杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

近世農書に学ぶSDGs

2017-04-23 20:13:43 | 農業

 私が制作を担当しているJA静岡経済連発行の『S-mail(スマイル)』について、配布先の一つ・浜松市立中央図書館からA4数枚にわたって感想レターが届きました。

 最新56号のみかん特集は「さながら静岡みかんの百科事典のようだ」とお褒めをいただき、図書館利用者のために検索カードを手書きで作成されたとのこと。たとえば、みかんの輸出について調べに来た人には〈分類記号591-31-K「S-mail56号11ページ」〉と書いたカードをもとに該当ページをお見せし、利用者はコピーして持ち帰るというわけです。

 今回のみかん特集では〈みかん2017年〉〈天下糖一〉〈寿太郎みかん〉〈機能性表示食品〉〈みかんの輸出〉の計5枚の検索カードを作られたそうです。どんなキーワードで資料請求されるのか、該当書籍をじっくり読み込んで想定されるキーワードを抽出されたんですね。その5枚の手書きカードのコピーも同封されていました。

 このような検索カードの作成はスマイルの創刊時からずっと続けてこられたそうで、スマイルに限らず、あらゆる郷土資料を対象にされているそうです。官公庁や各種団体・企業等から寄贈される冊子は膨大な数でしょう。情報閲覧コーナーに置かれているのをよく見かけますが、ただポンと置いただけでなく、利用者のためにそのような情報整理に尽力されていることを初めて知って感動しました。と同時に、情報とは集めて発信したら終わり、ではなく、必要とされている人の元へ丁寧に届けてこそ初めて活かされる・・・私が情報の一次的整理屋だとしたら、この図書館スタッフさんのように二次的整理をしてくれる人がいてこそ真に活きるのだ、と実感しました。

 

 情報の発信媒体を制作する“一次的整理屋”の責任はますます重要になるなあと身が引き締まり、自然に、最寄りの静岡市立中央図書館に足が向き、新刊コーナーで見つけたのが『地産地消の歴史地理』。地域の農業情報を発信する上で外せない参考書だ!とピンと来ました。

 著者の有薗正一郎氏は愛知大学文学部教授。地理学をベースに、近世の農耕技術と近世~近代庶民の日常食の研究をライフワークにされている方です。本書は江戸時代に書かれた農書を読み解いたもので、私が禅で学んだ〈知足〉、今のトレンドでいえばSDGs〈Sustainable  Development  Goals=持続可能な開発目標〉につながる先人の教えが凝縮されていました。ここで、図書館スタッフさんのようにキーワードを抽出して二次的整理をしてみますね。

 

◆水田の冬期湛水

 前回に続いて日本史の教科書の話になりますが、現在の教科書では「畿内や西日本一帯では麦を裏作とする二毛作が普及していった」と教えています。春~秋は稲を、晩秋~早春には麦類を作り、水田を有効活用していたということで、摂津国尼崎では三毛作(稲⇒木麦⇒大小麦)まで行っていた記述が、室町時代の朝鮮通信使・宋希璟の老松堂日本行記(1420)から判明。すなわち、限られた水田を二毛作・三毛作で利活用する地域は農業が発達した賢い地域、一毛作=冬期は何も作らず田んぼを湛水状態にしておかざるをえなかった地域は、用水不備で集約化技術も劣った地域と考えられてきました。

 しかし有薗先生は遠江・駿河国の安居院庄七が書いた『報徳作大益細伝記』(1848~53)をはじめ、伊予国『清良記』、三河国『百姓伝記』、岩代国『会津農書』、安芸国『竹原東ノ村田畠諸耕作仕様帖』、常陸国『農業順次』等、全国各地の近世農書をきめ細かく読み込み、ほとんどの農書で水田では裏作を行わず冬期湛水を奨励していたことに言及。一毛作は、明治17年の農商務統計表の田地作付区別で75%、戦後、耕地利用率が最も高かった1950年でも65%を占めていたと報告しています。

 なぜ近世農書の著者たちは水田の一毛作を奨励していたのか。答えはいたってシンプル。米をちゃんと作り続けるためです。水田とはそもそも夏期に稲を作付して米を作る場所。来春の灌漑水を確保し、水田の地力を維持して一定量の米を収穫するため冬期湛水が必要で、低湿地の生態系にも適応しています。

 不耕起自然農法で知られる岩澤信夫氏は『究極の田んぼー耕さず肥料も農薬も使わない農業』(日本経済新聞社)の中で、冬期湛水の効用について「大量に増殖するイトミミズなどが土壌を肥やす」「厚い軟泥層ができて太陽光が水面下の土層に届きにくくなり、雑草の発芽が抑えられる」「水中の微生物が有害物質を体内に取り込み、水質を浄化する」「湛水した田は赤とんぼの卵が冬を越し、各種のカエルが卵を産む。人間から見て害虫と天敵との数の均衡がとれている場所」と記しています。稲の一毛作と冬期湛水を奨励した江戸時代の農業指導者たちも同じ環境観を持ち、その効用を体得していたんですね。

