杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

上野の森で博物館三昧

2013-04-16 14:00:54 | アート・文化

 先週末は上野で博物館をハシゴしました。まずは国立西洋美術館で開催中の『ラファエロ展。週末とあってさすがに混み合っていました。彼の作品がヨーロッパ以外で大々的に公開されるのは初めてだそうです。

Img014

 ルネサンス絵画の大成者といわれるラファエロは1483年生まれで1520年に亡くなっています。今回の出品作は1490年代~1510年代に描かれたもの。日本で言えば日本水墨画の大成者・雪舟(1420-1506)、わび茶の創始者・村田珠光(1422-1502)たちとほぼ同時代、ということでしょうか。

 

 ちょうどこないだまでDVDで観ていた『花の乱』の時代が終焉を迎えた室町後期で、「銀閣」を建てた足利義政が亡くなったのが1490年、妻の富子は1496年没。千利休が1522年生まれで、織田信長は1534年生まれです。今更ですが、西洋のルネサンスと日本のわび・さび文化の出発がちょうど500年ぐらい前の同時期、というのも面白いですね。

 

 

 

Img013

 

 そのお隣の国立科学博物館で観たかったのが『からだが語る大江戸の文化・江戸人展』。科学技術や地球物理学を紹介する科博で江戸文化の展示って、どんな切り口なんだろうと興味がありました。

 

 期待通り、江戸時代の遺跡から発掘された人骨やミイラをもとに、江戸時代の日本人の顔つき・体つきを再現し、当時の食生活や生活習慣との関係性を検証するという、さすがの切り口。たとえば、お武家さんや大奥の貴婦人方は全般的に顔が細長で、農民や町人はエラが張っている。顔つきも、本当にこういう人、いるいる!と思えてくるから不思議です。

 

 ラファエロが肖像画等で描いた西洋人の顔や体つきと比べると、「食べてるもんが違うんだろうなあ」とつくづく実感しました。

 

 

 

Dsc_0148
 科博に来たのは1年ぶり。地球館2階の「科学と技術の歩み」入口では、田中久重の万年時計がドーンと出迎えてくれます。江戸時代から、日本固有に文化に根ざして発展した科学技術の変遷をさまざまな展示物で紹介するフロア。グレートネイチャーの世界も素晴らしいけど、私は人間が一生懸命創意工夫し、磨き上げていった技術や科学の世界が好きだなあ。昔は大の理系嫌いだったのに、年齢を追うごとにだんだん好きになってきた感じ。万年時計は装飾芸術としても高いレベルなので、何度見ても見飽きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

Img012

 

 

 

 さて、今回の上野行きの最大の目的は、国立博物館で開催中の『大神社展』です。

 今年の伊勢神宮の式年遷宮を機に、神社本庁はじめ、全国の神社の協力のもと、ふだんや身近に見られない神社の宝物や日本の神々に関する文化財が集結した神道の一大美術展。ちょうど富士山世界文化遺産登録がらみの記事を書いていて、富士宮浅間大社が「富士浅間曼荼羅」を出品すると聞いて、ちゃんと見て置こうと思ったのです。

 

 曼荼羅の絵はほかに、奈良春日神社の「春日宮曼荼羅」や、比叡山ふもとの「日吉曼荼羅」、「石清水曼荼羅」、「伊勢両宮曼荼羅」等など、そうそうたる神社の絵図が並んでいて、そういう作品群の中で見ると、富士山が信仰の山としていかに価値があるかが、より一層深く感じられました。

 

 

 面白かったのは、日本の神様って姿が見えないのが鉄則なのに、意外なほど「神像」がたくさんあるってこと。お酒の神様でお馴染み・京都松尾大社からは、古代中国の学者のような風貌の男神と、色白で豊満な女神坐像が出品されていました。「僧形神」といって、神さまなのに地蔵菩薩や十一面観音菩薩のような風貌のもの、「武装神」といって平安時代に使われた鎧を忠実にまとった珍しい坐像もありました。

 

 イチバン「かっけぇー!」と思ったのは、展示フロアのラストに登場する「春日神鹿御正体(かすがしんろくみちょうたい)」。春日大社の鹿は神の使いとされていますが、そのリアルかつ優雅なお姿は、「もののけ姫」の世界に出てきそうな雰囲気。宮崎駿さんはこういう神像をモデルに描いたのかなあと思えるほどでした。

 

 

 学生時代に仏教美術をかじった身として、知っていたつもりでまったくの不勉強だった神道美術。富士山の記事を書くため、酒文化を学ぶため、歴史ファンの常識として・・・さまざまなモチベーションで鑑賞したものの、見終った後は、やっぱ、生まれたときからお世話になっている神社のこと。日本人なら、一度はちゃんと、一から考察し直さねばならない世界だな・・・と反省しました。6月2日まで開催中ですから、上京の機会がある方はぜひ!

