リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

雨に泣いている

2011-10-14 10:54:59 | オヤジの日記
柳ジョージは、味のある歌手だった。

上手いというより、醸成された彼の声が、曲に魂を与えていた。
だから、よく聴いた。

柳ジョージの存在は昔から知っていたが、「これは」と思ったのは、萩原健一の「雷舞」というアルバムを聞いたときだ。

萩原健一のサポートメンバーの一人だったが、何といっても、そのソウルフルな歌声に、惹き込まれた。
ヴォーカルのバックにかぶさるだけの声だったが、申し訳ないが、萩原健一の声の存在をなくすほど、彼の声は、音に大きな彩りを与えていた。

柳ジョージの声と哀愁を含んだブルース・ギターに、ロックの魂を感じた。


それから、しばらくして柳ジョージとレイニーウッドの「雨に泣いている」がヒットした。
大きなホールで、コンサートができるようになった。

神奈川県民ホールのライブに行ったことがある。
武道館の解散コンサートにも行った。

ソロになってからは、武道館でのレイ・チャールズとの共演も観た。
渋谷公会堂でのライブにも行った。

新宿ヒルトン・ホテルでのXマス・ディナーショーには、ヨメと2年続けて行った。


こうして振り返ってみると、私のちっぽけな歴史の中で、柳ジョージが意外なほど大きな位置を占めていたことがわかる。


アルバムは、レイニー・ウッド時代のものは、「YOKOHAMA」、「Woman&I」、「武道館さよならライブ」。
ソロになってからは、「GEORGE」、「VACANCY」、「WILLOW’GATE」、「WILLOW’GATE Tour Live」とカバー・アルバム「グッド・タイムス」がパート1から3まで。

これらのアルバムは、ここ四、五年、本棚に眠ったままだ。
なぜかわからないが、ずっと聴かないでいた。
(私の場合、昔の歌を懐かしがって聴く趣味がないということもある)


そして、今も、聴きたくはない。

聴きたいという気が、湧いてこない。

訃報を聴いてから、尚さら聴きたくなくなった。


柳ジョージは、日本のロック・シーンに大きな一歩を残した人だと思う。

しかし、追悼はするが、亡くなったからと言って、必要以上に彼を持ち上げたりはしたくない。
おそらく、それは柳ジョージが、一番して欲しくないことだと思うからだ。




ソロになってすぐだったと思うが、意外なところで柳ジョージを見かけたことがある。

今は閉館してしまったようだが、「港区立麻布図書館」でだった。

調べ物を終えて外に出ようとしたら、見覚えのあるヒゲ面の男が入ってくるのが、見えた。

トレードマークのサングラスはしていなかったが、間違いなく柳ジョージだった。

そのとき、私は恐れ多くも「ああ、ジョーちゃん」と声をかけてしまったのである。

その無礼な私に向かって、柳ジョージは、「ああ、ごめん、ションベン漏れそうなんだ」と、片手で股間を指し、小さく何度も頭を下げて、トイレのある方に大股で歩いていった。

そのどこか剽軽な姿が、よかった。


「ションベン漏れそうなんだ」

そのしゃがれた声は、今でも耳に残っている。



ご冥福をお祈りする。



歌の下手な天使

2011-10-11 10:02:03 | オヤジの日記
我が家では、新垣結衣さんのことを「天使」と呼んでいる。

ヨメ、大学3年の息子、高校1年の娘、そして、私。
みんなガッキーが、好きだ。

時に、テレビ局の孫請けのような形で仕事を貰っているフリーランスの私は、打ち合わせで、ときどきテレビ局に行くことがある。

日本テレビとNHK、テレビ東京が多い。

2年以上前だったと思うが、汐留の日本テレビの廊下で新垣結衣さんとすれ違ったことがある。

私は目が悪いので、すれ違う寸前まで、まったく気付かなかった。
背の大きい女の人が歩いてくるな、と思っていたが、それがガッキーだとは思わなかった。

これほど簡単に天使と遭遇することなど、ありえない、と私の脳が想定していたのだと思う。
だから、まったく心が無防備だった。


しかし、すれ違ったとき、私の体の中で何かが震えた(そう感じた)。


そして、ほとんど反射的に、すれ違った女の人の顔を目で追っていた。


それが、ガッキーだと認識するまで、1秒以上の時を要した。
その間に、天使は私に後ろ姿を見せて、少しずつ遠ざかっていった。

マネージャーらしき女の人と、天使は「フフフ」と笑いながら遠ざかっていった。


天使の匂いだけが残った。


香水の匂いではない。
何とも表現しようのない四次元の匂いが、私の周りの空間に充満しているような気がした。

それは、オーラと言っていいものかもしれない。

そのとき、ああ、やっぱり新垣結衣は天使だったんだ、と思った。

そのことを家に帰って家族に話したとき、娘に「何だよ、ちっともわからないぞ! もっとわかりやすく説明しろよ」と怒られたのだが、どんな言葉を使っても、そのときの感覚を説明できないのである。

