杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

亡き酒徒に伝えたかったこと

2017-08-21 13:36:33 | 本と雑誌

 腰・顎・指の三重苦に苛まれるこの夏は、ときたま外呑みに出る以外、家で大人しくしています。お盆の期間は冷房の下で読み散らかしている本を整理してみました。

 Kindleに溜めたブックリストを見ると、娯楽小説は『村上海賊の娘』のみ。ほかは、とても女子の本棚とは思えない色気のないものばかりで、どうりで自分は情緒的な文章やコピーが書けないライターだと自己嫌悪に陥ります(苦笑)。

 

 一番最近購入したのは神谷恵美子さんの『生きがいについて』。8月9日に聴講した静岡県ボランティア協会の講演会「大切な人に…あなたは誰を看取り、誰に看取られますか」で、在宅医療に取り組む講師の遠藤博之氏(たんぽぽ診療所院長)が人生の指針となる名著だと紹介されました。神谷恵美子さんは美智子皇后のカウンセラーとして知られる精神科医。タイトルからして解りやすい生き方指南本かと思いきや、とんでもなく深くて重い精神分析論で、ハンセン病患者との交わりを通し、世界の人間論・精神医学・文学を引用しながら人間にとっての生きがいとは何かを考察します。

 

 この本に触手したのは、先月末、地酒の会で時折顔を合わせていた一回り年下のJさんが自死したこともきっかけになりました。

 Jさんは趣味で酒のブログを書き、「自分も真弓さんのようなライターになりたい」と積極的に声を掛けてくれる人懐っこい青年でした。こまめに酒の会に顔を出し、熱心に試飲をしてはブログに記録をし、昨年は結婚&念願の酒蔵への転職も果たして、酒の世界でセカンドキャリアを開花させようと意気揚々だったのです。個人的なパーソナリティをよく知っていたわけではないので、彼の心の内を推し量ることは不可能ですが、40歳過ぎてのキャリアチェンジにはそれなりの苦労もあっただろうと想像しました。

 

 神谷さんのこの言葉を知っていたら彼に伝えたかったな、と思います。

『人間はべつに誰かからたのまれなくても、いわば自分の好きで、いろいろな目標を立てるが、ほんとうをいうと、その目標が到達されるかどうかは真の問題ではないのではないか。ただそういう生の構造のなかで歩いているそのことが必要なのではないか』

 神谷さんによると、心臓神経症に悩んでいたハンセン病患者の青年が、あるとき施設内で仕事を得て神経症の症状が消えた。その後、障害者年金制度ができて年金受給者は就労してはいけないことになったため、仕事をやめたとたん神経症が再発したという。生きがいとは何か本書では多くの解釈がされていますが、私はこの、『ただそういう生の構造のなかで歩いていることが必要』という一節が、禅の教えにも通じるようで、なんとなく腑に落ちました。結果はもちろん大事ですが、自分が望んで始めたことならば、うまくいくときもいかないときも己事究明しながら一心に取り組む・・・その過程に意味があるんですね。

 

 神谷さんはまた、自殺をふみとどませるものとして①純粋な好奇心、②憎しみや攻撃心、③自尊心を挙げています。①は生きる意欲を全く失った人でも明日の新聞に何が載るか、次の郵便で何が来るかを知るためだけでも自殺を24時間引き延ばせる。たとえ1日でも待つという心を持つことが出来ればそれはすでに前向きな姿勢ということ。③は自分という人間が存在するために、たとえばどれだけの動物がされてきたかを考えて自分も自分の分を果たせよということ。

 最も効果的なのは②で、恨みや復讐の念は、適当な方向と吐け口さえ与えられれば、足場を失って倒れた人間を再び起き上がらせるバネの役割を果たしうる―と。

 私自身、死んだら楽になるかなあと思った経験がないわけではありませんが、そのとき我を取り戻したきっかけは「怒り」だったと思います。怒りという感情を持つにはそれなりのエネルギーが必要で、心が弱っているときには怒りや恨みを掘り起こす具体的なきっかけも必要でしょう。自分の場合、何がきっかけで「こんなことで死んでたまるか」という心境になれたのかは忘れてしまいましたが、その後は①のように、めくられていないカレンダーのページに好奇心を託すことができた。・・・時間には、ストップウォッチみたいに限界を決めておくことの効能と、ただただ流れ去らせることの効能があるんだなと思いました。

 

