頑張れば特待生になれる可能性はある。
ボクは、それを狙っているんだよね」
娘は、我が家が、超絶なほどビンボーな家庭だということを理解していた。
だから、授業料を親に負担させることを不憫に思っていたようなのだ。
「授業料無料って、魅力的だよな」
娘は、その宣言通り、少し下のレベルの大学に入り、まったく休まずに授業を受け、「S」のフルマークをとった。
その結果、願いが叶って、特待生になった。
2年からの授業料が免除になったのだ。
授業料の免除が決まった日、娘が「お願いがあるんだけど」とヨメと私の前で、神妙な面持ちで頭を下げた。
「3年になったら、韓国に半年間、留学したいんだ・・・」
娘が、その決意を持っていることを私は薄々感じていた。
普段の娘との会話の中で、薄い表現ではあったが、「留学」をほのめかすものがあったからだ。
私は、バカ親ではあるが、バカではない。
息子や娘の「努力」や「健康」に関しては、絶えずアンテナを張って、彼らの動向をキャッチしていた。
我がヨメは、まるで最果ての無人島のように、アンテナが一つも立たない人なので、娘の告白にびっくり仰天だったようだ。
(ヨメは、子どもたちの病気にも気づかないことが、たまにある)
大学3年の後期だけ、韓国に留学したい。
娘は、具体的なプランを語りはじめた。
協定留学先は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国、韓国などがあったが、渡航費が安く、生活費が安いことを考慮すると韓国しか選択肢はなかった。
「これから3年生の夏までに、アルバイトで百万円を貯めて、渡航費と生活費は自分で調達します。だから金銭的な迷惑はかけません。それに、アルバイトをしても絶対に成績は落とさない」
留学先の授業料に関しては、特待生の場合、大学側が負担してくれるという。
単位も向こうで取ったものが反映されるというから、卒業時の単位取得に影響はない。
だから、渡航費と生活費だけを用意すれば留学はできる、と娘は言った。
我が家が、どビンボーでなければ、アメリカ留学もさせてあげられたろうが、娘は最初から、それは諦めていたようだ。
韓国で「社会福祉」の勉強をするのか、と聞いた。
「いや、社会福祉は国によって制度が異なるから、参考にならない。ボクは、大学で1年間勉強してみて、日本の社会福祉の仕組みは、ほとんどわかった。だから、韓国に行くのは、社会福祉の勉強のためではない」
韓国の大学では、英語のクラスに入るのだという。
「だって、介護が必要なのは、日本人だけではないだろ?
ボクは、グローバルな気持ちで、色々な人たちを介護したいのさ。
そのためには、英語は必須だろ」
まあ・・・確かに。
反対する理由はなかった。
娘は宣告通り、2年から、昼は大学に通い、夜は近所のスーパーマーケットでアルバイトをして、今年の7月までに100万円を貯め、留学準備を完全に終えた。
2年次の成績も「S」のフルマークだった。
(特待生でなければ、留学中の授業料が免除にならないので、娘は必死だった。絶えず寝不足だった)
留学の話を初めてしたとき、娘は、こんなことも言っていた。
「それに、韓国に行く理由は、もう一つあるんだよね」
ユナちゃんのことだな?
