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父島*1989年*その2*バナナ荘

2011-08-07 20:59:05 | 小笠原・父島*1989年

小笠原・父島・1989年3月*その2

おがさわら丸で約28時間揺られ・・・、

現在はもう少しパワーアップして25時間位で着くようですが・・・、

無事に父島二見港に到着しました。

船から下りた人々は、皆陸地を踏みしめて確かめつつ、

「まだ揺れてるよ~」と口々に言っています。

港には、民宿の案内の方が来ていて、

自分も、妹と共に、予約を入れていた「バナナ荘」のところに行きました。

まだ宿が決まっていない人たちを呼び込み、

10人前後だったか・・・でバナナ荘へぞろぞろと向かいました。

どうやら、バナナ荘では、男女別相部屋が基本で、

いわゆる「ユース(ホステル)民宿」のようでした。

我々の同室は、山梨から来た女子大生のTさん。

卒論を書くために父島にやってきたそうですが、きれいで、物静かな方でした。

バナナ荘で女将さん(この言い方はそぐわないかもしれませんが)に会って、

予約を入れたときに感じた訛りの理由がわかりました。

欧米系の方だったのです。

父島に最初に住みついたのは欧米系の人種なので、その流れを汲む方なのでしょう。

お名前も、J〇〇〇さんというらしい。

その、Jさんに、「ちょっと、領収書を書いてくれないかしら」と、

宿泊代の領収書の代筆を頼まれました。

こうして、何枚かの領収書を書きますと、

宿泊者の中には欧米系の大平〇〇(=カタカナ)さんもいて、

Jさんとは何年ぶりかの再会らしいです。

大平さんというのは、後に読んだ有吉佐和子さんの著書によると、

欧米名はワシントンさんなのだそうです。

バナナ荘について早々に、父島の歴史を感じてしまった場面でありました。

お部屋は和室で文机が置いてありました。

女性の宿泊者は我々姉妹とTさんの3人です。

我々姉妹が島をうろついている間、Tさんはこの文机に向かっていたのでしょう。

Tさんはほとんど観光をしていない様子でした。

あとで妹と話していたのですが、TさんはJさんと親戚か何かではないのかと・・・。

Tさんのお顔立ちも少し白人ぽかったし。あくまでも想像ですが。

卒論の邪魔をしてはいけないと思い、あまりお話もできなかったのでした。

男性の宿泊者は年齢層が色々でした。

若い人たちは「ユースホステル」に泊まるつもりでいたみたいなのですが、

満室のため、バナナ荘に来た人が多かったようです。

そんなわけで一人旅の若者たち何人かと、

その後一緒に「カメ肉」を食べに行ったりすることになるわけです。

父島へ一人旅する若い男性・・・何を目的に?・・・と思いますが、

自分と同様に、「なんとなく・・・南の島に来てみたかった」的な人が多いみたい。

新島など、伊豆方面だとナンパ目的の軽そうな男性もいそうですが、

さすがに片道28時間も船に揺られて来る方々、

見た目、ちゃらちゃらした人たちは少ない模様でした。

バナナ荘の食事はあまり覚えていませんが、

島ならではの食事ということではなかったと思います。

そのため、宿泊者の方たちと、島の名物「島寿司」「カメ肉」を

居酒屋に食べに行くことになりました。

~つづく~


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