~1990年3月~
成田からタヒチへエールフランスで約11時間のフライト。
タヒチのFAAA国際空港には、出発の遅れの為、
23:30頃の到着となってしまいました。
詳しくはまたタヒチの思い出として綴ろうと思いますが・・・。
日本人で宿泊先が決まっておらず、空港に残されたのは同世代、6人。
自然とかたまって、空港で夜が開けるのを待つことにしました。
着いてからの予定をほとんど決めていなかった我々ふたりですが、
幸いなことに、空港の観光局に、日本語のわかる日系人の女性がいらっしゃり、
(日本からの直行便が出て、まだ1年もたっていない時期だったので、
深夜着にもかかわらず観光案内所を開いていたのだと思われます)
情報を得ることができました。
イースター島へ行くために、パペーテ(タヒチの中心街)の
旅行代理店の場所を教えてもらって一安心。
あまりにも飛行機代が高かったり、フライトのスケジュールが合わない場合
などは、別の案を考えようなどと、クミちゃんと打ち合わせました。
あとは、日本で両替できないタヒチのお金を空港で両替して、
(日本からはUS$で持っていきました)、
宿無しの6人で情報の交換などしておりました。
現在のようにパソコンや携帯電話から情報を得ることがない時代、
それが当たり前であれば、不便など感じることはなく、
わからないことは人に聞いたり、現地に足を運んでみたり、
それも旅の思い出となるものなのですね。
夜が明けて、「ル・トラック」という、日本で言うバスのような乗り物で、
とりあえずパペーテに行き、フランスパンのサンドイッチを食べ、
旅行代理店へ・・・お互いのブロークンな英語で、いえ、ほとんど
こちらはクミちゃんが応対してくれたので、私は横にいるだけです。
イースター島へは往復69000CFP(パシフィックフラン)。
当時のレートでは約¥103500。
もちろん高いのですが、その金額ならGOだとクミちゃんも私も
頭の中にモアイを浮かべておりました。
そして、フライトがその日の深夜23時にあるそうで、
思い立ったが吉日よ~チケットを手にして、旅行代理店をあとにしました。
ハードスケジュールの予感 ~続く~