 ただし、いずれの農書も畑では多毛作を奨励しています。冬の作物を作付した畑では、必ず夏作物と組み合わせる。それは夏に高温多湿となる日本列島で、畑に雑草を繁茂させない知恵でもありました。

 

◆農民も米をしっかり食べていた

 近世は日本国民の9割が農民です。農民は、米を作りながらも自らは麦・粟・稗といった雑穀しか食べられない貧しい生活を想像しがちですが、有薗先生の調査によると、結構しっかり米を食べていたそう。ただし今の食糧庁のように全国規模で統計調査ができる組織のない時代の話で、日常食はその土地で主に収穫できるものを地産地消していました。

 多くの地域で米と麦を混ぜた麦飯が主流だったようですが、米の割合が高い地域と、麦の割合が高い地域、それ以外の主食もある地域(薩摩藩のサツマイモなど)に大別できるそう。明治以降は人口増加に対応して米の生産量も増え、明治10~11年頃(1877~78)には年平均で米が約2600万石、麦が560万石で、20世紀前半まで米8対麦2ぐらいの割合でした。農民が麦を全量消費していたと仮定すると、農民が食べていたのは米2対麦1ぐらいの麦飯だった、ということです。

 ちなみにわが駿河国は米が62%・麦が38%。米の割合が全国で唯一、ヒト桁だったのは、長崎対馬の米5対麦95でした。朝鮮通信使外交の仲介役だった対馬が、大陸との貿易に必死に活路を求めていたことが、こういう数字からも理解できます。

 

◆外国人が見た庶民の日常食

 有薗先生は16~20世紀前半に来日した外国人が記録した日本庶民の食生活について考察しています。調査した訪日外国人30人の記述の大半で「日本庶民の主食は米である」と明言しており、上記の記述を裏付けしています。スペイン人ドン・ロドリゴの1609年の記録では上総国夷隅郡岩和田村の住民の常食は「米および大根茄子等の野菜と稀には魚類なり」とあります。ロドリゴは、例の徳川家康公がスペイン国王から洋時計を贈られたきっかけの、千葉御宿沖で座礁したスペイン帆船提督。岩和田村というのは御宿のこと。予期せぬ来日だったでしょうが、当時の日本庶民の暮らしぶりを貴重な証言として残してくれていたんですね。

 1775年に来日したスウェーデン人トウンベリは「米は真っ白でおいしい。日本人にとって、それは我々のパンに当たるものであり、炊いて他のすべての食物と一緒に食べる。一般大衆は魚や葱を入れて煮た味噌汁を、食事のたびに食べる」と記録。1811年来日のロシア人ゴローニンは「米は日本人にとって必要欠くべからざる穀物である、日本は君主から下は乞食に至るまでみんな米を食べている。また米から火酒の一種を蒸留し、またサキと称する弱い飲料を作っている」。1860年来日のドイツ人マーロンは「極貧の家庭の食卓でも、毎日、魚、米、豆、大根などがのぼる。金持ちの食卓もほぼ同じである。生活必需品が豊富でべらぼうに安いから、皆腹いっぱい食べられる」。

 1878年に来日したイギリス人バードは「労働者の一日当たりの米の平均消費量は2ポンド(約900グラム=約6合=ご飯茶碗12杯分)」と記しています。びっくりの量ですが、外国人が撮った当時の日本人の写真や素描を見るとメタボな体形は皆無。ご飯12杯分のエネルギーを消費する生活だったんですね。

 

◆外国人が見た日本人の飲酒と喫煙

 私が一番反応したのは、1597年に来日したイタリア人カルレッティのこの記述です。

「この国には酒も豊富にある。それは米から造られる。あらかじめ火にかけて生温かいというよりも少し熱くして飲んだり他人にすすめたりする」「酒は米から造られる。それは蒸気で蒸され、純粋の灰が混入され、黴が生じるまでそのままに寝かせておく。これには長い時間はかからない。同じ方法で灰も加えないし黴も生じていない煮(た)いた米をそれに加える。これらすべてが樽の中で水と混ぜられ、それは2~3日中に発酵する。それからそれは漉し布で濾されるのである」「人々は夏であろうと冬であろうと、酒を常に温めて飲む。その時に彼らは酒をちびりちびりと楽しみ、しばしば酔っぱらう」。

 ドイツ人ケンペルが1691年に書いた『日本誌ー日本の歴史と紀行』には「休み茶屋では茶のほかに酒はいつでもいくらでも飲むことができる。日本人たちは食後に酒を飲みながら歌ったり、碁や将棋をしたり、またはなぞなぞ合わせをしたりして打ち興じ、負けた者は罰として一杯飲まされる」とあり、1860年に来日したイギリス人フォーチュンは「江戸中は日没以降は酔っ払いの天下。長崎でオランダ医師のポンペ博士からも毎晩9時ごろまで、成人の半分は多かれ少なかれ酒を飲んでいると聞かされた」と記述。

