上川陽子さんが法務大臣に任命されました。女性大臣をねじこむ急ごしらえの人事、と思われる人もいるようですが、政治に限らず、どんな仕事でも、非常時に難しい職務を託すことのできる人、まっとうできると信頼される人というのが、本当のプロフェショナルではないかと思っています。
私が陽子さんのお相手になって2011年4月から放送中のFM-Hi 【かみかわ陽子ラジオシェイク】では、陽子さんのプロフェショナルぶりを市民目線で出来る限りわかりやすくお伝えしようと努力しています。ちょうど1年前の2013年11月に静岡新聞社から出版したラジオシェイクのトーク集【静岡発かみかわ陽子流・視点を変えると見えてくる】で、陽子さんが犯罪被害者等基本法の成立について語ったことを文章化した一説があります。法務大臣に抜擢された理由を多少なりともご理解いただければと、再掲させていただきます。
犯罪被害者等基本法成立
被害者の思いをつなぐ
2000年に初当選して以来、私がこれまで取り組んできた政策の一つに司法制度改革があります。法律に関すること、となると、なんだか国民には縁遠いような気もしますが、犯罪被害者の権利に関する法改正は、たとえば山口県光市の母子殺害事件などでもクローズアップされました。
私がこの問題にはじめて関わったのは2003年末のことでした。当時、自民党では司法制度を抜本的に改革し、国民により身近なものに改めるべきとの考えが強まってきました。そうした中で、司法制度調査会の保岡興治会長から、「今度立ち上げる犯罪被害者問題のプロジェクトチームの座長を引き受けてほしい」という要請を受けたのです。
それまで私は少年法の改正問題に取り組んだ経験があり、その折に少年犯罪の被害者であるご遺族の方から意見を聴取する機会はありました。しかし、その時は加害者である少年の更生を図ることに主眼がありました。犯罪被害者の実情をほとんど知らなかったのです。そこでまずはじめに、被害者本人や遺族、家族のみなさんから生の声をできるだけ多く聴かせてもらうことにしました。被害者のつらい体験談を聞き、私も心がつぶれる思いだったことを今も鮮明に覚えています。
そんなとき出会ったのが、全国犯罪被害者あすの会(NAVS=National Association of Crime Victims Surving Families)代表の岡村勲弁護士や本村洋さんでした。岡村さんは仕事上の逆恨みから奥様を殺害された方。本村さんは光市母子殺害事件の遺族です。この会に参加された犯罪被害者のみなさんは、自らもカウンセリングを受けたりしながら、ほかの被害者たちが立ち直るよう支援活動に取り組んでおられました。
みなさんの苦しみはある日突然、何の前触れもなくその身に襲いかかり、多くの場合、一生癒されることのない終わりなき戦いです。当時はこうした被害者の救済を国に義務づける法律がありませんでした。被害者は犯罪に巻き込まれても、一人ひとりが孤独な中で、精神的、肉体的、そして経済的な苦境を耐え忍んでいくしかなかったのです。話を聞いて私は被害者のみなさんの思いを政治の場につなぐのが私の使命だと確信しました。ごく普通の生活を送っている私たち誰もが犯罪被害者になりうるのです。一部例外的な人たちだけの問題ではありません。直ちにそのための法律制定に向けて動き出しました。
議員の思いを込めた「前文」
まず第一のハードルは6ヵ月後に「中間報告」を出すことでした。「中間報告」というものの、立法の世界での「中間報告」は基本法あるいは基本計画の大きな骨組みが盛り込まれるのが普通です。それまでにしっかりした全体構想をまとめなくてはいけません。さっそく被害者や支援団体の皆さんにプロジェクトチームの会合に参加をお願いし、公開の場で議論を深めてもらうよう提案しました。
司法制度調査会の保岡会長ほか多くの議員にも会合に参加してもらい、議論を積み重ねました。そして予定通り「中間報告」をまとめ、小泉純一郎総理に報告しました。小泉総理もこの問題に大変強い関心を抱かれ、直ちに基本法を作るようにとのご指示をいただきました。さらに6か月後の2004年12月、議員立法のかたちで犯罪被害者等基本法というそれまでの日本では考えられなかった法律を制定することができました。
この基本法の画期的な点は「前文」を付けたことにあります。日本国憲法の前文はよく知られていますが、個別の法令に前文をつけるということは必ずしも一般的ではありません。教育基本法や男女共同参画社会基本法など時代の大きな変化を法律に反映する場合に限られるようです。しかも犯罪被害者等基本法の「前文」はかなりの長文です。法律専門家からは「長すぎる」とクレームが寄せられたほどでした。しかしその精神や理念を「前文」で明確にしておくことが重要だと判断し、一言一句に犯罪被害者のみなさんの思いを込め、彼らの口から聞いた表現をそのまま随所に盛り込みました。少し長くなりますが、その一部を紹介します。
『安全で安心して暮らせる社会を実現することは、国民すべての願いであるとともに、国の重要な責務であり、我が国においては、犯罪等を抑止するためのたゆみない努力が重ねられてきた。しかしながら、近年、様々な犯罪等が跡を絶たず、それらに巻き込まれた犯罪被害者等の多くは、これまでその権利が尊重されてきたとは言い難いばかりか、十分な支援を受けられず、社会において孤立することを余儀なくされてきた。さらに、犯罪等による直接的な被害にとどまらず、その後も副次的な被害に苦しめられることも少なくなかった。
もとより、犯罪等による被害について第一義的責任を負うのは、加害者である。しかしながら、犯罪等を抑止し、安全で安心して暮らせる社会の実現を図る責務を有する我々もまた、犯罪被害者等の声に耳を傾けなければならない。国民の誰もが犯罪被害者等となる可能性が高まっている今こそ、犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現に向けた新たな一歩を踏み出さなければならない。ここに、犯罪被害者等のための施策の基本理念を明らかにしてその方向を示し、国、地方公共団体及びその他の関係機関並びに民間の団体等の連携の下、犯罪被害者等のための施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。』
この前文に盛り込んだ基本理念は、「全ての犯罪被害者は個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」ということです。
法案を作成する過程で最も意見が対立したのは「権利」という2文字を入れることの是非でした。国の抵抗がすさまじかったのです。どのような法律でも条文に「権利」という表現を盛り込むと、国にはその権利を守る責任が生じます。そのため国は「権利」という表現を嫌います。しかし「権利」を盛り込まなければ、この法律が犯罪被害者を単に「支援」の対象とするものでしかなくなってしまいます。犯罪被害者が置かれている悲惨な状況を思えば、「権利」の二文字をあきらめることはできませんでした。
日本国憲法においては犯罪被害者の権利は認められていませんでした。そのため犯罪被害者の権利に関しては、犯罪被害者等基本法が実質上、憲法に代わるものとなりました。法律制定の手続きがすべて完了した後で法務省のある役人からつぎのように言われました。それまで侃侃諤々の議論を戦わせた相手です。
「この法律は今後、半永久的に六法全書に残り続けるでしょう」。一緒に頑張ってきた被害者のみなさんの喜びの表情が目にうかんだ瞬間でした。
【静岡発かみかわ陽子流 視点を変えると見えてくる(静岡新聞社刊)】 P80~84より抜粋