杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき・ほんとうの被害(その2)

2011-04-19 09:34:08 | 東日本大震災

 前回の続きです。Imgp4232

 いわき市街から国道6号線を北上し、海が見えてきたとたん、景色が一変しました。3・11からひと月以上経っているとは思えない津波の 生々しい痕跡が延々続きます。国道に沿って続くJR常磐線の線路上には、動かない電車がそのまImgp4235ま放置されていました。

 

 

 

 

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 福島県いわき市久之浜地区は、東京電力福島第一原発の30キロ圏外ギリギリに位置する港町です。ひと月経ってなんとか道路上のガ レキが片付けられ、車が出入りできるようになっていました。

 

 

 

 

 

 Imgp4243 Imgp4244 最初に戦慄を覚えたのは、無残に寸断された橋。台風などで橋が崩れて寸断された現場は静岡県内でも見たことがありますが、多くは一般の人が立ち入らないよう進入禁止の規制線が張られていますよね。こんなふうに何の規制もなく、崩落現場に直接足を踏み入れるのは初めてです。

 橋のたもとにあった家のブロックが、そのまま津波の勢いで道路側に倒れています。家主と思われるおばあちゃんが、家の中に入ろうとして、近所の人々に「無理するな、男手が来るまで待ってろ」と引きとめられていました。

 

 

 

 

 

 

 防波堤に沿って家々が立ち並んでいたと思われる集落は、まるで戦場の後のよう。ところどころにコンクリートの家の基礎Imgp4252だけが残っていて、ここに家があっただろうと想像させるだけです。

 

 花がたむけられていた場所では、遺体で発見された家主が、津波が到達する寸前の15時20分に、家の前を歩く姿が目撃されていたそうです。ほんとうに、寸前まで、自分が亡くなImgp4257 るなんてまったく想像もしていなかったのでしょう。・・・何が起きたのかわからず、突然、目の前が真っ暗になって命を落とすって、どんな死に方なんだろうと震えがきました。

 

 

 

 

 

 吉野さんがガレキの中で探し物をしている男性に声をかけました。男性は、手に『感謝』と描かれた小さな絵文字の額を持ち、「家のもの、こImgp4249 れだけめっかんだんだぁ(見つかった)」と小さな笑みをたたえていました。

 

 震災当日は息子さんと一昼夜連絡がとれず、余震が続く中、火事も発生し、消防団さえ退去した中、危険を承知で近所の知人友人とともに捜し回り、倒木にすがり救助を待っていた子どもやお年寄りを何人も救ったそうです。その後、息子さんは職場にいて無事で、障害者施設に入居していたお孫さんも無事だったことが確認できたとか。・・・男性が『感謝』という絵文字の額をどんな思いで拾い上げたのか、想像するだけで目頭が熱くなってきました。

 

 

 

 Imgp4254 防波堤は、その頭上をいともカンタンに越えた巨大津波の威力に、無力さをさらけ出していました。

 

 

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 ガレキの中でかろうじて残っていた小さな社(やしろ)。よく見ると、2つ並んでいる長方形ブロックは横倒しになった鳥居の足場なんですね。ひっくり返ってそのまま社の軒下にすべり込んでしまったのです。社が生き残ったのは、ほんの数十センチの高さの違いなのでしょうか。それともやっぱり神様が祀られている特別な場所だからでしょうか・・・。

 

 

 海沿いの家は、本当に無残でした。この家は完全に屋根と床が180度ひっくり返っていました。どんな力が働けば、こんな倒れ方をするのImgp4262 か、建築の専門家に聞きたい衝動にかられます。

 

 

 

 

 

 地区の一部は火事で黒こげになっていました。このポストの向かい側にあり、かろImgp4266 うじて家屋が倒壊せずに残った電気屋さんのご夫婦が、「もう避難所にはいられない、今日(17日)から戻ってここで復興してみせる」と気丈に語っていました。