 1889年に来日したドイツ人ムンチンガーの記述には「食事の間お酒も飲むが、これは米から造るアルコール飲料でシェリー酒のようなシャープな味がする。食後タバコを吸うが、これは男も女も若い娘も年取ったお婆さんも、である」とあります。喫煙はイギリス人オールコックやデンマーク人スエンソンも「日本ではほとんどの男女が喫煙する」「子どもも煙管で煙草を吸う」と記述しています。ちょっとびっくり!

 

 

 有薗先生は巻末に「外国人たちが見た日本庶民は、米を主食材にし、男女を問わず酒を飲み、仕事の合間に喫煙を楽しんでいた。19世紀中葉、日本の地を初めて踏んだ欧米人が最初に抱いたのは、他の点はどうであろうと、この国民はたしかに満足しており幸福であるという印象だった」とまとめています。 

 教科書で学ぶ近世といえば「鎖国」「飢饉」「百姓一揆」等々、社会不安をあおるキーワードが浮かびがちですが、この本を通読すると、近世の日本人は水田を多毛作で疲弊させず、生態系を循環させ、土壌保全に努めた結果、米を自らも腹一杯食べられる分、さらに酒造に回せる分までしっかり作っていたことがわかります。

 世界が戦争や革命に明け暮れていた17~19世紀、日本がかくも平和で安定していた最大の理由は、農業のSDGsを実践できていたことに尽きるでしょう。それを可能にしたのは、島国の安全保障上、一定の入国制限を行って平和を担保したから、とも言えますが、鎖国という表現はいかにも大げさですね、上記のレポートを見る限り、ヨーロッパの様々な国々から知識人が訪日していたわけで、私たちはこの国の社会の歩みを今一度、正しく見つめ直す必要があるのでは、と痛感します。

 

 こういう本に出合うと、農業の歴史についてもっと詳しく調べ、先人の環境観を今に活かす、そんな情報発信ができたら、と願わずにはいられません。・・・ああ、美味しい炊き立てご飯が食べたくなった!!

 

 

 


S-mail56号「静岡みかん」特集発行

2017-02-25 10:01:44 | 農業

 JA静岡経済連発行の情報誌『S-mail〈スマイル)』56号が発行されました。今回の特集は静岡みかん。青島みかんの出荷ピーク時(12月中旬~1月上旬)を避け、前もっての取材でしたが、この冊子は校正にじっくり時間をかけて作っているため、ピークが過ぎてしまった2月末の発行となってしまいました。

 旬のある農産物の取材って難しいですね、その年の気候や流通事情によって環境が変わるため、前年に前倒しで取材しておけばよいというものでもない。タイムラグがほとんどないネット情報に比べてスピード感に劣るのは確かですが、それでも今現在の産地の偽りのない姿を正しく記録し、消費者に丁寧に伝えていく・・・紙媒体の情報誌のあるべき使命を、この冊子作りからいつも学ばせてもらい、ライターの矜持としています。

 

 今回のみかん特集では、みかんが生鮮食品としては初めて消費者庁から機能性食品表示許可を得たことをクローズアップしました。ここでは、表示許可のエビデンスを提供した興津の国立農業・食品産業技術総合研究機構の杉浦実先生の解説コーナーを紹介しましょう。先生にはお忙しい中、校正のお手間をおかけしました。ありがとうございました。



「機能性表示食品」みかんで健康長寿を!

~解明されたβ―クリプトキサンチン効果

 

平成27年9月、三ケ日みかんが生鮮物では初めて機能性表示食品として消費者庁に登録(受付番号A79)され、同年秋から段ボール等の包装資材に「本品にはβ-クリプトキサンチンが含まれています。β-クリプトキサンチンは骨代謝の働きを助けることにより骨の健康に役立つことが報告されています」と表記して販売スタートしました。翌28年にはJAとぴあ浜松でも機能性表示が始まり、その動きは県下全域へと広がっています。今回は長年にわたってみかんの栄養疫学研究を手掛け、機能性表示認証に貢献された杉浦実先生に、注目の機能性成分β—クリプトキサンチンの働きについて解説していただきました。

 

(解説)国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構

果樹茶業研究部門 カンキツ研究領域

カンキツ流通利用・機能性ユニット長

杉浦 実氏

 

 

骨を丈夫にする効果

 皆さんはみかんをたくさん食べると指先やてのひらが黄色くなるという経験、ありませんか? みかんに含まれるβ—クリプトキサンチンというカロテノイド成分の仕業です。オレンジ、パパイヤ、赤ピーマン、カキ、モモ、ウメ等にも含まれていますが、温州みかんが突出して多く含まれています。

