リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ソウルから来た娘

2018-10-21 06:39:01 | オヤジの日記

前回の続きです。

 

ユナちゃんが、土曜日夕方の便で、韓国から日本にやってきた。

日本の病院に、就職するためだ。

ここに至るまでには、いくつかの山を越えなければならなかった。ユナちゃんのご両親がガチガチの反日だったからだ。

ユナちゃんは、12歳頃からJ-POPを聴くようになった。韓国の歌とは違うメロディアスな歌が、心地よかったのだという。

その中でも、デビューしたての「嵐」がお気に入りだった。

「若いエネルギーが、まっすぐ伸びているところに、日本の若者のひたむきさを感じたの」

嵐を気に入ったユナちゃんは、嵐の歌を理解したくて、日本語を独学で勉強し始めた。17年前のことだった。

「好き」というのは、人に、特に若い人には、大きなエネルギーを与えるようだ。高校を卒業する頃には、ユナちゃんは、日本語の会話、読み書きをほぼ完璧にこなせるようになった。

その頃、我が娘はネットの世界で、ユナちゃんと遭遇した。7歳年上のユナちゃんとメール友だちになったのだ。

 

娘は、東方神起を聴いて、KPOPに興味を持った。最初聴いたとき、日本語で歌っているから、彼らが韓国人だとは分からなかった。日本人が歌っていると思った。

しかし、私が、彼らは韓国の歌手なんだ、と教えると、「こんなに日本語上手いのに、韓国の人なんだ!」と素直な驚きを顔全体で表した。

その驚きは、大きな興味に変わった。

彼らが、こんなにも上手に日本語を話せるのなら、自分だって、勉強すればハングル語を話せるのではないか。

我が家では、反韓教育はしていない。在日韓国人の友だちがいたし、親が中国人の友だちもいた。トルコ人もいた。

彼らは、私たちと同じような考えを持つ「同じ人間」だった。

娘が言う。

「ユナちゃんは、努力家だ。絶えず日本のことを研究している。そして、日本と日本人を尊敬している。ボクも韓国のことを尊敬したいが、それは悪いことか」

悪くはない。ただ、大っぴらに言うと波風が立つ場合もある。お互いの国の複雑な関係も勉強しておいたほうがいい。

「わかったぞい」

 

娘は、それから少女時代が好きになった。

「こんなに、ワクワクさせてくれるグループは、久しぶりだよ。椎名林檎を初めて聴いたとき以来かな」

娘は、小学2年のとき、椎名林檎の「勝訴ストリップ」を聴いて、椎名林檎の世界にハマったおかしな子だった。

それから、陰陽座を経て、東方神起、そして、少女時代へと興味が移る。

少女時代にハマったとき、娘が言った。

「ボクは、ハングル語をマスターしたいな。いいよな? 間違ってないよな。ユナちゃんといういい師匠もいるんだから。ユナちゃんは、ボクにとって、最高のお手本だ」

そんな風に、7歳年上のユナちゃんと友情を育みながら、娘は成長していった。

 

そして、大学3年の後期に、娘はユナちゃんのいる韓国に半年間留学した。

そのとき、娘は、ユナちゃんにお願いされたのだ。

「私は、日本で働くのが夢なの。でも、私の両親は、典型的な反日だから、絶対に許してくれない。だから、夏帆にお願い。私の両親と仲良くなって、少しでも日本の印象を良くして欲しいの」

そんなユナちゃんの夢を叶えるために、娘は韓国留学後、2週間に一度の割合で、ユナちゃんの家を訪れた。

最初の訪問では、完全に無視された。一家は茶を飲んでいたが、娘には何も出されなかった。ユナちゃんが、気を使ってくれて、ペットボトルのミネラルウォーターを出してくれた。それを飲みながらユナちゃんとだけ話をした。

娘は、反感を買うと思ったので、ユナちゃんの家では、絶対に日本語を使わないように気を配った。娘は、それなりにハングル語が話せたが、完璧ではなかった。しかし、使える範囲内で、懸命に話した。

「それでも、ユナちゃんの両親は、そっぽを向いていたけどな」

 

2回目に訪問したとき、40歳くらいの男の人がいた。ユナちゃんの遠い親戚だった。

その人は、何度か日本に来たことがあるらしく、東京のことは、ある程度詳しかった。そして、簡単な日本語が話せた。要するに、ユナちゃんが気を利かせて、その人を呼んだらしいのだ。

家族関係を重んじる韓国人だから、たとえ反日の両親でも、親日の親戚の来訪は拒まないだろうと、ユナちゃんは思った。それは、賢い選択だった。

親戚の人は、日本語で「こんにちは、はじめまして」と挨拶をした。しかし、娘は、この家では、絶対に日本語は話さないと決めていたから、ハングル語で答えた。

その後も、その人は、たまに日本語で話しかけてきたが、娘はかたくなにハングル語で答えを返した。

 

期待はしていなかったが、その姿勢が少しだけ、ユナちゃんの両親の心を動かしたようだ。

3回目に訪問したとき、初めてお茶を出された。そして、ユナちゃんのお母さんが、話しかけてきた。

「韓国の好きなところと嫌いなところは、なに?」

取り繕うことが嫌いな娘は、ハッキリと答えた。

「嫌いなところは、すぐ感情的になるところ。外人に対して、態度を変えるところ」

娘は、大学に留学してすぐ、健康診断に行くように言われ、病院に行った。しかし、看護師は娘が日本人だとわかると、あからさまに態度を変え、コイツは言葉が通じないと思ったのか、言葉を発することをせず、身振りだけで応対し、最後に娘の背中を強く押した。娘の順番だったのに、列の最後まで娘を無理やり押し込んだのである。

それって、差別ではないのか。

とは思ったが、自分が好きで選んだ道だから、文句は言わないことにした。

 

好きなところ?