 

 周囲は黒こげのガレキ、家の内部はめちゃめちゃ、ライフラインも復旧していないし、いつ余震や津波が来るかもわからないのに、我が家に戻るという決心をしたご夫婦の心情を、吉野さんは「避難所で、何もせず、ただ周囲に気を使って黙っていると、ロクなことを考えない。一分一秒でも早く、我が家で日常の暮らしに戻ることが被災者の救いなんです」と代弁されていました。

 

 『感謝』の絵文字の男性も、親戚の家に一家で身を寄せているそうですが、「もう限界だ」と吐露していました。

 

 

 

 現状では、住まいを失った被災者はとにかく一時的に避難所に入ってもらって、そこに救援物資を届けることで手いっぱいなんだろうと思います。集団避難生活が長引いたとき、仮設住宅の完成や賃貸住宅の空きをじっと待つか、思い切って移住を考えるか、家屋が残っていたら危険があっても戻るかどうか―これは、誰もが我が身に置き換えてシミュレーションしておく必要があるようです。

 

 一瞬で住む場所が無くなるなんて、当事者にならなければリアルに想像できないのが正直なところ。それでも、いざという時、“ロクなことを考えない”自分に陥らないためには、自らの力で日常の暮らしに戻る方策を考えておくべきだ、と思い知らされました。それはたぶん、どんなことでも日頃から「自力」で考えるか、「他力」をあてにするのか、個人個人の生き方の問題につながっているのでは・・・と実感します。

 

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 次の港まちへ移動しようとしたとき、こんな貼り紙を見つけました。原発から30キロ地点の、ガレキだらけの町の片隅で、日常を取り戻そうと懸命に努力する人々がいることを、心にしかと刻みつけました。(つづく)

 

 

 


福島いわき・ほんとうの被害(その1)

2011-04-18 21:37:39 | 東日本大震災

 17日(日)、福島県いわき市に行ってきました。私が広報のお手伝いをしている元内閣府少子化担当大臣・上川陽子さんが、同期当選で親しい自民党衆議院議員吉野正芳さん(福島県選出)の案内で被災地を視察するのに同行させてもらったのです。

 

 

 陽子さんはこれまで2回、呉服町スクランブル交差点で街頭募金活動を行い、静岡県のミネラルウォーターを被災地に送っており、直接現地を訪ね、刻々と変化する“求められる支援”の在り方について現地の声を聞きたいと願っていました。

 地元福島で林業に携わっていた吉野さんとは、環境問題や水資源等について政策研究をする同志とのこと。今回は、吉野さんの選挙区でもある福島県双葉郡といわき市の“震災・津波・原発風評被害”の三重苦の実態を知る、得難い視察となりました。

 

 

 

 陽子さんから福島行きを誘われたとき、ライターの本能のまま、即答で「行きます!、いつですか!?」と答えたのですが、その後、仕事先で会う人から「現地スタッフが原発の爆発映像を見て職場逃避したよ」(マスコミ)、「業務命令なら仕方ないけど進んで行く気にはならないなぁ」(エネルギー関係)等など思いもよらない反応にビックリ。・・・福島ってそういう目で見られているのかと、今更ながら風評被害の根深さを知ったのでした。

 

 

 その後のさまざまなニュースに一喜一憂しながらも、ハッキリ自覚したのは、東海地震と浜岡原発のリスクを抱える静岡県民のハシクレとして、福島県民の境遇をきちんと理解し、思いを共有し合えなければ、同じ日本人として恥ずかしいじゃないかという自分的にはちょっぴり大げさな義憤心。また世間的には酒を飲んでるだけと思われているローカルライターが大災害の現場にふれる機会を得られた運です。

 

 興味本位でニュースの現場を覗き見るというスタンスに陥らないよう、先の記事でも紹介した静大理学部のサイエンスカフェで大震災と放射能のメカニズムについて基礎勉強をし、“放射能恐れるに足りず”“風評被害を解決するのは現場の状況を正しく理解し、伝えるチカラである”との確信を持って出掛けました。