 近年、欧米を中心とした栄養疫学研究では、果実・野菜が健康な骨の維持・形成に重要な役割を果たしていることが判明しています。当研究ユニットでは浜松市北区三ヶ日町の住民を対象にした栄養疫学調査を平成15年度から行ってきました。骨密度調査についても平成17年度から開始し、みかんが骨粗しょう症の予防に有効かについての検討を行っています。

 調査は三ヶ日町の住民健診受診者のうち協力の同意をいただいた住民676名(男性222名、女性454名)に、①空腹時採血による血中カロテノイド値の測定、②非利き腕における骨密度測定および自記式問診票調査を行いました。その結果、特に閉経女性で、血中β-クリプトキサンチンレベルが高いほど骨密度が高い傾向が認められました。

 さらに骨粗しょう症を有さない閉経女性を対象にした4年後の追跡調査では、血中のβ-クリプトキサンチン濃度について、低いグループから、高いグループまでの3グループに分け、各グループでの骨粗しょう症の発症率を解析したところ、血中のβ-クリプトキサンチンが高濃度のグループにおける骨粗しょう症の発症リスクは、低濃度のグループを1.0とした場合0.08となり、統計的に有意に低い結果が得られました。

 

三ヶ日町研究の追跡調査で判明したさらなる効能

 β-クリプトキサンチンが病気の発症リスクを抑制することを明らかにするため、協力者の健康状態の変化を毎年調べる追跡調査を10年間行い、新たな知見を得ました。

 

◎2型糖尿病の発症リスクが有意に低い

糖尿病を有さない人を対象に追跡調査をしたところ、血中β-クリプトキサンチン濃度が高かった人では低かった人達に比べて2型糖尿病の発症リスクが約57%低くなることが解りました。果物は糖尿病にはよくないと思われがちですが大半が水分です。β-クリプトキサンチンの豊富なみかんを積極的に食べることで糖尿病の予防に繋がるかも知れない大変貴重な知見です。

 

◎肝機能異常症の発症リスクが有意に低い

肝機能が正常な被験者を対象に追跡調査を行ったところ、血中β-クリプトキサンチンレベルが高い人は肝機能異常症(血中高ALT値が30‐U/L以上)の発症リスクが約49%低下することが判明しました。

 

◎脂質代謝異常症の発症リスクが有意に低い

脂質代謝異常症を有さない人を対象に追跡調査を行ったところ、血中β-クリプトキサンチンレベルが高かった人は、脂質代謝異常症(高中性脂肪血症)の発症リスクが約33%低下することが判明しました。

 

◎動脈硬化症の発症リスクが有意に低い

動脈硬化症状を有さない人を対象に追跡調査をしたところ、血中β-クリプトキサンチンレベルが高かった人では、動脈硬化の発症リスクが約45%低下することが判明しました。

 

 

甘いみかんほど含有量が高く、体内で貯金できる

 このようにβ—クリプトキサンチンには生活習慣病全般の予防効果が期待できることが判りましたが、一日どのくらい摂取したらよいのでしょうか。

 我々の研究結果では一日当たり3ミリグラム=温州みかんMサイズで3個分を摂取している人でさまざまな病気のリスクが低下していることがわかっています。

 みかん中のβ-クリプトキサンチンは、みかんの糖度が高ければ高いほど多く含まれます。JAの選果場では光センサー選果機によって糖度選別が行われるため、これはβ-クリプトキサンチン含有量を間接的に全数検査していることにもなります。光センサー選果機が導入されていない産地でも、一定量のサンプリング試験を行えば機能性表示食品としての申請は十分に可能と考えられます。またβ—クリプトキサンチンは8℃付近で貯蔵すると増えることもわかりました。

 一般に「糖度の高い果物は太る」という思い込みをされがちですが、みかんMサイズの可食部のカロリーは35~40キロカロリー程度。一日3個食べたとしてもご飯茶碗1杯(約280キロカロリー)に比べたらはるかに低カロリーです。

 β—クリプトキサンチンは脂溶性のカロテノイドであるため、肝臓など大型臓器に貯まりやすいという性質があります。つまり冬場のシーズンにみかんを食べ貯めておくと、年間を通してその効能が期待できるのです。

 みかんが日本人の健康長寿にとっていかに大事な果物であるかを、今回の表示制度をきっかけに認識を深めていただき、産地がより一層元気になることを期待したいと思います。

 

 

 

 JR興津駅の北側にある国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹茶業研究部門(すごい長い名前!)は、 明治35年(1902)、国の農事試験場園芸部として創設しました。創設記念に植樹されたスズカケの並木は日本で最初に植えられたプラタナス並木で、全国の同種の街路樹はすべてここから枝分かれしたものだそう。東大のイチョウ、北大のポプラと並んで日本3大並木に数えられるのです。また明治45年にはアメリカに桜の苗木3000本を寄贈し、ワシントン市ポトマック湖畔の桜として有名になりました。すごい研究所だったんですね!!