 歴史は、自分が未来に託した好奇心の一つです。毎年、8月の原爆の日や終戦記念日の前後になると、新しい戦争歴史関連本を読むようにしており、毎年のように「知らなかった」ことの発見に、「こういうことを知らずに死ぬのはもったいない」「自分を生かしてくれたご先祖に申し訳ない」と、③のような心境に至ります。

 今年読んだのは半藤一利さんと保坂正康さんの対談集『賊軍の昭和史』。鈴木貫太郎(関宿)、石原莞爾(庄内)、米内光政(盛岡)、山本五十六(盛岡)、井上成美(仙台)等など、幕末維新で賊軍とされた藩の出身者が、昭和の戦争を終わらせたという新しい論点でつづられています。

 そこから歴史をさかのぼるように、幕末維新史(『維新革命への道』)、近世の統治機構(『逃げる農民、追う大名』)、日本唯一の“革命”だった鎌倉承久の変(『日本史のなぞ』)、新しい日本史解釈(『げんきな日本論』)と読み進め、歴史=先人の生きた証しを学び理解することは、今の自分の立脚点=自分がなぜ今、生かされているかを知ることだとしみじみ実感しています。

 

 無理に歴史好きになれというつもりはありませんが、歴史は、常識や定説にとらわれずさまざまな角度から光を当てると人間の行動心理がよくわかります。とりわけライターという職業人にとっては知識の蓄積のみならず、物事の思考の糧になり、やりがい・生きがいにもつながります。そういう話をJさんにする機会があったなら・・・と思うと残念でなりません。

 先日参加した酒宴で設けられた彼への献杯時間に、そんなことをつらつら考え、とりあえずKindleのストック消費に没頭する晩夏。今朝は久しぶりの純文学、今年の芥川賞受賞の『影裏』を読破したところです。岩手が舞台で主人公は日本酒好きで「南部美人」「田酒」が登場。明るくはないけれど、酒飲みと一緒に物語のその後が語り合いたくなるような話です。


たまごふわふわ、飽くなき挑戦

2017-03-07 10:27:33 | 本と雑誌

  3月6日発行のdancyu4月号は「たまごと料理」特集。私は袋井市が江戸時代の名物料理としてB級グルメで売り出し中の『たまごふわふわ』を紹介させていただきました。

 

 卵白を撹拌し、黄身を混ぜたものを出汁に流し込み、ふわふわっと軽めに凝固させる。口中に広がる摩訶不思議なスフレ感。卵料理の原点にしてシンプルの極みともいえる『たまごふわふわ』。記事でも触れましたが、この名を初めて耳にしたのは2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』でした。

 江戸の貧乏道場・試衛館の近藤勇(香取慎吾)が、将軍上洛の警護役として募集した浪士組の参加を決意する大事な夜。江戸で穏やかな暮らしを望んでいた妻つね(田畑智子)は募集チラシを戸棚に隠したんですが、食いしん坊の原田左之助(山本太郎)が何か食べるものがないかと戸棚を家探ししていたとき、チラシが落ちて、それを偶然、勇が拾って・・・という展開。妻の切ない思いを知ってか知らずか、浪士組参加を決意した後の夕餉で勇が所望したのが「ふわふわたまご」でした。ところどころにコメディ要素を挟まずにはいられない?脚本家三谷幸喜氏のお遊びかと思いきや、本当にそういう料理があって、近藤勇の好物だったんですね。

 

 江戸時代の料理の伝承記録をまとめた『日本料理事物起源』によると、「玉子ふわふわ」は1626年、徳川家が二条城に後水尾天皇を招いての饗応料理に初お目見え。その後、茶人松屋久重や尾張徳川家家臣の日記にも登場し、江戸中期までに玉子焼き、玉子とじ、茶碗蒸し等々に発展したそうです。そう、茶碗蒸しの原型なんですね。先月のこちらの記事でも書いたとおり、東海道中膝栗毛では弥次喜多さんが藤枝宿で味わっています。

 

 で、平成になってご当地グルメとして掘り起こしたのが静岡県袋井市。2006年放送の東海道の歴史番組で、大阪の豪商升屋平右衛門の旅日記『仙台下向日記』(1813年)に、袋井宿の大田脇本陣で朝食の膳に載っていたと紹介され、これに着目した袋井市観光協会が翌年のB‐1グランプリに出品し、ブームに火をつけたのです。

 袋井市観光協会では、一定の条件を満たした飲食店や菓子店に「たまごふわふわ」の認定書と登り旗を貸与。江戸時代の味を再現したお店から、デザートやスイーツ等新しい味を創意工夫したお店まで、いろいろな味を食べ比べできるようPRしています。登り旗のある店はこちらのサイトで紹介されていますのでぜひご参考に。


 私が今回取材させていただいたのは袋井駅前の「とりや茶屋」の松下善行さん。メニューの筆頭に「たまごふわふわ400円」と気合が入っています!

