杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ラジオシェイクお引っ越し本日オンエア

2012-04-03 11:26:51 | 国際・政治

 FM-Hiの『かみかわ陽子ラジオシェイク』が、この4月から毎月第1・第3火曜日の夕方18時30分から19時までのオンエアになりました。本日、お引っ越し放送第1弾です。

 

 今日の放送では、前半が6日から始まる静岡まつり、後半は陽子さんが成立に奔走した犯罪被害者等基本法について語ります。先月、死刑判決が確定した山口県光市の母子殺害事件のご遺族・本村さんはじめ、多くの犯罪被害者の声に、政治家がどう向き合ってきたか、当事者ならではのお話をしてくれます。

 

 平日夕方の時間帯でどんなリスナーを想定したらいいのか、迷いつつも、上川陽子のしなやかな部分と骨太の部分、硬軟織り交ぜてしっかり伝えていければ、と思っています。

 

 

 静岡は昼過ぎから春の嵐の到来で、荒れ模様のようです。天気予報や交通情報が気になるところですが、余裕があったらぜひお耳を傾けてくださいまし!


新聞記事に想う

2012-02-22 20:46:10 | 国際・政治

 今日(2月22日)夕方、仕事から帰ってきて静岡新聞夕刊を開いたら、『満寿一酒造り断念、また消える県内老舗酒蔵』という記事が社会面トップに載っていました。ああ、本当に増井浩二さんは亡くなったんだなあと胸が痛くなりました。

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 私がこのブログで増井さんの訃報を伝えた直後に静岡新聞社会部の小林記者から問合せがあり、「記事にするなら、彼が、志太杜氏の伝承に功績があったことをぜひ書いて。葬儀で弔辞を読んだ喜久醉の青島さんにも取材してみて」と伝えたのですが、その後、新聞社内で“新しい展望が見いだせるストーリーでなければ掲載にしにくい”と言われたとか。

 確かに、「蔵元の意志を継ぐ後継者誕生」とか、「生前最期に搾った酒が金賞受賞」な~んて話ならニュースバリューも高いだろうけど、「蔵元が亡くなって酒造の灯が消える」では難しいのかもしれません。期待薄だっただけに、今日の夕刊はとても感慨深かったです。

 

 

 

 新たな展望が見いだせる内容ではなかったものの、記事は、増井さんの父で満寿一酒造社長の増井成美さんが「他の酒蔵は我々の分まで頑張って」とエールを送ったと締めくくられていました。

 ご家族としての思いは、いかばかりだろう・・・と辛くなりますが、増井さんが亡くなったことが新聞記事として取り上げられたのは意義があると思います。酒造りを断念したことが、こんなにデカい記事になるなんて、満寿一という酒がいかにスゴいかってことですよね。何か、天国からの増井さんのメッセージのような気もします。それをきちんとキャッチしてくれた小林記者と、掲載してくれた新聞社にも感謝です!。

 

 

 ・・・なんか部外者のくせに横から裏ネタを晒すようで申し訳ないんですが、静岡新聞を直接読めない県外の静岡酒ファンの方のために、満寿一という酒の価値を伝える意味で、紹介させてもらいました。

 

 

 

 ここからは当事者として。明日2月23日は富士山の日記念で、2ヶ月ぶりに中日新聞に世界文化遺産特集が掲載されます。今回は富士山の日掲載ということで、紙面も広く、かなり力が入ってます!! こちらで紹介した岩槻邦男先生へのインタビュー記事も載りますので、ぜひご覧ください。


ハーバード流白熱教室静岡版

2011-09-13 11:20:03 | 国際・政治

 9月8日(木)は上川陽子さんの後援会企業部会が主宰するAPCセミナー『米国ハーバード大学~世界の視点で日本を見直す』が県もくせい会館で開かれました。陽子さんが80年代に日本人女性として初めてハーバード大学政治経済学大学院に留学されたときの経験をもとに、今の政治家や企業家に求められるものをケーススタディをまじえて語りました。

 

 政治も経済も、テレビやネットのニュース報道で伝えられるレベルのことしか理解できない私には、途中で頭がこんがらがってきましたが、たまに小難しいことを考えるというのも、老化防止にはいいかもしれません(苦笑)。

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 陽子さんが紹介してくれた、米国シンクタンク・ユーラシアグループが2010年に発表した『世界の10大リスク』。ネットで調べてみたら、①米中関係、②イラン情勢、③欧州財政危機、④アメリカの金融規制、⑤日本の政治、⑥世界の気候変動、⑦ブラジルの経済、⑧インド・パキスタン情勢、⑨東欧諸国の政権不安、⑩トルコ情勢という順位でした。

 

 ちなみに同グループを率いるイアン・ブレマー氏(41)は、12年前にたった一人で起業し、100人近い専門家に世界の隅々の地政学的リスクをリサーチさせる気鋭のコンサルタントだそうです。

 

 