だって、オーラなんだから・・・・・。


2ヶ月ほど前、息子が「ブックオフで新垣結衣のファーストアルバムの中古を500円で売っていた」と喜びを露わにして、帰ってきた。

天使のアルバムを500円で買うか、と思ったが、買っちまったもんは、仕方がない。

家族揃って、天使の歌声に耳を澄ませた。


天使は、歌が上手とは言えなかった。


部屋を微妙な空気が流れていった。


そして、全曲を聴き終わったあと、娘が言った。

「柴咲コウの下手な歌は想像できない。
そして、ガッキーの上手い歌も想像できない。
だから、ガッキーは、これでいいのだ」


家族全員が、大きく頷いた。



紛れもない詩人ロック

2011-10-08 13:25:20 | オヤジの日記
「リンダリンダ」を初めて聴いたのは、20年以上前のフジテレビの「夜のヒットスタジオ・スーパーDELUXE」だった。


ドブネズミみたいに 美しくなりたい


すげえな、と思った。

ロックだよ、これ、と思った。


一緒に見ていたヨメは、「何コレ? 歌い方が気持ち悪い! 生理的に受け付けない!」と批判のオンパレードだったが、私は確実にロックを感じた。
正統派とは思わなかったが、正真正銘で紛れもないロック魂を感じた。


もしかしたら、こいつらは、天下を取るかもしれない、とも思った。


私の予想とは少し外れて、ザ・ブルーハーツは、天下は取れなかったが、存在感のあるロック・バンドとして、確実に日本の音楽シーンに確固たる地位を占めた。

ただ、私の周りでは、彼らの音楽は、あまり評判が良くなかった。

「ハウンドドッグのほうがいいよ」
「インディーズの延長としか思えないな」
「ライブでのあの歌い方は、何とかならないかね。聴衆を馬鹿にしてるんじゃないの?」
「プロとして、あのパフォーマンスはどうかね?」

かなりネガティブに受け取られていたようだ。

しかし、私は力説する。

詞を聞けよ!  詞を!


「ナイフをつきつけられても
水爆つきつけられても
クソッタレって言ってやる」(僕はここに立っているよ)

「まあるい地球は誰のもの?
砕け散る波は誰のもの?
吹きつける風は誰のもの?
美しい朝は誰のもの?」(チェルノブイリ)

「ブラウン管の向こう側
カッコつけた騎兵隊が
インディアンを撃ち倒した
ピカピカに光った銃で
出来れば僕の憂鬱を
撃ち倒してくれればよかったのに」(青空)

「答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方」(情熱の薔薇)

「ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
美しいことをたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
面白いことをたくさんしたい」(1000のバイオリン)


簡単な言葉で、自己の内面を鏡に映して、言葉で切り取る。

そんな甲本氏と真島氏は、紛れもなく詩人である。


これほど煌びやかな言葉でロックを歌うひとに、私は、いまだかつて遭遇したことがない。


ザ・ブルーハーツは、「ロックの魂」を良質の日本語で表現できる稀有のロック・バンドだった。

彼らは、ロックのリズムに不適だという日本語を自由自在に操って、日本語の詞を極めた唯一のロック・バンドだと言っていいと思う。

その魂は、以後、ハイロウズ、クロマニョンズに受け継がれて、英語を無闇に使わない美しい「日本語ロック」を昇華させている。


甲本氏と真島氏は、日本語の表現方法を最高の状態で極めることのできる、良質の詩人だ。


彼らの音楽を避けて来た人は、今からでも遅くないと思う。

是非、彼らの詞を聴いて欲しいと思います。


日本語が、どんなに美しい言語か、必ず体験できるはずです。

それを、私は断言します。






SMAPは宗教か?

2011-10-04 13:53:46 | オヤジの日記
得意先に行った帰り、吉祥寺のファスト・フード店で、コーヒーを飲んでいた。

午前11時過ぎだったせいか、店は空いていた。

のんびりとした時を過ごしていた。
店内には、音楽も流れていないし、一人客が多かったため、人の会話も聞こえてこなかった。
店内の客は、ほとんどが携帯電話を手に持って、自分の世界に入り込んでいた。

しかし、そんなゆとりの時間も長くは続かなかった。

女性の集団が入り込んできたからだ。

人数は、6人。
年は、40歳前後だろうか。
皆がテニスラケットを持っていたから、朝から健康的な汗をかき、その帰り道に立ち寄ったという感じだった。

その中の一人が、いきなり喋り出した。

「前いったSMAPのコンサート、良かったわよねえ」

耳をそばだてなくても、その声は私の耳に、暴力的な圧力で侵入してきた。
それほど、でかい声だった。

以下は、全てを覚えているわけではないので、記憶に残った会話だけを記したものである(一言一句同じというわけではなく、こんなニュアンスで話した、という曖昧な表現だが)。


「ああ、良かったわぁ! もう最高だった。ホント、最高だった!」
「やっぱり、SMAPよねえ。あれ以上のグループは、いないわよ!」
「嵐なんか、SMAPに比べたら、まだまだよね。大人と子供くらいの差があるわ」
「あんなにうまいグループは、他にいないんじゃない?」

(何が、うまいと・・・・・・・?)

