先日、観光名所のテレビを見ていたら、娘B(25歳)が、
「ここにも行ってみたかったけど、行けなかったんだよなぁ」と言いまして。
娘Bは昨年の今頃は、南半球にいたのでした。
せっかく教員の仕事についていたのに、色々見てみたいと、
仕事を辞めて旅行に行ったのでした。
娘Bが行ってみたかったのはオーストラリアのウルル。
自分の時代は「エアーズロック」と呼んでいた場所です。
「母(=ワタシ)は行ったことあるよ」と言ったらちょっと驚いてました。
自分が小学生のころ見たドラマにオーストラリアが出てきて、
「行ってみたい」と思って、その思いを糧に学生時代はバイトバイトの日々。
高校時代の友人と、10日余のパックツアーでオーストラリアの地を踏んだのでした。
バックパッカーになる勇気はなかったけれど、
パックツアーでちょうどよかったです。初海外だったし、日中は自由行動なので。
エアーズロック(と呼ばせていただきます)に行ったことを娘Bに示すために、
アルバムを出してきて、見せました。
フィルムの時代だったので、枚数が少ないなぁ。
「あっ、ウルルに登ってる」と娘Bが言うので、どういうことかと問うと、
昨年の10月くらいで、エアーズロックには観光で登れなくなったそうなのですね。
自分の場合、他にも、モアイに触れたり、小笠原の南島で寝っ転がったりなんて、
時代が違うとはいえ、自然破壊に加担したようで、心が痛いっす。
話はそれましたが、アルバムを見たことで、旅日記なども出てきて、
忘れていたことがよみがえって、自分でもちょっと新鮮に感じてしまいました。
当時の旅日記によると、エアーズロックのツアー(ホテルからバスに乗っての登山など)で、
15豪ドルだったようです。
「エアーズロックには日本人とハエしかいない」というジョークもあったようで、
そう・・・バブル時代だったのか、日本は。
日本の観光地に中国人がいっぱい・・・ということと似たような現象だったのかもねぇ。
ハエは確かに多かったです。
アルバムには、旅の思い出として、オーストラリアの紙幣も挟んでありました。
当時は「旅の思い出」も大切だったんでしょうけれど、
時を経て、「このお札、自分が死んだらアルバムごと焼かれちゃうんだね~」と思ったわけで・・・。
日本円に換金できないかなぁ・・・と調べてみると、
旧紙幣は、日本で換金するのはできないか、難しそうなのですね。
そこで、ネットオークションに出してみました。
落札されなければそれはそれであきらめもつくし。
結果としては、落札されました。純粋に嬉しいです。
オーストラリアでは使えるのでしょうね。
旅の後日談として・・・、オーストラリアに行った時、
お土産にお酒を免税店で買ったのですが、
あまり深く考えずに、そのお酒は割れないように厳重に包んだので、
(トランクではなく、スポーツバッグだったので、心配だった)、
空港で申告するのが面倒くさくなり、そのまま帰国しましたら、
・・・ちょっとしてから、しっかり脱税容疑(?)で免税店から手紙が来まして、
正当な方法がわからず、とりあえず、手元にあった50豪ドル札を、
免税店に送ってみたのでありました。
その後は何もないので、それで解決したのだったかなぁ。
お札を見て、そんなことも思い出したのでした。