杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

上川陽子さんと犯罪被害者等基本法

2014-10-21 22:06:35 | 国際・政治

 上川陽子さんが法務大臣に任命されました。女性大臣をねじこむ急ごしらえの人事、と思われる人もいるようですが、政治に限らず、どんな仕事でも、非常時に難しい職務を託すことのできる人、まっとうできると信頼される人というのが、本当のプロフェショナルではないかと思っています。

 

 私が陽子さんのお相手になって2011年4月から放送中のFM-Hi 【かみかわ陽子ラジオシェイク】では、陽子さんのプロフェショナルぶりを市民目線で出来る限りわかりやすくお伝えしようと努力しています。ちょうど1年前の2013年11月に静岡新聞社から出版したラジオシェイクのトーク集【静岡発かみかわ陽子流・視点を変えると見えてくる】で、陽子さんが犯罪被害者等基本法の成立について語ったことを文章化した一説があります。法務大臣に抜擢された理由を多少なりともご理解いただければと、再掲させていただきます。

 

 

 

犯罪被害者等基本法成立

 

被害者の思いをつなぐ

 2000年に初当選して以来、私がこれまで取り組んできた政策の一つに司法制度改革があります。法律に関すること、となると、なんだか国民には縁遠いような気もしますが、犯罪被害者の権利に関する法改正は、たとえば山口県光市の母子殺害事件などでもクローズアップされました。

 私がこの問題にはじめて関わったのは2003年末のことでした。当時、自民党では司法制度を抜本的に改革し、国民により身近なものに改めるべきとの考えが強まってきました。そうした中で、司法制度調査会の保岡興治会長から、「今度立ち上げる犯罪被害者問題のプロジェクトチームの座長を引き受けてほしい」という要請を受けたのです。

 それまで私は少年法の改正問題に取り組んだ経験があり、その折に少年犯罪の被害者であるご遺族の方から意見を聴取する機会はありました。しかし、その時は加害者である少年の更生を図ることに主眼がありました。犯罪被害者の実情をほとんど知らなかったのです。そこでまずはじめに、被害者本人や遺族、家族のみなさんから生の声をできるだけ多く聴かせてもらうことにしました。被害者のつらい体験談を聞き、私も心がつぶれる思いだったことを今も鮮明に覚えています。

 そんなとき出会ったのが、全国犯罪被害者あすの会(NAVS=National Association of Crime Victims Surving Families)代表の岡村勲弁護士や本村洋さんでした。岡村さんは仕事上の逆恨みから奥様を殺害された方。本村さんは光市母子殺害事件の遺族です。この会に参加された犯罪被害者のみなさんは、自らもカウンセリングを受けたりしながら、ほかの被害者たちが立ち直るよう支援活動に取り組んでおられました。

 みなさんの苦しみはある日突然、何の前触れもなくその身に襲いかかり、多くの場合、一生癒されることのない終わりなき戦いです。当時はこうした被害者の救済を国に義務づける法律がありませんでした。被害者は犯罪に巻き込まれても、一人ひとりが孤独な中で、精神的、肉体的、そして経済的な苦境を耐え忍んでいくしかなかったのです。話を聞いて私は被害者のみなさんの思いを政治の場につなぐのが私の使命だと確信しました。ごく普通の生活を送っている私たち誰もが犯罪被害者になりうるのです。一部例外的な人たちだけの問題ではありません。直ちにそのための法律制定に向けて動き出しました。

 

 

議員の思いを込めた「前文」

 まず第一のハードルは6ヵ月後に「中間報告」を出すことでした。「中間報告」というものの、立法の世界での「中間報告」は基本法あるいは基本計画の大きな骨組みが盛り込まれるのが普通です。それまでにしっかりした全体構想をまとめなくてはいけません。さっそく被害者や支援団体の皆さんにプロジェクトチームの会合に参加をお願いし、公開の場で議論を深めてもらうよう提案しました。

 司法制度調査会の保岡会長ほか多くの議員にも会合に参加してもらい、議論を積み重ねました。そして予定通り「中間報告」をまとめ、小泉純一郎総理に報告しました。小泉総理もこの問題に大変強い関心を抱かれ、直ちに基本法を作るようにとのご指示をいただきました。さらに6か月後の2004年12月、議員立法のかたちで犯罪被害者等基本法というそれまでの日本では考えられなかった法律を制定することができました。