 


精魂宿る桜と陶器と工芸菓子

2013-04-01 22:01:14 | アート・文化

 4月になりました。今日は一日、お寺で雑役バイト。庭の枝垂桜の淡いピンクが薄曇の空にDsc_0146_2
同化するのをいやいやと駄々をこねるように風に揺れていました。季節になればちゃんと咲く桜の木って、ほんと、豪いなあと思います。

 

 この桜を愛する90歳を過ぎた先代ご住職が、先日来、容態を悪くしています。こちらがバイトでやっている掃除仕事にも「きれいにしてくれてありがとう」と欠かさず声をかけてくれる慈愛に満ちた方です。桜はひとの命や生き様と重なって見えるときがありますが、どうか一日でも長く咲き続けてほしいと願うばかりです。

 

 

 

 

 

 先週末の土曜日は、染色画家の松井妙子先生、駿河蒔絵師の故・中條峰雄先生の奥様良枝さんと3人で、駿府博物館で始まった『夭折の陶芸家・中野一馬という男』、ツインメッセで31日まで開催の世界の菓子まつりを観に行きました。

 

 

Img009
 夭折の陶芸家・中野一馬という男』、恥ずかしながらお誘いをいただくまで知らなかった陶芸家でした。島田市の製茶商の家に生まれ、デンマークで陶芸を学び、2007年に牧之原で工房を建てるも2年後、43歳の若さで急逝したという異色のキャリア。生まれ持って慣れ親しんだお茶の伝統とヨーロッパのモダンアートが融合した独特のデザイン性に惹き付けられました。展示方法も素晴らしく、大きな壷に豪快に野草を挿し込んだり、家具メーカーの協力でサイドボードやソファーセットを置いてテーブルコーディネートしたりと、作品が単なる鑑賞美術ではなく、暮らしの中で生きるものであると実証して見せる方法です。

 

 

 別室には、実際に中野さんの茶器でお茶が飲める呈茶コーナーも用意されていました。さすが実家がお茶屋さんだけあります。美術展やアートギャラリーって、もちろん主役の作品の力は大事だけど、展示方法って大きいなあとつくづく感じました。この作品展も、中野さんの作品を盛りたてる華道家のセンスや、在りし日の中野さんの写真展示がポイントでした。アートディレクターの存在の重要性、ますます大きくなっていくんじゃないでしょうか。

 

 それにしても、43歳という働き盛りで命を散らしてしまった中野さん。過日、感動した白隠展でも、30~40代のころは迷いがあった白隠禅師の絵筆は、晩年になればなるほど作風が大らかにユーモラスに味わい深く変化していく様子を観ただけに、中野さんの今後の創作の変遷を見続けてみたかったなあと思いました。一見の鑑賞者の私でさえ、そう感じたのですから、身近にいらした中野さんのご家族や支援者のみなさんの思い、さぞ大きかったろうと察せられます。そんな、支援者の思いが結集しての見事な作品展、5月26日まで駿府博物館で開催中ですから、ぜひお運びください。

 

 

 

 

 

 次いで足を運んだ『世界の菓子まつり』、入場するだけで大人900円・子ども700円とられる、ファミリー向けにしては決して敷居が低いとはいえないイベントながら、会場内は親子連れやカップルで大賑わいでした。お菓子で作った駿府城天守閣をはじめ、目を見張るピエスモンテ(造形モニュメント)の数々に、子どもたちが目を輝かせています。

 3月23日のイベント開会前、かみかわ陽子ラジオシェイクで告知をした関係で、イベント内容やピエスモンテの歴史や由来を調べたので、関心がないわけではありませんでしたが、カップルやファミリーばっかりの有料イベントに一人で行く勇気?もなく(苦笑)、そのままにしていたところ、交友のある相良の和菓子店・扇子家の高橋克壽さん(こちらを参照)から「作品を出展するから」の連絡。しかも、松井妙子先生の“ふくろうと森”をモチーフにしたピエスモンテとのこと。高橋さんと松井先生は、私が主宰するしずおか地酒研究会の地酒サロンでお引き合わせをしていたのです。高橋さんはその後、松坂屋で開催した松井先生の作品展に観に行かれたとのこと。酒縁が生んだお菓子というわけですね。乙な話です・・・。