「街と人がバイタリティに溢れているところ。街を歩いていると、自分にも自然とエネルギーが注入される気がして元気になるところ」

そんな風に、ハッキリと意見を述べたら、意外なことに、ユナちゃんの父親が「面白いね。あなた、面白いね」と喜んでくれた。

 

留学して1ヶ月半が過ぎた頃、環境にも慣れて安心したのか、娘は油断して風邪をひいた。

38度以上の熱が4日続いた。

熱が出ても、娘と私の辞書には「休む」という文字はない。人に伝染さないように、マスクと手袋、消毒スプレーを装備して、大学に行った。

高熱の3日目にユナちゃんから電話があった。ユナちゃんは娘のガラガラ声を聞いて、「ちょっと、夏帆、大丈夫?」と大変心配してくれた。

「うちの病院に来なよ。診てもらった方がいいよ」ユナちゃんは、病院で働いていたのである。

しかし、娘は、大学の行き帰りだけで疲労困憊してしまって、病院に行く気力までは湧いてこなかった。「大丈夫、寝て治すから」。

 

その日の夕方、娘が寝ていたとき、娘が暮らす寮の寮長に起こされた。

「お客さんが来たよ」

お客さんといえば、ユナちゃんだろうと思った。ユナちゃんが、心配してきてくれたのだろうと。

ロビーに降りた。

そこには、ユナちゃんのお母さんがいた。

「夏帆、熱があるんだって? 薬持ってきたよ。ご飯食べてる? 栄養つけなくちゃダメだよ」

漢方薬と弁当を持ってきてくれたのだ。

ユナちゃんのお母さんは、娘を優しく抱きしめてくれた。

韓国に来て、初めて家庭を感じた気がした。

 

それからのユナちゃんのお父さんお母さんは、娘に対してフレンドリーだった。

だが、お父さんお母さんの考えは、変わらなかった。

「夏帆はいい子だけど、日本と日本人は、まだ好きになれないな」と日本に対して拒否反応を示すのは、今までと変わらなかった。

そんな状態のまま、娘の半年の留学が終わった。

結局、娘は気に入られたが、ユナちゃんの両親の日本嫌いは、そのままだった。

「ごめんね」と娘は、ユナちゃんに誤った。

「何を誤るの。うちの親が、日本人を気に入ったことだけでも、大きな進歩だよ。それは、夏帆のおかげだよ。ここからは、私がなんとかするから。どうも、ありがとうね、夏帆。本当に、ありがとう」

 

ユナちゃんは、それから、私の娘の近況を絶えず両親に告げた。

ユナちゃんの両親は、娘の話には積極的に興味を示した。

その地味な蓄積が、功を奏したのか、ユナちゃんのご両親も、娘のことをとても気にかけるようになった。

「あの子は、もう韓国には来ないのかねえ」

それを聞いた娘は、去年の8月、12月、今年の2月に韓国に行った。

その度に、ユナちゃんの両親は喜んで迎え入れてくれた。

「我が娘よ」とまで呼んでくれたという。

 

今年の2月に韓国に行ったとき、娘は、ユナちゃんの両親に東京ディズニーランドのガイドブックをプレゼントした。

それを見せながら、娘が言った。

「ディズニーランドは、日本の縮図なの。

勤勉でサービス精神旺盛な従業員。正確なシステム運営。驚くほど清潔な園内。

そして、規律を守るお客さん。彼らは、大きな声も出さず、文句も言わず、けっして列を乱さない。

そこに載っている日本人の笑顔を見てください。偽りに見えますか。こっちまで、笑顔になりませんか。

お父さんお母さん、それが日本なんです。日本は、笑顔の国です。あなたの娘さん、ユナを笑顔にさせる国です。

信じてください」

 

私の娘の説得が、どれほど効果があったのかは、わからない。

しかし、ユナちゃんの両親は、ユナちゃんが日本で働くことを許してくれた。

11月1日から、ユナちゃんは日本の病院で、事務員として働く。

昨日の土曜日の午後、ユナちゃんは、日本にやってきた。

ユナちゃんが成田空港の出国ゲートに姿を現したとき、娘は走ってユナちゃんに近づいた。ユナちゃんもバッグを投げ出して、娘のもとに走った。

抱き合う2人。

7歳違いの姉妹だった。

国籍は関係ない。

2人は、強い絆で結ばれた姉妹だった。

 

ユナちゃんは、25日まで我が家で暮らしたのち、病院の寮で新しい生活が始まる。

今日は、日本での生活に必要なものを買うために、我が家族全員と買い物に行く予定だ。

 

昨日の夜、ユナちゃんに言われた。

 

「おっとーさん。末永く、よろしくね」

 

30歳の娘が、突然、できたって感じー。