 ・・・にしても、国際的にみて、日本の政治が地球規模の気候変動よりもリスクが高いなんて、さすがにまずいんじゃないでしょうか。ブレマー氏によると「日本は政権が変わり、一党支配から無党状況になり、日本病(=問題の先送り、将来を見据えた政治判断が出来ない)に陥った」とのこと。これに震災と原発事故が加わって、今年2011年にはどんなランキングになるのか戦々恐々とさせられます。

 

 

 参加者が後援会の企業部会ということもあり、陽子さんのお話は経済が中心でした。「想像以上に日本企業の海外シフトが進んでいる」とのことで、

 

●自動車産業は過去30年で生産量のほぼ半分を輸出。

●造船プラントは韓国に大負け状態。

●建設業界は国内市場がピーク時84兆円から半減。

●海外シフトは想像以上に進んでいる。某大手化学メーカーは7年も前倒しで海外シフト50%目標を達成した。門外不出とされた重要素材の量産施設も中国へ移した。

●紙パルプ産業も大手O社が中国での生産規模を10%から20%へ。

●東京都水道局が水インフラのアジア10カ国への輸出に乗り出した。

 等などのデータを紹介し「内需の外需化」が必要だと説きます。詳しい意味はよくわからないのですが、“内需”という枠をアジア圏に広げ、日本のモノもアジアのモノも、積極的に売り買いして消費を回していくということでしょうか。確かに人口減少&高齢化の日本の中だけで“内需・内需”と唱えても先が見えていますよね。

 

 第2部のケーススタディでは、変化の兆しを見逃さず、生産マネジメントの国際基準ISO27001やCMMを導入し、いち早いリスク対応を果たしたシステムソフィアの事例を紹介してもらいました。お話の内容は難解でしたが、リーダーの分析力や判断能力の重要性はしかと認識できました。

 

 

 

 ある専門家によると、「リーマンショック後の世界経済の変化というのは、山の色が緑から紅葉に変わった程度ではなく、山がいきなり海になってしまったというくらいの激変」だとか。これに、日本には東日本大震災と原発事故が重なり、多くの価値観の転換を迎えています。それは、政治や経済のマクロ的な動きのみならず、自分たちの身の回りの小さな意識の変化からも、その兆候がうかがえるのだと思います。

 

 変化に気が付くか、気が付いても見過ごすか、気付いた時点で即応するか、周囲の動きを探ってから動くか・・・経済は難しいけど、人間の行動心理の根本は案外単純なものかもしれません。

 

ウサギを仕事をライオンの力でやれ

2011-08-30 18:41:50 | 国際・政治

 日本の新しいリーダーが決まりました。ワイドショーを見ていたら、野田さんってかなりの酒豪で日本酒好きとのこと。確かに酒が強そうな容貌です(笑)。増税推進派のようですが、われわれ左党を酒税で困らせないでくださいね!

 

 8月28日(日)朝8時30分からFM-Hiでオンエアされた『かみかわ陽子のラジオシェイク』では、上川陽子さんが1986年から2年間、ハーバード大学政治行政学大学院に日本人女性として初めて留学したときのお話をうかがいました(トークの内容はこちら)。

 

 政治学を学ぼうと世界中から結集した優秀な頭脳がひしめきあう教室で、手を上げて自分の意見を発表するのはなかなか勇気が要ったとのこと。人気のリーダーシップ論ゼミの教授が、黒澤明監督の名作『生きる』を授業で取り上げ、陽子さんに日本人の矜持や人生観等を解説する機会を作ってくれて、「マドギワってどういう席?」とか「マンネンカカリチョウってどんな役職?」な~んて質問に必死に答えるうちにディベートに慣れ、自分がリーダーになって討論に道筋を付けることができたという体験談でした。

 

 28日夜は、陽子さんが代表を務める静岡県防衛協会女性部という団体の公開セミナーに参加しました。元自衛官でヒゲの隊長でおなじみ・参議院議員の佐藤正久さんが、東日本大震災の被災地における自衛隊員の活動について、貴重なお話をしてくださいました(こちらを参照)。

 

 

 自衛隊の活躍は折に触れてテレビ等で見たり、福島いわきへ行った時も現地で見ていますので、多くの日本人がそうであったように、「災害時には一番頼りになる存在」という認識を深めていたところでした。でも佐藤さんのお話をうかがうと、自衛隊は「災害救助隊」ではないし、今回の任務は「弾丸を撃たない実戦」で、“国を守る”という鉄の信念がなければ務まらなかった任務だったと解ります。

 

 福島第一原発3号機の核燃料プールが沸騰し、白煙を上げているとき、最も放射線量の高い上空真上からヘリで放水するというミッション。私はヒトゴトのように「あんなので冷えるのかな~」とテレビ中継を観ていたんですが、考えてみると、建屋の天井が吹っ飛んでしまった原発の真上にヘリをホバリングさせるだけでも、大量被ばくを覚悟しなければならないし、注水して水蒸気爆発が誘発でもされたら一巻の終わり・・・。

 派遣されたのは中央特殊武器防護隊という専門部隊だったそうですが、さすがに上司は部下に「オマエ行け」と言い出せなかったとか。でも全員が「自分が行きます」と手を上げたそうです。災害派遣とはいえ、そこは「死」を覚悟しなければならない“戦場”だったんですね。

