杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

白隠フォーラムin沼津 2014(その1)~白隠さんの地獄絵

2014-11-21 11:28:00 | 白隠禅師

 再三ご案内したとおり、11月9日(日)12時30分から、沼津駅北口プラザヴェルデで【白隠フォーラムin沼津2014(主催/花園大学国際禅学研究所、後援/沼津市)】が開かれました。

 400名定員の会場がすぐに満席となり、サブ会場(モニター聴講)まで設置、トータル700名近い聴衆が集まったビッグフォーラム。一般市民を対象にした歴史講座でこれほどの人が集まるというと、静岡市で開催中の徳川みらい学会ぐらいでしょうか、来年が家康公の400年忌、平成29年が白隠さんの250年忌というタイミングも相まって、歴史学や宗教学のトップランナーが静岡に集結し、県民に貴重な学習の機会を与えてくれる。大変ありがたいことです。この日プラザヴェルデに集まった聴衆の中には、県内で活躍する歴史家・芸術家等、私でも知っている著名人を数多く見かけました。

 

 4時間にわたる密度の濃いフォーラム。3名の講師がそれぞれの得意分野をテーマに講演されました。

 最初に登壇されたフランソワ・ラショー氏(フランス国立極東学院教授)は、フランスにおける日本文化研究の第一人者のお一人。現在、京都大学人文科学研究所でも研究活動をされています。老獪な学者さんを想像していたら、意外にもお若い方で、ご自分の体型を“布袋ルック”と自虐的に紹介されるノリのいい方でした。

 ラショー氏が取り上げたのは、白隠さんの書『南無地獄大菩薩』。2年前の渋谷Bunkamura白隠展で初めて観た時、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経ではなく、なんで地獄の大菩薩?と、まずは言葉の意味に首をひねり、晩年の作というのに小学生のお習字みたいに紙一杯に整列した野太い文字にゾクっときました。でもこのときは、地獄の恐ろしさに対抗するために力をググッと込めて書かれたんだと勝手に解釈していました。

 

 東海道「原」宿の問屋業・長澤家に生まれた岩次郎(白隠の幼名)は8~9歳の頃、母親に連れられて行ったお寺の説法で地獄の恐ろしさを教わり、トラウマになった。13歳の頃、上方からやってきた浄瑠璃一座の芝居で、真っ赤に焼かれた大鍋をかぶり焼き鍬を両脇に挟んでもびくともしない日親上人のことを知り、地獄の業火に耐えられる仏力を自ら得ようと出家した、と言われます。「地獄」は白隠さんにとって終生のテーマだったのでしょうか、白隠さんは地獄の閻魔大王を描いた絵もたくさん描いています。

 ラショー氏によると、キリスト教圏にも地獄を描いた絵がたくさんあり、天国の絵はわりとワンパターンなのに比べ、地獄絵図は多種多様。人が、地獄を想像させる痛みや苦しみを現世で経験するからだと。確かに北欧神話のベルセルク(凶戦士)伝説とか、ダンテの神曲に影響されたミケランジェロ「最後の審判」、ロダン「地獄の門」など等、時代や地域を越え、実に多くの地獄が可視化されています。

 それらに比べると白隠さんの地獄絵はどことなくユーモラスです。松蔭寺のお隣り清梵寺が所有する『地獄極楽変相図』は、上からお釈迦様と両脇の普賢&文殊、真ん中に閻魔大王、その左側にはアーチ型の橋を渡るお金持ちそうな人々が描かれているのですが、この人々は、子ども→青年→壮年→老年と、一人の人間の一生を表現しているそう。閻魔様に一番近いところにいる老人、はたしてどんな地獄の沙汰が待っているのか。恵まれた生涯であっても功徳を積まなければ地獄に落ちるよ、というメッセージが込められているそうです。

 閻魔様の下には地獄で様々な拷問を受ける人々が描かれています。ラショー氏は「キリスト教のテーマは地獄から救われること、禅のテーマは自分の心から救われること。己の心の研究なんです」と説きます。

