杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

乱読記

2015-05-13 16:28:30 | 本と雑誌

 先日、久しぶりに大井川鉄道「五和」駅の中屋酒店コップ酒場に行き、店オリジナルの酒『かなや日和』の新酒を堪能しました。仕込みは島田の大村屋酒造場。この日は酒の仕込みがひと段落した大村屋酒造場の杜氏や蔵人の皆さんも店に来ていて、ともに親睦を深めました(この店のことは6年前の記事をどうぞ)。

 たまたまお店に来ていた近所のおっちゃんとコップ酒で乾杯したとき、おっちゃんから職業を訊かれ、「好きな仕事でメシが食えるって、ねえちゃん幸せだなあ」としみじみ言われてしまい、今はバイトを掛け持ちしなければ書く仕事を続けられない苦しい身の上を愚痴りたくなるのをグッとガマンして、「そうですねえ、ありがたいですねえ」と空威張りしてしまいました。バイトしなければライターを続けられない自分をミジメだと思うか、この歳でもバイトがあってライターを続けられる自分は恵まれてると思うか、気持ちの持ち様って大きいですね。

 身近には、好きな仕事どころか、病気や家族の問題で暮らしそのものに縛りを抱え、苦しんでいる友人が何人かいます。自分はまだ空威張りできる余力がある。精一杯意地を張って書けるだけ書いて、ボロボロになったらなったで仕方ない。死ぬまでには、まだ間があるだろうし、自分にこそ書けるものがあるだろう。いつかはそんなチャンスに出合えるかもしれないし、一生縁がないかもしれない。でもあきらめたら終わり。当たりが出るまで買い続けなきゃならない宝くじみたいなもんだなあ・・・『かなや日和』をちびちびやりながら、つらつら思いました。

 

 生活の不安を抱えながら、書く仕事のモチベーションをキープするのに、とりあえずの処方箋は読書です。今は自分でも信じられないけど、飲酒時間より読書時間のほうが長い。眼精疲労はMAXだけど胃腸はすこぶる快調です(笑)。

 

 直近で読んで面白かったのが、稲垣栄洋さんの【なぜ仏像はハスの花の上に坐っているのか】(幻冬舎新書)。稲垣先生は静岡大学大学院農学研究科教授で、以前、我が酒友・松下明弘さんと共著で【田んぼの学校】を上梓された気鋭の農学博士。身近な先生が仏教と植物について書いたとあって興味深く拝読しました。

 ハスは約1億年前の白亜紀から生息する古代植物で、おしべとめしべが無秩序にゴチャゴチャしている。めしべがずんぐりしていて実に間違えられるので、「ハスは花が咲くと同時に実をつける」と珍しがられ、原因と結果がつねに一致する“因果倶時”という仏法の喩えに用いられるとか。泥の中でも花を咲かせることができるのは、地下茎(レンコン)に穴があって空気を運ぶことができるから。清浄と不浄が混在する人間社会において、新鮮な空気を循環させる大切さを実感させてくれます。以前、量子力学や宇宙物理学と仏教の講演を聞いたときはあまりにレベルが高すぎてチンプンカンプンでしたが、同じ理系の専門家でも稲垣先生は自分の身の丈にあったわかり易い解説をしてくださり、心に染み入ります。一度講義を拝聴したいなあ。

 

 

 奈良興福寺の多川俊映貫首がお書きになった【唯識入門】(春秋社)は、小難しい唯識仏教解説書の中で比較的スーッと入ってきた入門書。唯識って単純に言えば「気持ちの持ち様」を論理的に検証する心理学のようなもの、と、とらえています。この本に触手したのは、冒頭に陶淵明の漢詩「飲酒」が載っていたから(笑)。「飲酒」のこの一節が唯識の要のようで、

 

  心遠ければ地自ずから偏なり

 

