杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

小出宗昭さんの「大切なこと」

2009-05-31 12:02:07 | NPO

 昨日(30日)はNPO法人活き生きネットワークの設立10周年記念総会があり、起業人助っ人として全国区の活躍を見せる小出宗昭さんのお話を堪能しました。090530 聴講者は活き生きの理事・評議員10人ちょっとで、この人数で聴くのはもったいないほど、実のあるお話でした。

 

 ご存じの方も多いと思いますが、小出さんは静岡銀行在職時にSOHOしずおか(静岡県がハコを造り静岡市が運営する起業支援施設)へ出向し、6年半の在籍中、行政運営の支援施設としては画期的な実績を上げ、その手腕を見込まれて07年7月からは浜松市の産業支援施設へ出向。1年前の08年6月、生まれ故郷である富士市から、新設の市産業支援センターf-Bizをお願いしたいと市長直々に乞われ、静岡銀行を退職して自身の会社を立ち上げ、f-Bizの運営を受託。「なんで銀行を辞めてまで?」「なぜ静岡や浜松より人口の少ない富士で?」「富士なんかで大丈夫か?」とさんざんつつかれたそうですが、小出さんには「どんな地域でもやれる。人を生かし、町を元気にする仕事だから」という確信がありました。

 

 

090530_2  静岡、浜松の月間相談件数はおよそ50件ほど。これを参考に富士の当初の月間相談目標件数を25件と目算したのですが、フタを開けて見たら開所初日に20件、8ヶ月で1000件を突破し、現在は月平均130件と図抜けた数字を記録中です。「5月は150件を超えました。来館者のほとんどが口コミです。町の規模なんて関係ない。支援の方向性や意思がしっかりと伝われば、おそらく夕張でも石垣島でも出来るんじゃないかと思います」と小出さんは力強く語ります。

 

 

 

 私はずっと個人で仕事してきたので、組織に属することの恩恵もプレッシャーも経験せず、相手がだれであろうとひとりの人間としてぶつかっていく怖いもの知らずの習慣が身についていました。相手が組織に属する人であっても、その人の人間性や考え方がまず気になり、この人は自分の言葉で語っているのか、組織のマニュアルを代弁しているだけなのか、をついつい見てしまいます。

 小出さんに関しては、SOHOしずおかに出向してこられた時から知っていますが、この人が静岡銀行員で行政の支援組織の職員だという“枕詞”を感じたことがありませんでした。むしろ「…らしくないなぁ」「…らしくないから銀行の出世コースから外れたのかしらん」などと心配したくらい(苦笑)。つねに相談相手にひとりの人間として対峙し、自分の言葉で応えようとする小出さんの姿勢が、SOHOやf-Bizを「小出さんがいるから相談に行こう」という場所にしていったのだろうし、小出さんも銀行員のままでいることに意味を感じなくなったのだと思います。

 

 「地方銀行というのは、本来、地域に根差し、溶け込んでいかなくてはいけないのに、社会的強者のセクターというのか、地域に“君臨”する存在になってしてしまっている。恥ずかしい話ですが、銀行にいた頃は、障害者と会ったことが一度もありませんでした。この世界に来て、生まれたての起業家とともに考えたり悩んだりするうちに、大切なものが何かがわかってきました」。

 「活き生きネットワークは、もともと存在感のある組織だったので、この世界に入ってすぐに目に付きましたが、実際に杉本彰子さんたちの活動を間近に見て衝撃を受けました。福祉NPOの中でも全国トップクラスの組織だが、ここまで来たのは(行政のバックアップや企業メセナで始まった組織ではなく)市民の長年の地道な活動の積み重ねによるもの。それが驚きです」。

 「今、コミュニティビジネスとかソーシャルベンチャーなどと言う言葉がもてはやされ、若い社会起業家が注目されているが、1~2年でポッと出てきた人や、補助金や委託事業に頼った新興NPOに比べ、活き生きネットワークの姿勢は、全国的に見ても一つの理想だと思う」と小出さん。

 

 

 私も、活き生きネットワークの事業報告書を見て真っ先に思ったのは、そのことでした。

 平成20年度の事業報告書を見ると、自主事業―すなわちもともとNPO法人化以前から地道に続けてきた社会的弱者への生活支援事業が、収入の8割を占め、行政からの委託事業収入や補助金収入は2割ほど。障害者を雇用するときは、行政の福祉窓口等を通せば補助がもらえるのに、仕事がなくて困っている障害者を目の前にすれば「うちに来て」と直接声をかける、そういう姿勢を貫いてきたので、杉本理事長は「もっと上手に助成制度を利用すればよかったけど、(制度を)知らずに来てしまいました」と苦笑します。