 

 

 

 S-mailは県内主要JA支店、産直マーケット等で配布しています。また経済連のHP(こちら)ではバックナンバーが電子書籍化されていますので、ぜひお目通しください。


JA静岡経済連情報誌『スマイル』わさび特集発行

2016-09-19 22:07:42 | 農業

 長く取材編集を担当させてもらっているJA静岡経済連の食の情報誌『S-mail〈スマイル)』の最新号が完成しました。発行部数と配布先が限定されているため、世の中に氾濫する食情報に埋もれ、一般の認知度は高くない媒体とは思いますが、時間をかけ、丁寧に丁寧に作らせてもらっています。お近くのJA窓口、またはファーマーズマーケット等で入手できると思いますので、機会がありましたらぜひお手に取ってご覧ください。ご希望の方は私から送らせていただきますのでメールでご連絡くださいね!

*鈴木真弓のメールアドレス mayusuzu1011@gmail.com

 

 

 今回のテーマはわさび。ここでは最新号巻頭でご登場いただいた、静岡県産わさびを愛用する東京大森海岸の老舗寿司店のイケメン!オーナーをご紹介します。

 

 

上質を究めて選んだ静岡わさび

大森海岸 松乃鮨(東京都品川区南大井)

 

わさびは英語名も「WASABI」と表される世界に誇る日本特産の香辛料。そして静岡県が産出額第1位。清涼で豊富な水源を持つ静岡ならではの特産野菜です。

すしや刺身など生魚を食べる時には臭み消しになり、コクのある煮物には爽快な辛味がアクセントに。そんな日本料理に欠かせないわさびの魅力と、産地静岡にかける期待を、創業100年を超える本場江戸前鮨の名店オーナーにうかがいました。

 

 

 品川を起点に東京と神奈川を結ぶ京浜急行「大森海岸駅」。現在、線路と並行して第一京浜国道が走る駅周辺は、戦前まで海苔の養殖がさかんで、昭和初期には大森海岸芸妓組合が設立されるなど、東京有数の花街として発展しました。戦後は周辺の海岸埋め立てが進み、広大な敷地を誇っていた料亭の跡地にビルや高層マンションが林立するなど駅周辺は様変わりしましたが、旧料亭の家屋がところどころ点在し、花街の名残を今に伝えています。

 明治34年に創業した松乃鮨は、大森海岸の華やかなりし時代の香りを残す数少ない名店。今も月に数回、お座敷に芸者が入り、本場江戸前すしとお座敷芸の伝統を代々継承しています。

 

 4代目を継いだ手塚良則さんは、家業を継ぐ前、海外でツアーガイドの仕事に従事し、ワインソムリエの資格も持つ寿司職人。大学で留学生を対象に英語でSUSHIを講義したり、国際交流イベントで握りのデモンストレーションを披露するなど、ニッポン文化の伝道師として幅広く活躍中です。

 

 ◇

 松乃鮨では週に3~4㎏と、個店ではかなりの量の生わさびを築地から仕入れています。「海外からのゲストのほとんどは、新鮮な生わさびを見たことがないため、寿司を握る前に鮫皮を使って目の前でわさびをすりおろし、試食してもらう。わさびの茎側と根先では色、味、辛みが異なるので、一様に驚かれます」と手塚さん。

 使用するわさびは御殿場産と中伊豆産。手塚さんは実際に圃場を訪ね、生産者の栽培にかける思いを直に聞き取り、その時の感動を海外ゲストや年配常連客にも熱く伝えるそうです。「富士山の湧水が育てたと言えば外国のお客様はとても感激される。食の経験豊かなお客様に喜んでいただけるのは、目の前の食材の素性や作り手の苦労話。あまり知られていないわさび産地の情報は会話を大いに弾ませてくれます」。

 

 寿司ネタ選びに厳しい眼を持つのは当然ながら、寿司店の板場に立つ者の矜持として「シャリ・海苔・わさびに手を抜かない」と明言する手塚さん。

「わさびにこだわって価格に添加することはできない。だからこそ、どれだけ良質なわさびを使っているかで店主の姿勢がわかる」とされ、「この店はいいわさびを使っている」という評価が励みになる・・・静岡わさびは寿司職人手塚さんの自信や心意気を象徴し、ニッポン文化の伝道師としての使命を確認する頼もしい存在になっているようです。

 

 

■大森海岸 松乃鮨

東京都品川区南大井3‐31‐14 TEL 03-3761-5622    サイトはこちら

営業時間 11時30分~13時30分、 16時30分~22時

日祝休

席数/カウンター12、離れ座敷4~6、2階座敷6~24

 

 