 

 

 

 高橋さんからはこんな意味深なメールをいただきました。

Dsc_0143
「この作品、年明けからすぐに製作に掛かりましたが 父が亡くなったり 他の用事が重なったりで、しかもフクロウのイメージがどうしても立体的に浮かんでこなくて、2月後半まで製作が止まってしまいました。

 

 事業者のテレビ静岡の担当の方に作品出来なくなったの連絡を入れようと 自分自身追い詰められてしまっていました。そんな2月後半でしたが 父の四十九日の日の朝、仏前で手を合わせていたら、突然 お経の声が2~3秒聞こえたのです。ビックリして振り返ったけど、私しか居ない部屋でしたので、“あっ父の声なんだ”と思いました。
 とりあえず、お寺で法要を行い、待合室の広間に行ったところ、私が座った直ぐ目の前に実物そっくりのフクロウの置物が籠の中に入って置いてありました。これもビックリ!直ぐに和尚さんに事情を話して、フクロウをお借りしてきました。
 その日からは連日遅れを取り戻すように、毎日午前3時まで製作に取り掛かって、無事、本当にギリギリでしたが出来上がりました。亡き父に助けられた、自分にとって思い出深い作品になりました。」

 

 工芸菓子に生まれ変わったふくろうをご覧になった松井先生は、「一生懸命作ってらしたのねえ、お人柄が伝わるわねえ」とニッコリされていました。作品は全国菓子博覧会にも出品されるそうです。どんな結果になるにせよ、この春に、生まれるべくして生まれた作品なんですね。

 

 

 散り行く桜、咲き誇る桜、これから開花する晩生の桜・・・この春、逝ったいのち、生まれるいのち、出会ういのちが重なってみえます。日本人が桜を愛する理由が、しみじみ肌身に感じられます。


オトナの大河ドラマ『花の乱』

2013-03-26 14:55:23 | アート・文化

 早くも桜が満開になりました。先日、上川陽子さんと一緒にやっているラジオ番組『かみかわ陽子ラジオシェイク』の収録で、平野斗紀子さんをゲストに招き、廿日会祭と静岡まつりの話をしたんですが、ああ、お祭りのときまで桜が保つかなあ、と心配になりました。逆に花がなかなか咲かない年もあるわけで、そうそう人間の都合よく咲いてくれるとは限りませんよね(苦笑)。放送は4月2日18時30分からFM-Hiです。聴ける人は聴いてください。

 

 昨日(3月25日)は久しぶりに丸一日、時間に追われたあわただしい日でした。午前中は掛川のお茶屋さんがプロデュースするスイーツショップ『雪うさぎ工房』の取材。お茶の消費拡大の一環として始めたサイドビジネスかと思ったら、パティシエを何人も雇用しての本格的なスイーツショップ経営で、ケーキから焼き菓子まですべてを自家製で揃えていました。月曜の午前中なのにお客さんがひっきりなしにやってきます。この抹茶ベークドチーズと抹茶ロール、Dsc01719
甘さ控えめで本格デンマークチーズ使用で、“緑茶と一緒に味わえる”が触れ込みでしたが、酒とも合うかも・・・なんて思っちゃいました。

 

 社長と話し込んであれこれ試食させてもらっていたら、あっという間にお昼になってしまい、新東名を飛ばして家へとんぼ返り。車を置いて、静岡県清酒鑑評会一般公開が開かれるJR静岡駅前グランディエールブケトーカイへ駆け付けました。すでに13時を回っていて、県知事賞受賞の喜久酔、富士錦、いつも人気の磯自慢は(用意した試飲酒がなくなり)瓶も片付けられてしまっていましたが、それ以外の出品酒すべてを試飲しました。

 

 

 