 

 

 

 

 最初に到着したのは、いわき市浜通り(よく余震の観測地で出てくる地名ですね)にある「アドレスいわき中央ビル」という複合施設。ここImgp4214 に、17日、『南双葉復興センター』が開所したのです

 

 このセンターは、福島第一原発事故で避難指示が出ている双葉郡の8つの町村のうち、南に位置する4町村(川内村、富岡町、楢葉町、広野町)の商工会が広域連携をとって地域の産業を復興させようと立ちあがった組織。南に隣接するいわき市のサポートを得て、事務所をオープンさせたのでした。

 ちょうど開所式が始まった直後に滑り込みで到着し、4町村の代表者や地元選出議員のみなさんが口々に「国に頼らず、自分たちの力で復興し、自立しよう!」「みんなで笑って花見ができるまで頑張ろう!」と活力あふれる挨拶をされていました。・・・被災地に着いたら、どんな挨拶や慰めの言葉をかけたらいいのかな~んて、チマチマ逡巡してたのが恥ずかしいくらい、現地のみなさんのアグレッシブな姿にいきなり先Imgp4225制パンチをくらった気分です。

 

 事務所内のドーンと貼られたこの文字、並々ならぬ熱意を感じます・・・!

 

 

 

 挨拶の中で心にぐさっと来たのは、「福島といえば原発と風評被害のニュースばかり。我々とて地震と津波の被災者である。そもそも、福島原発の事故は、福島の事故ではない。東京電力福島第一原発の事故である。東京の人に自分たちの電力の問題だとハッキリ意識してもらう意味でも、報道機関には必ず“東京電力福島第一原発”と表示してもらいたいが、今のところNHKだけである」という声でした。

 

 私も、福島に着くまでは正直なところ、福島イコール原発と放射能と風評被害が頭の中で図式化してしまっていました。被災地としてニュースに取り上げられるのは、どうしても岩手県や宮城県の死者行方不明者数の多い町ですよね。有名人がボランティア訪問して話題になるのも、そういうところ。犠牲者が多いのだから仕方ないのかな。

 

 

Imgp4239  しかし、吉野さんに案内されて次に向かった30キロ圏ギリギリの久之浜という港町で、福島が、「大地震と大津波に襲われたまぎれもない被災地である」ことを、まざまざと見せつけられたのでした。(つづく)


静大理学部の大地震&放射能講座

2011-04-15 12:08:55 | 東日本大震災

 昨夜(14日)は静岡市産学交流センターB-Nestで開かれた『サイエンスカフェin静岡特別版~地震と放射能、今知っておくべきこと』を聴講しました。

 サイエンスカフェというのは御存じの方も多いと思いますが、県内大学の理系の先生方が開く市民講座。今回は「サイエンスカフェは、まさにこういう時こそ大学が有する知識を社会に伝える使命がある」との企画者の思いで、急きょ予定を変更し、静岡大学理学部地球科学科の生田領野先生が巨大地震のメカニズムについて、同部付属放射科学研究施設の奥野健二先生と大矢恭久先生が放射線のイロハと人体への影響について解説してくださいました。

 

 

 

 実は今週末、急きょ、被災地へ取材に行くことになったので、少しでも予習をしておきたいと、ネットで偶然見つけたこの講座にはせ参じることに。テレビやネットや週刊誌等で不安をあおる情報ばかり目にしていたので、専門家による分析と解説が聞けて冷静に取材に行けるとホッとしているところです。

 とくに静岡大学理学部は、予想される東海地震についての研究実績があるし、放射科学研究部門は昭和29年の焼津第五福竜丸のビキニ環礁水爆実験による放射能汚染を調査研究がベースとなって開設されただけに、今回は現在国内で開かれている市民講座の中でもトップクラスの内容ではないかと、素人ながら実感しました。