 ワイワイガヤガヤした人境(街中)にあっても、心が執着から遠く離脱している情態ならば、喧騒は気にならない。凡人は喧騒にうつつをぬかし、小隠者は誰もいない山中に遁れたいと思うが、真の大隠者は市井に遁る、という中国の諺がベースにあるそうです。生涯、市井の寺の住職を務めた白隠禅師を思い出さずにはいられません。もっとも私は、騒がしい酒場でも独酌が楽しめる心の余裕を指す言葉だと素直に解釈しましたが(笑)。

 

 

 前々回の記事でふれた武田泰淳。文庫本で630ページの大作【富士】をようやく読破したところで、次にチャレンジしている純文学がグレアム・スウィフトの【ウォーターランド】(新潮クレストブックス)。こちらは単行本にして520ページ。2年前、翻訳家志望の知人青年から勧められ、あまりに話がとっちらかっているので途中で中断してしまったのですが、【富士】の読後に急に思い出して再読。泥沼に足をとられるが如く、ジワジワはまっています。52歳の歴史教師が生徒に語る自分の生まれ故郷の歴史、という体裁ながら、複雑怪奇な一族の物語やらビール醸造史やウナギの生態やらフランス革命や核戦争やらと、ゴッチャ煮感がハンパない。 歴史をこんなふうに物語に仕立てることの出来るのか・・・と目からウロコの構成です。だいぶ前に映画化(ジェレミー・アイアンズ主演『秘密』)されたみたいですが、原作のスケールには程遠いメロドラマらしい。ご覧になった方は感想を聞かせてください。

 

 最近読むのは歴史書や解説本やドキュメンタリーばかりですが、20代の頃はちゃんと読んでた純文学。先月末、京都で遅咲きのヤエザクラ普賢象を観た後、思い出して本棚の奥から引っ張り出したのが大岡昇平【花影】(新潮文庫)でした。主人公の葉子が死を選択する最終章の淡々とした表現、情感をはさまない、脚本のト書きのような表現が、20代のころは冷たく感じて腑に落ちなかったのですが、今はこういう書き方が沁みて来るんですね。人を信じては裏切られ、人を愛しては裏切られ、自らもまた誰かを傷つけてきた・・・葉子の物語にも近い、自分の歳相応の経験がそう感じさせるのでしょうか、最終章を読み進むうちにポロポロと泣けてきました。

 

 最近読んだ本の中で、書く仕事のモチベーションを盛り上げてくれた最良の書は、芳澤勝弘先生が花園大学国際禅学研究所退任記念に出版された【蛇足に靴下】(静嘉堂文庫)。先生はいわずとしれた白隠研究の第一人者であり禅学史の大家でいらっしゃいますが、最初は花園大学の一般職員からのスタート。同志社大学の経済学部ご出身で、禅学を専門に勉強されたわけではなかったそうです。その後、花園大学禅文化研究所に移って経営のテコ入れに大学学長の山田無文老師の講話テープを書き起こして書籍化。ワープロの走りである富士通オアシス1号機=当時380万円也を使ったそうです。思い切った初期投資、というわけですね。

 その後、雑誌『禅文化』の編集長として手腕を発揮され、禅語解読のための『基本典籍索引叢刊』全13巻を草案・プロデュース。さらに500年に一人の逸材で臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師の全著作を完訳、しかも一般の人にも読めるよう解りやすい現代語訳で次々と刊行されました。その原動力は、既存の訳や解説に頼らず、原本に真正面から、自らの眼と頭で納得するまで向き合うという姿勢。そして辞書でさえご自分で創ってしまうというパワー。これらが宗門大学という特殊で閉鎖的な教育機関における“ニュービジネス”を次々と成功させたわけです。道理で、先生とお話していると、禅の研究家というよりも、ベンチャー企業のアントレプレナーのようなエネルギーを感じ、こちらまで元気になれるのです。

 

 本書は雑誌『禅文化』の編集後記をまとめた随筆集で、退官記念パーティーのお礼に配られた非売品とのこと。私は運よく駿河白隠塾の会合で手にすることが出来ました。大御所である先生が大学の一般職員からスタートし、編集者として、さらに研究者として未開の分野を切り拓かれたことを知り、こういうキャリアの先生だからこそ、私のような泥沼の中のミジンコのような存在にまで手を差し伸べてくださったのだ、と胸に迫ってきます。精一杯意地を張っていると、こういう“当たりくじ”にも出合えるんだなあ・・・なんて、つかの間の幸せ気分を味わっちゃいました。