「ダンスもトークも、歌も最高よね。安定してるわ」
「そうそう、安定してるの。それに比べると、K-POPはダメね。日本語が下手だから、心が伝わってこないのよ」
「SMAPの歌には、心があるわ。日本語が全部聞き取れるもの」

(それは、すごい! 日本語の歌を歌って日本語が全部聞き取れたことを、そんなに喜んでもらえるなんて、SMAPも嬉しいに違いない)

「世界に出して恥ずかしくないのは、SMAPだけよね。中国人も感激してたって言うじゃない?」
「そうよ、SMAPだけよ、世界で通用するのは!」(6人が大きく頷いた)


ファンというのは、ありがたいものだと思う。

それと同時に、その宗教的な盲目愛の危うさに、鳥肌が立つ思いもする。

他のすべての音楽を凌駕してSMAPが至高のものだという考え方は、堅苦しい言い方になるが、唯一無二の思考に繋がる。
それは、教祖を絶対と仰ぐ、信者たちの盲目の服従に似ている。

つまり、彼女たちは、SMAP教の信者。


話を聞いていて、背筋が寒くなった。
鳥肌も立った。


そして、もう一つのSMAPファンの話。

友人から、メシを食いに来ないか、と誘われた。
断る理由がないので、友人の家にお邪魔した。

そこで、友人の奥さんを初めて紹介された。
友人の奥さんは、SMAPのコンサートに行き、グッズを集め、DVDを鑑賞し、歌はSMAPしか聴かないSMAP信者だった。
年は、46才。


「俺は、SMAPの歌には、興味がないんだよね。良さが、さっぱりわからないんだ。マツはどうだい?」と友人に話を振られた。

それに対して、私はご馳走になっているにもかかわらず、「俺も全然興味がない。俺は歌の下手な歌手は認めない。ワンコーラス聴くのも拷問に近い」と無神経にもそう答えてしまったのだ。


何日かたって、友人から電話がかかってきた。

「悪いな、マツ。女房がさ・・・・・もう、あの人だけは、家に連れてこないでって言うんだよ。悪いな、ホントに」


出入り禁止になったようだ。



松浦亜弥

2011-10-01 15:02:08 | オヤジの日記
松浦亜弥というアイドル歌手がいる(いた?)。

私は、彼女のことが大嫌いで、好きだった。

意味不明な表現だと思うが、その理由はこうだ。

彼女の人気絶頂の頃、あの笑顔が苦手だった。
私には、あの笑顔が完全に作り物のように思えたのだ。

この子は、相当厚い鎧を着込んでいるな、とも思った。
無理して作った笑顔の下に、何を隠しているんだ、と思った。

テレビや映像媒体に出てくる人は、何かしら自己を過剰に演出するのは、職業柄当然だと思う。
しかし、私はこの人の自己演出には、過剰よりも「痛々しさ」を感じてしまったのである。

だから、感覚的に、彼女のことを受け入れることができなかった。
(痛々しい笑顔など見たくない、というのが私の独りよがりの思い込みだということは、もちろんわかっている)

彼女が歌う楽曲のレベルも平均以下だったから、尚さら私は彼女に対して批判的だった。

本当に嫌いだった。


ただ、松浦亜弥の歌手としての才能は認めていた。

お粗末な曲でも、彼女なりに理解して安定した歌唱を見せていたと思う。
音程は乱れなかったし、リズム感も悪くなかった。
声量はなかったが、音の抑揚の付け方をよく知った歌い方だと思った。

つまり、歌手としての根本的な才能は、あったのだ。


しかし、提供された楽曲のお粗末さ。


日本では、なぜかアイドルは歌が下手だ、という根強い偏見がある。
だから、曲がお粗末だと、その歌手の歌唱力もお粗末だと思われがちである。

松浦亜弥などは、その典型ではないか、と思われる。

それは、実は安易な方法でしか売り出すことができないプロデューサーの能力の問題なのだ。

松田聖子のように、図太く私生活さえもセルフ・プロデュースできる人は、ごく稀である。

普通の歌い手は、プロデューサーや音楽ディレクターの能力に頼らざるを得ない。
プロデューサーが、己れの生産能力を遥かに超えた楽曲を粗製濫造していたら、下手な鉄砲も確実に錆び付く。

おそらく彼女は、その犠牲になったのだろう、と私は勝手に推測している。


松浦亜弥が、いま何歳で、いま何をしているのか、私は知らない。

もし、30歳を超えていないのであれば、まだ勉強する時間は多分に残されているのではないか、と思う。

痛々しい笑顔に頼らずに、自分の作り出した世界を彼女だけの表現方法で歌に良質な息吹を吹き込むことは、彼女くらいの才能があれば難しいことではないはずだ。



才能を持った歌手が、偏見の闇の中で埋もれていく姿を見るのは、気持ちいいものではない。