 

 

 

 かなり専門的な内容でもあったので、素人が1度聴いただけで知ったかぶった解説ができるはずはなく、講座の内容はサイエンスカフェの公式HPブログを参照していただくとして、ここでは素人ながら“目からウロコ”になったキーワードを挙げておきます。

 

 

 

 

アスペリティ/海溝型地震で強い地震波を起こす場所のこと。海溝型地震は急に起こるようになったり起こらなくなることはなく、過去に起こった場所では、特定の時間間隔で、特定の規模のものが必ず起きる。十勝沖ではM8クラスのアスペリティが、三陸沖ではM7.5クラス、関東~南海沖ではM8クラス、九州日向灘沖でM7クラスのアスペリティが存在していることがわかっていて、いくつかのアスペリティが連動する場合もある。

 今回はこれまで知られていたアスペリティを複数個含み、かつプレートの沈み込み量が300年分に相当するパワーだった。これはまさに“想定外”だったそう。

 

 

 

想定される東海地震は津波より揺れ/想定される東海地震のアスペリティモデルは、安政東海地震の震度分布がベースになっている。駿河湾は伊豆半島が“くさび”になっているので沈み込み量は少なく(→大津波は起きにくい)、震源域直下で10キロメートルと浅いため、津波よりもまず揺れに注意。県でもその方針に基づいて、防波堤の整備よりも建物の耐震に力を入れてきた。

 

 

 

想定外の東海地震は東南海・南海と連動し、津波の被害も大きいが、緊急地震速報は役立ちそう/東海・東南海・南海の3連動型の場合、震源地は紀伊半島沖あたり。地震動は東(静岡方面)と西(四国方面)に分かれ、それぞれ進行方向に向かって振幅が大きくなる。震源地から離れていたとしても静岡県中部~西部の揺れは甚大。想定を超えた大津波も起こり得る。ただし静岡が揺れるまで発生から100秒ぐらいの間があるので、緊急地震速報は大いに機能すると思われる。

 

 

 

今回得た電離層予知/今回、発生前にある部分で電離層がグッと増えたデータが得られた。電離層感知システムを実用化できたら今後の地震予知に有効かもしれない。

 

 

 

 

宇宙も地球も放射線でいっぱい!/ビッグバンで生まれた宇宙も地球も、もともと強い放射線を持っていて、徐々に減っていき、2億5千年前に恐竜が、200万年前から人類が住めるようになった。ウランは半減期が45億年なので、ちょうど45億年前の地球誕生の頃は、今の2倍の量が存在していた。このウラン=放射線の存在を1896年に初めて発見したのがアンリ・ベクレル。1903年にはノーベル物理学賞を受賞し、その名がそのまま放射能の単位ベクレルになった。

 

 

 

人間は年間3.8ミリシーベルトの放射能を受けている/体重60kgの日本人は年間平均、4000ベクレルのカリウム40、2500ベクレルの炭素14、500ベクレルのルビジウム87、20~60ベクレルのセシウム137を受けている。日本人の平均年間線量は一人当たり3.8ミリシーベルト。世界平均は3.1ミリシーベルト。

 

 

 

日本人は医療機器から、海外ではラドンから/日本人の平均線量3.8ミリシーベルトの内訳は、医療2.25、体内(食物等)0.41、ラドン0.4、宇宙線0.29等で半数以上は医療機器が要因。世界平均ではラドン1.26、医療0.61、大地から0.48、宇宙線0.39、体内0.29という順。ラドンは大地や建材に含まれる微量のウランやトリウムが崩壊する時発生する。

 

 

食物中のカリウムも放射線です/食物にはカリウム40という放射線があり、米・食パンには30ベクレル(1kgあたり)、牛乳50(以下同)、肉や魚には100、生わかめ200、ホウレンソウ200、干しシイタケ700、干し昆布2000含まれる。ちなみにアルコールでは日本酒1ベクレル、ビール10ベクレル、ワイン30ベクレル。日本人の体内摂取が世界平均より多いのは、海産干物を好む食生活にも影響?