 

 芳澤先生は『南無地獄大菩薩』の意味を、「地獄と極楽の当体は同じもので表裏一体なものにほかならない」「地獄は単なる懲悪のシステムであるだけではなく、そのまま救済の方便にもなっていたのである」と説きます。白隠さんがその絵の中で、美と醜、地獄と極楽といった対極的なものを一体化させるのは、表裏一体という教えがベースにあるようです。

 そういえばレオナルド・ダビンチの名言に似たような言葉があったっけ。

 

 美しいものと醜いものは、ともにあると互いに引き立て合う。(レオナルド・ダビンチ)

 

 白隠さんは、引き立てあう“美醜”をさらに発展させ、“美醜は本来一体”と考えたのかな・・・。

 

 とにもかくにも、地獄の絵を見てそのような深遠なメッセージを理解できた人が、当時どれだけいたのでしょうか。白隠さんが生きた時代は、五百羅漢や七福神のような愛嬌のある、ゆるキャラみたいなアイコンがブームになっていたようです。また当時は中国からやってきた黄檗宗の僧たちが本場で流行していた“唐様”の書道を持ち込んで、知識層の間では王義之のような大家の書がもてはやされていた。白隠さんはそういう世の中のトレンドをある意味きちんと分析し、わかりやすさや親しみやすさを加味しつつも、画賛や絵の構図によって〈心を識る禅の教え〉を伝えようとした。

 その、白隠画の真意を読み取るリテラシー能力が当時の人々にあったのだとしたら、現代人よりもはるかに教養があったのではないかと想像します。我々は、芳澤先生のような翻訳家がいなかったら、白隠さんのことをただユニークで個性的な書画を描く和尚さん、としか判断できないけれど、考えてみると江戸時代の庶民の識字率は都市部に限れば80%近くあり、当時の国際社会では突出した数字。しかもラショー氏によると「江戸の中期、庶民の関心は地方や海外に向いていた」。富士講や伊勢参りがブームになったのもこの頃です。

 ダビンチの名言の中で一番好きなこの一説を想起しました。

 

 最も高貴な娯楽は、理解する喜びである。(レオナルド・ダビンチ)

 

 私は、白隠さんが戦国期や幕末のような革命ルネサンス時代ではなく、日本が比較的穏やかで、人々も文化活動を楽しむ余裕や外界への好奇心を持っていた一方、社会の隙間にさまざまなひずみが生じ、将来に対する漠然とした不安感や厭世観がただよっていた・・・そんな、今の平成ニッポンみたいな時代に生まれた人、というところに面白さを感じます。

 東海道という人・モノ・情報が行き交い、人々は目新しいものに飛びつきやすく、飽きっぽい、静岡人気質そのものという土地に生まれ、その土地で生涯を終えたというのも非常にユニークです。地政学から見て、駿河という土地が白隠さんの業績にどれほどの影響があったのか・・・今、自分が白隠さんを学ぶ根源的な意義がそこにあるような気がします。

 

 知るだけでは不十分である。活用しなければならない。意思だけでは不十分である。実行しなければならない。(レオナルド・ダビンチ) 

 


白隠フォーラムin沼津2014 開催のご案内

2014-10-08 15:04:11 | 白隠禅師

 7月にJR沼津駅隣にオープンした複合コンベンションホール、プラザヴェルデで、開館記念講演【富士と白隠】が開かれ、聴講レポート(こちら)をUPしたところ、講演者の芳澤勝弘先生(花園大学国際禅学研究所教授)から思いがけずコメントをいただいた顛末、こちらにもご紹介しました。

 

 9月には沼津へお越しになった芳澤先生と禅学研の國友憲昭先生(天龍寺塔頭永明院住職)と会食する機会に恵まれ、白隠禅師の故郷・沼津で禅師の功績を学ぶ場所づくりの必要性を実感しました。

