小笠原・父島*1989年3月*
平成になったばかりのこの頃、
まだ携帯電話もなく、インターネットも普及しておらず、
我々は父島にいる間、テレビを見ることもまったくなくて、
(テレビだって、このころ衛星放送でようやく見られるようになったらしい)
新聞もないので、情報のないところにいたわけですが、
数日のことでしたので何の支障もありませんでした。
先月だったか、テレビ東京の「アド街ック」という番組で、
小笠原について取り上げられていました(世界遺産登録記念的に?)。
それを見ると、お土産物も豊富にあるし、
ベーカリーもあるし、飲食店もおしゃれだし、
ずいぶん都会的に感じられました。
アド街ックだけではなく、テレビ番組で小笠原のことを放映すると、
「今はどうなっているのかな~」と、つい見てしまいます。
発展していくのは島の人々にとっては喜ばしいことでしょうけれども、
旅行者からすれば、素朴な小笠原の文化を失わないでほしい・・・、
島民の方々ごめんなさい。
さて、「その5*島内散策」で記した「ウェザーステーション」について、
自分の記憶に自信がないのですが、
1989年には確か、「三日月山展望台」とは別の場所だったようでした。
今回、「ウェザーステーション」でネット検索をかけてみたら、
三日月山展望台とウェザーステーションが同じ所にあるようですが、
画像からすると、新しく建て変わったのかもしれません。
「その5」を読んだ方で「あれ?間違っているんじゃない?」と思われた方、
あしからず、ご了承くださいませ。
おみやげ物に関して・・・、
何を買ったのか、正直あまり覚えていないのです。
*「ハイビスカスティー」・・・小笠原でなくても、
たぶん、同じ物が沖縄や伊豆七島みやげにあったと思われる。
ちなみにあまりおいしくなかったです。
*「タマナの実のキーホルダー」・・・直径3㎝くらいのタマナの実を加工した物。
だいたい、小笠原で生産している物など、当時よくわからなくて、
・・・あとは貝の加工品とか、珊瑚もあったのかなぁ。
若かったのでひねくれていて、
「島外で作った物を運んできて、売っているんだったら、
みやげ物として意味ないじゃん」とあまり買わなかったのだろうなぁ、自分は。
父島から戻ってきて1週間ほど経った時、
父島から小さな小包が届きました。
バナナ荘で同じ部屋に泊まっていたTさんからです。
Tさんは卒論を書くために父島に行ったそうで、
我々の次のおがさわら丸で帰ると言っていました。
とっても物静かな方で、あまりお話できなかったのですが、
・・・さて、小包の中には・・・
タマナの実が、ころころ~っと10数個入ってました
父島ののんびりとした時間から、
現実世界に戻って、バイトに精を出して忙しくしていた身に、
なんとも、嬉しく、ほっこりさせられた贈り物。
添えられていたTさんからの手紙には、
我々がおがさわら丸で帰った後のバナナ荘の夕飯のメニューとか、
(確かカレーが二日続いたとかで、妹と大笑いした)、
次のおがさわら丸が来るまでの父島の寂しさの様子などが書かれていました。
この時のタマナの実・・・まだ実家にあるかも。
父島で買ってきたハイビスカスティーは、大学のゼミ室に持って行き、
友人のクミちゃん(旅好き)に旅話をおやつに飲んでもらった。
ハイビスカスティーが気に入ったのか、
クミちゃんはこの2年後、小笠原に行きました。
帰路は貨物船「共勝丸」で40時間以上かかって帰ってきたそうで・・・。
さすがアドベンチャー好きクミちゃん。
高速船が就航するとか、飛行場が作られるとか、
そういうことがあればもう一度小笠原に行ってみたいと思いますが、
片道25時間かけてのおがさわら丸での旅はおそらくもうないと思います。
いや、飛行場など作ってほしくはないから、行かないだろうな。
1989年の父島の思い出を一層大切にしていきます。
~ おしまい ~