 小出さんはそれを聞いて、「多くのNPOが補助金目当て、委託事業ありきで活動するのに、ここは…」と感嘆していました。

 

 

 もちろん、利用できる制度をうまく活用すれば、その分、もっと有効に事業費を回せるわけで、活き生きネットワークという組織にも、改善すべき点はあろうかと思います。

 しかしながら、小出さんは「結果も大事ですが、結果を目指し、前向きに挑戦する姿勢に価値がある。支援する立場であれば、部品を組み立てるのに1分かかる障害者が、明日は1分切れるよう努力する…その姿勢に温かいまなざしを持てる人間でありたい」と言います。「それが、活き生きネットワークさんから教えてもらった“大切なこと”です」と。

 

 

 富士市産業支援センターf-Bizの小出さんのもとに昨年のクリスマスの頃、富士宮市にあるメッキメーカーの社長さんが静岡銀行の支店員に連れられて相談に来ました。最初は新工場立ち上げの話から始まったそうですが、社長が「実は本当の相談は…」と切り出したのは、雇用の問題でした。

 

 この会社は従業員の7割が知的障害者で、しかも全員正社員での雇用。昨年暮れといえば、日比谷公園に年越し派遣村が出来る云々のニュースが駆け回り、派遣社員はおろか、正社員もリストラ対象になるといった不安が世間を覆っていた頃です。自動車部品の下請が8割を占めるその会社も、急激な業績悪化に陥ったのですが、社長は涙を浮かべて「何があっても雇用は守りたい。彼らの雇用が保障されるなら会社を売ってもいい」と訴えたそうです。…静岡にもこういう経営者がいるんですねぇ。小出さんの話を聞きながら目頭が熱くなってしまいました。

 

 その姿につき動かされた小出さんは、さっそく全国の新聞社・テレビ局にプレスリリースを流し、県内2局と新聞1社が取り上げました。さらに「公的補助には頼りたくない」との信念を持つ社長を「緊急時だから」と説き伏せ、県の労働支援対策の担当局長を直接会社に招いて、助成制度の活用を指南してもらったそうです。

 

 

 

 講話後の質問タイムでは、活き生きネットワークの理事から、「杉本さんたち創業第一世代の後に続く若い世代を、どう育てたらいいのか」という質問が寄せられました。カリスマ的なリーダーの熱い思いによって立ち上がったNPOの多くが、後継者の問題や、組織が大きくなるにつれて創業時の理念が浸透しにくくなったという問題に直面しています。私が過去取材した多くのNPOも同様でした。

 

 小出さんは「第一世代が現場でその姿勢を示し、思いを語り続けていくしかない」と応えていましたが、それ以外に、小出さんのような外部識者が、この組織の客観的な評価や価値を、若い世代にも伝えてあげたらいいのでは、と思いました。

 

 後から付いて来る人に、リーダーと同じ思いを共有しろというのは無理な話です。それは、NPOに限らず、どんな組織でも同じですよね。

 私自身の体験でいえば、20年以上、地酒に関わっている自分と、最近、静岡の酒を覚えた若い世代では感じ方や応援の仕方が違うのは当たり前。自分だから出来ること―たとえば世代をつなぐ仕掛けづくりとか、職業上のスキルを活かすこと(記事を書いたり映像を残すこと等)に特化し、ほかは若い世代の自主性に委ねようと思っています。

      

 昨日は私の顔を見るなり、「映画はどう?」「困ったことがあったらいつでも相談して」と声をかけてくれた小出さん。つねにひとりの人間として向き合う姿勢を忘れず、自分に出来る支援の仕方をきちんと見つけ、実践されているんだなぁと、改めて清々しく感じました。 


防災と医療をつなげるもの

2009-05-22 19:57:56 | NPO

 みなさんは「トリアージ」ってご存知ですか? そう、大災害や大事故などで多数のケガ人が出たとき、重症度や緊急度に応じて振り分け、治療に優先順位を付けるというもの。被災した人に赤・黄・緑・黒のタッグを付けるの、報道番組なんかで見たことあります。あれ、判定する人のプレッシャーって相当ですよね。瞬時に判断しなくちゃならないし、その判断は人の生命にかかわることですから…。

 

 「そんな難しいこと、医療の専門家じゃなきゃ出来ないでしょ」って私も思っていましたが、考えてみると、もし尼崎の電車事故みたいなのが目の前で起きても、救急車が来るまで指をくわえて見てていいの? 100人200人単位で被災者が出たとしたら、五体満足な人が何かしなきゃまずいでしょ?って思います。局所的な事故ならまだしも、大地震が起きたら、それこそ都合よく自分たちのところに真っ先に救急車や消防車が来てくれるとは限りません。