 

 沼津のプラザ・ヴェルデでは11月9日(日)に【白隠フォーラムin沼津2014】が開催されます。花園大学が主催する白隠フォーラムは国内外で開催されていますが、沼津では初めて。芳澤先生をはじめ、フランス国立極東学院のフランソワ・ラショー教授、鎌倉円覚寺管長の横田南嶺老大師が登壇されます。

 國友先生より送っていただいた案内パンフレット裏面には、芳澤先生のフォーラムに寄せる深遠なメッセージが掲載されていましたので、ここにご紹介いたします。

 

 

 

 

白隠フォーラムin沼津に向けて/京都 花園大学国際禅学研究所教授 芳澤勝弘

 

 西洋では「予言者、故郷に容れられず」といい、また中国の馬祖道一禅師は「修行者は故郷に帰ってはならない。帰ったら幼名で呼ばれることになる」と言っています。このように、多くの聖人は生まれ故郷を離れるのが常です。しかし、白隠禅師だけは例外です。諸国行脚ののちに沼津原の松蔭寺に住職し、ここを中心に活動されたからです。

 

 近年、白隠禅師に関する資料収集および研究が京都の花園大学国際禅学研究所によって推進され、大型図録の刊行、大規模の白隠展の開催、日本各地および海外における「白隠フォーラム」の実施などによって、白隠の偉業は大きく再評価され、その名は今や世界的なものになっています。2016年には白隠禅師の250年遠忌をむかえ、さらにさまざまな企画が準備されています。

 

 白隠禅師の教えは、一口でいえば「十字街頭の禅」です。すなわち、山中の寺に閉じこもっているのではなく、人々が生活している場所に出かけて、人々に分かるように教えを説かれたのです。その十字街頭がまさに原であり、三島であり、伊豆であり、富士なのです。白隠禅師のホームグランドともいえる沼津で、このたび初めて白隠フォーラムを開催することになりました。

 

 白隠禅師は郷土が生んだ偉人として、すでに地元ではよく知られているのですが、さて本当に禅師の本領、本質が理解できているでしょうか。「おらが白隠」的な雰囲気に終わっていないか、あるいは「知ってるつもり」になってはいないだろうか。

 白隠禅師の偉業は今や世界的な範囲で再評価されつつあります。そのことをふまえて、ゆかりの地においても再評価の努力をし、次世代に伝えてゆくことが求められています。世界的な(グローバル)観点から沼津(ローカル)のよさを見直し、誇りをもって、それを日本全体にそして世界に発信してゆければと考えます。

 そのためには、沼津を中心としてひろく多くのかたのご参加を得て、ともに学び、認識を共有してゆきたいと念願しております。

 

 

 沼津で初めて開催される記念すべき白隠フォーラム、ぜひご参加くださいませ!

 

◇日時 2014年11月9日(日) 12時30分~16時30分

◇場所 プラザ・ヴェルデ 3階コンベンションホールB (JR沼津駅北口東隣)

◇講師 フランソワ・ラショー氏(フランス国立極東学院教授)、横田南嶺老大師(鎌倉 臨済宗円覚寺派管長)、芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所教授)

◇入場 無料

◇主催 花園大学国際禅学研究所

◇後援 沼津市

◇定員 400名

◇申込 花園大学国際禅学研究所 tel 075-823-0585 (月~金/9時~17時)  e-mail  hakuin@hanazono.ac.jp

 

 


プラザヴェルデ開館記念講演会「富士と白隠」

2014-07-22 15:31:03 | 白隠禅師

 JR沼津駅北口に7月20日グランドオープンした県内最大級のコンベンション施設【ふじのくに千本松フォーラム・Plaza Verde (プラザ・ヴェルデ)】。21日(月・祝)に開かれた記念講演会『富士と白隠―白隠禅画をよむ』を聴講しました。

 

 