 この基本法の画期的な点は「前文」を付けたことにあります。日本国憲法の前文はよく知られていますが、個別の法令に前文をつけるということは必ずしも一般的ではありません。教育基本法や男女共同参画社会基本法など時代の大きな変化を法律に反映する場合に限られるようです。しかも犯罪被害者等基本法の「前文」はかなりの長文です。法律専門家からは「長すぎる」とクレームが寄せられたほどでした。しかしその精神や理念を「前文」で明確にしておくことが重要だと判断し、一言一句に犯罪被害者のみなさんの思いを込め、彼らの口から聞いた表現をそのまま随所に盛り込みました。少し長くなりますが、その一部を紹介します。

 

『安全で安心して暮らせる社会を実現することは、国民すべての願いであるとともに、国の重要な責務であり、我が国においては、犯罪等を抑止するためのたゆみない努力が重ねられてきた。しかしながら、近年、様々な犯罪等が跡を絶たず、それらに巻き込まれた犯罪被害者等の多くは、これまでその権利が尊重されてきたとは言い難いばかりか、十分な支援を受けられず、社会において孤立することを余儀なくされてきた。さらに、犯罪等による直接的な被害にとどまらず、その後も副次的な被害に苦しめられることも少なくなかった。

  もとより、犯罪等による被害について第一義的責任を負うのは、加害者である。しかしながら、犯罪等を抑止し、安全で安心して暮らせる社会の実現を図る責務を有する我々もまた、犯罪被害者等の声に耳を傾けなければならない。国民の誰もが犯罪被害者等となる可能性が高まっている今こそ、犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現に向けた新たな一歩を踏み出さなければならない。ここに、犯罪被害者等のための施策の基本理念を明らかにしてその方向を示し、国、地方公共団体及びその他の関係機関並びに民間の団体等の連携の下、犯罪被害者等のための施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。』

 

 

 この前文に盛り込んだ基本理念は、「全ての犯罪被害者は個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」ということです。

 法案を作成する過程で最も意見が対立したのは「権利」という2文字を入れることの是非でした。国の抵抗がすさまじかったのです。どのような法律でも条文に「権利」という表現を盛り込むと、国にはその権利を守る責任が生じます。そのため国は「権利」という表現を嫌います。しかし「権利」を盛り込まなければ、この法律が犯罪被害者を単に「支援」の対象とするものでしかなくなってしまいます。犯罪被害者が置かれている悲惨な状況を思えば、「権利」の二文字をあきらめることはできませんでした。

 日本国憲法においては犯罪被害者の権利は認められていませんでした。そのため犯罪被害者の権利に関しては、犯罪被害者等基本法が実質上、憲法に代わるものとなりました。法律制定の手続きがすべて完了した後で法務省のある役人からつぎのように言われました。それまで侃侃諤々の議論を戦わせた相手です。

 「この法律は今後、半永久的に六法全書に残り続けるでしょう」。一緒に頑張ってきた被害者のみなさんの喜びの表情が目にうかんだ瞬間でした。

 

【静岡発かみかわ陽子流 視点を変えると見えてくる(静岡新聞社刊)】 P80~84より抜粋 


「かみかわ陽子流視点を変えると見えてくる」発行

2013-12-02 15:59:54 | 国際・政治

 今年もはや12月。先日、40歳になったばかりの知りあいが「30歳から40歳は、あっという間だった」としみじみ言うので、おいおい、40歳から50歳は倍速だぞって嗤い返してしまいましたが、本当に1年があっという間です。

 

 

 今年はレギュラーの取材ものや編集業務がいくつか減って、収入面でも大変きつい1年でしたが、ボリューム感のある重い仕事を個人でいくつか受注しました。

 

 

Img056_2

 

 そのひとつが、衆議院議員上川陽子さんの本『かみかわ陽子流 視点を変えると見えてくる』。11月7日に静岡新聞社より発行され、現在、県内主要書店にて絶賛発売中です。

 

 この本は、2011年4月からスタートしたFM-Hi (76.9) のレギュラー番組「かみかわ陽子ラジオシェイク」のトークをまとめたもの。私はこの番組の構成作家兼聞き手役として出演しているため、実際にオンエアで話した内容を書き起こし、陽子さん本人が手を加えて本にしました。

 

 