 なんでこんな話から入ったかというと、昨日(21日)、『NPO法人災害・医療・町づくり』という団体を取材して、改めて災害時に何か大切かを考えさせられたからでした。

 

 
 静岡県は地震対策先進県とされていますが、行政がいくら最新・万全の対策をとったとしても、災害は一人ひとりの命の問題であり、発災直後の救出、搬送、救護所の医療、応急救護などは、住民の力なしにはできないでしょう。でもケガ人の救出や手当は、救急・消防・医療のプロに頼り、自分たちで何とかしよう、みんなで助け合おう…という自助・互助精神は高いとはいえません。

 

 一般の人が防災に備えて何をやっているかというと、水や食糧の備蓄や、避難ルートの確認ぐらい? ちょっと進んだ人で、過去ブログでも紹介した家具の転倒防止程度。…自分や周りの人がケガをして動けなくなった時のことを、真剣に考える人って、実はそんなに多くないんじゃないかな。自分が動けなくなったらしょうがないけど、周りにケガした人がいても、自分じゃどうしようもない、プロにおまかせするしかないと、私自身、思いこんでました。

 この、“プロにおまかせ”の依存心が、災害時の救急医療をことさら混乱させているということに、取材を通して痛く気づかされました。

 

Photo  

 いただいた資料によると、近代都市が初めて被った阪神淡路大震災では、当時、医療側にはトリアージを行う準備があったものの、実現できなかったそうです。よもや地震なんか起きるはずがないと思っていた関西の人々は、あまりにも突発的かつ激甚な災害に、われ先にと病院へ殺到し、建物が半壊した病院にも入りきれない患者が溢れかえり、現場の医師は、重症・軽症の区別なく、眼の前の患者さんを必死に治療するしかなかった。優先すべき重傷者の発見と早急の措置がゴテゴテに回ったのです。

 

 現場では、「クラッシュ症候群」という新たな症例も発見されました。人間の体は、長時間、モノに挟まったり下敷きになっていたりすると、筋肉の組織が壊れてしまい、一部は毒素に変わってしまうそうです。それが、救出後、血液循環の回復とともに体中にまわってしまい、心臓を止めてしまったり、腎臓の機能を奪ってしまうのです。したがって、そういう人を救出するときには、できるだけたくさん水を飲ませることが必須で、搬送するのは透析ができる病院。救護所へ運んではダメです。これ、知っているのと知らないとでは、ホントに生死を左右しますよね…コワ。

 

 ちなみにクラッシュ症候群の人は、トリアージはもちろん「赤」=最優先で搬送や治療が必要な人です。「赤」では他に、自分では歩けないけど呼吸している人、呼吸回数が1分間に30回以上の人、手首の動脈が触れない人、呼びかけに応えられない人などが相当します。呼吸回数や手首の動脈などは専門家じゃないと落ち着いて確認できないので、私たちがチェックするとしたら、クラッシュ症候群=2時間以上挟まれていた人か、自分では歩けないけど呼吸している人に「赤」を付けることになります。

 

 「黄」は、「赤」の次に搬送や治療が必要な人。自分では歩けないけど呼吸していて、呼吸回数は1分間に30回未満で、手首の動脈が触れ、呼びかけや指示に応じられる人です。

 

 「緑」は、とりあえず自分で歩くことができる人。優先順位は赤や黄の後になります。

 そして「黒」は搬送や治療の優先順位が最後の人=自分で呼吸をしていない人ということになります。

 

 

 被災現場で行うトリアージ判定(1次トリアージ)は、必ずしも正確とは限りません。人によっては判定にバラツキがあるでしょう。私たちが見るときは、“迷ったときは重い判定に”でいいそうです。病院では「赤」や「黄」の判定にバラつきがあることを承知で、それぞれのゾーンに専従スタッフが付くので、私たちはとにかく「赤」の人を見つけて一刻も早く病院搬送することに専念してよいそうです。

 

 一方、「緑」の人の多くが運び込まれる救護所(あるいは避難所になった学校など)では、医療スタッフが万全の態勢でいるとは限りません。災害時に駆けつけられるのは地域の開業医だけ。圧倒的に多くの軽傷者の手当は、私たちが自力で行わなければならないのです。

 

 