 

 このほかにも(読まねばというプレッシャーを自分にかける意味で)ここで挙げておきたい読みかけの本が数冊ありますが、今日はこのへんで。


なぜか武田泰淳

2015-05-04 22:13:35 | 本と雑誌

 ブログの設定をあれこれいじっていたら、ワイド画面で文字大きめのテンプレートがあったので、一新してみました。明るすぎて私のガラではないんですが(笑)、ずいぶん読みやすくなったかと思います。

 連休中はほとんど外に出ず、ひきこもっています。昔に比べ、書くスピードがあきらかに落ちていて、2000字程度の原稿を一日1本仕上げるのがやっと。連休中に6本上げなきゃならないのに、間に合うんだろうか・・・と焦りつつ、こうやってブログに逃げてる(苦笑)。基本、書くことが好きで、書いていないと落ち着かない性分なのに、気分屋で粘りがないB型気質が邪魔をします。

 

 昨日はWOWOWで、ニュースになっていたボクシング戦を(人生で初めて)最初から最後までついつい観てしまいました。積極果敢に攻めていたアジアの苦労人ボクサーが判定負けで、ガードを固めて省エネパンチしていたアメリカ人が王者に。・・・なんだか人生の悲哀を感じました。夜は『アナと雪の女王』を遅ればせながら初めて観て、雪の女王を単純なヒール役にしないで姉妹愛にまとめた脚本は凝ってるなと思ったけど、劇場アニメ史上最大のヒットになったというのがよくわからない。やっぱりあの歌の力?

 

 私は自宅で、何冊もの読みかけの本を、仕事机や卓袱台や取材カバンや枕元など、部屋のあちこちに置きっぱなしにしています。最近、読み終えたのが武田泰淳の『ひかりごけ』。先月、靖国神社に行ってから戦争文学につらつらと触手し、20代の頃愛読していた大岡昇平の『野火』『俘虜記』を読み返し、大岡作品より描写がエグイと評判の武田作品にアタックしています。武田泰淳は浄土宗の寺に生まれ、中国史や中国文学を学び、『司馬遷』を書いた、私の好む世界に近い人なのに、なぜか今までスルーしてました。

 

 『ひかりごけ』は昭和19年、難破船の船長が部下の船員の肉を食べたという実際に起きた事件をモチーフにしたもので、最初は「私(作者)」がその事件を取材に行くレポート風の書き出しで、次に事件当事者たちのやりとりがなぜか戯曲の第一幕として脚本&ト書きで書かれ、第二幕として船長が法廷で裁かれるシーンで終わる。小説にしてはなんともふしぎな構成です。当然、映画化や舞台化はされているようですが、原作を読むだけで心が針で突かれたようにキリキリ痛みました。

 思い返せば、大学のゼミで中央アジアの石窟寺院に描かれたジャータカ(釈迦の前世譚)について調査したことがあり、釈迦は飢えた虎に己の身を餌として捧げた・・・なんて伝説をたくさん扱ったとき、地球上では実際、人肉を相食むことが珍しくない時代もあっただろうと想像しました。人間の本能にはそういう、獣に戻ってしまうスイッチがどこかに残っているんじゃないかと・・・。

 

 取材カバンに入れっぱなしなのは、泰淳の遺作『富士』。昭和19年頃の富士山麓にある精神病院を舞台に、人間の業が底なし沼のように思える息苦しい作品で、10代の終わり頃、乱読していたドストエフスキーあたりを思い出します。

 精神病院の起源は京都の岩倉大雲寺だと聞いたことがあります。10世紀に建てられた天台密教の寺で、冷泉天皇妃の心の病を治癒した記念に観音堂が建立され、境内の閼伽井(あかい)は霊水として尊ばれたそうです。11世紀には後三条天皇皇女が大雲寺に籠もって平癒したことから、岩倉が“癒しの里”になったとか。明治以降、ここに精神疾患治療拠点が整備されました。

