1991年2月、友人クミちゃんと四国への旅。
大歩危、かずら橋などをまわり、その日の宿泊は
高知県のお寺(笑い地蔵で有名だそうです)のユースホステルでした。
駅からYH(ユ-ス)に向かう途中、
工事現場でおばさんが働いていました。
「どこへ行くの?」という雑談から、少し話が弾み、
聞けば、おばさんの息子さんは当時の我々と同じ年代。
息子さんは春から学校の先生になるのだということでした。
今まで仕送りで大変だったのよと笑顔で話していたおばさん、
我々はのんびり学生の身分で旅行・・・
せつないながらも、おばさんの明るい笑顔に救われました。
忘れられないエピソードです。
YHにつくと、その日は全部で5人の宿泊者で、
オーストラリア人の女の子とフィンランド人のアンナ、
男子学生、我々2人です。
こんな山奥に外国人2人も泊まるのには驚きましたが、
外国版YH案内に、名物YHと掲載されていたようです。
住職さん兼ペアレントサンは外国人にも慣れていらっしゃるようでした。
が、オーストラリアの女の子が、緊張とベジタリアンとかで、
まったく食事に手をつけず、言葉も発せず、
いったいどうやってここまでたどり着いたのか・・・と思うほど。
反面、アンナは日本語を片言ながら一生懸命話し、
すぐに打ち解けてくれまして、
数年前に見た映画「かもめ食堂」のフィンランド人男子を見たとき、
アンナを思い起こしました。どうしているかな~。
ここのYHの女子トイレで、面白いものを発見しました。
扉の飾り物に「寄贈・○○○○」とかいてあったのですが、
そのお名前はその数ヶ月前に北海道のYHで出会った方のお名前。
ペアレントさんに尋ねると、「今は北海道なのか~」と笑ってました。
ちなみに、四国旅行のあと、私は北海道へ旅したのですが、
某YHのヘルパーをしていた○○さんに再会し、
四国の山奥で飾り物を見ましたよ・・・と言ったら、
ちょっと恥ずかしそうにしてました。
出会いは人生の中でごくわずかでも、
心の中で長く占めている方もいらっしゃるものです。
~ 続く ~