 今回は、入賞酒のリストを見ずに、テーブルに並んだ順番にひとつずつじっくり利いてみて、自分なりに新酒のこの時期らしい、すっきりとした仕上がりで、印象が良かったのは、正雪、初亀、杉錦、若竹、葵天下、國香でした。これらがこの1年でどんな味の変化を見せるPhotoのか楽しみですね。良い状態をキープできるのは、おそらく搾った後の処理工程や熟成管理に拠る所が大きいのでは、と思います。造り手が自分の作品にちゃんと責任を持っているかどうか矜持が試される、とも言えるでしょう。・・・なんてことを書くと、また嫌われるかもしれませんが(苦笑)、地酒を地元で愛好する者のささやかな愉しみだと思ってご容赦ください。

 ちなみに、清酒鑑評会審査員を務めた松崎晴雄さんを招いての恒例地酒サロン(4月2日)、早々に定員満席となりました。ありがとうございました。今年もまた新しい酒客との出会いが楽しめそうです。後日のレポートをお楽しみに!

 

 

 

 試飲を終え、酒のニオイを必死に拭って、14時からは静岡県ニュービジネス協議会情報渉外委員会の会合へ。毎年実施する海外視察先を決める会議で、昨年はミャンマーでしたが、今年はトルコかモンゴルの二者選択。どちらも興味がそそられますね。結果は後日、協議会HPで発表します。

 

Photo_2
 夕方、家に戻り、明朝締め切りの静岡空港関連記事の執筆。一昨日、2月に新設された石雲院展望デッキに行って、間近に見られる飛行機の離発着の写真をあれこれ撮ったんですが、動いている飛行機と、それを眺める人々と、空港ターミナルビルの外観をワンショットで撮るって、私の一眼レフと腕ではとてもとても至難の業(苦笑)。それより何より、ビル内でやっていた台湾物産展で3本500円の台湾ビールを買い込んでしまいました(笑)。

 これをガソリン代わりにして一気に原稿を書き上げよう!と意気込んだものの、TSUTAYAの定額レンタルで借りていたドラマのDVDが気になってしまい、ざっくり草稿を仕上げた時点でパソコンを閉じ、ドラマに見入ってしまいました。

 

 

 

Dsc01734
 借りていたドラマというのは、1994年に放送された大河ドラマ『花の乱』完全版です。大河ドラマの中では珍しく室町時代・応仁の乱を取り上げていて、悪女で名高い日野富子が主人公ということで視聴率は低かったみたいですが、私は歴代大河の中では、この『花の乱』と『黄金の日々』が大好きでした。偶然ですが両方とも市川森一さんの脚本です。

 『花の乱』、脚本の素晴らしさは言うまでもなく、三枝成彰さんのオープニングテーマ曲も最高で、出演した俳優陣も豪華で見事でした。三田佳子(日野富子)、市川團十郎(富子の夫足利義政)、萬屋錦之介(応仁の乱西軍の将・山名宗全)、野村萬斎(東軍の将・細川勝元)、奥田瑛二(一休禅師)、檀ふみ(森女)、京マチ子(義政の母)、松本幸四郎(富子の実父)、松たか子(少女時代の富子)、市川海老蔵(青年時代の義政)、役所広司(富子の兄として育ち、のちに敵対する伊吹三郎)、佐野史郎(義政の弟・義視)等など、テレビ・映画・演劇界や歌舞伎界からオールスター総出演でこれぞ大河って感じ。偶然、ネットで市川森一さんの脚本が読めるサイトを見つけ、『花の乱』の制作秘話を熟読していたとき(こちらを参照)、市川團十郎さんの訃報を聞いて、これはもう一度見返してみなければ、と思ったのです。

 

 

 

 ゆうべ原稿をほったらかして見入ってしまったのは、35~37回の最終話(『花の乱』は4月スタートの全37回)です。

 

 応仁の乱は、足利8代将軍義政が、妻富子に嫡子が出来なかったため、出家していた弟の義視を還俗させて後継ぎに決めた直後に富子に長男義尚が授かったのが根っこの問題。あくまで弟に継がせると言い張った義政vs息子に継がせたい富子の夫婦喧嘩、守護大名畠山氏や斯波氏の親族内領地争い喧嘩、強大な武力を誇る守護職山名宗全vs娘婿の管領細川勝元の義理の親子喧嘩がドロドロの政争となって招いた大乱です。

 身内同士の愛憎劇だけに、ギリシャ悲劇かシェイクスピアの舞台を観るようで、舞台経験豊富な俳優陣の、ある意味、様式美のような演技が実にフィットするんですね。役所広司さんや佐野史郎さんのいかにも現代の日常会話的な台詞まわしがちょっとフイをつかれる感じ。

