風もなく穏やかな午後、ゼロの竿をブィンブィン振っちゃえそうな渓流日和に、何を思ったか同居人は群馬県内の観光してました。
残念ながら数年前に花粉症になって以来、花見も渓流釣りもあまり行かなくなってしまいました。倉渕のポイント「杉林」なんて聞くだけでも恐ろしい 以前釣りに行って帰る頃には車が花粉で真っ黄色になってたんですよぉ。
訪れたのは、世界遺産暫定リストにエントリーされた「富岡製糸場」です。5年以内には正式登録されるのじゃないかとの話です。
みなさんも聞いた事があるのでは?日本近代産業の幕開けに社会科の教科書に登場してましたね。同じ県内に住んでいても過去の歴史でしかなかったですが、明治5年から昭和62年まで操業してたということですから同居人もすでに誕生しておりました。
「富岡製糸場」のみで町興しというのは?とも思いましたが、数年前に富岡市を車で通った時よりも明らかに活気が出ていたような気がします。と、いうより周辺の住民の町を盛り上げようという意気込みが感じられ、これからを感じさせる雰囲気が漂っていました。今時寂しくなった商店街にはなかなかないエネルギーがありました。
建物は「木筋レンガ造り」で当時の日本にない物はすべてフランスから輸入して、日本に材料のあるものはフランス製品に合わせて初めて製作したものばかりだそうです。全国でなぜ、群馬県富岡市が選ばれたかというと、養蚕が盛ん、町民の理解、燃料のアタン(石炭)の採取、そして良質な水資源、だったそうです。また、レンガや瓦を作るにも技術と土があったそうです。
建物は、もちろんいわゆるレンガ造りなレトロです。昭和まで操業していたというので改築もされていたり、古いものは愛知県の明治村に展示されていたりですが、割れないで残ってるフランス製のギヤマン窓ガラスや県内から調達した高さ12mの建物を支える30cm各の通し柱が立ち並んでるのは凄いですね。
屋根の鬼瓦では、指導者の住居にはハート型がついていたり工場の屋根には繭と大海原をデザインしたものが乗っていたりと細かな芸術ポイントがありました。
当時働いていた工女さん達はみんな良家の子女で労働条件は一日7時間45分、日曜完全休日、給料は4段階で実力報酬だったそうです。当時の休日無し一日10時間以上給料食事その時次第みたいな劣悪環境とは程遠く労働条件も近代化されてたみたいですよ。今より良いと思う人も多いのでは??
訪れていた県外からのご夫婦には、今晩は温泉、明日には秋間の梅林観光という方もいました。いまはちょうど良い時期でしょうね。今月中は富岡製糸場は見学無料ですし、駐車場も無料、ガイドも無料だそうですからドライブの途中に寄って見てはいかがでしょう。
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