☆四代目・ソムリエ 手塚良則さん

明治34年創業の松乃鮨4代目として10代の頃から板場に馴染み、大学卒業後はプロスキーヤーとして海外移住し、スキーツアーガイドやワインソムリエとして活躍したという異色キャリアの持ち主。家業に戻った後、3代目の父と共に板場を切り盛りする傍ら、大学で留学生対象に英語でレクチャーし、ミラノ万博やイタリアスローフード世界大会等では実演披露するなど、国内外で鮨文化の普及振興に尽力する。

 


寒い時期こそ味がのる!静岡県の冬野菜

2016-02-20 17:08:37 | 農業

 年2回発行のJA静岡経済連情報誌『S-mail(スマイル)』の最新号・静岡県の冬野菜特集が出来上がりました。

 今回は富士のカリフラワー、牧之原のブロッコリー、小笠中遠のメキャベツ、浜松のターサイをピックアップ。毎回、静岡県産食材を扱う料理店さんを紹介するページがあるんですが、今回は菊川市の西欧料理サヴァカを取材させていただきました。オーナーシェフ山口祐之(まさゆき)さんは、ふじのくに食の都仕事人としてさまざまなイベント等でもご活躍ですね。お父様が元NHKアナウンサーでSBSラジオパーソナリティとしても活躍された山口弘三さん。NHK時代に「明るい農村」を担当されていたことから、食に対する造詣が高く、息子の祐之さんも食への興味を深め、料理人の世界に入られたそうです。

 今回の表紙は、山口さんが特別に用意してくださった「メキャベツのスフレポタージュ」「ブロッコリーとカリフラワーのジュレ」「ターサイと牛タンのソテー」。メキャベツは寒い時期に甘さがグ~ンとのることから、自然の甘みを生かして豆乳仕立てのやさしいポタージュスープに。カリフラワーは鮮度の良い時期に多めに仕入れてピューレ状態にし、冷凍保存しておくそう。ターサイは濃い塩分でサッと茹でて、薄めの塩水の氷水に浸すと完璧な下ごしらえになるそうです。サヴァカに食事に行かれた際は、シェフにいろいろ教えてもらってくださいね!

 西欧料理サヴァカのHPはこちら

 

 ここではJA静岡経済連の販売情報センター考査役・齊藤公彦さんの冬野菜解説をご紹介します。なぜ静岡県が冬野菜のメッカになったのかを分かりやすく解説していただきました。なおスマイルは県内の主要JA窓口、JA直営ファーマーズマーケット等で無料配布しています。

 

長い歴史、高い栽培技術に支えられた静岡県の冬野菜

静岡県では温暖な気候と変化にとんだ自然環境を利用して、数多くの農作物が生産されています。産地が限定される秋~冬の寒冷時期にも、日照時間の長さや適度な潮風、降雪リスクの少なさ等、静岡県ならではの環境の強みが活かされ、全国の市場へ安定供給されています。静岡県の冬野菜の強みや特徴について、JA静岡経済連のマイスターに解説してもらいました。

解説/JA静岡経済連 販売情報センター考査役 齊藤公彦さん (聞き書き・写真/鈴木真弓)

 

 

寒くなるとサラダが美味しくなる

 冬野菜と聞くと、みなさんはどんな野菜を思い浮かべますか?

 鍋料理や煮物料理に使う白菜、大根、芋類を上げる人も多いと思いますが、静岡県で秋~冬の季節に栽培される野菜で最も多く出荷されるのはレタス。10月から翌5月にかけての出荷で30億円を売り上げる代表品目です。レタスの仲間であるサニーレタス、グリーンリーフ、ロメインレタスといった新品種も外食や中食用に需要が伸びています。第2位はセルリー。収穫時期は11月から翌5月で、この期間に約50万ケースを出荷しています。

 この代表2品目に数量では及ばないまでも、最近とくに注目されているのが、本誌の特集にもなったカリフラワー、ブロッコリー、メキャベツ。ふつうのキャベツや甘い新品種キャンディキャベツ、レッドキャベツのような変り種もこの季節に人気を集めます。

 

 年明け早々、日本で最も早く収穫される新たまねぎや、サラダオニオンと称される白たまねぎ、大根、にんじん、さとうえんどうといった品目も冬~春に旬を迎えます。中国野菜のターサイやチンゲンサイは一年中ハウス栽培されていますが、冬に味がのるといわれます。

 静岡県の秋~冬は洋菜(西洋野菜)を中心に、地元産の美味しくて彩り豊かな野菜料理が楽しめる、と知っていただきたいところです。

 

静岡野菜・産地化の歩み

 静岡の洋菜は県下の先進的な考えを持ったごく一部の生産者が栽培していたのがはじまりです。戦後、アメリカ軍が日本に駐留した時代、米軍の需要を見越し、レタスやセルリーをさかんに作るようになりました。米軍兵士の胃袋を満たすための需要が、日本人の食の西欧化に伴って爆発的に増え、高度経済成長とともに一大産地へと変貌したのです。東名高速道路がいち早く開通し、首都圏、中京圏、関西圏の大きな市場に出荷しやすい体制が確立したという利点もありました。

