<おがさわら丸・パンフレット>
1989年3月16日、朝、東京・竹芝桟橋を父島へ、おがさわら丸は出航しました。
父島とは、東京から南南東へ約1000㎞の小笠原諸島の主島です。
なぜ、小笠原に行ってみたいと思ったのか、
今となっては明確には思い出せませんが、
ちょっと変わったところに行ってみたいと・・・、
そんな軽い気持ちだったのではないかと思います。
その当時、日本はたぶんバブル時代で、
学生だった我々にとっては、海外旅行に行くことも珍しくなく、
もちろん、その為にバイトで汗水たらして、働いて貯めたお金で行きましたが、
そんなわけで、仲のよい友人たちは、春休みに、
「イギリスへ1ヶ月行ってくるね~」とか、
「トルコ、エジプトへ1ヶ月さすらってくるよ~」とかいう感じで、
父島に一緒に行ってくれそうな友人はいませんでした。
とはいえ、父島と言えば「海」。
亜熱帯の海ならば水着になることもあるでしょう。
さすがに、女子大生一人では水着で海を楽しめないのではないかと思い、
旅費を持つという条件で妹を道連れにしました。
妹とは普段はほとんど一緒に行動はしませんが、
やはり女子大生だったので、時間はあったのです。
父島へは当時、おおむね6日周期でおがさわら丸が出航していました。
東京を朝出航して翌日の昼に父島着~父島で3泊停泊して、
5日目の昼に父島を出航して翌日夕方に東京着というパターン。
大体、28時間くらい船に揺られることになるので、
実のところ、船酔いも心配でした。
一等船室なら揺れは少ないのかしら・・・と思いつつ、
学生の身の上、豪華な旅は不要と、当然二等船室を予約。
確か、往復で一人3万円くらいだったような(記憶が不鮮明)。
いや、もう少し安かったかな。
次に、宿の予約。
ガイドブックを買ってきて、なるべく便利そうな立地の民宿にしました。
「バナナ荘」・・・当時の言葉で言えば、ナウくない感じですが、
そこになんとなく惹きつけられて・・・に電話してみました。
果たして、電話に出てくれた方は、ちょっと訛りのある中年の女性で、
こちらの名前などを何度も聞き返されたりして、ちょっと心配になってきました。
それとも父島は電話の回線が遠くて聞き取りにくいのか
もし、予約がうまく取れていなくても、
おがさわら丸に「ホテルシップ」という、停泊中の船に泊まることもできるので、
まぁ、いいか~と。。
こうして、3月16日早朝に横浜の自宅を出発して、東京・竹芝桟橋へ。
無事、船上の人となりました。
おがさわら丸は約3500トン。
東京湾は意外と船が多くて、デッキから海上を眺めるのも楽しくて、
しばらく風に吹かれておりました。
さて、二等船室はどこかしら・・・と、番号札を持ってさがしていると、
(番号札255・・・冒頭の写真に写っています)
カーペットのフロアに、ずらーっと枕が置いてあって、
その間隔が思ったより狭い
見知らぬ人とこんな狭いところで雑魚寝なのか~と、ちょっと気分はダウン。
そして、ところどころに、アルマイトの洗面器がある。
船酔いで、間に合わなかった人の為用かリアルだ。
せっかくなので船内を妹と探検してみました。
食堂やシャワー室など、ちらっと見て回り、
トイレに行ってみると、多分、嘔吐の人用のトイレっぽいものが・・・。
お世話になることがなければ良いが。
そして、下の階に行ってみると、そこにもカーペットのスペースがあるのだけれど、
フリースペースになっているみたい。
自分たちの寝床はあんなに狭いのに、こんな広いとこがあるじゃん、と
妹と荷物を持って、こちらに移動してきました。
夕刻、海に沈む夕日はぜひ見たいと思い、外へ出てみましたが、
あいにく、雲が多い日の入りとなってしまいました。残念。
さすがに外洋に出てからは本格的に揺れはあって、
波を乗り越えてゆくように、常に浮遊感とGが掛かる感じがありました。
船底に近いスペースにいたためか、エンジン音?も豪快で、
いや、「快く」はありませんでしたが、
それでも、周りに人はまばらで(他にもこの広いスペースを見つけて来た人有り)、
心置きなく寝っ転がっていられたので、さいわい、船酔いにならずにいられました。
上方に取り付けられたテレビを何とはなしに見ていましたが、
それも、だんだんと電波の状況が悪くなってきて、
ザザッザザッと画面にノイズがはしり、
ついに映らなくなったのが、妙に印象的でした。
そのうちに、船のスタッフの方が、「こちらは閉鎖します」と知らせてきたので、
嫌々ながら、本来の自分の陣地へ行きました。
もう、夜になっていて、寝っ転がっている人が大半で、
自分も船酔いする前に寝てしまおうと、すぐに眠ってしまった。
隣に人がいたはずなのですが、そのことはまったく覚えていません。
妹は他の乗客と少し談話をしていたみたいで、
島に何年かぶりに帰る人の話とか、夜中に洗面器に向かう人がいたとか、
そんなことを、後になって聞きました。
さて、早朝、今度は海から上る朝日が見たくて暗いうちに起きたのですが、
相変わらず揺れていて、
手摺につかまりながら外に出たような・・・、
白ずんでゆく朝、しかし残念ながら雲が多い空、
それでも、雲の切れ間から太陽を確認して、菓子パンを頬張りました。
潮風が少し寒かったような・・・凍えることはなかったけれど。
結局、船の揺れの為か食欲はあまりなくて、
食堂に行ってみようかという気も起こらずに、1日が過ぎてゆきました。
船酔いしないようにするには、自分には横になっているのが合うようです。
こうして、横になりつつ、うとうとと時を過ごし、
父島がやがて大きく見えるようになってきて、
父島二見港到着。いざバナナ荘へ
~つづく~