 

 野村萬斎さんはこのドラマで初めて知った人でしたが、室町幕府の管領という、武家だけどなんとなく高貴で知的なイメージが、萬斎さんの所作によってものすごくリアルに感じられました。細川勝元が造った石庭で名高い龍安寺、私もほんの少しご縁があるので、うかがうたびに萬斎さん演ずる勝元が思い出されます。勝元と、富子の異父兄で仇敵となる日野勝光(草刈正雄)が最期を迎える応仁の乱終結の回は、ものすごい高揚感に満ちた一大叙情詩でした。

 

 

 

 それにしても、最近の大河ドラマは、フィルム風に撮れるプログレッシブカメラで画面にリアル感を出したり、人物造形にもリアルにこだわる風潮の一方で、難しい用語はご丁寧にテロップ説明してくれる。それとは対極的に、『花の乱』はバッチリ時代劇メイクでいかにも作り物のスタジオで照明をガンガンに当ててって撮り方。テロップは人物名や地名程度です。ずいぶん隔世の観がありますが、ドラマの骨子がしっかりしていて、脚本が緻密で、俳優もていねいに演じているというのが、素人でもわかる。難しい時代でも、ドラマとしてすんなり入ってくるようです。映像テクニックも大事だけど、肝心要は脚本と俳優のチカラなんだと思います。

 

 三田佳子さんは舞台調の様式美な演技で通してきましたが、主役としての風格というのかな、最近の若手の主役とは違う安定感があります。最後の最後、溺愛してきた息子の義尚(松岡昌宏)に「自分の本当の敵は母上だ」とつき放され、ヤケ死にされたときの演技は実にリアルでした(京都大文字の送り火は義尚追悼のために富子が始めたと知ってヘェ~!でした)。背景にあったのは、酒色に溺れて死線を彷徨った義尚のもとに、応仁の乱の後、京を追われた義視の息子義材 (大沢たかお)が見舞いにやってきたのを、回復した義尚が、自分にとって代わる将軍として母が呼んだものと思い込んだ・・・という悲劇です。

 

 

 夫の義政が亡くなってラスト、「自分があるのは夫のおかげ」とつぶやいたのも見事でした。これ、富子がそう語っていたと記録に残っていたそうです。戦争をおっぱじめるほど反目しあっていた夫婦が、死別の後にそういう境地になれたって、なんてドラマチック・・・!個人的にはさほど感動しなかった『篤姫』なんかに比べると、連続ドラマの題材としてこんなに適したプロットってないんじゃないかしら。

 

 脚本の市川さんは、夜の8時にお茶の間で見せるテレビドラマとして、悪女日野富子のイメージをなんとかしようと工夫したようです。富子は母が酒天童子に犯されて産まれた不義の子で、出産直後に捨てられ、一休禅師が拾って椿の庄という山里で育てられたとし、その後、日野家に産まれた正規の富子は5歳で目を患い、山里育ちの富子と入れ替わることに。盲目の富子は一休の侍者・森女となり、修羅の道を歩く富子の影の存在として、観音のような清らかな心を持つ・・・という設定になりました。一休が晩年愛した盲目の森女、実在の人物ですから、この女性からインスピレーションを得たのでしょう。

 富子の命をつないだ一休禅師が終盤、路傍で亡くなったとき、色狂いして出奔した富子の息子義尚が偶然通りかかり、森女を手伝って一休の遺体を葬るという展開、伏線を見事につないだシナリオです。

 

 市川さんは、応仁の乱で破壊された京の町の復興のため、丹波口や鞍馬口など京都七口(関所)で通行税を徴収したり(=この通行税を着服したと噂され、悪女のレッテルを貼られた)、織物業の集積地(=西軍が陣を張った場所に造ったので、“西陣”と銘打った)を造って集中投資するなど、現実的な経済政策を打ち出した富子の政治家としての一面もきちんと描きます。史実とフィクションをうまく噛み合わせる、歴史大河ドラマならではの、脚本家の腕の見せ所ですね。

 

 

 同じように桜をタイトルバックにした今年の大河ドラマ『八重の桜』。一昨日の蛤御門の戦いの回では、「京の町が焼かれたのは応仁の乱以来・・・」という台詞が出てきて、私のアタマの中では『花の乱』と見事にリンクしました。女性を主人公にした難しい時代を描くのに、もう少しドラマ的に遊びの部分があってもいいように思いますが、八重さんが本格的に活躍する戊辰戦争以降の展開を楽しみにしましょう。

 TSUTAYA定額レンタルでは、これから、『黄金の日々』完全版に挑戦します!