 

 

 

地球上では年間400ミリシーベルトの地域でも人が住んでいる/大地が発する自然の放射線は日本では平均は0.38ミリシーベルトだが、ケララ、タミル・ナドゥ(インド)は3.8、グアラバリ市内(ブラジル)は8~15、ラムサー(イラン)には年間400ミリシーベルト以上の地域が存在する。また温泉や岩盤浴効果などで親しまれる花崗岩にはカリウム40が500~1600ベクレル(1kgあたり)、ウラン238とトリウム232がそれぞれ20~200ベクレル含まれる。

 

 

 

ホルミシス効果/鳥取県の調査では、ラドン温泉周辺の住民は、全国平均や県内他地区よりも発がんリスクが少なく、ホルミシス効果(微量の放射線は健康に役立つ)があるという研究者も。中国広東省の高自然放射線地区でも同様の結果あり。

 

 

  

米ソ核実験の影響/1950年代後半から60年代前半にかけ、世界各国で行われた核実験の影響で、デンマークの例では1964年ころ、セシウム137が穀物に年間18ベクレル(1gあたり)、肉には7ベクレル(同)、牛乳にも3ベクレル(同)増加した。

 

 

 

 いただいた資料では、米ソ核実験による核分裂(メガトン)数は1962年前後がピーク。1962年生まれの私としては、ギョッとする数字でした。日本は高度成長の時代だったと思いますが、乳児だった私はもしかしたら知らず知らずのうちに通常よりも高い放射線を摂取していたのかもしれないと思うと、今回の原発事故も身近に感じられます。

 

 

 放射線物質は自然界のあらゆるところに存在し、適切に扱えば広範な利用ができることがわかって少しはホッとしました。数値を見れば、水を買いだめしたり、北関東の野菜をボイコットするようなヒステリックな行動は愚かしいと冷静に思います。

 とくに福島から避難してきた小学生を、受け入れ先の千葉の小学校の児童たちが差別したり、福島県の震災ゴミやガレキの受け入れを決めた川崎市に抗議電話が殺到したというニュースには本当に心が痛みました。幕末の黒船来航や太平洋戦争時じゃあるまいし、これだけ情報化が進んだ現代でも、正しい情報を得て正しく読み解く力が得られないと、人は簡単に差別や偏見を持つのだと恐ろしくなりました。

 

 放射能は人類誕生の前から地球に存在していて、地球が生まれる前から宇宙に存在しているもの。後から来た人間があれこれ騒ぐのは、地球から見たら滑稽な話かもしれませんね。

 そもそも人間が放射能をコントロールしようなんて実におこがましい話なんだと肝に銘じ、せめて原子力や核物質を扱う立場の人間は情報を適切に開示し、市民も適切に判断できる努力をすべきだと、深く実感しました。

 

 

 なお、急なお知らせですが、明日4月16日(土)16時から、東海大学海洋学部清水校舎3号館3401室で、『東日本大震災関連特別セミナー』が開かれます。昨日お話くださった静岡大学理学部の生田領野先生と、東海大学海洋地球科学科の原田靖先生が、東海地震発生時の津波被害予想や防災について解説してくださいます。一般向けの市民講座ですので、興味のある方はぜひ!