1  そんなわけで、NPO法人災害・医療・町づくりでは、日頃から静岡市内の町内会や学校を訪問して、トリアージ訓練や応急救護の講習会を開いています。理事長は静岡県立総合病院副院長の安田清先生(写真左)。副理事長は大村医院(葵区材木町)の大村純先生。昨日は事務局を預かる大村先生を訪ねて、活動の経緯をじっくりうかがいました。

 

 トリアージの訓練は一般的には防災訓練の一部という扱いをされていて、トリアージや災害医療に特化した啓蒙活動を行うNPO団体は、おそらく日本で唯一だろうとのこと。「県でも、防災セクションと保健衛生セクションとはあまり接点がなかった。我々医療の専門家なら、指導も講習もできるし、むしろ、我々医療従事者が担うべき使命だと思った」と大村先生。静岡市医師会理事を務めたとき、安田先生に出会ってトリアージの啓蒙に本格的に取り組み、01年に任意団体「静岡地区災害時医療連絡会」を設立。メディア関係者に広報を、消防セクションに機材等を提供してもらうなどフレキシブルな活動に発展し、07年にNPO法人になりました。

 

 

 大村先生たちは、これまでも地域で地道に啓蒙活動を行ってきましたが、ここ1年ぐらいで依頼が急増とのこと。小中学校へ指導に行く時は、子どもたちにケガ人のメイキャップ(競馬のCMの大泉洋みたいな?やつ)をさせるなど、興味や関心を持たせる工夫をしながら、トリアージや応急救護の重要性を伝えています。

 先生のお話を聞きながら、「災害直後に住民の命を救えるのは、その場にいる住民なんだ」という鉄則を、改めて噛みしめました。

 静岡県って東海地震が来る来ると言われ続けてウン十年経ち、その間に他で大きな地震災害が起きてしまって、県の地震対策にはビミョウ~な空気を感じていましたが、こういうNPO団体が全国に先駆け、活動しているって、やっぱり静岡は防災対策先進地なんだ…!と誇らしく思えてきました。

 

 どんな小グループでもOKだそうですので、みなさんも1度、地域や職場の仲間同士で講習を受けてみてはいかがですか? ちなみに私は講習用のビデオをいただいてきましたので、しっかり自習します。

 


福祉と環境の下支え

2009-04-14 10:58:08 | NPO

 昨日(13日)は、難しい社会問題に果敢に挑むエネルギッシュな経営者2人を取材し、大いに刺激を受けました。

 

 午前中に浜松でお会いしたNPO法人くらしえん・しごとえん代表理事の鈴木修さんは、障害を持つ人の生活と就労支援をサポートしています。似たような肩書きの福祉団体はたくさんありますが、鈴木さんは数々の現場経験を通し、障害者を支援する人のスキルアップの重要性に着目し、行政がなかなかできない障害者支援者・指導者・ジョブコーチ等の研修事業を行っています。

 

 国や自治体や企業側も、障害者を何人雇えばいいとか、数字ばかりを重視しますが、雇用した・就業した時点がゴールではなく、本当の意味でのスタートなわけで、障害者が働き続けるための支援もすごく大切なんですね。鈴木さんは「まさにジョブコーチのような支援者によって、その人の一生が決まるといってもいい」と言い、「それだけシビアな専門職にもかかわらず、ジョブコーチに対する理解や認識が足りない。ボランティアやパートタイマー的な扱いをされ、ジョブコーチという仕事で自立できないのが現実です」と指摘します。

 ジョブコーチと聞いて、私も、単純に職場における職能向上支援みたいに思っていましたが、障害者を支援する場合は生活支援全般にかかわってきます。障害者といっても、障害者手帳を持っている人いない人さまざま。鈴木さんは「一人一人が抱えている問題に向き合う」ことが基本だと言います。

 

 

 Imgp0799 鈴木さんご自身は、生まれながらに障害を持つお子さんの子育てに長年向き合い、また高校教師として生徒の生活指導や就職支援の現場を担い、市民有志の出資によって開校した全寮制校・黄柳野高校(愛知県)の設立にも尽力。日本障害者スポーツ協会公認スポーツ指導員の資格を持ち、盲人マラソンランナーの伴走者としても活躍しています。

 

 身近に障害を持つ人がいるとき、周囲の人間に対して鈴木さんが強調するのは、「障害者を特別扱いしすぎない」ということ。盲人ランナーの伴走をしていると、どうしても上下関係が出来てしまうので、いいパートナーになることを常に心がけているそうです。

 