 


沼津文学歴史散歩

2012-12-16 11:21:58 | アート・文化

 先週は、11日に妹夫婦が10年ぶりに里帰りし、なんやらかんやらで慌しい一週間でした。11日は妹の誕生日だったので、キルフェボンのいちごタルトを奮発しました。

Dsc_0038
 

 その昔、キルフェボンを開業する前だったと思いますが、運営会社RUSHのオーナー兄弟を取材したことがあります。「海外放浪でヒントを拾ってきた。日本にはないオシャレなケーキ屋さんをやろうと思う」と話していたのを思い出し、やりたい、やろう!と強く願うことが何事でも原点なんだなあとしみじみ。久しぶりに家族で囲んで箱を開けてみんなが「うわぁ~!」と喜ぶケーキでした。イマドキのヒット商品って、こんなふうに感性を刺激するモノなんですね。

 

 

 

 

 

Dsc_0043
 12日は沼津の取材リサーチ。ついでに妹夫婦を車に乗せ、御殿場まで足を延ばしました。二人とも米軍のIDを持っているので、米軍キャンプ富士に入れてもらえることに。訓練施設のせいか門番もキャンプ内ショップのスタッフも、とてもフレンドリーでした。

 ここからしか観られない絶景の富士。清清しい気分の中、(訓練中の)砲弾の音が聴こえてきて、ああやっぱりここは(フツウに知ってる)静岡県御殿場市ではないんだ、と不思議な感覚に陥りました。

 

 

Dsc01215
 ビール好きの2人のために御殿場高原ビールでランチ。結構道が込んでいて、リサーチ候補の沼津御用邸記念公園に着いたのが15時過ぎ。御用邸に入るの、実は初めてなんです。外国人から観たら、天皇の別荘にしては質素な造りに見えたかもしれませんが、建物のしつらえや御座所等の調度品はさすが。西付属邸から東付属邸までのプロムナードもお散歩には最適でした。

 東付属邸庭園には駿河待庵(京都大山崎の国宝茶室・待庵を模した茶室)ほか一般に利用可能な茶室があって、お茶をかじり始めた身としては興味津々。こういう茶室を利用できる沼津市民が羨ましくなりました。それにしても御用邸記念公園って東京ドーム3個分の広さがあったんですね、知らなかった(恥)。

 

 

 

 

 

 Dsc01282

 

 沼津港到着は17時近くで、やっぱり平日この時間帯だと閑散としていて、とりあえず資料写真だけ撮ってこの日は帰り、翌13日、一人で再取材。湾に面して千本浜公園から沼津港口公園~びゅうお~牛臥山公園~御用邸記念公園というルートを、文学をテーマに記事にしようと構想を固めました。千本浜公園の井上靖の文学碑、こんな立派な碑だったんですね。若山牧水は近くに記念館もあり、堂々とした歌碑でした。

 

 

 Dsc01247
 沼津港口公園で見つけたのは日本の童謡の父・本居長世の記念碑。江戸の国学者・本居宣長の6代後のご子孫で、作曲家として「赤い靴」「七つの子」など日本を代表する童謡を遺しました。出身は東京ですがこの地を好んで避暑に来ていたそうです。

 

 

 

Dsc01275
 牛臥山公園も初めてでした。私は見逃してしまったのですが、映画『わが母の記』のロケに使われたんですね。牛臥山周辺には明治政府の高官の大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)ら旧薩摩藩出身者の別荘がありました。ここからの駿河湾の景観が、故郷鹿児島の錦江湾に似ていたからとか。

 明治22年には東海道線が開通して、東京からの交通の便が良くなったため、彼らの薦めもあって沼津に御用邸が造営されたそうです。・・・取材の仕事をしているのに初めて知ることばかりでホント恥ずかしかったけど、目からうろこの連続でした。

 

 

 この日の取材では、静岡県ニュービジネス協議会のお仲間で、牛臥山~御用邸記念公園のお膝元で冠婚葬祭プランニング&ギフトショップの会社を経営する山内倭子さんにお世話になりました。山内さんの会社が運営する『nacole』の楽天サイトでは、お宝情報がギッシリです。一見、文学歴史散歩とは関係ないかもしれませんが、今回ここから拝借した取材ネタもあります。年末年始のお買い物の参考にぜひ!