 卵白を撹拌するとき、ハンドミキサーを使うお店がほとんどですが、松下さんは「江戸時代に電動器具はないだろう」と、菜箸で丁寧に撹拌させます。だし汁は店名からして鶏だしかと思いきや「袋井はその昔、昆布と鰹節を江戸城へ献上していたという記録があるから」と和食の基本だし。ここまで徹底して江戸時代のたまごふわふわを再現しているお店はここだけだそうです。

 だしを沸騰させ、メレンゲ状態の卵をざっと流し込んで蓋をするだけ。シンプルゆえに素材、味付け、火の加減が大事。料理人の矜持が伝わって来るようです。

 取材後、私もさっそく100均で土鍋(径口15センチぐらいの小さいサイズ)を買って、自宅で何度もトライしてみたんですが、松下さんのようなふわふわ感がなかなか出ません。食感はふわふわですが見た目がイマイチ…。ネーミングや食感の緩さからは想像できない奥の深い料理なんだなあ~としみじみ実感です。


 取材した日の夜は、燗酒の酒肴にしたところ、まろやかな純米酒との相性バッチリでした。東海道宿場町では朝食膳の定番メニューだったことに倣い、このところ飲み過ぎた翌朝も、気合を入れる意味で「ふわふわ」再現にトライしています。素人が松下さんの領域まで達するのは不可能ながら、卵1個でも満腹感があってとにかく胃腸に優しい。とりや茶屋では宴会メニューの〆に大変喜ばれているそうですから、東海道筋の居酒屋さんでもぜひメニューに加えてほしいです。作り方はdancyuの記事をぜひ!


「驚きの介護民俗学」に驚き

2016-02-13 09:30:28 | 本と雑誌

 先の記事でお知らせしたとおり、昨年秋より受講していた介護ヘルパー初任者研修が修了し、アタフタしていた最後の筆記試験も終わり、無事、修了証をいただくことができました。真面目に受講していれば大丈夫、と言われていたものの、資格試験的なものは30数年前の運転免許証取得以来だった自分にとっては、久しぶりに緊張みなぎる数日間でした。SNS等で激励くださったみなさま、本当にありがとうございました。

 

 介護というまったくの門外漢の勉強も大変、学びがいのあるものでした。というか、「今まで知らないことを知る愉しさ」を、取材業務ではなく、いち個人として全身で受けとめることが出来て、非常に充実した数ヶ月間でした。心身に“錆び”を感じていた自分にも、未知のジャンルへの好奇心と行動力がちゃんと残っていたんだと、我事ながら嬉しくなりました。

 実は、この研修を始めたほぼ同時期にスタートした朝日テレビカルチャーでの地酒講座に、お一人で参加されている高齢の女性がいます。その女性から「お酒の勉強をずーっとしたいと思っていたけど、他のカルチャーは平日夜で男性講師が多いからどうにも参加しづらかった。女性の講師が日曜昼にやってくださってほんとうに嬉しかったの」と言われ、失礼ながらその御歳でも知識欲、しかも講座に通うほど日本酒に対する関心があるって素晴らしい!と思っていました。年齢に関係なく、知識欲を実際に行動に移す姿は大いに刺激になります。そういえばヘルパー講習にも70歳を超えた受講者がいました。10代20代の若い受講生と机を並べて学習する姿、眩しいほどでした。

 結晶性知能(学習や経験に寄って獲得できる理解力や判断力)は年齢を経ても衰えにくいけど、流動性知能(新しい環境に対して情報を獲得し、処理操作する能力)は早くも20~30代から低下する、とヘルパー教科書にありました。この、流動性知能を鍛え、働かせ続けることが、脳のアンチエイジングになるんだなあとしみじみ思います。

 