 「障害者も同じ人間。性格が合う合わないもある。何でもかんでも障害者だから優しくしてやらなきゃとか面倒見てやらなきゃ、ではなく、同じ人間同士だからという発想が大事」と鈴木さん。「ふつうの若者だって、工場で同じ単純作業を長々強いられていたら嫌になるでしょう。障害があるというだけで単純作業しかできない、させられないという見方はあまりにも短絡的。彼らだって可能な限りスキルアップしたいと思っている。彼らを特別扱いせず、当たり前の生活者目線で見守ること、それがジョブコーチの第一歩」と真摯に語ります。

 

 NPO法人くらしえん・しごとえんは、全国で4か所ある厚生労働省認定のジョブコーチ育成支援団体の一つ。毎年行う研修会には全国各地から受講者が集まります。「いい支援者に出会うことで、その人の将来が決まる」という鈴木さんの台詞は、障害者支援に限らず、どんな人のどんな状況にも当てはまること。お話を聞いていれば、鈴木さんは、当たり前のことをしているんだ…とわかるのですが、こういう団体がまだまだ少ないというのは、当たり前のことをしたくてもできない人が圧倒的にいるという現実の裏返しなんですね。

 

 

 

 夜は、(社)静岡県ニュービジネス協議会中部サロンで、08年度静岡県ニュービジネス大賞を受賞した静岡油化工業㈱の長島磯五郎社長のお話をうかがいました。

 

Imgp0804   長島さんは50歳を過ぎてから、倒産した会社を亡兄から引き継ぎ、つねに「どんな仕事でもいい、自分で一から事業を立ち上げ、自分の腕を試すチャンスだ」とポジティブに考え、事業を立て直したものの、会社が落ち着くと「この仕事ではしょせん業界一位にはなれない」「社会に貢献できるわけでもない…」とモチベーションが落ちてしまったそうです。猪突猛進型の経営者ならそうでしょう。私もただのローカルライターですが、安定を求めつつも、安定しっぱなしの状態は居心地が悪いという気持ち、なんとなく解ります。

 

 

 そんなとき、豆腐のおからの処理に困っているという業者に出会い、「自分が子どもの頃は、おからといったら大事なたんぱく源だったのに、今は産業廃棄物として全国どこでも厄介者扱いされているという、その現実に驚いた」そうです。

 おからが処理できないと、静岡の町の豆腐屋は廃業の危機だと言われ、「これは社会に求められる大事な仕事だ」と腹をくくり、乾燥処理して飼料・肥料に。これを事業化したのは全国初めてでした。

 

 

 

 が、いざ農家に買ってもらおうとしたら、海外から入ってくる安価な飼料肥料に太刀打ちできず、大量の在庫を抱えることになり、「清水の合板会社が燃料に使ってくれるというので、トラックで運んだが、苦労して乾燥肥料にしたおからを燃料にされるのを見るのは心底辛かった…」と長島さんは振り返ります。

 「長島さんの会社で乾燥おからが事業として成功しなければ、我々も共倒れだ」という危機感を持った県豆腐油揚商工組合が、喧々諤々話しあい、静岡油化工業は、組合指定おから処理工場になりました。

 ところが、せっかく体制が整っても、産廃処理業者としての認可が「前例がないから」という理由でなかなか下りない。業を煮やした長島さんは、石川知事に直接嘆願書を送り、この事業の必要性を理解した知事が即決。なんとかおからの回収とリサイクルの事業が軌道に乗りました。

 

 

 

 次いで、長島さんのところには「油揚げを作った後の天ぷら油をなんとかしてほしい」という相談が。子どもの頃、学校へひまわりの種を持っていき、油を搾りとって、それが戦闘機の燃料に使われたという記憶を持つ長島さんは、試しに自前の漁船に廃食油を入れてエンジンをふかしたところ、ちゃんと動いた。

 「調子に乗って外海まで行ったら、ちょうど台風直前の凪の状態で、鯖や宗太鰹が面白いように獲れた。気を良くして戻ろうとしたら途中でエンジンがストップし、大慌て。見る見るうちに空は暗くなり、風雨が激しくなり、船の中にかろうじて残っていた軽油を使ってエンジンをふかしなおして、危機一髪で戻ってきた。漁港では私の船が行方不明だと大騒ぎになっていて、大目玉をくらったが、天ぷら油のせいでエンジンが止まったとは言えなくて(笑)」と長島さん。

 ただしその経験から、エンジンが止まったのは廃食油にゴミが混じっていたせいだとわかり、徹底した精製によって廃食油のバイオディーゼル燃料(BDF)化に成功しました。

 

 現在、静岡油化工業のBDFは、自社車輛30台をはじめ、県内21市町の公用車やゴミ収集車等に採用され、しずてつジャストラインの定期運行バス15台にも使われています。