「よくわかったな」
繰り返すが、私はバカ親ではあるが、バカではない。
私が娘のことで知らないのは、娘が毎日どんな夢を見ているか・・・ぐらいだ。
・・・と、ここまで打ったところで、長くなり過ぎたことに気づいた。
この続きは、次回になります。
いま大学3年の娘は、今年92歳になる私の母を尊敬していた。
娘が小学5年のとき、私の母が「夏帆ちゃんに介護してもらったら、こんなに幸せなことはないわ。この世に未練を残さずに死ぬことができるわね」と言ったのを真に受けて、娘は「私がおばあちゃんの介護をする。でも、おばあちゃんは死なせないよ」と言ったのである。
それから、娘は中学に進学し、介護の勉強ではなく、独学で英会話とハングル語の勉強をし始めた。
ハングル語を覚えようと思ったのは、娘が韓国の「少女時代」のファンだったからだ。
当時は、まだ日本ではデビューしていなかったが、YouTubeの映像を見て、娘はすぐにファンになった。
そして、歌詞を理解するために、ハングル語に興味を持った。
英語とハングル語の勉強は、高校に上がってからも続いた。
英語は「英検二級」、ハングル語は「ハングル能力検定四級」を取得した。
だから、私は、娘は大学で語学部に入るものだとばかり思っていた。
高校3年の三者面談。
担任から、「娘さんは、MARCHレベルの大学に入る学力があります」と言われた。
それを聞いて、私と同じ大学に入ってくれたら嬉しいのだが、と勝手に思った。
しかし、娘は毅然として言ったのだ。
「私は社会福祉学部のある大学に入りたいと思います。
祖母と約束をしたんです」
まさか、娘が祖母との8年前の約束を覚えているとは思わなかった。
それは、意外だったが、感動する言葉だった。
学校からの帰り、娘とファミリーレストランに寄った。
いいのか、MARCHにだって入れるかもしれないんだぞ。
私は、娘の意思が固いのを感じながらも、あえて聞いてみた。
「確かにMARCHには入れるかもしれない。
でも、MARCHには、頭のいいヤツも沢山いるだろ。
入ったとしても『特待生』にはなれない。
でも、少し下のレベルの大学だったら、頑張れば特待生になれる可能性はある。
ボクは、それを狙っているんだよね」
娘は、我が家が、超絶なほどビンボーな家庭だということを理解していた。
だから、授業料を親に負担させることを不憫に思っていたようなのだ。
「授業料無料って、魅力的だよな」
娘は、その宣言通り、少し下のレベルの大学に入り、まったく休まずに授業を受け、「S」のフルマークをとった。
その結果、願いが叶って、特待生になった。
2年からの授業料が免除になったのだ。
授業料の免除が決まった日、娘が「お願いがあるんだけど」とヨメと私の前で、神妙な面持ちで頭を下げた。
「3年になったら、韓国に半年間、留学したいんだ・・・」
娘が、その決意を持っていることを私は薄々感じていた。
普段の娘との会話の中で、薄い表現ではあったが、「留学」をほのめかすものがあったからだ。
私は、バカ親ではあるが、バカではない。
息子や娘の「努力」や「健康」に関しては、絶えずアンテナを張って、彼らの動向をキャッチしていた。
我がヨメは、まるで最果ての無人島のように、アンテナが一つも立たない人なので、娘の告白にびっくり仰天だったようだ。
(ヨメは、子どもたちの病気にも気づかないことが、たまにある)
大学3年の後期だけ、韓国に留学したい。
娘は、具体的なプランを語りはじめた。
協定留学先は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国、韓国などがあったが、渡航費が安く、生活費が安いことを考慮すると韓国しか選択肢はなかった。
「これから3年生の夏までに、アルバイトで百万円を貯めて、渡航費と生活費は自分で調達します。だから金銭的な迷惑はかけません。それに、アルバイトをしても絶対に成績は落とさない」
留学先の授業料に関しては、特待生の場合、大学側が負担してくれるという。
単位も向こうで取ったものが反映されるというから、卒業時の単位取得に影響はない。
だから、渡航費と生活費だけを用意すれば留学はできる、と娘は言った。
我が家が、どビンボーでなければ、アメリカ留学もさせてあげられたろうが、娘は最初から、それは諦めていたようだ。
韓国で「社会福祉」の勉強をするのか、と聞いた。
「いや、社会福祉は国によって制度が異なるから、参考にならない。ボクは、大学で1年間勉強してみて、日本の社会福祉の仕組みは、ほとんどわかった。だから、韓国に行くのは、社会福祉の勉強のためではない」
韓国の大学では、英語のクラスに入るのだという。
「だって、介護が必要なのは、日本人だけではないだろ?
ボクは、グローバルな気持ちで、色々な人たちを介護したいのさ。
そのためには、英語は必須だろ」
まあ・・・確かに。
反対する理由はなかった。
娘は宣告通り、2年から、昼は大学に通い、夜は近所のスーパーマーケットでアルバイトをして、今年の7月までに100万円を貯め、留学準備を完全に終えた。
2年次の成績も「S」のフルマークだった。
(特待生でなければ、留学中の授業料が免除にならないので、娘は必死だった。絶えず寝不足だった)
留学の話を初めてしたとき、娘は、こんなことも言っていた。
「それに、韓国に行く理由は、もう一つあるんだよね」
ユナちゃんのことだな?
「よくわかったな」
繰り返すが、私はバカ親ではあるが、バカではない。
私が娘のことで知らないのは、娘が毎日どんな夢を見ているか・・・ぐらいだ。
・・・と、ここまで打ったところで、長くなり過ぎたことに気づいた。
この続きは、次回になります。