 いただいたヘルパー研修修了証を眺めていたら、これで終わりじゃモッタイナイなと思い、次のステップである介護福祉士や社会福祉士の資格取得方法をあれこれ調べてみました。ところが現場経験もしくは福祉系大学の卒業資格が必要だったりと、すぐにどうこう出来るものではなさそうで、今の仕事をやめて介護施設に勤める決心もつかない。・・・とりあえず独自に勉強を続けてみるかと、静岡県立図書館をフラついていたら、思いがけない本に出合いました。

 

 

 まず、「介護民俗学」という学問があるのか!と驚き、著者・六車由実さんのキャリアにも驚きました。

 六車さんは沼津のご出身で、静岡県立大学から大阪大学大学院に進み、民俗学の博士号を持ち、東北芸術工科大学准教授を経て、現在、沼津のNPO法人で介護職員として勤務。2003年には著書『神、人を喰う―人身御供の民俗学』でサントリー学芸賞も受賞されています。そんなキャリアの持ち主が介護職員に転身した、ということにも興味がそそられますが、それよりなにより、六車さんが、民俗学の聞き取り手法を活かして認知症を患った利用者一人ひとりに自分史を語ってもらい、記録をし、その人の人生の厚みを感じながらケアに臨む、という姿勢に心揺さぶられました。「介護民俗学」とは、民俗学者の肩書きを持つ介護職員・六車さんが提唱した、まったく新しいケアの考え方だったのです。

 

 日常のコミュニケーションがとりづらい認知症の高齢者でも、断片的な言葉の中に、その人の生活史につながるキーワードがあります。認知症患者の中には子どもから青年期の記憶がかなり鮮明な人も多い。沼津なら沼津の昔の町名、鉄道「蛇松線」の駅名、商店の名前、農耕儀礼など等。

 ターミナルケアが必要な状態のある利用者さんは、その昔、御舅さんがドブロクを密造し、役人に見つかって酒造道具を押収されたり、ドブロクにサッカリンを入れると味が断然よくなり、後年、寝たきりで呑めなくなった御舅さんに、酒を脱脂綿にふくませて口を湿らせてやると幸せそうな顔をしていた・・・なんて具体的なエピソードを延々話し続けたそうです。その人がもし、蔵元さんや杜氏のおやっさんだったなら、静岡県の酒造史上、貴重な証言が聞けるかもしれない!・・・なんて想像してしまいました。

 

 六車さんは「老人ホームは民俗学の宝庫」であり、「利用者は、聞き手(介護者)に知らない世界を教えてくれる師となる。相談援助やカウンセリングとは違う。介護民俗学での聞き書きは、利用者の心の状態や変化を目的としない。社会や時代、そしてそこに生きてきた人間の暮らしを知りたいという絶え間ない学問的好奇心と探究心により、利用者の語りにストレートに向き合う」といいます。そして「日常的な介護の場面ではつねに介護される側・助けられる側という受動的かつ劣位側にいる利用者が、ここでは話してあげる側、教えてあげる側という能動的かつ優位側になる。ターミナル期を迎えた高齢者の生活をより豊かにするきっかけになるのでは」と。

 

 介護の専門技術の中には、その人の人生の過去に傾聴し、今を生きるための心を支える“回想法”という技法があるようです。カウンセリングに近い方法でしょうか、言語以外の表現方法や感情に重点を置くことが多いそうです。技法である以上、マニュアルがあり、施術する方、される方という立場の優劣が生じる。マニュアルどおりにいかなければ問題アリと判断される。受講中は〈今の介護は欧米の考え方がベースだから、そんなふうに合理的に判断するんだろう〉と漫然と考えていました。

 ところが、六車さんの民俗学的好奇心と探究心によって相手に教えを乞うスタイルは、カウンセリングというよりも、私が経験してきた取材やインタビューに近い。とにかく相手の言葉をトコトン聞き込み、正確に記録する。こういうのも介護でアリなんだ・・・!とビックリでした。もちろん有効な場合とそうでない場合もあるでしょう。長い人生を背負ってきた人に対して、介護技法を選択する上では慎重さも必要だろうと想像します。しかし同時に、相手の人生経験を〈純粋に聞き書きする〉という作業がその人の尊厳を高め、よりよい介護につながるのなら、自分のキャリアも何かしら役に立つかもしれない・・・。どこか、光明を得た気がしました。

 

 介護ヘルパー初任者研修という最初の登竜門をくぐったばかりの未経験者の戯言ですが、とにかく、こういう開拓者が静岡県内にいらしたことに大いに刺激をいただきました。実になる仕事はサッパリなのに、学びたいことは次から次に湧いてきて、心身の錆磨きを怠ってはいけない、と焦るばかりです。