 書籍化にあたっては、フリー編集者の平野斗紀子さんが“参戦”してくれました。陽子さんと私でまとめたものを、平野さんが第三者の眼で冷静に編集・校正し、ラジオシェイクのオンエア内容に加え、ちょうど衆議院議員として10年になる陽子さんの活動記録として、読み応えのある内容に仕上がりました。こちらで目次項目が見られますので、ザッとお目通しいただければ。

 

 

Dsc03758
 11月12日には、日比谷の東京會舘で出版記念パーティーが開かれ、私も平野さんと一緒にお手伝いに行ってきました。自民党の石破幹事長や安倍内閣の主要閣僚が続々お祝いにかけつけ、写真記録係を仰せつかった私は、テレビでお馴染みの政治家をこんなにたくさん間近に見るのは初めてだったので、誰に焦点を当てたらよいのか(もちろん被写体の中心は陽子さんなんですが)右往左往してしまいました(苦笑)。

 

 Dsc03731
 平野さんは、かねてからファンだったという福田康夫元首相を直視でき、「死んだうちの父に雰囲気が似ていた・・・」と感慨深げでした。平野さんにとって、この本は、静岡新聞社を早期退職後、独立して初めて編集を手掛けた一般書籍だったそうで、現職の衆議院議員で総務副大臣という要人の政治活動という難しいジャンルで、念校に念校を重ねる厳しいスケジュールながら、納期をしっかり死守してくれました。さすがプロです!。

 

 

 

 

 パーティー終了後、平野さんは明治生命館1階にあるグランドセントラル・オイスターバーでお洒落にビールを飲んで帰られました。この店は陽子さんがラジオシェイクで、NYグランドセントラル駅構内のお気に入りの店として紹介しており、日本に出店したと聞いて、ずっと行きたいなあ~と思っていた店。貧乏ライターの私は高速バスで帰るため、ご一緒できませんでしたが、本を作る喜びを長年共有させてもらった平野さんに、難しい仕事を請けてもらい、無事、完成し、著者本人が晴れの舞台を迎えられたことに、裏方としてのやりがいを大いに感じました。平野さんも同じ思いで、オイスターバーを楽しまれたと思います。

 私の身の回りには、すぐにでも書籍化できる価値ある仕事や活動をされている人がたくさんいますが、自分に力があれば本にして紹介したい・・・!と思うばかりで、なかなかカタチにできないのが現実です。それを思うと、自分の政治生命にかかわる大切な活動記録の書籍化を、私と平野さんを信じて託してくれた陽子さんには感謝の気持ちで一杯です。

 

 

 

 

 『かみかわ陽子流 視点を変えると見えてくる』は、編集=ラジオシェイク編集室になっており、私や平野さんの名前は出てきませんが、福田内閣の時に開催した北海道洞爺湖サミット晩餐会で『磯自慢』が使われたこと、東日本大震災の復興支援で福島いわきの皆さんを静岡へ招いたとき静岡酒でもてなしたことなど、陽子さんの活動にかこつけ、さして重要でもない地酒ネタがちょこちょこ登場し、地酒ライター鈴木真弓が関わっていることを、“わかる人だけわかる”状態になってます(笑)ので、地酒ファンのみなさまも、ぜひぜひご一読くださいませ!

 

 

 

 

 

 

 

 


知事とドイツ大使のアジア史観

2013-03-23 10:20:17 | 国際・政治

 執筆を担当する静岡県広報誌『ふじのくに』最新号(12号)が発行されました。目玉は、知事とドイツ駐日大使フォルカー・シュタンツェル氏の対談。京都大学で水戸学!を研究されていたという大使は、日本語ぺらぺら、ブログ(こちら)も日本語で書かれるという日本通。2004年から2007年まで駐中国大使、2009年から駐日本大使を務めるアジア専Img013門家です。

 

 

 広報誌の知事対談というワクで用意したテーマ(環境問題やEUに学ぶ地域連携のあり方など)よりも、個人的には、お2人学者同士のガチンコ対談=日本のアイデンティティが中国という巨大隣国の存在なしには形成し得なかったとか、幕末維新のエネルギー源となった日本のナショナリズム等などについて、もっと聞きたかったなあ(たぶん知事も語りたがっておられたのでは・・・)と思いつつ、広報誌仕様に編集したわけですが、自分がとくに面白いと思った部分を一部再掲します。

 

 

 

 

 

知事:大使はフランクフルト大学で日本学、中国学、政治学を学ばれましたね。日本に関心を持たれたきっかけは?<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

