清水富美加問題というのが、世間を騒がせているようだ。
むかし一度だけ、「しゃべくり007」でお姿を拝見したことがある。
女優さんだということは知っていたが、具体的な活動は申し訳ないが知らない。
いつもならヤフーニュースは、トップページの見出ししか見ないのだが、あまりにも見出しのニュアンスが、清水さんへの批難一辺倒だったので、気になって内容も読んでみた。
(私は少数派が好きなヒネクレものなので)
相変わらず、表層的な部分をなぞるだけで、刹那的で感情的なご意見しか吐けない「ご意見番」さんたち。
彼ら彼女らのご意見は、論理性に乏しく同じ方向しか向いていなかったので、あまり私の興味を引かなかった。
他に、違約金がどうの、損害賠償がどうのという記事もあったのだが、その記事には、署名がなかった。
私は、誰が書いたかもわからない記事を信じるほどお人好しではないので、その記事の信憑性には疑問しか感じなかった。
清水さんと事務所との契約条項を提示してくれたら信じたかもしれないが、それは個人情報だから、裁判以外で提示されることはないだろう。
つまり、すべては、憶測ということになる。
皆さん、憶測で、よくも批判一辺倒になれるものだと感心した。
いつもなら過重労働に関しては、「ブラックだ」と騒ぐ人たちが、今回は一芸能人だけを叩くという構図が素人の私には、理解できなかった。
そして、詳しい契約条項も把握していないのに、憲法で認められた「信教の自由」を無視する感情論も私には理解できないのだ。
私は、憶測だけの記事よりも「信教の自由」を尊重する。
ここで、話が違う方向に飛ぶことをお許し願いたい。
私のヨメは、物心ついたときから、ある巨大宗教を信心していた。
ご両親が熱心な信者さんだったからだ。
しかし、それに対して私は、目に見えるもの以外は信じないという「罰当たりもの」だった。
つまり、無神論者。
ただ、私は無神論者ではあるが、人の「信教の自由」は尊重する。
私と価値観が違うからといって、それを否定することはしない。
(だから、イスラム圏の人の入国を拒否するパラノイアの思想も理解できない)
信じるものがある人は、強いと思う。
それは、とても尊敬に値することだ。
幼い頃からの信者と「罰当たりもの」が出会って、結婚を考えた。
しかし、筋金入りの信者さんであるヨメの両親は「罰当たりものに娘はやれない」と強く反対した。
(自分の娘の夫は、同じ信者さんが望ましいと考えるのは当然のことだ)
そこで、私たちは、半年かけて計画を立てた。
ヨメは、当時、そこそこ大きな企業の本社に勤めていて、その会社には神戸支社があった。
私は、当時法律事務所に勤めていて、その事務所のボスの弟さんが、神戸で法律事務所を開いていた。
その偶然を利用して、私はボスに事情を話し、神戸の弟さんの事務所に勤めさせてください、という非常識なお願いをした。
そして、ヨメは会社に、神戸支社への転勤を願い出た。
その結果、半年以上の時間はかかったが、私たちの願いは叶えられることになった。
私たちは、いまでは死語になった「駆け落ち」を決行したのである。
私の母親だけには了解を得たのだが、ヨメの両親には、何も言わず、神戸に向かった。
28歳のときだった。
まさしく罰当たりな行動と言っていい。
(今にして思えば、別に神戸に行く必要はなかったと思う)
幸いにも私の大学時代の友人が神戸に住んでいたので、そのつてを頼りにして、1Kのアパートを借りることができた。
冷蔵庫と布団、ちゃぶ台、数個の食器、フライパンしかない、新婚生活だった。
テレビもねえ、ラジオもねえ、電子レンジもねえ、洗濯機もねえ状態で新しい生活がスタートした。
1年足らずで、そんな私たちの「神戸生活」は終わって、東京に戻ったのだが、信心深いヨメの両親は、私たちを許してくれなかった。