Img108

 講師の芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所副所長・教授)は、白隠禅画・墨蹟の調査研究の第一人者。2012年に渋谷Bunkamura で開催され大きな話題を呼んだ白隠展(こちらを参照)の総合監修を務め、白隠展以降も全国各地で次々と発見される白隠禅画の調査に飛び回り、欧米でもセミナーを開くなど幅広くご活躍中です。

 

 

 

 渋谷で白隠展を観たときは、白隠さんの生まれ故郷沼津で、いつかこういう展覧会が開けたらなあと漠然と思ったものです。今回、沼津に誕生したコンベンション施設のオープニング講演会に白隠さんがテーマになったというのは、悦ばしい兆候です。渋谷では若いお客さんがすごく多くてビックリでしたが、今回の講演会の聴講者は残念ながら?私が一番若いくらいかな(苦笑)。ちょうど別会場で高校生たちが音楽発表会をやっていましたが、ホントは彼ら10代・20代に聴かせたいと思うくらい面白くて深~い内容でした。

 

 

 

 白隠慧鶴禅師(1685~1768)は生涯に数万点もの書画を残したといわれています。達磨像が有名ですが富士山の絵もたくさん残しています。それらの多くは、北斎や広重が描いた風景画や心象画とはひと味違う、禅の根本的教えや政治批判等が込められたメッセージ性の高い作品。芸術ではなく禅の伝道のために描いたのですから当然といえば当然ですが。

 

 

 今回、芳澤先生がメインで取り上げたのが、『富士大名行列図』。大分県中津市の自性寺所有で九州国立博物館に寄託された紙本墨画淡彩で、大きさは57センチ×132.6センチほど。真っ白な富士山を中央にドカンと据えて、下3分の1ぐらいのスペースImg109に人間163人、馬12頭を細かく描き込んでいます。左側には富士川と岩淵宿とおぼしき町並みが描かれています。

 

 

 パッと見えれば、吉原~岩淵あたりを進む参勤交代の大名行列をスケッチしたんだなあ、で、終わりですが、この絵はもともと、自性寺の和尚が、白隠さんに「達磨像を描いてください」とオーダーしたものだとか。でも達磨さんらしき人物は見当たりません。

 

 

 左端にはこんな文章が添えられています。

 

 

 寫得老胡眞面目 杳寄自性堂上人 不信舊�椈端午時 鞭起芻羊問木人

 

 (かねてから達磨(老胡)の絵を描くよう頼まれていた。ここに達磨の真骨頂を描いて、はるばる豊前の自性寺和尚にお届けする。12月の端午の節句に作ったこの画がわからぬならば、藁の羊に鞭打って木の人形に尋ねられよ)

 

 

 

 

 禅問答のような、ちんぷんかんぷんの内容ですが、芳澤先生は、「“達磨”は、禅の祖・達磨大師を指すと同時に、Dharma(仏法)そのものを指し、白隠さんは聖なる仏法の世界の象徴として富士山を描き、俗世の象徴として大名行列を描いたのでは」と説きます。

 

 しかも、ここに描かれた俗世界の人間163人のうち、ほとんどが富士山に目もくれないで、進行方向(西)を向いています。白隠さんは大名に宛てて『辺鄙以知吾(へびいちご)』という幕政批判書を書いたことがあり、のちに発禁処分をくらうのですが、この絵では、大名行列のような無駄遣いを暗に批判しているのです。

 

 先日、ヒット中の映画【超高速、参勤交代】を観て、大名行列は人目の多い宿場筋を通るときに行列人員を臨時雇いして、豪華行列に“演出”する苦心ぶりが描かれ、苦笑いをしたところですが、白隠さんはまさにそのことを槍玉に挙げたわけですね。

 

 と同時に、163人のうち、富士山をしっかり眺めている黒衣の旅の僧が2人、左端の岩山の先端と、右端の茶店のところに描かれています。この2人だけが聖なる仏性にきちんと目を向けているというわけです。