大使:政治的な興味からです。私が学生だった6070年代当時は全世界で学生運動、反核運動の時代でしたから、一度はヒロシマ、ナガサキの国を理解しようと思いました。<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

知事:72年から75年まで京都大学に留学されていますね。最初に日本に来られたとき、まだ20代でいらっしゃったと思いますが、どんな印象でしたか?<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

大使:日本へは、汽車やバスや船を乗り継いで、アフガニスタン、インド、台湾などを回って、半年がかりで来ました。台湾から鹿児島へ入り、それからヒッチハイクで京都まで行ったんです。車に乗せてくれた人々との交流は楽しかった。もちろん自分はヨソモノだという意識を持っていましたが、日本の人々とはヨソモノであっても温かいおつきあいができました。とても暮らしやすい国だと感じました。<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

知事:京都大学では何を専攻されたのですか?<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

大使:古典文学ですが、さきほど言いましたように政治に興味がありましたので、実際には幕末思想を勉強しました。ご存知の通り、戦争というのはファシズムの国が始めるものです。ヨーロッパ各国でも1930年代、ファシズムが台頭しました。背景にあったのはナショナリズムです。日本も19世紀前半からナショナリズムが台頭しましたね。それを比較研究しようと思いました。とくに研究したのは水戸学。藤田東湖、会沢正史斎などです。ドイツに戻り、ケルン大学は会沢正史斎の『新論』で博士論文を書きました。<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

知事: それは大変興味深いことです。日本を知ろうと思ったら、幕末明治維新の思想抜きには語りえません。当時の日本のナショナリズムの勃興が、江戸時代の社会体制を根本的にくつがえし、日本を変えました。

 大使はアジアのナショナリズムに詳しい学者でもありますが、このところ、中国のナショナリズムが目立ちます。1990年代から中華民族主義が台頭し、2012年秋に中国共産党総書記に就任した習近平氏も「偉大な中華民族」と述べています。

 通常、ナショナリズムには排外的性格が伴います。大使は、国民に民主主義の価値が共有されれば、ナショナリズムの排外主義は克服できると思われますか?<o:p></o:p>

 

 

大使:可能であると思います。なぜなら戦争を始めた民主主義の国はほとんどありません。もちろんイラク戦争など他国を守るために戦争に入った民主主義国家もありましたが、政府が市民の声を聞かなければならないのが民主主義ですから、戦争をしたくないという市民の声がある限り、民主主義の国は戦争をしません。

 中国は今、大きく変化しています。今後、平和的に徐々に民主主義の価値が浸透するかはまだ分かりませんが、一度そうなれば、他の国と同様に、ナショナリズムの問題も危険も克服できると思います。<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

知事:日本のナショナリズムの核には天皇制とサムライ意識があるように思います。いずれも日本人の中では比較的自然に受け入れられています。サムライ意識ないしは武士道というのは倫理規範です。新渡戸稲造は、キリスト教の道徳に対応するものが日本にあるかどうかと問われて、その回答として『武士道』を書きました。武士道とは、勇気・忠孝・仁・義・礼・智・信などの徳目からなります。

 仁とはキリスト教でいうLOVE(愛)、思いやりです。義はrighteousness(正義)、礼は社会規範や公のマナー、智は勉強するということ、信はtrust(信頼)。そうした徳目が武士道に込められており、武士道は民主主義と両立します。

 天皇制は古代から現代まで引き継がれています。日本は早くも古代に権威と権力とを分け、権力に関わらない権威のみの天皇という天皇制を作り上げましたが、これも民主主義と両立できると思っています。どうお考えですか?

 

 

 

大使:興味深い問題ですね。日本において根本的かつ歴史的問題は、大きな中国のそばの小さな島国であるという存在です。大きな中国からいろいろな思想が入ってきたとき、どんなふうに自分自身を思想的に守れるか。中国では王朝がたびたび替わりましたが、日本という国は天照大神に代表される神話の時代からずっと続いています。世界にも例のない国です。小さな島国が大きな中国に対して守るための思想の象徴であったわけです。<o:p></o:p>

 

 

 

<o:p></o:p>

知事:東大寺の僧が中国に渡り、日本書紀に書かれた天皇の歴史について、当時の宋の皇帝に説明したとき、宋の皇帝は「日本の天皇が安定しているのは誠にうらやましい、中国の皇帝は革命ごとに替わってきた」と嘆息したと『宋史』にあります。日本人にとって中国は、中国人と異なる日本人としてのアイデンティティを照らしてくれる鏡のような存在です。中国が隣国にあるおかげで、日本人のアイデンティティが形成されたとも思います。