(そりゃそうだ)
余談だが、その後、阪神淡路大震災が起きたとき、そのときお世話になった多くの人たちが被災したのを聞き、義援金しか送れなかった自分の無力さを呪ったものだ。
ここで、話はまた戻る。
こんなことを言っては不謹慎かもしれないが、ヨメの両親が私を拒否してくれたおかげで、ヨメの親に気を使わない生活ができたことは、私にとっては楽な環境と言ってよかった。
(ヨメには、申し訳なかったが)
だが、親が年を取るということは、その最期が近づくということでもある。
10年前、義父が亡くなった。
ヨメには、上に兄が二人いたが、臨終が近いそのとき、仕事を理由にして病院に来るのが遅れた。
ヨメはパニックになって、病院に行くことができなかった。
結局、最期を看取ったのは、義父と折り合いが悪い私だった。
その4年後、突然の火事で義母が死んだときも、長男と次男は間に合わなかった。
ヨメは、花屋のパートを休めないと言って、危篤状態のときもパートを優先させた。
その結果、義母の最期を看取ったのも、義母と折り合いが悪かった私と当時中学3年の私の娘だった。
娘とふたり、義母の耳元で「逝くなー」と叫んだが、義母は言うことを聞いてくれなかった。
義父も義母も、私に看取られるのは不本意だったろうが、巡り合わせだから仕方がない。
それは、なぜなのかと考えたら、結局は、「運命」という陳腐な言葉でしか表現できない必然なんだと思った。
「運命」は、誰の前にも現れる現象だ。
おそらく、それを避けることはできない。
拒むこともできない。
ということもあって、私は、目に見えない神は信じないが、同じく見えない運命は信じるという都合のいい男だ。
清水さんが、果たして神を見たのかは推測できないが、運命は感じたのではないだろうか、と私は勝手な推測(憶測ではない)をしている。
だって、神は見えなくても、誰だって運命に巡り会えることはできるのだから。
むかし一度だけ、「しゃべくり007」でお姿を拝見したことがある。
女優さんだということは知っていたが、具体的な活動は申し訳ないが知らない。
いつもならヤフーニュースは、トップページの見出ししか見ないのだが、あまりにも見出しのニュアンスが、清水さんへの批難一辺倒だったので、気になって内容も読んでみた。
(私は少数派が好きなヒネクレものなので)
相変わらず、表層的な部分をなぞるだけで、刹那的で感情的なご意見しか吐けない「ご意見番」さんたち。
彼ら彼女らのご意見は、論理性に乏しく同じ方向しか向いていなかったので、あまり私の興味を引かなかった。
他に、違約金がどうの、損害賠償がどうのという記事もあったのだが、その記事には、署名がなかった。
私は、誰が書いたかもわからない記事を信じるほどお人好しではないので、その記事の信憑性には疑問しか感じなかった。
清水さんと事務所との契約条項を提示してくれたら信じたかもしれないが、それは個人情報だから、裁判以外で提示されることはないだろう。
つまり、すべては、憶測ということになる。
皆さん、憶測で、よくも批判一辺倒になれるものだと感心した。
いつもなら過重労働に関しては、「ブラックだ」と騒ぐ人たちが、今回は一芸能人だけを叩くという構図が素人の私には、理解できなかった。
そして、詳しい契約条項も把握していないのに、憲法で認められた「信教の自由」を無視する感情論も私には理解できないのだ。
私は、憶測だけの記事よりも「信教の自由」を尊重する。
ここで、話が違う方向に飛ぶことをお許し願いたい。
私のヨメは、物心ついたときから、ある巨大宗教を信心していた。
ご両親が熱心な信者さんだったからだ。
しかし、それに対して私は、目に見えるもの以外は信じないという「罰当たりもの」だった。
つまり、無神論者。