 

 『ひかりごけ』に収録されていた短編『異形の者』は、仏堂で育った泰淳が、人間の罪について身を引き裂くように綴った自伝的小説。仏教とはやはり、誰かに、何かに救ってもらうものではないのだ・・・と胸に迫ってきますが、かつては寺が救いの砦だったのです。宗教家と精神科医の役割は違っても、同じように人に向き合う重く尊い仕事。今の時代に求められるものも大きいと思います。私は精神科医とは接点がないのですが、最近の和尚さん、人にちゃんと向き合っていますか?って言いたくなることしばしば・・・です。

 

 そんなこんなで気分転換に読もうと思った本で心がザワつき、なんで泰淳なんかに手をつけたんだろうと後悔し、早々に読み散らかして原稿書きに戻り、疲れるとテレビをつけ、観る番組がなくなるとこうしてブログに逃げ、泰淳に戻ってしまう・・・なんとも不毛なGWです。ブログのテンプレートを変えただけじゃ気分転換にならないか(苦笑)。


イラストルポと出版文化

2015-03-13 12:53:55 | 本と雑誌

 先日、若い酒徒から「篠田酒店エスパルスドリームプラザ店に酒造りのイラスト画が飾ってあって、思わず見入ってしまいましたよ」と言われ、業界団体が作った広報用の酒造工程図のことかと思って聞いてみたら、どうやら私が【静岡の文化73号~特集静岡の食文化】(2003年県文化財団発行)で磯自慢酒造の杜氏・多田信男さんを描いたイラストルポのことでした(今は飾ってありません)。

 

 

 それから間もなく、フェイスブックで「ワインバーに置いてあった雑誌sizo;ka。こういう雑誌、今でも作れないのかな」という書き込みがあり、私が描いたイラストルポのページが写真で紹介されていました。その記事を見た人から「マユミさんは画を描くんですか!?」という驚きのコメントがあり、昔書いたものが見知らぬバーに置いてあって愛飲家の眼にとまるなんて・・・と嬉しくなり、同時に、こういう仕事ができた時代が遠くなったな・・・という寂寥感に襲われました。

 

 イラストで紹介するというのは、普通に取材し、写真を撮って書く記事の数倍~数十倍、現場観察力が求められます。昔、漫画家の大和和紀さんが源氏物語を描くのに「絵に描くことが歴史を最も理解できる」とおっしゃっていたとおりです。私の場合、職人の手仕事を取材する機会が多かったのですが、職人の表情はもちろん道具や設備の一つひとつを、デフォルメするにしても、構造や背景を理解しなければ画にできない。イラストルポの仕事は、私の取材力をトコトン鍛えてくれました。そういう場を与えてくれた静岡のローカル雑誌のほとんどが、今は廃刊となっています。

 

 先日、静岡新聞出版部の編集者に、出版物が置かれた環境―とりわけ旧態依然とした書店流通体系について聞き、そんな中でも紙ベースの読み物を作って、まっとうに支持されるには何が必要なのか、考え続ける毎日です。静岡は豊かで暮らしやすい土地だと言われてきました。日本一の富士山や駿河湾があって、歴史もあるし産業もある。食材の数も日本一と知事がさかんに自慢します。でも京都や金沢のような文化都市のイメージがない。徳川家康が駿府で印刷技術を興し、葵文庫という優れた蔵本もあるというのに出版文化が育っていない。文化の豊かさや教育の質のバロメーターって、ひとつはその地域に出版・書販事業が健全に育っているかだと思うのですが、自分も含め、この業界に関わる人間の責任であるし、産・学・官のサポートも必要でしょう。まっとうな出版文化を育てようという人々とつながりたい・・・今はその思いで一杯です。

 

 私のような肩書きのない一介のライターに表現の場を与え、育ててくれたローカル雑誌。今読んでも色褪せない、むしろ時代を先取りしていたかのような重量感ある内容です。一部ですが紹介させていただきます。

 

 