 

 

 

 つい最近、沖方丁氏の【光圀伝】を読み終え、今は、橋爪大三郎氏・大澤真幸氏・宮台真司氏の鼎談集【おどろきの中国】を読んでいるので、この対談時のことも興味深く思い出しました。なお対談の全文は『ふじのくに』12号(県庁東館2階情報コーナーで入手または各地の公共施設・銀行・病院等で閲覧)を参照してください。電子版(こちら)もまもなく更新されると思います。

 

 

 ちなみに、対談当日、大使館のそばにあったヴィノスやまざき広尾店で、自分用に買った磯自慢の新酒を、せっかくならと、知事から大使への手土産にしてもらった顛末はこちらで紹介しています。私らしい、ささやかな国際貢献です(笑)。

<o:p></o:p>


メタンハイドレートと大陸棚

2013-03-13 12:41:31 | 国際・政治

 ニュースで、渥美半島沖遠州灘で「メタンハイドレート」のガス産出に世界で初めて成功したと聞いて、驚きとともにワクワクしました。ご近所の海の中から天然ガスが取り出せるなんて、夢みたいな話だし、実証実験にはもう少し時間がかかると思っていました。

 現在、月2回、FM-Hi で放送中の『かみかわ陽子ラジオシェイク』で、昨年5月、ちょうど金環日食で湧いていた頃、上川陽子さんとこんな話をしました。台本を再掲しますので、ニュースを理解する一助になれば幸いです。

 

 

 

 

 

(鈴木)海の底というのは宇宙と同じくらい、人間にとって可能性に満ちたフロンティアなんですよね。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)私は、フロンテイアという言葉を聞くと体がウズウズしてきて力が湧いてくるんです。開拓者精神というのが大好きなんですね。議員時代には宇宙にも海洋にも、力を入れてきました。女性初の国土交通大臣であった扇千景大臣から、あるときお電話をいただきまして、「大陸棚推進議員連盟」という組織を立ち上げ、事務局長に就任してほしいと言われたのです。<o:p></o:p>

 

わが国は、約447万平方kmという世界で6番目に広大な排他的経済水域を擁する海洋国家です。私自身、「22世紀 海洋国家日本」と題した百年レベルの国家戦略を、当時の福田総理に提言したこともあるんですよ。この先、日本が持続可能な発展を続けていくためには、何としても海洋資源や空間を有効に活用し、海洋権益をいかに確保していくかが重要です。そんな問題意識が前提にありました。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(鈴木)海洋資源というと、最近では「メタンハイドレート」というのが、次世代の新エネルギーとして注目されていますね。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)海底資源の中でも、希少鉱物資源である「レアメタル」や「メタンハイドレード」が注目されています。「メタンハイドレート」は、メタンガスと水が結び付いたシャーベット状の物質で、火を付けると燃えることから「燃える氷」と呼ばれています。燃える時に出るCO2が、石油や石炭の半分以下というエコ資源なんですね。これが水深5001000メートルの海底の地下に、数百メートルの層にわたって存在すると期待されています。<o:p></o:p>

 

日本の周辺海域では、北海道周辺と本州南方沖の斜面、そして静岡県の遠州灘沖も有望といわれています。経済産業省に、「メタンハイドレート研究開発コンソーシアム」という組織ができて、2016年度ぐらいをめどに試掘をして研究開発する目標で活動しています。まさに新エネルギー開発の期待の星です。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(鈴木)・・・なんかすごいですねえ。ちょっと初歩的な質問で申し訳ないんですが、公海と大陸棚と排他的経済水域ってどう違うんですか?<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)まず、日本の領海は12海里、そしてその先の200海里までを排他的経済水域といい、海底資源はもちろんのこと、海洋にある資源も占有することができます。それより外は、公の海である「公海」が広がり、船舶は自由に通行することができるルールとなっています。そして、国連の海洋条約により、新たに「大陸棚」が200海里の外側、つまり公海上に伸びていることが証明できれば、その部分の海底資源を占有できることになったのです。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

ここで問題は、日本の周辺海域で、大陸棚がどこまで外側に伸びているか、海底の様子を調査し、証明しなければなりません。私たちの住んでいる陸地にも2000メートル級の山や谷がありますが、それと同じように、海の中にも海嶺といわれる山や海溝といわれる谷があるんですよ。<o:p></o:p>