 2人の僧のモデルは、かの西行(1118~1190)で、西行さんが富士山を眺める「富士見西行図」という有名な絵を、白隠さんがモチーフにしたのでは、と芳澤先生。ちょっとした謎解きみたいでワクワクする解説でした。

 

 

 

 

 

 

 こちらのサイトに芳澤先生の詳しい解説が紹介されていますので、じっくりお読みください。

 

 

 講演会では『富士大名行列図』のほかに、『鍾馗鬼味噌』(五月人形でお馴染み・鍾馗(しょうき)さんが大きなすり鉢の中に鬼を押し込めて辛~い鬼味噌を作っている絵)、『二本大根』(浮気性の女性を二股大根に見立て、大根にお灸をすえて、2人の男にかつがせる絵)など風刺漫画のようなユニークな作品を数点、解説してくださいました。

 

 

 なお11月9日(日)には同じプラザ・ヴェルデにて【白隠フォーラムIN沼津2014】(こちら)が開かれる予定ですので、関心のある方はぜひ。


坐禅、白隠、マインドフルネス

2013-12-10 10:55:53 | 白隠禅師

 アメリカに住む妹からクリスマスギフトと近況を伝える手紙が届きました。麻酔看護師の妹は、現在、ポートランドの病院で働く傍ら、オレゴン健康科学大学院博士課程に通っています。研究テーマが「マインドフルネスを使ったストレス対処法(MBSR)」。門外漢の私には、マインドフルネスって初めて聞く言葉です。

 

 ネットでいろいろ調べてみたら、読売新聞のこの記事が一番解りやすかったのでコピーします。

 

 

 

 

 ストレスに対処できるよう心を整える技術「マインドフルネス」が、欧米の医療、教育、企業といった現場で注目されている。その様々な技法の中から、体を動かしながら行うやり方を紹介しよう。

 

 

 

 

呼吸に合わせ両手動かす

 

 

 「マインドフルネス」は、「意図的に、今この瞬間に注意を向けること」を意味する英語。もとは仏教の瞑想法の技術だが、これにキリスト教の黙想を付け加えた技術もある。

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 欧米では、ストレスに対処する技術として1970年代から徐々に普及し、90年代からは心理療法にも導入された。「今ここ」に集中する練習をすることで、うつ病患者のマイナスの思考や感情を抑え、再発予防に効果があるとされる。

 

 インターネット検索サービス最大手の米グーグルは、2007年から社員の研修に導入し、集中力や創造性を高めているという。

 

 マインドフルネスでは、座って呼吸に意識を集中したり、歩きながら足の感覚に意識を向けたり、ジュースを飲んで口、のど、胃などの感覚を観察したりと、様々な技術が使われる。

 日本での普及・啓発組織「ヒューマンウェルネス・インスティテュート」代表の心理士、石井朝子さんが指導しているのは、呼吸に合わせて両手を動かす「呼吸のマインドフルネス」だ=イラスト=。

 

 

 ポイントは、この動きを繰り返しながら、今ここにある身体の感覚や気持ちに気づくこと。「息を止めるのが少し苦しい」「右の肩が凝っているぞ」「胃に不快感を感じる」「何となく腹立たしい気分だなあ」という具合だ。

 

 

 この時、「今日のお昼ご飯は何を食べようかな」「明日は会社の会議で発表しないといけない」などといった考えが浮かぶことがある。そんな時は、考えを打ち消そうとはせずにそのまま受け流し、すぐに意識を「今ここ」に引き戻す。

 

 石井さんの指導を受け、自宅で毎日欠かさず続けている静岡県の藤井礼子さん(72)は、嫌なことがあって腹が立った時でも、呼吸のマインドフルネスを行うことで気持ちが静まり、冷静に解決方法を探れるようになったという。

 

 ちょっとした体調の変化にも早めに気づけるため、風邪をまったくひかなくなったという。「人生の宝物をもらった気がします。これからもずっと続けていきたい」とほほえむ。

 