 

 


金町浄水場の水道水

2011-03-25 14:53:34 | 東日本大震災

 東京都の金町浄水場の水から、乳児の摂取基準値を超える放射性ヨウ素が検出されたという一報を聞いた時、不謹慎ですが自分には子どもがいなくてよかった・・・と思ってしまいました。もし乳飲み子を抱えていたら、静岡に住んでいても冷静ではいられなかったでしょう。

 近所のスーパーでも、トイレットペーパーは入荷されていたけど、ペットボトル水の棚は見事にガラ~ン。仕事先でミネラルウォーターを製造販売している会社の人に会ったら、思わぬ“特需”に複雑な顔をされていました。

 

 その後、放射性ヨウ素の数値が下がり、摂取制限は解除されたそうでひと安心ですが、改めて、水道水をふつうに飲めるありがたさを思わずにはいられません。

 

 

 

 

 今からちょうど9年前の2003年3月16日から23日、京都で『第3回世界水フォーラム』が開催されました。私が広報のお手伝いをしている静岡一区選出の衆議院議員(当時)・上川陽子さんが「おいしい水推進議員連盟」の事務局長を務められていたことから、私も同フォーラムに参加し、世界の水問題について勉強する機会を得ました。 

 

 

 フォーラム初日がイラク戦争開戦日だったことから、会議では「水の利権が石油に代わる時代が来る」「水を巡って戦争が起きるかもしれない」なんてエキセントリックな話ばかりが印象に残ってしまったのですが、このフォーラムに参加する前、足元の水のことをちゃんと勉強しておこうと、おいしい水推進議員連盟の国会議員の方々と一緒に国交省江戸川工事事務所を訪問し、江戸川流域の流水保全水路や金町浄水場を視察したのです。今、振り返っても、フォーラムの話よりも、金町浄水場で飲んだ水道水の美味しさのほうが懐かしく思い出されます。

 

 当時いただいた資料を久しぶりに引っ張り出してみました。

 まず江戸川の歴史。江戸川は徳川幕府開府以前は太日川と呼ばれ、渡良瀬川の水が流れていたんですね。江戸時代になり、幕府が江戸の水害対策・新田開発・舟運路確保のため、東京湾に流れていた利根川を銚子へ流路変更させる利根川東遷事業を行いました。関宿から金杉(現・野田市)の間に新しい水路を掘って金杉で太日川につなげたんですね。このときから利根川の水が入ってくるようになり、江戸につながる川として『江戸川』と呼ばれるようになりました。

 

 

 江戸川は文字通り、肥大化する大消費地・江戸を支える大動脈となります。東北や北関東から米穀、魚介類、木綿、醤油、みりん等の生活物資を運ぶ舟運路として活用され、江戸川流域は物資の集積地として大いに栄えました。

 

 

 明治に入ると川蒸気船が登場し、明治23年には利根川と江戸川を短絡する利根運河も開通。航路は大幅に短縮され、年平均約2万隻もの船が通行したそうですが、やがて物流は鉄道やトラック輸送へと代わり、舟運は衰退していきました。

 

 現在、江戸川は五霞町と関宿町で利根川から分かれ、茨城県、埼玉県、千葉県、東京との境を南下して東京湾に注ぐ延長約55㎞、流域面積約200平方㎞の一級河川。首都圏760万人の水道用水・工業用水・農業用水を送りだしています。

 

 55㎞の流路上では、たとえば野田には醤油醸造の歴史があり、流山には小林一茶や新選組近藤勇ゆかりの史跡、松戸には小説「野菊の墓」文学碑があり、葛飾には矢切りの渡しや柴又帝釈天が。もともと江戸時代に人工的に開削された川なので、河川敷や堤防が整備され、市民憩いの場として親しまれています。・・・歴史好きとしては一度はじっくり歩いてみたいですね。

 

  

 肝心の水質ですが、安全でおいしい水を確保するため、江戸川と支川の汚濁水を分離して流す「流水保全水路」というのが作られています。とくに支流の坂川は、高度成長期からの人口急増と都市化によって水質悪化が酷かったことから、平成9年から『江戸川・坂川清流ルネッサンス21』というプロジェクトが始まり、その一環で坂川の汚濁水を古ヶ崎に設けた浄化施設を通すバイパス=流水保全水路が作られました。