 

そうした海洋のうち、太平洋岸の調査区域を設定し、1万メートルの海底を探査できる探査船「地球」や資源探査ができる船を総動員して、数年がかりで調査し、さらに集めた膨大なデータを解析して、その結果を国連に「大陸棚」を申請するプロジェクトが発足したんです。その過程で、私たちの「大陸棚推進議員連盟」が全面的に応援しました。<o:p></o:p>

 

<o:p></o:p>

 

 

(鈴木)「大陸棚」は各国が独自に調査するわけですか。<o:p></o:p>

 

<o:p></o:p>

 

 

(上川)実は、「大陸棚」については海洋権益をめぐる国際関係が背景にあります。<o:p></o:p>

 

 現在、海洋は、「海洋法に関する国際連合条約」(UNICLOS)によって管理されていますが、大陸棚の定義は、第2次世界大戦以前は、地質学的に大陸や島をとりまくなだらかな斜面の台地を海底水域と認定し、水深200メートルを範囲として大陸棚、と位置付けました。<o:p></o:p>

 

ところが1945年、アメリカが天然資源の保護を理由に、「たとえ公海であってもアメリカ海岸に接続している大陸棚の海底下の管理と天然資源の権利を有する」と宣言したのです。トルーマン宣言といわれるものです。そして、13年後の58年には「領海のすぐ外側の200メートル海底までとし、それ以外でも天然資源の開発が出来るならそこまでOK」となり、高い技術力を持つ国が事実上、無制限に大陸棚を拡張できることになりました。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(鈴木)アメリカが、いわば海洋資源を争う時代の引き金を引いたんですね。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)1960年代は、アジアやアフリカ諸国が続々と独立して国連入りをし、経済的自立を目指して資源ナショナリズムを全面に押し出します。そうなると、どこの国にも属さない手つかずの公海に手を出す国も出てきます。そこで、67年に、世界の海は国際機関が平等に管理し、平和利用すべきだという「バルト提案」が出され、82年に海洋法条約が採択されたんですね。このとき、領海線から200海里以内を『排他的経済水域』と定義づけ、水域内での天然資源の探査・開発・保存・管理を保障したんです。<o:p></o:p>

 

82年に採択されはしましたが、国連加盟の60カ国以上が批准しなければ条約として正式に発効されないので、実は発効されたのは12年後の1994年なんです。しかも、加盟国が「うちの国の大陸棚はここまでです」と申請するのに、調査に膨大な時間を要し、国連の委員会のほうもはっきりガイドラインを決めたのが99年のことでした。99年以前に条約を批准した国については、99年から10年間を申請期間とし、96年に批准した日本もここに該当します。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(鈴木)ちょうど陽子さんが国会で活躍されていた時期と重なりますね。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)ええ。それで私も申請手続きに関わることになったんです。日本は200811月に申請しました。九州パラオ海領南部海域、南硫黄島など7つの海域約74万平方メートルを申請したんです。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(鈴木)他の国ともめたりしませんでしたか?<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)申請についての審議内容は非公開なんですが、大陸棚が向かい合っている国同士、海岸線を隣接する国同士、たとえば太平洋上や北海周辺の国は、当然、権利主張が重なってきますね。<o:p></o:p>

 

日本は2010年に「海底資源エネルギー確保戦略」を発表し、東シナ海や日本海でも、中国・韓国と排他的経済水域をめぐる主張の対立が表面化しました。とくにこの領域でのレアメタル資源探査は、次世代エネルギー開発にも大きな期待がかかります。日本がこの問題で、外交上、どうやって折り合いをつけるのか、他国と権利主張がぶつかり合っている国々、とくに発展途上国は、非常に注目しているんですね。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(鈴木)そういう話を伺うと日本には外交、防衛に強い政権が必要だと実感しますね。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>

 

(上川)大陸棚の問題に限ってみても、外交防衛の最前線にかかわるものですし、これからの安全保障は、防災対策や水資源環境の問題も含まれます。大陸棚の調査で巨大地震の巣を見つけられたわけですし、水を巡っては石油に代わるほど国際紛争の火種になると懸念されています。<o:p></o:p>

 

日本のよう島国は、海洋資源の権益を守るということが国益に直結するのです。同じ島国のイギリスがいち早く近代文明を築いたのは、世界の海に船を出し、水兵たちが世界中の国の情報を集め、本国に報告した、情報力の強さだとも言われます。日本は少なくともこの分野の情報戦を勝ち抜かねばならない、と実感します。<o:p></o:p>