 「廃食油は全国で年間45万トン排出され、うち業務用の20万トンは回収され、飼料や燃料にリサイクルされていますが、残り25万トン(家庭用)は未回収のまま無駄に捨てられている。資源のない国がこれでいいのかと思う。静岡市内では月70トンの未回収廃食油があり、これをBDFにすればゴミ収集車が200台動かせます」と長島さんは力説します。

 

 さらに、おからをバイオマス醗酵させ、蒸留して得られるアルコール燃料(=バイオエタノール)をガソリンに3%加えたバイオエタノール混合ガソリンの製造プラントが今年1月に完成。おからを中心としたゼロエミッション(廃棄物ゼロ)システムを構築中とのこと。

 ただしこちらも制度が現実に追いついておらず、長島さんがバイオ混合ガソリンを精製しようとしても、購入するガソリンには税金がしっかり乗っかっており、精製後のガソリンにも二重に税金が課せられる。普及価格になかなかなれないのです。

 

 

 

 さらにさらに、バイオエタノールの原料を増やそうと、昨年から今年にかけ、磐田市の遊休農地でサツマイモを無農薬栽培し、杉井酒造でいも焼酎「磯五郎」を仕込んでもらいました。発売は6月6日とのこと。長島さん、いかにも酒銘に合いそうなお名前でよかったですね(笑)! 酒蔵が、間接的にせよ、こういう形で循環型社会の構築に貢献できるというのは素晴らしいことです。

 

 

 障害者の生活支援も、廃棄物処理も、社会に必要不可欠であるにもかかわらず、かつては社会の片隅に追いやられていた仕事でした。中でも、鈴木さんや長島さんのような仕事は、なかなか表には見えてこない下支えの立場です。

 福祉や環境が脚光を集め、期待される社会というのは、幸せなのか、行き詰まりなのか、鈴木さんが言うようにいろんなことが「当たり前」になるまで一体どれだけ時間がかかるのか、私自身がしっかり実感し、判断できる取材を続けていかなければ…と思いました。


春の椿事

2009-03-28 17:34:58 | NPO

 昨日(27日)は『ふじやまさんちのいつかちゃん』でお世話になっている静岡県商工会連合会で地域資源活用&農商工連携セミナー『食をキーワードに新たな連携ビジネスに挑戦!』というセミナーに動員?させられました。

 

Imgp0774  動員というと無理やり参加させられたみたいですが、パネリストの顔ぶれを見てビックリ。先週、しずおか地酒サロンに参加してくださったdancyu編集長の里見美香さん、私が静岡酒の世界に引きずり込んだ被害者?の一人・斎藤章雄さん(コンラッド東京日本料理「風花」総料理長)、このブログでもおなじみ松下明弘さんのビジネスパートナーである長坂潔暁さん(安東米店店主)、富士宮の食の顔の一人でもある食肉の達人・佐野佳治さん(さの萬社長)、今や日本を代表するスターファーマー・松木一浩さん(ビオファームまつき代表)という面々。直接面識のない松木さん以外は、昔から公私?ともにお世話になっている方々なので、顔を出さないわけにはいかなかったのです。

 

Imgp0775  各メンバーはそれぞれにつながりがあり、一堂に集まるのも不思議ではないと思いますが、各人とまったく別々につながりを持っていた私にとっては、まさに春の椿事。お世話になっている皆さんが、静岡を代表する食の担い手として堂々と持論を語る姿は、実に頼もしく、私がご縁をいただいた方々は、本当に価値ある仕事をされてこられたんだなぁと、まるで自分が褒められたみたいに嬉しくなりました。

 

 

 仕事が片付かず、40分も遅刻してしまい、最後列に隠れるように座って、セミナーの最中には夕方までに返事をしなければならない文字校正を手元でチェックしながらの聴講で、皆さんのお話を十分に噛み砕くまでには至りませんでしたが、斎藤さんの、

 

「曲がったキュウリは無農薬の有機野菜の証拠だからいいと言うが、本来は、曲がったキュウリを無駄にしないように、というのが主旨であって、農家は曲がらないようにする努力を怠るべきではないと思う。無農薬や有機を謳っても、まずかったら何にもならない。そのためにも料理人のスキルというものを大事に考えてほしい」

「とはいっても、今はスキルを身に着けることが難しい時代になった。自分が若い頃は深夜まで働いて親方や先輩の技能を必死に覚え、周りもがんばれと背中を押してくれた。しかし今の若者が深夜まで働いているとこきつかわれて気の毒だと言われる。とくに外資系ホテルでは労務管理が厳しく、若者がスキルを磨く機会を作るのが大変」