 


福BOOK袋で徒然草

2016-01-07 20:07:04 | 本と雑誌

 年明けの静岡県立図書館で『お楽しみ福BOOK袋』というのを見つけました。図書館員さんがテーマごとに3冊選び、福袋に詰めてタイトルが分からないようにして貸し出すそうで、私が行ったときは残り少なかったんですが、袋の添え書きに【私は「古典に興味があるけれどちょっと自信がない方に読んでほしい本」をセレクトしました】とあった福BOOK袋を借りてきました。

  貸し出しカウンターに持っていったとき、図書館員さんが今まで見たこともない嬉しそう~な顔をしていたのに、ちょっとびっくり。アンケート用紙も入っていたので、今回初めての試みだったのかな? でもすごくナイスな企画ですね。本選びって自分の視野だけではどうしても限られるけど、図書館員のセレクトなら安心できるし、既読本だったとしても今読む意味があるんじゃないかと思える。こういう偶然、好きです。さっそく今回出合った徒然草関連の3冊を通読しています。

 

 徒然草。教科書で勉強していたころは、序段の「つれづれなるままに」や、五十二段の「仁和寺にある法師」ぐらいしか記憶になく、たいして面白いとも思えなかったのですが、この年齢で改めて読んでみると、作者吉田兼好の人間観察力のスゴさ、ちょっとシニカルで保守的なモノの見方がクスッと笑えたりナットクさせられたりで、10代で勉強したことってやっぱり深いんだなあとしみじみ。高校のときの、こけしみたいなお顔の古文の先生が懐かしく思い出されました。

 

 五十二段「仁和寺にある法師」は、石清水八幡宮に初めてお参りに出かけた仁和寺の老僧が、山上の本宮まで行かず、山裾の宮寺と摂社だけ拝んで満足して帰った。同僚に「やっと念願のお参りができた。それにしても多くの人が山を登って行ったけど何だっただろう。自分も行って見たかったけど神詣が本来目的だったから登らずに帰ってきたよ」と。何につけても道案内が必要だ、という教訓話。これ、よく静岡酵母の河村傳兵衛先生がたとえ話にして「酒の本質を知らずに知ったかぶるな、勝手な自己判断をするな」とおっしゃっていたので、すごく身に沁みているんです。

 今回借りた本では、百七十五段を面白おかしく、身につまされながら読みました。酒徒のみなさんなら「あるある」と頷かれるんじゃないでしょうか。これが鎌倉末期に書かれていたのですから、人間の本質って世の中がどんなに変わろうとも基本的には同じなんですね。

 年始にあたり、己の教訓とする意味で、書き写しておこうと思います。なお対訳(緑字)は私が少々意訳しました。ご了承ください。

 

 

徒然草第百七十五段 「世には心えぬことの」

 世には心えぬことのおほきなり。ともあるごとには まづ酒をすゝめて しゐのませたるを興とすること いかなるゆえとも心えず。

(世の中にはわけのわからんことが多い。何かにつけてまず酒を呑ませようと無理強いして面白がる。何が面白いのかわけがわからん)

 

 のむ人のかほ いとたえがたけに 眉をひそめ 人めをはかりてすてんとし にげんとするを とらへてひきとヾめて すヾをにのませつれば うるはしき人も たちまちに狂人と成てをこがましく 息災なる人も めのまへに大事の病者となりて 前後もしらずたふれふす。

(呑まされるほうはウンザリ顔で眉をひそめ、人目のないとき酒を棄て、席を立とうとしても引き止められて呑まされる。どんなに澄ました人だって呑み過ぎて泥酔したらバカをやらかす。健啖な人だってみるみるうちに重病人みたいになって前後不覚にぶっ倒れる)

 

 祝ふべき日などは浅ましかりぬべし。あくる日まで頭いたく 物くはずによひふし 生をへだてるやうにして昨日のことおぼえず。おほやけわたくしの大事をかきて わふらひとなる。

(祝い事の酒席となれば更に浅ましい。翌日まで頭痛がし、物も食べられず、起き上がれず、記憶もすっとぶ。仕事やプライベートにも支障をきたすだろう)

 