ただ、私は無神論者ではあるが、人の「信教の自由」は尊重する。
私と価値観が違うからといって、それを否定することはしない。
(だから、イスラム圏の人の入国を拒否するパラノイアの思想も理解できない)
信じるものがある人は、強いと思う。
それは、とても尊敬に値することだ。
幼い頃からの信者と「罰当たりもの」が出会って、結婚を考えた。
しかし、筋金入りの信者さんであるヨメの両親は「罰当たりものに娘はやれない」と強く反対した。
(自分の娘の夫は、同じ信者さんが望ましいと考えるのは当然のことだ)
そこで、私たちは、半年かけて計画を立てた。
ヨメは、当時、そこそこ大きな企業の本社に勤めていて、その会社には神戸支社があった。
私は、当時法律事務所に勤めていて、その事務所のボスの弟さんが、神戸で法律事務所を開いていた。
その偶然を利用して、私はボスに事情を話し、神戸の弟さんの事務所に勤めさせてください、という非常識なお願いをした。
そして、ヨメは会社に、神戸支社への転勤を願い出た。
その結果、半年以上の時間はかかったが、私たちの願いは叶えられることになった。
私たちは、いまでは死語になった「駆け落ち」を決行したのである。
私の母親だけには了解を得たのだが、ヨメの両親には、何も言わず、神戸に向かった。
28歳のときだった。
まさしく罰当たりな行動と言っていい。
(今にして思えば、別に神戸に行く必要はなかったと思う)
幸いにも私の大学時代の友人が神戸に住んでいたので、そのつてを頼りにして、1Kのアパートを借りることができた。
冷蔵庫と布団、ちゃぶ台、数個の食器、フライパンしかない、新婚生活だった。
テレビもねえ、ラジオもねえ、電子レンジもねえ、洗濯機もねえ状態で新しい生活がスタートした。
1年足らずで、そんな私たちの「神戸生活」は終わって、東京に戻ったのだが、信心深いヨメの両親は、私たちを許してくれなかった。
(そりゃそうだ)
余談だが、その後、阪神淡路大震災が起きたとき、そのときお世話になった多くの人たちが被災したのを聞き、義援金しか送れなかった自分の無力さを呪ったものだ。
ここで、話はまた戻る。
こんなことを言っては不謹慎かもしれないが、ヨメの両親が私を拒否してくれたおかげで、ヨメの親に気を使わない生活ができたことは、私にとっては楽な環境と言ってよかった。
(ヨメには、申し訳なかったが)
だが、親が年を取るということは、その最期が近づくということでもある。
10年前、義父が亡くなった。
ヨメには、上に兄が二人いたが、臨終が近いそのとき、仕事を理由にして病院に来るのが遅れた。
ヨメはパニックになって、病院に行くことができなかった。
結局、最期を看取ったのは、義父と折り合いが悪い私だった。
その4年後、突然の火事で義母が死んだときも、長男と次男は間に合わなかった。
ヨメは、花屋のパートを休めないと言って、危篤状態のときもパートを優先させた。
その結果、義母の最期を看取ったのも、義母と折り合いが悪かった私と当時中学3年の私の娘だった。
娘とふたり、義母の耳元で「逝くなー」と叫んだが、義母は言うことを聞いてくれなかった。
義父も義母も、私に看取られるのは不本意だったろうが、巡り合わせだから仕方がない。
それは、なぜなのかと考えたら、結局は、「運命」という陳腐な言葉でしか表現できない必然なんだと思った。
「運命」は、誰の前にも現れる現象だ。
おそらく、それを避けることはできない。
拒むこともできない。
ということもあって、私は、目に見えない神は信じないが、同じく見えない運命は信じるという都合のいい男だ。
清水さんが、果たして神を見たのかは推測できないが、運命は感じたのではないだろうか、と私は勝手な推測(憶測ではない)をしている。
だって、神は見えなくても、誰だって運命に巡り会えることはできるのだから。