 私のイラストルポ・デビュー作品です。昭和62年(1987)静岡新聞社発行の【狩野川通信】。建設省沼津工事事務所のスポンサードで作ったムック本です。昨年、Mr狩野川と紹介した「狩野川屋」の山本征和さんを久しぶりに訪ねたら、まだこの本がカウンターに置いてあって、いまだに似顔絵を客から冷やかされる、と喜んでくれました。

 

 

 1994年から3年間、静岡新聞社で制作された季刊誌【しずおか味覚情報誌・旬平くん】。静岡県農林水産業振興会のサポートを受け、編集者の平野斗紀子さんが心血を注いで作った雑誌です。私はイラストルポ「ただいま仕込み中」を連載させてもらい、上記の山田豆腐店(静岡)をはじめ、山口水産のなまり節(松崎町)、天野醤油(御殿場)、天野重太郎商店(焼津)のカツオ角煮、七尾たくあん(熱海)、富士開拓農協の手作りチーズなど、食の担い手をガッツリ取材しました。酒蔵がなかったのが残念といえば残念かな。

 

 

 【旬平くん】のイラストルポを評価していただき、新たに連載の場を持ったのが、【SHAKE Shizuoka】(1997~98)。花城ハムの花城光康さんを取材した号です。この雑誌は上川陽子さんが議員になる前に自主発行していた静岡ミニコミ誌。陽子さんとはこの雑誌の制作をきっかけに知り合いました。出会ったのは陽子さんのおば様が経営されていた紺屋町のおでんや「いずみ」。偶然カウンターで飲んでいたときです。酒と雑誌づくりという純粋?な縁のおかげか、今もなお、FM-Hi【かみかわ陽子ラジオシェイク】へと続いています。

 

 イラストルポの最後の仕事が、前述の【SIZO;KA】でした。東京の出版社にいた編集者本間さとるさんが、故郷の藤枝で2007年から09年まで自費出版した季刊情報誌です。本間さんとはまったく面識がなかったのですが、何かで私が描いたものを見て連絡をくれて、酒蔵ルポを連載することに。無報酬でしたが酒の記事が書けることが無性に嬉しく、張り合いをもって描かせていただきました。考えてみればこの20数年、酒の記事で報酬を得たのはほんのわずかで、酒のライターとしてはアマチュアなんです、私(笑)。

 

 こうしてみると、私がイラストルポを発表した媒体は、いわゆる商業雑誌として成功したものではなく、個人の努力か行政の支援に頼らざるを得ないものばかりでしたが、資本先がどうであれ、制作者の熱意は変わりません。地域の中の身近な取材対象者や読者に真摯に寄り添い、また地域のクリエイター(カメラマン、デザイナー、ライター等)を育てようと多くのチャンスを与えてくれました。こういう熱意ある人々と時代を共有でき、本当にラッキーだったと思います。

 ネットコミュニケーションが発達した現在、紙ベースの読み物に求められる情報は何か、皆、悩んでいると思いますが、「色褪せないものを残す」こと、これに尽きますね。歴史愛好者からしてみたら、この時代の市井の情報が信頼できる媒体として残っていないと、後世の歴史家がこの時代の判断を誤るかもしれないと危惧します。我々の子孫に、「ご先祖様が生きた時代は、なんだかよくわからない、つまらない時代だなあ」と思われるのは悔しいじゃないですか。都合よく上書きされない情報を残す、という意味でも、出版文化はしっかり守り、継承していかねばなりません。

 今現在、書く場を失いつつある時代遅れのライターに何が出来るのか、本当に自問自答する毎日。心ある出版文化の担い手とつながりたい・・・心からそう願っています。


人口変動を考える

2014-09-02 16:03:24 | 本と雑誌

 先月の静岡県ニュービジネス協議会中部サロンで、静鉄ストアの竹田昭男社長から「食品スーパーにとって重視するのは人口減少問題」とうかがい、なるほど、と思いました。ちょうど歴史人口学者・鬼頭宏氏の『2100年、人口3分の1の日本』を読んでいたからです。