 人をしてかゝるめを見する事 慈悲もなく礼儀にもそむけり。かくからきめにあひたらん人、ねたく口のしと思はざらんや。人の国に かゝるならひ有なりと これらになき人事にてつたへきゝたらんは あやしくふしぎにおぼえぬべし。

(人をこんな目にあわせるのは慈悲や礼儀に背くことだ。こんなひどい目にあった人は呑ませた奴を恨みに思わないのか。外国にこんな風習があると聞けば奇怪だと思うだろう)

 

 人の上にて見たるだに心うし。思ひ入たるさまに 心にくしとみし人も 思ふ所なくわらひのゝしり ことばおほく ゑぼうしゆがみ ひもはづし はぎたかくかゝげて よになき気色 日ごろの人ともおぼえず。

(醜いヨッパライはあかの他人でも見ていて不愉快だ。思慮深くおくゆかしいと思っていた人が、憚りなく大声で笑い騒ぎ、饒舌になり、烏帽子をゆがめて紐も外して、着物の裾を脛のあたりまでまくりあげる。ふだんのその人とは思えない)

 

 女はひたひがみはれらかにかきやり まばゆがらず 顔うちさゝげて打わらひ 盃もてる手に取つき よからぬ人は さかなとりて口にさしあて みづからもくひたるさまあし。

(女のヨッパライは額の髪をかきあげて、恥じらいもなく天井をむいて大笑いし、盃を持つ人の手に取り付いたりする。下品な奴は魚を人の口にあてがったり、それを自分もつまんだりと、とにかくみっともない)

 

 声のかぎり出して 各うたひまひ 年老たる法師めし出されて くろくきたなき身をかたぬぎて 目もあてられずすぢりたるを興し 見る人さへうとましくにくし。

(ありったけの大声で歌ったり踊ったり、年寄りの坊さんが呼ばれて小汚い肌をあらわにして、目もあてられない格好で踊り呆けるのを見て喜ぶ連中も、まったくけしからん。みちゃいられん!)

 

 あるは又 我身いみじき事ども かたはらいたくいひきかせ あるは酔ひなきし 下さまの人は のりあひいさかひて あさましくおそろし。

(あるいは自慢話をひけらかしたり、酔い泣きし、下々の者は罵り合ったり喧嘩を始めたりする。浅ましいやら恐ろしいやら)

 

 恥がましく心うき事のみ有て はてはゆるさぬ物どもをしとりて 縁よりおち 馬車より落てあやまちしつ。物にものらぬきはゝ 大路をよろぼひゆきて つゐひぢ門の下などにむきて えもいはぬ事共しちらし 年老けさかけたる法師の小童のかたをおさへて聞えぬ事共いひつゝよろめきたる、いとかはゆし。

(ドンちゃん騒ぎの後は、人さまのものを無理やり奪い取ったり、縁側から落ちたり、馬や車から落ちて怪我をする。徒歩で帰る者は大路を千鳥足で歩いて、土塀や門の下で粗相をし、袈裟をかけた年寄りの坊さんは小童の肩に寄りかかってわけのわからない戯言を言い、よろめいている。何やら気の毒になってくる)

 

 かゝることをしても 此の世も後の世も益あるべきわざならいかヾはせん。此の世にはあやまちおほく 財をうしなひ病をまうく。百薬の長とはいへど万の病は酒よりこそおこれ。うれへを忘るといへど ゑひたる人ぞ過にしうさをも思い出てなくめる。

(こんなことをしても、現世や来世で役に立つのであれば仕方ない。だが実際はこの世では酒で失敗することばかりで、財産も失うし病気にもなる。百薬の長といっても大半の病気は酒が原因だ。呑めば憂さが晴れるというが、ヨッパライほど過去の失敗を思い出してはメソメソしている)

 

 後の世は人の智恵をうしなひ 善根をやくこと 火のごとくして悪をまし よろづの戒を破りて地獄に堕べし。酒を取て人にのませる人 五百生が間 手なきものに生るとこそ 仏は説給ふなれ。

(来世では智恵を失い、良心が焼失し、悪行を増して数多の戒律を破って地獄に堕ちるだろう。「酒を手にとって人に呑ませた者は五百回生まれ変わる間、手のない者に生まれる」と仏は説いておられる)

 

 かくうとましと思ふ物なれど をのづからすてがたきおりもあるべし。月の夜雪のあした 花もとにても 心のどかに物語して 盃出したる 万の興をそふるわざ也。

(このように疎ましいものであるが、酒はおのずと捨てがたいときもある。月夜や雪の朝、花の下で心おだやかに語り合いながら交わす盃は、なんとも興をそそられる)

