富士山の世界文化遺産登録がほぼ決定となりました。長年、世界遺産登録への過程を取材してきた身としては、ホッとしたというのが正直な気持ちです。
今まで富士山が日本代表の世界遺産じゃなかったというのが不思議、という日本人も多いと思いますが、今まで時間がかかったのは、西欧が作った規格や条件に合わせるための“登録申請書づくり&プレゼンテーション”に要した時間、ともいえるかもしれません。
自分たちの固有の文化や価値観を海外の異文化の人々に、いかにツボを押えて伝えるか・・・海外生活の経験のある人には、ひとつやふたつ、苦労話があろうかと思います。これを、ユネスコを舞台に繰り広げてきた、壮大な異文化圏同士のかけひき、なんですね。
と同時に、オリンピック招致問題でもそうですが、未だに、なんでもかんでも、西欧が作ったグローバル基準に合わせなければならない現実を痛感します。日本は、基準に合わせるばかりでなく、基準を作る側にならなければ、真の先進国とは言えないのでは、とも思います。文化とか思想といったジャンルは、東洋の価値観をもっと大事にして、これを世界基準にしていくぐらいのイニシアティブを取って欲しいと思うのですが、中国や朝鮮半島とゴチャゴチャしているうちは無理でしょうか。
今朝のネットのニュースでは、奈良国立博物館と九州国立博物館が企画した「百済展」が、韓国では(展示物が返ってこなくなる恐れがあるとかで)開催取りやめになったと伝えていました。残念極まりません・・・。
それはさておき、GW前の4月20日(土)、中日新聞朝刊広告特集で富士山周辺の観光レポートを書きました。この取材で、4月初旬、初めて訪ねたのが、富士山資料館(裾野市須山)。市営のコンパクトな博物館ですが、4年前にリニューアルしてとてもきれいで観易く、宝永の噴火に関する史料も揃っていました。
撮影はNGでしたが、専門絵師が描いた緻密な古地図(複製)や、須山村の土屋伊太夫が書き残した『富士山宝永の噴火事情書』(実物)は、大地震が数日間続いた後、大噴火を起こし、「茶釜や大きな天目茶碗ほどの大きさの火石が飛んできた」「5尺(1.5m)の砂が積もった」等など、人々が驚愕する姿をリアルに伝えています。ちょうど取材した日に現代語の読み下し文パネルが完成したと、館長さんが丁寧に説明してくれました。
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展示物で印象的だったのが郷土館の民俗資料。よくある昔の農機具や懐かしい民具の展示ながら、きちんと保全されていて解説もていねいで、すぐにでも使ってみたくなるようなモノばかりでした。こういう展示物にハマるなんて、年齢を食った証拠かな(苦笑)。
静岡県では富士山をテーマにした一大ミュージアムを作る計画があるみたいですが、こういう、小粒ながらキラリと光る既存の資料館・博物館を各地で充実させて、巡回できるようなしかけを考えてもいいような気がします。
富士山資料館、須山の陸上自衛隊演習場に隣接し、時折、地響きを起こすような砲弾の音にビックリさせられますが、機会があったらぜひ一度訪ねてみてください!