 日本の人口は、現在の1億3000万人が50年後に9000万人に、100年後には4000万人にまで減ると予想され、政治経済や労働環境、家族関係など社会全体を激変させるといわれていますが、日本では長い歴史のなかで過去何度か人口変動を経験している。その変動の波を歴史人口学者の立場で分析したユニークな学術書です。

 

 

Imgp0618  まず、2020年という近々の未来を想定した静鉄ストア竹田社長のお話。現在、1億2805万人の日本の人口は1億2410万人となり、単純計算で約3%=395万人の胃袋が減ります。しかも高齢化が進んで生産人口は780万人も減る。世帯数はというと、数字の上では増えるんですが、全世帯の3分の1が単身世帯で、その3分の1が高齢者の単身世帯となります。

 

 過日発表された、静岡県が人口減少全国ワースト2位という数字にショックを覚えた人も多いと思います。あらためて竹田社長が具体的に解説してくれましたが、平成25年データで、人口が減った都道府県は①北海道▲8154人、②静岡県▲6892人、③青森県▲6056人、④長崎県▲5892人、⑤兵庫県▲5214人とのこと。

 

 静岡県▲6892人の内訳をみると、①沼津市▲1239人、②焼津市▲858人、③静岡市▲775人、④富士市▲610人、⑤牧之原市▲515人の順。静岡市の場合、2010年時点の人口71.6万人が、2020年には68.2万人(▲3.4万人)と想定されています。2020年段階で今より人口が増えると予想されるのは、長泉町、吉田町、御殿場市、袋井市、裾野市の5市町だけだそうです。・・・静岡って気候温暖で交通至便で富士山も見えるし食材にも恵まれているし、住みやすさでは日本トップクラスと自負していたのに、単に住みやすい、なんて条件では人口増加どころか流出を食い止めることも出来ないんですね。

 

 

 人口が減って、高齢者の単身世帯が増えるという変化に、静鉄ストアのような食品スーパーは敏感にならざるを得ません。我が家から最も近い静鉄ストア千代田店は、弁当・惣菜コーナーを増設し、イートインコーナーまで併設しました。生鮮品も小分けパックがずいぶん増えています。売り場面積で計算したらずいぶん効率が悪いだろうなあと思いつつ、静鉄ストアは、売り場の論理ではなく「客が欲しいと思うもの」を「客が買いやすいスタイルで売る」ことに徹しようと舵を切ったのでしょう。

 

 人口減少に手をこまねいているわけではなく、家庭で料理を楽しむ人を育てようと、お弁当作りのチラシを作ったり、料理教室を開催したりと食育活動も展開中です。

 

 「今後、人口増加が見込まれる長泉、御殿場、裾野等、県東部地区への出店が有望」という竹田社長。さらに東の神奈川県は全国でも人口増加が期待される地域だけに、静鉄ストア県外出店!もまんざら夢ではないと思いますが、店名は変えたほうがいいかもしれませんね。

 

 

 

 

 『2100年、日本の人口3分の1』によると、日本は過去何度か人口減少の時代を経験していますが、その理由は戦争、気候変動、災害といった外因というよりも、文明が成熟した必然的な結果のようです。

 

 弥生時代には大陸・半島から稲作文化がもたらされ、人口移動もあった。7世紀まで存在した倭人は東シナ海や黄海を拠点にしていたし、9世紀までは遣隋使・遣唐使といった外交使節や仏教僧たちの交流も活発でした。この時代の日本は“人口増加時代”だったのです。

 

 転じて遣唐使を廃止(894年)した平安時代から元寇のあった鎌倉時代までは人口減退期。日明貿易が活発化した室町~安土桃山~江戸時代初期は増加に転じ、東南アジアへも進出した。江戸時代は狭い耕地から多くの収穫高をあげるため中国から新種稲を導入したり、溜池・灌漑用水路の整備、肥料や農機具の改良、家族単位の労働集約的農業の進展等、有機エネルギーをベースにした高度な農業社会が確立し、当時の日本列島が持つ限界(3000万人)まで人口が増大したようです。

 

