小笠原・父島・1989年3月*その2
おがさわら丸で約28時間揺られ・・・、
現在はもう少しパワーアップして25時間位で着くようですが・・・、
無事に父島二見港に到着しました。
船から下りた人々は、皆陸地を踏みしめて確かめつつ、
「まだ揺れてるよ~」と口々に言っています。
港には、民宿の案内の方が来ていて、
自分も、妹と共に、予約を入れていた「バナナ荘」のところに行きました。
まだ宿が決まっていない人たちを呼び込み、
10人前後だったか・・・でバナナ荘へぞろぞろと向かいました。
どうやら、バナナ荘では、男女別相部屋が基本で、
いわゆる「ユース(ホステル)民宿」のようでした。
我々の同室は、山梨から来た女子大生のTさん。
卒論を書くために父島にやってきたそうですが、きれいで、物静かな方でした。
バナナ荘で女将さん(この言い方はそぐわないかもしれませんが)に会って、
予約を入れたときに感じた訛りの理由がわかりました。
欧米系の方だったのです。
父島に最初に住みついたのは欧米系の人種なので、その流れを汲む方なのでしょう。
お名前も、J〇〇〇さんというらしい。
その、Jさんに、「ちょっと、領収書を書いてくれないかしら」と、
宿泊代の領収書の代筆を頼まれました。
こうして、何枚かの領収書を書きますと、
宿泊者の中には欧米系の大平〇〇(=カタカナ)さんもいて、
Jさんとは何年ぶりかの再会らしいです。
大平さんというのは、後に読んだ有吉佐和子さんの著書によると、
欧米名はワシントンさんなのだそうです。
バナナ荘について早々に、父島の歴史を感じてしまった場面でありました。
お部屋は和室で文机が置いてありました。
女性の宿泊者は我々姉妹とTさんの3人です。
我々姉妹が島をうろついている間、Tさんはこの文机に向かっていたのでしょう。
Tさんはほとんど観光をしていない様子でした。
あとで妹と話していたのですが、TさんはJさんと親戚か何かではないのかと・・・。
Tさんのお顔立ちも少し白人ぽかったし。あくまでも想像ですが。
卒論の邪魔をしてはいけないと思い、あまりお話もできなかったのでした。
男性の宿泊者は年齢層が色々でした。
若い人たちは「ユースホステル」に泊まるつもりでいたみたいなのですが、
満室のため、バナナ荘に来た人が多かったようです。
そんなわけで一人旅の若者たち何人かと、
その後一緒に「カメ肉」を食べに行ったりすることになるわけです。
父島へ一人旅する若い男性・・・何を目的に?・・・と思いますが、
自分と同様に、「なんとなく・・・南の島に来てみたかった」的な人が多いみたい。
新島など、伊豆方面だとナンパ目的の軽そうな男性もいそうですが、
さすがに片道28時間も船に揺られて来る方々、
見た目、ちゃらちゃらした人たちは少ない模様でした。
バナナ荘の食事はあまり覚えていませんが、
島ならではの食事ということではなかったと思います。
そのため、宿泊者の方たちと、島の名物「島寿司」「カメ肉」を
居酒屋に食べに行くことになりました。
~つづく~