 静岡県はまた冬場でも日照時間が長く、雪が降らず、氷点下になる日が少ないというメリットがあります。他の野菜産地が低温で収量が確保しにくい時期にも安定的に出荷できる。また大市場に距離的にも近く、収穫後、タイムラグがなく需要にきめ細かく対応できることが、市場の信用や価格安定につながっています。鮮度を保つため、収穫後すぐに真空予冷装置を使って余分な水分を取り除たり、急速に冷やして品質を保持するよう、鮮度保持に努めています。

 

ハイレベルの生産者

 長い歴史がある静岡県の野菜づくり。産地には規模の大小に関わらず品質にこだわり、新品種へ積極果敢に挑戦する職人タイプの生産者がたくさんいます。北海道や長野県といった競合他地域に比べて栽培面積が少ないため、同じ畑で複数の品目を輪作するケースも多く、その分、土づくりに対する思いや気配りが深いといわれます。

 競合産地との差別化を意識し、収穫した野菜の「見た目」「鮮度」「包装」にも細部にこだわり、“農芸品(農業芸術作品)”と称されるクオリティを目指しているのも、静岡野菜の特徴です。最近では消費ニーズに応えてミニサイズの品目もさかんに作られています。野菜売り場に並ぶ静岡生まれのユニーク野菜にぜひ注目してください。

 

■問合せ/JA静岡経済連 みかん園芸部販売情報センター TEL 054-284-9732


ゆとり庵の炊きたてご飯モーニング!

2016-01-22 16:17:13 | 農業

 1月17日(日)~18日(月)、藤枝市主催の【藤枝の地酒蔵元と語る!吟醸旅籠2016】というイベントに参加しました。首都圏在住者を対象にしたシティプロモーション事業の一環で、私が以前お手伝いした県の地酒プレスツアー(こちらこちら)の一般版、という感じなのかな(実際参加されたのはIT関係者やブロガーさんが多かったみたいですが)、今回のサポーターである藤枝市場の渡部晋さん&ときわストア後藤英和さんから、冷やかしに来てと誘われて、17日夜の岡部宿大旅籠柏屋でのお泊り宴会から参加させてもらいました。今は国の登録文化財である柏屋に泊まれるなんて滅多にない機会だし、モーニングはゆとり庵の炊きたてご飯だと聞いて馳せ参じたのでした。

 

 柏屋での交流会では、講談師の田辺一邑さんが新作書下ろしの『家康の最期』を披露され、「初亀」「杉錦」「志太泉」の蔵元が地酒の紹介を、焼津酒米研究会の榊原会長と松下明弘さんが酒米の紹介をし、なんやかんやで午前2時ぐらいまでワイワイ飲み明かしました。私が寝たのは、柏屋のちょうど入口の受付がある土間だったので、目の前の街道は障子と雨戸1枚隔てただけ。折からの風雨で夜通しガタガタ揺れ、熟睡は出来ませんでしたが、現存する数少ない江戸時代の街道旅籠ですから、江戸の旅人気分を疑似体験したようなもの。障子一枚でも閉めれば暖かいんだなあと再発見できました。イベントの様子は参加ブロガーさんがUPしていますので、こちらをどうぞ。

 

 私が一番楽しみにしていたのは、モーニングのゆとり庵さんでした。昨年制作したJA静岡経済連情報誌【スマイル】のお米特集で、初めてじっくり取材させてもらい、もともと好きだった白いご飯がますます好きになり、地酒本【杯が満ちるまで】にもその思いを投入できたきっかけのお店。久しぶりにお会いした店主植田さんに「県外からもスマイルを読んだというお客さんが来てくれましたよ」と喜んでいただき、ホッとしました。

 この朝いただいたのは、磐田産きぬむすめ。2~3時間しか寝てなくて酒も完全に抜けていないというのに、朝からガッツリ2杯お代わりできました。お土産にいただいたきぬむすめのおにぎりを、夕飯に食べたときも、「美味しいお米は冷めても美味しいなあ」としみじみ。スマイルでとくに力を入れて取材した「きぬむすめ」や「にこまる」をふだんも食べているのですが、「日本に、美味しくない米なんて存在しない。どんなふうに食べてもらうか、きちんと考えればいいだけのこと」とおっしゃった植田さんの言葉が身に沁みました。日本酒もそうですね。今の日本に、美味しくない酒なんて存在しない。どんなふうに飲んでもらえばいいのかを考えればいいんだ、と。美味しい米や美味しい酒が日常的に口に出来るようになったのは、ごく最近のことで、思うように米を栽培できない歴史があって、先人たちの苦心の賜物の末、ふつうに食べられるようになったんだ・・・そんな感謝の思いを忘れないためにも、障子一枚で雨露をしのげる旅籠宿泊体験は意味があったと自分に言い聞かせました。