 江戸後期、度重なる飢饉によって少子化現象が起き、周辺諸国との交流も薄かったことから人口減少に転じ、幕末明治~欧米諸国との技術交流や貿易が活発になると、人口はふたたび増加し、西南戦争後の1880年から2000年までの約120年間で人口は3・4倍、GDPは70倍に膨れ上がったそうです。

 

 鬼頭氏によると、日本が諸外国に対して閉塞的な環境下では政治や芸術、文学、生活様式に日本的な独自性が確立したが、経済的には総じて低成長。外延的な成長が困難な状況が、人口減退期を導いた。つまり、わかりやすくいえば、経済発展する時代は人口が増え、低迷すれば減る。その代わりに文化は発展する。人口変動は、産業文明の宿命ということです。

 

 

 人口が減ることは、事前に予測できます。戦後初めて1959年に発表された『人口白書』では、1985年頃の1億486万人をピークに以降は減少に転じ、2015年には8986万人まで減少すると推測されています。59年当時、まだ本格的な高度経済成長は起きていませんでしたが、ベビーブーマー世代が数年後に労働市場にデビューしたとき、労働力過剰になるのを恐れ、ときの政府はなんと「子どもは2人が限度。人口ゼロ成長を目指せ」と“増子化対策”を打ち出したのです。1974年に発表された戦後2回目の『人口白書』でも政府は出生抑制を強化し、メディアがこぞって「出生率を下げよう」と大宣伝し、結果として翌75年から合計特殊出生率2・0を下回り、以降、低下の一途をたどったのでした。鬼頭氏は「日本の少子化は政府主導で始まった」と明言しています。

 

 

 少子化対策、女性活用、地方創生・・・安倍改造内閣の目玉政策とされていますが、政治家の先生方は目先の経済指標にとらわれ、時代を読み間違えないよう、広く深い歴史観を持ってもらいたいものです。

 


瓢箪と道化師

2014-08-08 11:13:58 | 本と雑誌

 先月の記事で紹介した【富士と白隠】講演会の講師芳澤勝弘先生から、思いがけずコメントをいただき、お礼に地酒「白隠正宗」をお贈りしたところ、お返しに先生より著書をいただく幸運に恵まれました。自分の知の糧になってくれる静岡酒の蔵元さんに感謝の気持ちで一杯です。

 

 芳澤先生からサイン入りでいただいたのは

【瓢鮎図の謎~国宝再読ひょうたんなまずをめぐって】

 

【THE RELIGIOUS ART OF Zen Master Hakuin 】

の2冊。

 

 

 Img112 後者は英語本だったので後回し(苦笑)にして、前者は日本の水墨画の源流といわれる京都妙心寺退蔵院の国宝『瓢鮎図(ひょうねんず)』が表現した禅の世界観について書かれたもの。この世界観を継承した白隠禅師の瓢箪画にも触れています。

 Photo 白隠さんの瓢箪画、地酒ファン&歴史ファンにとっては、白隠正宗純米大吟醸のこのラベルでお馴染みですね。(写真は以前撮った大吟醸のものですが、現在は純米大吟醸に使用しています)。

 これは白隠さんが朝鮮通信使の曲馬団を描いた、“瓢箪から駒”そのものズバリ、なんですが、芳澤先生は「瓢箪を手にしているのは布袋和尚。布袋が瓢箪から馬を吹き出しているところがミソ」と指摘されます。

 

 

 

 

 

『禅では「意馬心猿」という言葉があります。馬や猿のように制御しにくい心のことです。妄想情識がつぎからつぎへと起こってコントロールしにくい「識馬(こころ)」を、布袋和尚がその道力によって、自在に操っているところです。これもまた、われわれ人間の「心模様」を描いたものであり、「瓢鮎図」のテーマとつながるものがあります』(瓢鮎図の謎 P228~229より抜粋)

 

 

 

 瓢箪は、心の象徴。心は禅の根源的テーマ。芳澤先生が禅祖・達磨と弟子の慧可(神光)の問答をわかりやすく解説してくださっています。

 