 ヒューマンウェルネスではこのほか、全身を動かしながら行う「マインドフルネス・ウオームアップ」やダンスも紹介している。グループで練習している神奈川県の清水英子さん(56)は「より全身の感覚に集中しやすく、ストレス解消効果も高い」と話す。特にダンスは若い世代向きだ。

 

 石井さんは「マインドフルネスは、自転車に乗ることに似ています。しっかり練習することが必要ですが、身に着いてしまえば世界が広がり、自分らしい人生を送れるようになるのです」と話している。(山口博弥)

 

(2012年9月6日 読売新聞)

 

 

 

 

 

 これを読んだら、ああ、坐禅をするときと同じだなあと実感しました。身体をびた一文動かさない坐禅は、全身を動かすマインドフルネスとは正反対のようですが、「動かさない」ことに意識を集中することで、自分の今の心身の状態に気づくのです。座っていると、本当にいろいろな雑念が湧いてくる。それはそのまま受け流し、坐禅中の「いま」に意識を戻す。これの繰り返しなんです。

 

 坐禅を始めたばかりのころは、家でもやってみようと挑戦したのですが、やっぱり集中できないので、かわりに時々寝る前に実践しているのが、白隠禅師が『夜船閑話』で説いていた“内観の秘法”です。厳しい禅の修行も、心身が良好でなければ実にならないということで、禅師が、参禅求道の人々に指導した腹式呼吸法です。

 

 

 ①夜、床に入ったら、全身の力を抜いてダラ~と横たわる。

 

 ②次に両手と両足をピンと伸ばし、腰から下に力を入れて、軽く呼吸をする。

 

 ③さらに深くゆっくり息をし、息を吸い込んだらしばし止める。

 

 ④吸い込んだ息を下腹(丹田)のほうへ落としていくように、細くゆっくり吐き出す。

 

 ⑤下腹に息がたまったと感じたら、鼻から空気を吸い、さらに下腹に満たしていく。

 

 ⑥以上を繰り返しながら、「わがこの気海丹田腰脚足心、まさにこれわが本来の面目・・・」「・・・本分の家郷」「・・・唯心の浄土」「・・・己身の弥陀」の4句を唱え、精神を集中させる。

 

 

 というもの。私が参考にしている『白隠禅師・健康法と逸話』(直木公彦著)では、4句覚えるのが大変なときは、重要ワード「唯心の浄土」「己身の弥陀」だけ繰り返して精神統一してもよいそうです。

 仏教用語でなくても、自分の好きな言葉を心の中で唱えてもいいと思います。よかったら試してみてください。

 

 

 


白隠展を観て

2013-01-11 10:10:01 | 白隠禅師

 正月早々、風邪をひき、1週間以上グジュグジュしています。うがいに手洗い、細心の注意を払っていてもどこかで菌を拾ってきちゃって、菌を追っ払う体力が昔のようにはすぐに戻らない。・・・まったくやっかいな季節です。

 

 

 

Img010
 昨日は取材で上京し、ついでに観たかった渋谷Bunkamuraでの『白隠展』に足を延ばしました(公式サイトはこちら)。

 

 白隠禅師(1685~1768)の書画は、折につけて観ているのですが、白隠作品だけを100点以上もまとめて観たのは初めて。有名な半身達磨図や布袋さんをはじめ、観たこともあるものもないものも含め、白隠さんが若かりし頃から亡くなる直前まで、年齢に応じて変化する画風が一堂に会し、本当に見応えがありました。もっとも白隠さんが生涯で残した書画は1万点以上だそうですから、ほんの一部に過ぎないんですが・・・、とにかく、これらがプロの画家ではなく、禅僧が布教のために、まったく独学で描いたものだということに改めて圧倒されました。

 

 

 

 

