今回は、いつもとは違うパターンの導入部になります。
お手数ですが、オノ連作 その1を先に読んでいただけたら、話が繋がると思います。
大学時代の同級生オノが、突然「この人と結婚しようと思うんだ」と言って、私を驚かせた。
女性の名前はシズコさんと言った。
どういう経緯で、そうなったかは、聞かない。
私は週刊文春ではない。
私は、人様の個人情報には興味がない。
ただ、相手が積極的に話してきた場合は聞く。
オノが照れながら説明してくれた。
昨年末、錦糸町のフリーマーケットを覗いたら、自転車が500円で売られているのを見つけた。
まだ、乗れそうなのに500円。
出店者に「本当に500円で売ってくれるんですか?」と聞いたら、「両方のブレーキが甘いので、乗りにくいですけど」と相手は答えた。
それが、シズコさんだった。
その後、オノがかつて入院し、いまは小児病棟で読みきかせをしている病院で、偶然にも再会したのだという。
シズコさんは、ケアマネージャーをしていて、時々その病院を訪問していた。
それが出会いだった。
それから半年で結婚を考えるとは、その期間は、男女の付き合いとしては、短いのか長いのか。
いずれにしても、相性が良かったということだろうか。
「でも、この人の両親には、まだ挨拶に行っていないんだ」と申し訳なさそうにシズコさんを見るオノ。
シズコさんは、柔らかい笑顔で頷いた。
私には、その姿は、そんなことは気にしない、と言っているように見えた。
ただ、どちらにしても、今日は目出たい。
お祝いをしようじゃないか。
俺にご馳走させてくれ。
ただし、外ではなく、この家でな。
「料理道具が何もない、この家でか」
だから、それを今から買いにいく。
私は、二人を部屋に残して、都営アパートを出た。
そして、まずフライパンや鍋、まな板、包丁、ザルやボウルなどを買って帰ってきた。
2回目は、食材だ。
目出たいと言えば、鯛。他にナス、ニンジン、インゲン、豚ひき肉、豆腐、油揚げ、片栗粉、油、ゆず、味噌などの調味料を買って帰ってきた(オノの自転車を借りた)。
それで、鯛めし、ナスとニンジン、インゲン、豚ひき肉の甘辛煮、揚げ出し豆腐、そして、鯛のアラを使った味噌汁を作った。
オノは飲まないと思ったが、一応クリアアサヒも6本買った。
きっと、外で食った方が安上がりだったと思う。だが、料理道具や調味料は、お祝い代わりだ。これからの二人の生活に役立つに違いない。
3人で乾杯をした。
オノは、乾杯の後、クリアアサヒをひと口だけ飲んで、残りを私にくれた。
その姿を見て、オノはまだ病と闘っているのだな、と思った。
オノと私が、昔話があまり好きではないこともあって、食いながらの話題は、シズコさんが専門の介護のことだった。
高齢化社会での介護の未来は、決して明るいものではないことをシズコさんは嘆いていた。
介護職の需要は増えているが、短期間で辞める確率が、どの業種よりも高い。介護職の待遇面、環境面が改善されないから、働きがいがない、とこぼす介護士をシズコさんは、多く知っていた。
そして、その人たちの多くは、まったく違う業種に転職していくという。
「半病人の俺が言うのはおこがましいが、俺は介護の資格を取りたいと思っているんだ。それが社会への恩返しに繋がるんじゃないかと俺は思っている」
隣で、シズコさんんが何度も頷いていた。
二人を結びつけたのは、もしかしたら「福祉」かもしれない。
そんな崇高な二人に対して、心が薄汚いガイコツが言うことは何もない。
本当に、何もない。
頑張れよ、という気もない。
いま精一杯頑張っている人間に、頑張れよ、というほど、私は思い上がってはいない。
応援させてもらう、と言うしかない。
そのあと、俺は君たちを尊敬するよ、という言わなくてもいい安っぽい綺麗事を言って、私は自己嫌悪に陥った。
そんなことを言ったって、この二人の清さに勝てるはずがないのに。
オノに「俺たち結婚してもいいと思うか」と聞かれた。
それを決めるのは、俺じゃないな、と答えた。
俺は、祝福することしかできない。本当に、俺には、それしかできないんだ、と言った。
そんな薄っぺらな答えを返して、二人と別れた。
今度、オノからのハガキがいつ来るかは、わからない。
幸せな報告だったら、私はいつでも歓迎する。
私は、それを心待ちにしている。