 

 つれづれなる日 思ひの外に友の入きてとりおこなひたるも心なぐさむ。なれなれしからぬあたりのみすのうちより 御くだ物 みきなどよきやうなるけはひして さし出されたるいとよし。

(所在ない日、思いがけなく友がやってきて一杯やるのも心癒される。近づきがたい身分の御方の御簾の内から、いかにも上等な果物や酒などをお上品にいただくのも悪くない)

 

 冬せばき所にて 火にて物いりなどして へだてなきどちさしむかひて おほくのみたるいとおかし。たびのかり屋 野山などにて 御さかな何がななどいひて しばの上にてのみたるもおかし。

(冬の寒い時期に狭い座敷で煮炊きをして、心隔てのない仲間と差し向かいで一杯やるのも実にいい。旅先の宿や野外で「肴に何かないかなあ」などと言いながら芝の上で呑むのも趣がある)

 

 いたういたむ人のしゐられて すこしのみたるもいとよし。よき人のとりわきて 今ひとつ うへすくなしなどのたまはせたるもうれし。近づかまほしき人の上戸にて ひしひしとなれぬる又うれし。

(下戸の人にちょっぴり呑ませてみるのも面白い。高貴な方が特別のはからいで「もう一杯どうだ、あれ、空っぽだ」などとおどけながら注いでくれるのも嬉しい。お近づきになりたいと思っていた人がかなり呑める人で、すっかり気が合う、なんてのも喜ばしいことだ)

 

 さはいへど 上戸はおかしくつみゆるさるゝもの也。酔くたびれてあさゐしたる所を 主のひきあけたるにまどひて ほれたるかほながら ほそきもとヾりさし出し 物もきあへずいただき持、ひきしろひてにぐる かひどりすがたのうしろ手 毛おひたるほそはぎの程 おかしくつきつきし。

(なんといっても酒上戸は愛嬌があって罪がない。酔いつぶれて朝になり、その家の主人に戸を開けられ、二日酔いでボーっとした顔でまごまごしながら細い髻を付き出し、着物を着る間もなく抱えて引きずり、裾をちょっぴりたくしあげて脛毛丸出しで逃げ帰る、その後ろ姿も実に愛嬌がある)

 

出展/古文書入門くずし字で「徒然草」を楽しむ 中野三敏著 (角川学芸出版)、 ビジュアル版日本の古典に親しむ⑨ 徒然草・方丈記 島尾敏雄・堀田善衛著 (世界文化社)

 

 


東京新聞暮らすめいと風岡編集長逝く

2015-06-28 19:55:48 | 本と雑誌

 東京新聞が首都圏40万世帯の購読者に発行する生活情報紙『暮らすめいと』。最新号(2015年7月号)の人物インタビューでは、東京谷中にある禅道場・全生庵の平井正修住職の言葉「坐禅とは放下着(ほうげじゃく)である」が紹介されており、興味深く読んだばかり。全生庵は山岡鉄舟が建立し、最近では安倍首相が参禅したことで話題になってます。

 

 

 そんな暮らすめいとの編集長として辣腕をふるっておられた風岡龍治さん(74)が肺栓ガンのため、6月26日にお亡くなりになりました。今日28日、名古屋での葬儀告別式に参列し、現役編集長のままジャーナリスト人生をまっとうされた風岡さんに感謝とお別れをしてまいりました。

 

 風岡さんは、中日新聞東海本社が制作を請け負っていた静岡県総合情報誌『MYしずおか』第2号(1999年秋)のスタッフライターに加えていただいたときからのおつきあい。初対面のご挨拶のとき、ご実家が名古屋の造り酒屋だったのにお酒は一滴も飲めないと聞き、私が酒の話を得意げにし始めると、「最近の地酒はそんなに美味くなったのか」と面白がってくださったのを今でもよく覚えています。記者時代はかなり硬派なジャーナリストだったそうですが、私が存じ上げている風岡さんはとてもダンディな渋カッコイイおじさまで、物腰もとっても軟らかな方でした。

 