 というお話には、酒蔵で働く若者の姿が脳裏に浮かび、思わず身を乗り出して聞き入ってしまいました。

 

 また、法人化をして中山間地の有機野菜作りのビジネスモデルを構築したいという松木さんが、「日本の農業従事者は、自分が生まれた1962年当時は600万人いたが、今は200万人を切っている。このうち30代以下の農家は0.16%。これは現在市場に流通する有機野菜の量と同じ」「日本は、農業大国であるアメリカやフランスよりも、牧草の収穫率が高く、冬の日照時間も長い。やり方によってはどんどん伸びると思う」と力強く語っていたことが印象に残りました。

 

 セミナー終了後、富士宮まで呑みに行くというコーディネーターの石神さんやパネリストの面々に誘われながらも、夕方からの仕事の打ち合わせのため、泣く泣く辞退しました

 

 

 

2009032811310000  今日(28日)は午前中、NPO法人活き生きネットワークの年次総会に参加し、新年度に始める障害者さんのための生きがい事業・弁当販売について検討し、参加者で試食を行いました。以前、理事長の杉本彰子さんと一緒に訪問し、その味に感動した浜松のグレースカフェ(障害者自立支援就労維持支援B型施設)の本格薬膳カレーを使ったもの。タンドリーチキンをいただきましたが、時間をかけ、ヨーグルトなども使ってじっくり煮込んだだけあって、やわらかくで食べやすかった! ちょっと子どもやお年寄りには辛いかもしれなかったけど

 

2009032812210000_2  

 

 

 昼下がり、運動不足解消に駿府公園をお散歩し、つかのまのお花見気分を味わい、『すがの』でコーヒー豆を買って帰宅したら、見慣れないハガキが届いていました。

 

 

 『民事訴訟裁判通知』という題で、差出人は『東京都中央区日本橋浜町259 日本財政管理事務局』となっています。

 

 契約不履行につき原告側が提出した起訴状を指定裁判所が受理したことを通知するとか、出廷拒否すると財産を強制執行するとかなんとか、物騒な文言が並んでいます。

 契約不履行って何だ? 仕事上のトラブルや納期の遅れ等などは、仕事ですから多々ありますが、契約違反と指さされるほどの問題は心当たりがありません。

 

 詳細は電話で問い合わせろと書いてあり、今日は土曜日だからお役所は休みだろうと途方に暮れ、とりあえず、グーグルで『日本財政管理事務局』を検索してみたら、またまたビックリ!詐欺、詐欺、詐欺の文字のオンパレード。どうやら今、裁判通知詐欺というのが横行しているようです。住所をビューウォッチしてみたら、トンネルの中じゃないですか!マップで確認すると緑地帯になっていました。

 

  

 振り込め詐欺などがニュースになっているのを見て、「なんでこんなのに引っかかるのかなぁ」と呆れていましたが、まさか、自分がターゲットになるとは。今日が土曜日だったからよかったものの、平日だったらあわてて電話してたかもしれません。

 ネットをやらない人だったら、確実に電話してたでしょうね…。

 「詐欺」の文字で頭2009032815270000がニュートラルになり、冷静になって文面を読んでみると、おかしいところだらけです。そもそも民事裁判通知をハガキで送ってくる? 日本財政管理事務局なんて名前の団体が訴訟通知を送ってくる?・・・ほんと、矛盾だらけですよね。

 

 でも、こういうのを初めて手にすると、ビビっちゃって、それっぽい住所と連絡先が書いてあれば、とりあえず確認してみようって電話かけちゃう人、いると思います。

…詐欺被害に遭った人の心理状態が、なんとなく解る気がしました。

 

 

 これが私のところに届いた実物ハガキです。財務省のホームページに、「詐欺事例」で掲載されていたのと文面はまったく同じでした。

 

 

 春の椿事で笑って済ませられる話じゃないと思い、いそぎ掲載しました。みなさんもこんなのが届いたら、どうぞひと呼吸置いて、冷静に対処してくださいね。

 


一生を凝縮した一日(子ども編)

2009-02-21 12:15:56 | NPO

 一生を凝縮した一日…なんて、ちょっと大げさなタイトルですが、昨日(20日)は、子ども、大人、シニアがかかわる場を順に3ヶ所取材し、それぞれの世代の生き方にふれているうちに、なんだか人一人分生き切った気分になってしまいました。

 

 