 

 スマイルの表紙にもなった「ゆとり庵」さんの紹介記事を再掲しますので、ぜひご笑覧ください。

 

 

「心にしみるごはんの味」を炊き上げる

釜炊きごはん工房 ゆとり庵(藤枝市岡部町岡部)

 

旧東海道岡部宿の面影を今に伝える大旅籠柏屋のそばにある『釜炊きごはん工房ゆとり庵』。店主の植田稔雄さんは「ふじのくに食の都仕事人」としても知られるごはん炊き職人です。植田さんが丹精込めて土釜で炊き上げたごはんからは、産地や銘柄の“顔”が見えてくると評判です。

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 ゆとり庵の看板メニューはずばり「ごはん」。暖簾をくぐると、店頭のショーケースには、おにぎりやいなりずしがズラリ。その上のお品書きには、ごはんの品種と産地が、居酒屋メニューのように紹介されています。ショーケースの横には店で使用する萬古焼きの土釜が飾られ、奥には個室が2つあって、予約客には目の前でごはん炊きを披露し、炊きたてごはん御膳をふるまいます。常時10~12の品種から、お好みの、あるいは植田さんお勧めの品種をオーダー。あつあつ、ふっくら、おこげも頼める釜炊きごはんは、まさに「おかず要らず」の逸品です。

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 2002年の開店時、「ごはんだけでよく勝負できるな」と周囲の料理人から驚かれたという植田さんは、山口県下関出身で、鉄道会社に30年勤務した異色のキャリアの持ち主。サラリーマン時代の愉しみは、出張先で郷土料理を味わうこと。「美味しい料理は数あれど、美味しいごはんに出合えない」のが不満だったそうです。「料理人の世界では、ごはん炊きは皿洗いのひとつ上ぐらいの下っ端仕事のようだが、ごはん炊きは、味付けで誤魔化せない高度な職人仕事ではないか」と思い続けてきました。

 三重県四日市市で営業所開設業務を担当していたとき、萬古焼きの土釜に出合い、自分で炊いてみたところ、試行錯誤の上、理想の釜炊きごはんに近づくことができた。それは「どんな高級炊飯器でも出せない味だった」と植田さん。この感動が原動力となって、約3年後、独立開業しました。「街中よりも田舎がいい。でも多くの人にごはんの美味しさを伝えるなら、田舎すぎないところがベター」と考え、出合った岡部の物件は、たまたま仕事で地縁があった土地に、昭和2年頃、建てられたという古民家。「親戚の家でくつろぐような気持ちになれる」と、店名も『ゆとり庵』にすんなり決まりました。

 プロの料理人が敬遠してきたとおり、ごはんを炊くという作業はシンプルゆえにごまかしが効かない奥の深い職人技。開店13年目の今も、植田さんは「満足できるのは年に数回しかない」と謙虚。「日本に、美味しくない米など存在しない。どういうふうに食べてもらうか、コツをきちんと考えればよいだけのこと」と県内~全国から厳選する米と向き合う日々です。

 ごはんは日本の主食。といっても日本人が生涯で食べる米の品種はごく限られますが、ここでは数種類の品種をすべて同一価格で味わうことができます。価格等の先入観を持たずに味わえば、本当に自分の口に合う米と出合えるはず。名人の手ほどきで、ごはんというシンプルな味の懐かしく新鮮な発見を愉しんでみましょう。

  

 

(料理紹介)

ゆとり庵では毎日、【日替わり食べくらべ3種】のごはんを塩むすびで販売。ごはん炊きに約1時間の浸漬時間を要するため、食事は要予約。土釜をテーブルの上に設置し、目の前で炊き上げてくれます。白米ごはん炊き御膳、たけのこごはん炊き御膳、金目鯛ごはん炊き御膳等、メニューはさまざま。白米ごはん炊き1620円~。

 

(店主紹介)

「おにぎりの味なんて皆一緒だろう?」と言いながら食べてびっくりした壮年男性。食事がとれず衰弱する一方だったおばあちゃんが亡くなる直前「ゆとり庵のおにぎりを食べたい」と言って完食し、今はご家族が墓前にお供えしているご近所さん。「子どもにこの味を覚えさせたい」という若いお母さん。そんなファンに囲まれ、植田さんは「心にしみるごはんの味」を伝えたい、と真摯に語ります。

 

■釜炊きごはん工房ゆとり庵

藤枝市岡部町岡部839-1 TEL 054-667-2827

営業時間 9時~14時 火曜定休  *食事は要予約。夜の予約可。

                <JA静岡経済連情報誌スマイル53号 静岡のお米特集(2015年6月発行)より>