 名古屋の本社へ戻られ、ご縁が切れたと思っていたところ、風岡さんから「東京新聞で首都圏の購読者向けに生活新聞を作るから、旅のコーナーで静岡の観光情報を書いてみないか」とお声かけが。それが暮らすめいとでした。創刊6号目にあたる2009年4月号(3月発行)から参加し、「悠遊・鉄道の旅」という巻頭コーナーで長泉町クレマチスの丘、09年5月号で小田原、09年10月号で伊東城ヶ崎海岸、09年11月号では人物インタビューのコーナーを人選からまかされて、樹木医塚本こなみさんを紹介しました。

 09年12月号では見開き特集をまかされ、満を持して日本酒を2ページがっつり。里見美香さん、土田修さんという敬愛する在京の酒通ジャーナリスト2人にも協力してもらい、下の写真ではちょっと欠けて見辛いですが、メインの仕込み写真には喜久醉の麹造りを使わせてもらいました。

 

 

 2010年1月号では旅コーナーで神奈川・真鶴を、2012年1月号では下田市を、そして2012年4月号では再び見開き特集をまかされ、〈地域密着〉とのリクエストで、ビオファームまつきの松木一浩さんを“スーパー農人”として紹介。同志として富士錦酒造の清信一社長を紹介させてもらいました。こちらにいきさつを書いたとおり、最初は松木さんメインの特集だったのが、清さんの話も面白いからと風岡さん判断でイーブン配置となりました。初対面のとき風岡さんが酒の話を面白がってくださったことが、こんなふうにつながったのかなあと嬉しくなりました。

 

 2012年6月号では人物インタビューコーナーで静岡県立美術館の芳賀徹館長を紹介。2015年の徳川四百年祭のグランドデザインについて興味深いお話をうかがいました。当時、京都大文字の送り火用に東北から送られた薪が被曝しているからと京都人が受け取り拒否したことを、たいそうご立腹されていて、「そのままちゃんと書いてくださいよ」と念を押されたことを覚えています(苦笑)。徳川四百年祭、芳賀館長が当時イメージされていた事業になっているのかな・・・。記事の内容はこちらをご参照ください。

 

 2012年8月号では旅コーナーで山梨・身延山を、12月号では清水・久能山を、2013年2月号では沼津港と御用邸周辺を、9月号では富士山世界遺産の旅を、11月号では箱根を、2014年1月号で南伊豆を紹介しました。風岡さんからお声かけをいただいたのは、これが最後でした。旅のコーナーは人気があるそうで、「自分が書きたい」という中日・東京のOB記者さんが増え、地方のフリーライターにお鉢が回ってこなくなったのが実状のよう(苦笑)。

 

 それでも私にとって暮らすめいとは、他にはない素晴らしい仕事が出来た媒体でした。風岡さんからはテーマや場所の指示だけを受け、ネタは自由に拾って取材し、書かせていただいたものばかり。変更や修正を受けることもほとんどなかったので、自分が好き勝手に書いたもので本当に良かったのかどうかいつも不安でしたが、名古屋―東京を往来される風岡さんが時折、静岡で途中下車され、機嫌よくご馳走してくださると、(口では決して褒めてはくれないけれど)今度の記事は及第点をもらえたのかな・・・と胸をなでおろしたものでした。

 

 

 葬儀場では、会葬の方々から「暮らすめいはタブロイドにしては読み応えのある新聞だ」「広告がすぐ埋まるらしい」「中日ひとすじで、最後まで現役で、いい仕事をしていたよなあ」という声を聞きました。“いい仕事”とは、いろいろな意味が込められていると思いますが、担当記者やライターの得意分野をちゃんと活かしてくださったこと、また大手メディアにあっても、地方のフリーライターに書くチャンスとやりがいを与えてくださったこと、いろいろな意味で書き手をよく育て、鍛えてくださったことが、新聞としての評価にもつながっているのでは、と思います(大手の中には、残念ながらフリーのライターを下に見る人も少なくないんですよね・・・)。 

 

 静岡では出棺・火葬の後に葬儀が行なわれることが多いのですが、今回は葬儀が先でしたので、直接お顔を見てお別れすることが出来ました。ダンディで渋カッコイイ風岡さんがひと回り小さくなってしまわれて、呆然としてしまい、このような恩師にめぐり合えた幸運と、こんなにも早くお別れしなければならなくなった悲しみに、どう、折り合いをつけようか、途方に暮れる思いでした。まっすぐ帰宅して、とりあえず今まで関わった暮らすめいとの記事を見直して、風岡さんの功績をこうして皆様にご紹介し、感謝の代わりとしたい、と思います。本当に今までありがとうございました。