リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

バカ親父の影響力

2017-02-05 06:41:00 | オヤジの日記
韓国留学中の娘が、二日間だけ帰ってきた。

ごひいきのビジュアル系バンドのライブに行くためだ。

金曜日の夜、帰ってきて、土曜日は朝からコメダ珈琲店で、お友だち4人とモーニングを食い、その後はカラオケ、そしてはなまるうどんで腹ごしらえをして、5人でライブに行った。

夜の11時に帰ってきた娘は、「笑わないでほしいんだ」と私に言った。
「これが、最後のライブだと思うと、アンコールでは号泣しっぱなしで、みんなから笑われたよ。泣くような歌じゃないのにって」

最後のライブ、と言っても、そのバンドが解散するわけではない。
娘が、そのバンドのライブに行くのが、最後という意味だ。

「韓国から帰ったら、真剣に就職活動しないといけないからな」

大学3年の娘には、就職という重い課題が待っていたのである。
ただ、娘のお友だちも同い年だが、就職活動をしていたとしてもライブには行くらしい。

娘だけが、「最後のライブ」ということだ。


「年を取ったら、涙もろくなってな」と娘。

そう言う娘は、昔から涙もろかった。

娘が幼稚園のとき、私と始めて観た「モンスターズ・インク」では最後に号泣した。
「千と千尋の神隠し」の最後も号泣した。
「E.T」をテレビで再放送したときも号泣。

そして、娘が小3のときに連れて行った浜田省吾のコンサートの最後も号泣だった。

「あんときは、二人で『on the road』のTシャツを着て行ったんだよな。
思えば、変なガキだったよな。
初めて聴いたフル・アルバムが、小2で、椎名林檎の『勝訴ストリップ』だったからな」

椎名林檎様の難解な詞を理解するために、電子辞書をねだられた。

娘が、初めて読んだ長編小説が小5のときで、万城目学氏の「鴨川ホルモー」だった。
そして、小6で伊坂幸太郎氏の「ゴールデンスランバー」。
そのときも、その電子辞書が役立った。


まだ5人で活動していた頃の「東方神起」を、かなりレベルの高いハーモニーだから聴いてみろよ、と薦めたのが、娘が小5のときだった。
そのときに、韓国に興味を持った娘は、互いの国がいがみ合う関係の中でも、興味を持ち続け、中学から独学でハングル語を覚え、いま韓国の大学の英語クラスで勉学に励んでいた。
(ただ娘も私も生粋の日本人ですが)


「思えばボクは、おまえのあとばっかり追いかけていたんだよな」と娘。

音楽も映画も小説も考え方も、そして、体質も見事なほど受け継いでくれた娘。
(何を食っても太れないガイコツ体質)


「でもな・・・ボクが初めて自分の意志で興味を持ったバンドが、今日ライブに行ったバンドだったんだよな。
このバンドを見つけたとき、ボクは、おまえから自立したと思ったぞ」

それは、4年前のことで、トータルで20回以上ライブに足を運んだのではないだろうか。

だったら、ライブに行くのをやめることはないんじゃないか。

「いや、ライブよりも就活だ。
ケジメはつけないといけないんだよ。
それは、おまえを見て、教わったことだ。
『やるときはやる』ってな」

(泣かせやがって)

「でもな・・・不思議なことに、また浜田省吾のコンサートに行きたい自分もいるんだよな」


変わったやつだな。


「おまえに、言われたくないわ!」

それ、本気で言っているのか?

「本気で言ってたら、おまえと何年も親子なんかやってらんないよ」

・・・・・・・ヘヘヘヘヘッ。

(無断で、オードリー師匠の漫才をパクってしまいました。お詫びいたします)




さて、今回は、成田ではなく羽田空港から韓国に行く娘を、これから見送りに行こうと思います。

留学を終えて帰ってくるのは、2月28日。



バカ親父は、それまで、我慢するよ。