生き物文化誌学会と映画『カミハテ商店』

2012-11-12 22:49:04 | アート・文化

 11月10日(土)は生き物文化誌学会の例会が開かれた東京農業大学に行ってきました。テーマは【日本の園芸植物~いかに芽生え、独自の発展を遂げたか】。ちょうど今、静岡県産の花卉園芸の取材をしていて、江戸時代に日本を訪れたシーボルトはじめヨーロッパの学者たちが、日本の植物の豊かさに驚き、開国後はプラントハンターが世界からやってきて日本から世界へ広がった花も少なくないという例会の案内文に惹かれたのです。

 

 講演1では農学博士で学会理事長の湯浅浩史先生が、日本の野山の自生する花が、庭の花となってヒトの観賞対象になった変遷を『万葉集』を紐解きながら解説してくれました。

 

 万葉集の全4,516首のうち、3分の1が何らかの植物に関する歌だそうです。種類別でいえば木竹が74種、草木が77種、シダ・コケ・キノコ・モが12種、異名を含めるとトータルで191種類もの植物が詠まれています。

 

 多く詠まれた花ベスト10を挙げると、①ハギ②ウメ③マツ④タチバナ⑤アシ⑥サクラ⑦スゲ⑧ススキ⑨ヤナギ⑩フジという順位。以下、ナデシコ、チガヤ、イネ、ウツギ、コモ・・・と続きます。花を人にたとえて詠まれるようになり、花は野山から庭に移植されるようになります。日本人で最初の園芸家は万葉集に472首もの歌を残した大伴家持といわれ、彼は自宅の庭に20種ほどの花を植えていたそうです。

 恋人にたとえるならヤマブキやナデシコやユリ、形見に植えるのはハギやマツ、造園用にはツツジやアセビなど目的別に栽培していたこともうかがえます。万葉集が生物学の参考史料になっているということが非常に面白く、日本的だなあと思いました。

 

 

 講演2では東方植物文化研究所主宰の荻巣樹徳氏が、江戸時代に独自の発展をした日本の伝統園藝について解説されました。

 

 荻巣氏によると、伝統園藝とは、①江戸時代に生まれた日本独自の美意識、②野生種ではない、③文化的素養に基づいた名前を持つ―と定義づけられます。

 最大の特徴は、キク、ナデシコ、アサガオなどの“変わり花”や、オモト、マンリョウ、カラタチバナ、ヤブコウジ、ナンテン、マツバランなどの“変わり葉・斑入り葉”を生み出したこと。変わった形状のことは、花の藝、葉の藝と呼ばれ、いかに高度な“藝”かが競われ、人気番付や名鑑が作られ、投機の対象にもなったそうです。このことから伝統園芸の芸の字は【藝】という旧字にこだわっているとか。現代のような交配技術のなかった時代、変わり花や変わり葉というのは、病変と紙一重。そういうきわどいところに美意識を持っていた江戸の人って、外国人から見たら本当にユニークだったでしょうね・・・。質疑応答のとき、最前席で聴講されていた秋篠宮殿下(学会の運営理事のお一人)が「“藝”の意味を皆さんにもう少し詳しくご説明されては?」とフォローされたので、とてもよく理解できました。

 

 そういえば先月、久能山東照宮に取材Photoに行ったとき、境内でオモトを売っていて、家康が愛好していたことを知りました。オモトって万年青って書くんですね。

 

 

 江戸の伝統園藝は、植物のみならず、観賞する道具立てとして、飾り鉢、鉢を置く卓や棚、戸外や室内での飾り方、観賞作法まで事細かに決められ、相応の知識や教養と、道具立てを可能にする職人技術も必要とされました、いわば、江戸の美意識と教養が創りだした総合藝術のようなもの。荻巣氏は「これほどの高度な文化を持ちながら、茶道や華道のように発展しなかった。産業に走りすぎた」と今の園芸業界の状況を憂います。継承保存環境が不安定な品種は、絶滅の危機に瀕しており、世界に類を見ない園藝文化を持っていたことを、世界に向けて堂々と発信できない状況ともいえます。

 