 

  

 

*注)この回の収録後の2012年4月27日、外務省は日本の大陸棚の拡大が太平洋4海域の計31万平方キロメートル(国土面積の約82%)に認定されたと発表されました。日本政府は2008年に7海域74万平方キロメートルの拡大を申請していますので、今回認められなかった海域についても審査内容を分析し、今後の対応を検討するとのことです。


ラジオシェイクでシンクロニシティ

2012-05-02 09:51:41 | 国際・政治

 昨夕(5月1日18時30分~)FM-Hiでオンエアされた『かみかわ陽子ラジオシェイク』では、日本の海洋資源をテーマに、「大陸棚」とか「排他的経済水域」といった小難しいキーワードを解説しました(こちらを参照)。上川陽子さんが議員時代に海洋資源の利活用について百年レベルの国家戦略をまとめ、ときの福田首相に提言をし、扇国交大臣から大陸棚推進連盟の事務局長を仰せつかっていた経緯があったからです。

 

 ラジオシェイクでは基本的に現在進行中の地域の課題をテーマにしているんですが、そもそもは、上川陽子さんという、日本でも極めて政策立案能力の高い政治家を、地元の人に正しく理解してもらおうという趣旨でスタートした番組。聞き手がプロのアナウンサーとか政治評論のできる識者なら、もっともっと陽子さんのクレバーな面を引き出せると思うんですが、私が相手では本当に役不足で申し訳ない限りです。

 それでも静岡の有権者にはイマイチ知られていない陽子さんの議員時代の地道な活動や、家庭を持つ女性が国政の場で実績を積むことの価値を伝えるお手伝いができればいいな、と、毎回必死に、陽子さんの“引き出し”からネタ集めをしています。

 

 

 海洋資源と大陸棚のネタは、打ち合わせの時、5月は金環日食があって静岡が絶好のビューポイントだというトピックスを取り上げ、それならば陽子さんが過去に関わった科学技術に関連した政策に話題を広げよう→陽子さんは海洋ネタの関わりが“深い”→大陸棚議員連盟時の仕事という、わりと単純な?ノリで取り上げました。

 ・・・といっても、「大陸棚」「排他的経済水域」等などのキーワード、尖閣諸島問題があったときは時々耳にしましたが、今はほとんど馴染みがないし、夕方のFMの番組で取り上げるには重すぎるかなあ~と若干不安ではありました。

 

 番組の収録は連休前に終わっていました。ところが4月28日(土)の新聞朝刊Img075一面トップの見出しに、なんと『日本の大陸棚拡大』。2008年11月に日本政府が国連に申請した大陸棚(7海域・約74万平方キロメートル)の拡大のうち、4海域・約31万平方キロメートルが認められたというニュースです。

 まだまだ認められない海域が半分以上残っていますが、それでも中国から「岩に過ぎない」とイチャモンを付けられていた沖ノ鳥島も、認定の基点として認められ(=島と認定され)、排他的経済水域200海里の外でも、公に、海洋資源の開発が出来るようになったわけです。長年、この問題に取り組んできた陽子さんは「本当に歴史的なこと…!」と感無量の表情でした。

 

 私は私で、国連の裁定がこの時期にあるとは知らず、さほど深く考えずにこの問題を番組で取り上げて、多少は基礎知識が付いたばかりだったので、このタイミングでこのニュースに接するなんて驚くべきシンクロニシティだとちょっぴり怖くなりました(苦笑)。惜しむべきは、番組収録前にニュースが届けば、本当にグッドタイミングな番組になったでしょう・・・。でも、このニュースは、陽子さんが種まきをし、芽がちゃんと育った証しでもあります。

 

 

 

 政治家はとかくキャラクターやパフォーマンスをとやかく言われることが多いけど、ちゃんと仕事をしている人かどうか見極めないな、とつくづく思います。もちろん、政治家も、自分の仕事や役割をきちんと伝える義務があります。そして広告業者も、国や行政の広報を請け負うときは、その財源が税金である以上、きちんと効果のある仕事をしなければいけない、と痛感します。

 

 

 この連休は、次回ラジオシェイクの台本作りで缶詰状態。お天気が悪そうで、お出かけ予定のみなさまはご愁傷さまです・・・。