 この水路、今では市民公募で「ふれあい松戸川」と名付けられ、多くの動植物も生息するようになった市民憩いの小川になっています。ここは実際に歩かせてもらいました。

 

 

 金町浄水場は、「柴又帝釈天」や「矢切りの渡し」の近くにあります。大正5年から操業しており、視察当時(03年)は日量160万立方メートル急速ろ過方式で浄水していました。首都圏では朝霞、東村山に注ぐ規模です。

 

 今でもよく覚えているのは、オゾンや生物活性炭を使った高度な浄水装置。この処理によってカビ臭は100%、アンモニア性窒素(カルキ臭のもと)も100%、陰イオン界面活性剤(合成洗剤)を80%、トリハロメタン生成能を60%除去します。

 

 浄水の手順は、まず川から取水された水を、沈砂池の中をゆっくり流して砂や土を沈め、水中の浮遊物質を沈みやすいフロックにするために凝固剤(ポリ塩化アルミニウム)を加え、高速凝集沈でん池を通してきれいな水に分離させます。

 そこから、オゾン接触池(池の底に散気管を設置し、オゾン化空気を噴出させ、オゾンの酸化作用でカビ臭等を分離除去する)、厚さ2・5メートルもの生物活性炭吸着池(オゾン処理水を活性炭層の上から下へ流し、その間に水中の有機物、アンモニア性窒素等を処理する)を通り、塩素を加えて病原性細菌などを消毒します。急速ろ過池で最終的にフロックや鉄、マンガン等を取り除いて配水池に溜めて置きます。

 

 こうして浄水された水をその場で飲んでみて、日本一美味しい水道水といわれる静岡の安倍川水源の水を飲んでいる私から見ても「ミネラルウォーターと遜色ないじゃん・・・」と思えたほど。金町浄水場で一般市民が2種類のミネラルウォーター(硬水タイプ/軟水タイプ)と一緒に目隠しで試飲したところ、美味しかったと答えたのはミネラルウォーター軟水(35.7%)、ミネラルウォーター硬水(31.6%)、水道水(30.9%)という結果だったそうです。

 

 

 この視察以来、私は自宅用のミネラルウォーターは買わなくなり、食器洗い洗剤を使うのをやめ、アクリルたわしを常用するようになりました。防災備蓄品として2~3本ストックしておくぐらいで、平時は水道水で十分じゃないかと。

 

 

 今回の放射線ヨウ素検出の問題は不可抗力だとしても、日本の水道水のしくみは信頼できると思っています。利根川や江戸川は、400年以上前から人々の暮らしに寄り添ってきた水源であり、幾多の困難を克服してきたのです。

 せめて乳児のいない家庭では、市販のペットボトルを買いだめする前に、ふだん使っている水道水の浄水場がどこにあり、どういう水源か、また身近な川の自然や歴史や文化に目を向ける気持ちの余裕を持ちたいですね。

 

 

 

 


無力です

2011-03-14 08:26:21 | 東日本大震災

 計画停電が静岡県東部地区でも行われると知って、今回の震災がグッと身近に感じました。まさに『国難』状態ですね。今日はこれから浜岡原発の近くへ取材に出掛けるのですが、原発事故の恐怖、原発電力に依存する現代の暮らしの危うさは、ヒトゴトじゃない、という気分です。

 

 今朝のニュースを見て、富士川以東にお住まいの方の中でも、これまでお世話になった蔵元さん、酒販店さん、飲食店や居酒屋さんの顔が真っ先に思い浮かびました。停電が当面続くとなると、大変なことになるでしょう。富士川以西に住む我々で何か支援できることはないかと思うのですが、すぐには思い浮かびません。…東電も混乱しているようですから、「もしかしたら電力再開」「停電時間短縮」になることを祈るしかありません。

 

 当該地区のみなさまには何の役にも立たず、ただの気休めかもしれませんが、今は可能な限り自分でも節電するしかない、と思っています。