 荻巣氏からはこんな印象的な言葉も聞けました。「栽培とは、原産地の条件を再現することではない。原産地よりさらによい条件をつくらなければ、栽培する意味がない」。日本の伝統的な自生種が少しずつ絶滅していく一方で、海外からさまざまな新品種を導入し、あれこれ改良を加える。農産物でもそうですね。「日本人が自らの存立基盤を確かめるには、現在を支えている過去の部厚い日本文化と対話するよりほかにないのだが、江戸の園藝文化の所産である栽培品種群はその対話を可能にする」。・・・私も、酒や茶はじめ静岡の食文化を取材していく上で、これがなぜ日本で、静岡で存在しているのかを確かめるのに、歴史を学ぶことがいかに重要か、日々痛感しています。

 

 

 

 

 

 夜は渋谷ユーロスペースでこの日から公開が始まった山本起也監督の『カミハテ商店』を観に行きました。

 

 

 舞台は、山陰の港町・上終(カミハテ)。断崖絶壁の自殺の名所のそばにある古い商店に、自殺願望者が立ち寄ってコッペパンと牛乳を口にし、絶壁から飛び降りる。黙って見送り、靴を持ち帰る商店の女主人(高橋惠子)と、死にたい状況でも死にきれない都会暮らしの弟(寺島進)と、2人を取り巻く人々の関係性が淡々とつづられます。

 

Dsc_0014
 監督が教鞭をとられる京都造形芸術大学映画学科の学生と協働で創った作品ということで、ストーリーに多少の既視感や荒っぽさがあるものの、台詞の説明を最小限にし、【画】で語らせる監督らしさが伝わってきました。

 とりわけカメラと役者の距離感が素晴らしく、ライティングも秀逸。舞台となった港町は、『朝鮮通信使』でロケをした対馬の最北の港町を思い起こさせました。・・・寒村だけど現在進行形の暮らしがちゃんと息づいているという表現、風景のみならず役場の福祉課の職員、バスの運転手、牛乳配達の青年の描写を通して実に的確です。商店の店と自宅の居間を仕切る暖簾が、私の家にもあるニトリで買った暖簾と同じ柄だったし(笑)、観終わった後は少し気持ちが軽くなり、死者の晩餐だったはずのコッペパンが無性に食べたくなります。

 

 

 

 静岡での公開が年明けのようなので、作品についてはこれ以上詳しくは書きませんが、現代人の死生観をテーマにしているだけに、映画の登場人物が、直前に聴講した生き物文化誌学会での、愛する人を花にたとえて身近に置くために野山から庭へ移植させた万葉の人々、植物の病変を美として観賞した江戸の人々の子孫かと思うと、不思議な感慨を受けました。

 

 哀しいまでに美しい断崖絶壁・・・先月まで伊豆のジオパーク構想について取材していて、過去の火山噴火を伝える奇岩、億単位の地球の歴史を物語る地層の事例をいくつも観ていたので、少し複雑な思いもしました。

 生き物文化誌学会の活動趣旨に、次のようなメッセージがあります。

 

 人は人だけでは生きていくことができません。人は、地球上の「生き物」を食し、暮らしのなかでさまざまに利用してきました。直接的な利用だけではありません。植物は酸素を供給し、人の活動で排出される二酸化炭素や有害物質を吸収し、森は水を保ち気温を安定させてくれるなど、人は環境面でも「生き物」から多くの恩恵を受けています。そして、森は動物を養い、動物は植物の受精や種子の散布を助けます。「生き物」はたがいに関わりあい、地球の環境を保っているのです。

 

 また、人と「生き物」は日常生活と結びついた実用面以外にも、神話、伝説、民話などの伝承や、シンボル、文学や芸術などの精神的・表象的な文化に深く関わりをもっています。繭玉(まゆだま)、鯉のぼり、虹蛇、招き猫、犬張り子など、皆様が思いつかれるものも多々あることでしょう。このように、人と「生き物」のつながりはきわめて深く多様です。そこには先人や世界中の民族が長年にわたって築きあげてきた「智」がこめられています。もちろん、それらの智のなかにおける「生き物」間の関わりもまた、地球環境の面から、大きな意義をもっていることは申すまでもありません。

 

 自分が何かの作品で死をテーマに取り上げるとき、人の周りにある生命体とのタテヨコ多様なかかわりを含めよう・・・そんなふうに思えてきました。自然は、言葉を使う人間よりもときに多弁で哲学的です。