 先日、NHKのEテレ『日曜美術館』で特集をやっていたとき、司会者2人が白隠さんの存在すら知らなかったと話していて、ちょっとビックリしましたが、よくよく考えてみると、白隠さんって本職の画家じゃないから美術史ではほとんど取り上げられないし、白隠さんが活躍した18世紀=江戸中期は世の中が大きく動いたって時代じゃないから歴史年表に顔を出すということもない。臨済宗の中では出世を拒否して生涯市井に生きた人だから、京都にゆかりの寺や立派なお墓があるわけでもない。私は幸いなことに静岡で生まれ育って多少なりとも佛教に興味があったから知っていただけで、一般には、よっぽど禅宗に興味がなければ誰?って存在なんですよね・・・。

 

 

 

 

 たぶん、この展覧会も仏画に興味のある通の人しか来ないのかなあと思っていたら、会場は大賑わい!若者や女性も多くて、平日なのにこの人気は何だ!?とビックリでした。そもそもBunkamura主催で白隠展をやるっていうのが面白いマッチングだし、テレビやアート誌の特集効果もあったかも。出展作品にはさすが白隠さんのお膝元・静岡県内の寺院所蔵のものが多く(私が今、バイトに通っているお寺さんからも出品されています!)、ちょっぴり誇らしげでした。

 

 

 

 

 今回の展覧会でとりわけ心に残ったのは、初期(30代)に描いた達磨像が、か細く、薄く、神経質な表情だったこと。40代で描いた達磨も、若干、線は太くなっているものの、どことなく懐疑的な眼をしていました。それが晩年の作品になると、私たちがよく目にする迫力満点の大らかでユーモラスな達磨になる。確か、ピカソも初期の作品はわりと大人しくて真面目な作風だったのが、年齢を重ねるに連れてだんだん弾けてきたけど、そんな感じかな。誰かがに書いていたけど、ピカソに白隠画を見せたかったなあ~としみじみ思いました。

 

 

 

 

 白隠さんが描く観音さまは、みな同じような、下ぶくれの中年女性のようなお顔。図録の解説では、実母をイメージしているのでは、とのことでした。布袋さん、お福さん、すたすた坊主にもモデルがいたのかなあ(自画像との説もあるが)と想像すると愉しいですね。

 私が好きな『動中工夫勝静中百千億倍』の書もありました(こちらの過去記事もぜひ)。意味もさることながら、掛け軸の縦長のレイアウトを効果的に使ったデザインセンスに、改めて唸ります。

 

 

 

 

 

 あらためて、白隠さんの素晴らしさとは、釈迦、達磨、菩薩など佛教世界のみならず、七福神や三国志の英雄や動物など庶民的なモチーフを使い、解る人には深い教えを、一般庶民には親しみやすさを与えてくれること。これはとても難しいことだと思います。

 

 

 自分もモノを伝えるライターの端くれなんで、「難しいことを、易しい表現で伝えること」がいかに難しいか日々痛感しています。その道の専門家を取材すると、専門用語でしか話してくれない人が多くて、取材時にいちいち確認し、自分の理解の範疇で、できるだけ平易な表現に“翻訳”するのですが、書いた原稿を専門家に見せると、やたら直され、専門用語をそのまま使う羽目になって、欄外の注釈がどんどん増える。・・・つい最近もそんな経験をしたばかりです。

 専門家といわれる人の多くは、自分の名前が出た原稿なり作品を、同じ専門家か自分より上の専門家がどう見るか、しか気にしないようです。専門的になればなるほど視野が狭くなってしまうのは仕方ないのかもしれませんが、そう考えると、白隠さんの時代に、〈権威〉から一線を画して、民衆教化に徹することができるって本当にすごいことです。

 

 

 

 残念ながら楽しみにしていた『朝鮮曲馬』(朝鮮通信使の馬上才=曲芸を描いた作品)が出展されていなかったので、作品入れ替えの後期に出来たらもう一度行ってみたいと思います。2月24日まで渋谷BunkamuraB1階ミュージアムで開催中(期間中無休)。詳しくはこちらを。