 まず午前中は浜松で、地域の子育て情報のウェブサイトを浜松市と協働で運営するNPO法人はままつ子育てネットワークぴっぴを訪問しました。

 転勤で浜松へやってきた原田博子さんが、育児の悩みや問題を共有できる仲間づくりや必要な地域の子育て情報収集のために04年に立ち上げた組織。運営するホームページは当事者同士ならではの“知りたい”“つながりたい”気持ちをベースにしたわかりやすい内容で、利用者はもちろんのこと、行政からも高く評価されています。行政が発信する育児支援情報って、いかにもお役人が机上の上で書いたって感じのおカタイものが多いんですが、ぴっぴのホームページは当事者が作っているから本当にわかりやすくて、子育てに縁のない私が見ても楽しいんですね。

 06年には日本経済新聞社主催「日経地域情報化大賞2006」の準大賞にあたる日経新聞社賞を、08年には「内閣府バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰」の大臣表彰奨励賞を受賞されています。

 

 

 

Photo  お会いする前は、原田さんって、てっきりIT関係のお仕事をされていた方だと思っていたのですが、「いえいえ全然、転勤族で関西や九州で暮らし、第一子を産んだ大分県のまちは、周囲が高齢者ばかりで、自分にも子どもにも友だちができなかったという経験がベースなんです」と原田さん(写真中央)。

 

 浜松に移住してから近所の公民館の育児サークルや、育児・障害者・シニアにかかわるNPO団体に積極的に参加し、自分ができること、必要とされていることに目覚めたといいます。「気がつくと、周囲にはIT技術や情報収集能力を持ちながら、育児休業中で復帰の機会を待ち望む優秀な女性が集まっていた。私に特別なスキルがあったわけではないんですよ」と自然体で語ります。

 

 ぴっぴが評価されるのは、NPO団体が壁を感じがちな行政との協働をスムーズにこなす点にもあります。原田さんは「お役所と自分たちの間には壁があって当然。なかなか乗り越えられなくても、つねに乗り越えようと努力することが大切」とし、市の担当者とは2週間ごとにプロジェクト会議を開き、他のセクションとコラボする際も、「下請け業者扱いされないためにも」、市民協働とは何ぞや~から丁寧に話し合う努力を重ねているそうです。

 この原田さんの行動力、県外出身者ならでは、かもしれません。外から来た人、外の経験を経た人だから見えてくる地域の壁や問題点。あるいはその地域の特徴や魅力。浜松市民にとって原田さんは「外の人」で、行政にとってNPOも「(お役所の常識の)外の人」ですから、そういう人を排除するのではなく、上手に受け入れ、活かすのも、ある種の地域力なんだと思います。

 

 

 

 

 ところで、シングルの私には母親の気持ちは机上で想像するしかありませんが、自分の幼児期を思い起こせば、育児中の母親の精神状態って本当に大事だと思えてきます。

 

 私は3歳になるまで、両親、祖父母、叔父と叔母の大人6人に囲まれ、一家の初孫として大事に育てられましたが、母は伊豆修善寺の田舎育ちで、環境の違う都市部の公務員一家に嫁ぎ、舅・姑・小舅たちと同居することになり、周囲に心許せる身内や友人がいない孤独感もあったのではと想像します。

 私の、年長者や地位の高い人には物怖じしない生意気な性格や、一方で身近な人のちょっとした声や反応にオドオドする小心さ、辛さを表に上手に吐き出せない不器用さは、幼児期の生活環境と母の心理状態が影響しているのかもしれません。

 

 3歳の誕生日を過ぎて2ヶ月後に妹が生まれ、その1年後に弟が生まれ、幼稚園に上がってからは祖母に送り迎えをしてもらった記憶しかありません。母は年子で生まれた妹弟の育児に忙殺されていたのでしょう。

 その中でも、妹は、長子の私や、長男として可愛がられたすぐ下の弟に比べ、母の愛情を独占できない寂しさを幼心に感じていたと想像します。大人たちを困らせる問題児になり、やがてそれが並はずれた行動力となって、空港勤務→主婦→海外移住→30代で一から看護師を目指し、今は米国オクラホマ州で、全米の看護師の中でも1割しかいないスペシャリスト(麻酔看護師)として逞しく生活しています。小さい頃は、目を離すとよく迷子になり、学校の先生からも「この子は放っておけばどこかにすっ飛んでしまう勢いがある」と言われ、本当に家族の目の届かない地球の裏側へ飛んで行ってしまいました。

 

 母親が、子どもが3歳ぐらいまでの時期に、どんな精神状態だったかは、子どものその後の性格や生き方を左右するんですね、本当に。だからこそ、原田さんたちの行動にも価値があるのだと実感します。

 続きはまた明日。