『神光「私は心が安らかではありません。どうか安らかにしてください」

達磨「その安らかではないという心を持ってきなさい。そうしたら安らかにしてあげよう」

神光「その心というのは何かと求めていましたが、結局得ることはできませんでした」

達磨「(それでよい)それで安心が得られたのだ」

 

 (中略)この答えと達磨の問いとの間にどれくらいの時間があるのか。即座に答えたのでも、翌日になって答えたのでもなく、ずいぶん長い間、呻吟苦悩したことが想像されます。そして、とうとう究まり極まったところで、神光は「心を得ることはできませんでした」と答えたのにちがいありません。

 

 そして、この問答によって、神光は達磨から認められ付法され、名前を慧可とあらためて、禅宗の第二祖となったのです。神光は、どれくらいかわかりませんが、ずいぶんと悩んで「心とは何か」を考えたにちがいありません。そして、とうとう「心を覓(もと)むるに得可らず」という結論に達し、達磨から「それでよい」と認められたのです。雪舟の「慧可断臂図」(神光が達磨に教えを乞うため自分の腕を斬って志を示した絵)は、このような禅宗が始まる発端の物語を描いたものです』(瓢鮎図の謎 P36~39より抜粋)

 

 

 『瓢鮎図』は雪舟の師周文のそのまた師匠の如拙という人が、室町4代将軍足利義持の命で描き、その絵の上に、京都五山の禅僧31人が義持の命で詩文を書いている。31人は瓢箪で鮎(なまず)を捕まえられるかどうか理屈を捏ね回し、主張し合っているのです。

 31人中、24人が「捕まえられない」とし、4人は「どっちつかず」、3人は「捕まえられる」と言っています。評論家の小林秀雄は「瓢箪の酒を鮎に飲ませようとしているようにも見える」と評したとか。これ、ディベートの授業の題材にしたら面白いなあと思いました。

 

 

 

 芳澤先生からいただいた【瓢鮎図の謎】と格闘している最中、茶道研究会の望月静雄先生から、道化師(クラウン)望月美由紀さんがお書きになった【泣き虫ピエロの結婚式】という本をいただきました。

 

Img111  美由紀さんは望月先生のご長女。大道芸ワールドカップの市民クラウンとして活躍し、プロの道化師を志して上京。無理がたたってうつ病を発症するも、クラウン修業で学んだ笑顔の効能を糧にうつと向き合い、2011年に結婚。ところが夫は原因不明の難病に倒れ、結婚式からわずか10日後に緊急入院、40日後に亡くなるという悲劇に見舞われます。

 この尋常ならざる経験を経て、“クラウン精神”の価値を伝えようと、第4回日本感動大賞(ニッポン放送等主催)に応募したところ、見事大賞を受賞し、この6月に本として出版されたということです。

 

 

 一般人が書く伝記や解説本の場合、プロのライターが聞き書きしたり構成したりして、それなりの体裁に仕上げることもあるのですが、この本は美由紀さんが一文字一句、身を削るように書き込んだんだ、と伝わってきます。

 第三者が美由紀さんの辛さを理解するのは不可能でも、道化師という仕事に惹かれた理由、うつを抱えていたときの周囲との距離の置き方、愛する人との出会い・別れ・再会・結婚・死別、そして辛い立場の人に寄り添うクラウンという仕事の真価を実感するまで、美由紀さんの心がさまざまな揺らぎを経たこと自体は理解できる。経験の大きさや重さに違いがあれど、自分もつねに心の揺らぎを経験しているから、かもしれません。

 

 瓢箪や鮎のように、しょせん、心とはとらえきれない存在。それでも、読者が「美由紀さん、伝わったよ」と感じたのならば、達磨さんが神光に「それでよし」とおっしゃったのと同じではないでしょうか・・・。

 クラウンとは、揺らぐ心を整えてくれる現世の布袋さん、なのかもしれませんね。

 

 【泣き虫ピエロの結婚式】は全国書店で好評発売中です。大道芸ワールドカップという世界に誇る静岡自慢の価値も伝えてくれます。ぜひお手にとってみてください!