 

 行方不明者の捜索では、ご遺体を見つけてもタンカや毛布やブルーシートが足りず、首から上のないご遺体を直接背負って運んだ、なんてことも。溺死体というのは臭いが強烈で、自分の頭髪にその臭いがこびりついたり、ご遺体を一時保管していたトラックの荷台で食事をとらなければならず、若い隊員は食べた物をもどしてしまったとか、メディアでは報道されない過酷な現場・・・。それでも任務を遂行できたのは、とりもなおさず、自分たちがいざというとき守るべき国民が〈被災者〉となった生の姿を目の当たりにしたこと。

 

 奥様が行方不明になっても、「多くの市職員が亡くなり身内が行方不明になっているのだから」と、あえて捜索願を出さなかった陸前高田市長(奥様はその後死亡が確認)・・・。津波に襲われた病院の入院患者だったおばあちゃんが、屋上に避難した医師たちに「ありがとう」と手を振りながら流されていった・・・。子どもの遺体を抱きながら「自衛隊さんに助けてもらってよかった、大きくなったら自衛隊さんに入れてもらおうね」と語りかけていた母親・・・。そんな被災者を目の前にしたら、つらいだのしんどいだのって言えないでしょう。

 

 

 地震発生後30分以内に実働部隊が被災地へ向けて出動でき、生命のタイムリミットといわれる72時間の間、警察や消防も舌を巻くほどパワフルに動き続けられたのは、「自衛隊が災害救助ではなく国防を目的に訓練しているから」と佐藤さん。

 佐藤さんがイラクの第一次復興業務支援隊長として派遣されていたとき、イギリス軍高官から「ウサギの任務を、ライオンの力でやる」と言われたそう。つまり国防という高いレベルの訓練技術を身に着け、相応に心身を鍛え上げているから、灼熱のイラクだろうとテロに脅かされようと、今回のような甚大な災害であろうと、あわてず、冷静に、完璧な自己完結で対応できたというわけです。

 

 

 私は仕事柄、いろいろな職業人を取材していますが、共通して感じるのは、「プロとは、予期せぬ事態に力が発揮できる」ということ。決められた道をきちんと整備された車で、マニュアル通りに走るだけならアマチュアでもできますが、先の見えない道を、ポンコツカ―でもスーパーカーでも、マニュアルがなくても、どんな邪魔が入ってもちゃ~んと運転できるのがプロ。それできちんと結果を出す。「努力しました」はアマチュアの言い訳なんですね。そのために日頃からあらゆる事態を想定をし、訓練に時間とお金の自己投資をちゃんとするのがプロです。

 

 私も一応、プロのライターを名乗っていますが、本当にプロといえるのかどうか不安で、こうして長いブログを書きながら「訓練」してます。ブログを始めて書く力が向上したかどうかよくわかりませんが、どんなせっぱつまった仕事でも、テーマを整理し、構成を組みたて、実際に文字をつづっていくのにさほど時間がかからなくなったのは確かです。

 

 

 

 新政権がどんな政治手腕を発揮してくれるのか未知数ではありますが、今はとにかく、政治でも復興支援でも、どんなステージであっても、その道のプロがその力をいかんなく発揮し、正しく評価される世の中に向かって行ってほしいと願うばかりです。

 


小里貞利氏講演「大震災における政治のリーダーシップ」

2011-07-19 11:33:22 | 国際・政治

 こちらの記事でもご案内したとおり、7月14日(木)夜、ホテルアソシア静岡で、阪神淡路大震災時の震災担当大臣・小里貞利氏の講演会が開かれました。昭和5年生まれの小里氏、猛暑の中、お住まいのある鹿児島から空路、東京入りし、六本木にある個人事務所でお仕事をこなされ、夕方、新幹線で静岡へ。講演後は東京へとんぼ帰りされました。・・・いやホント、政治家というのはタフでなければ務まらないんですねえ。

 

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 ご自身の口からも、「28歳で鹿児島県議会議員になってから、国会議員を引退するまで48年間、一日も休みは取らなかった」「今でも年賀のあいさつにはバイクに乗った自分の写真を使っている。バイク乗りのキャリアは日本一だと自負している」「馬も乗るし、競馬もやる。けっこうな荒馬も乗りこなせる自信がある」と後期高齢者(失礼!)とは思えない闊達な自己紹介。「底力のある馬はパドックを通るときからわかる。スタート直前も、非常に落ち着いているし、絶対にブレない。人を惹きつけるエネルギーを発信しているんですよ」と語ります。

 

 お話はそこから、ブレまくっている現政権の話題に入り、比較対象として、小里氏が震災担当大臣を務めた当時の政治情勢を解説されました。馬の話から入るなんて、政治家というのは話術の達人なんだなぁとしみじみ・・・。

 

 

 それはさておき、小里氏が大臣を拝命する前というのは、今以上に政治が混乱している時期でした。非自民・非共産の8党派が寄せ集まった細川政権が誕生し、小沢さんの糸引きで羽田さんにバトンタッチ。当時、小里氏は、下野した自民党の国会対策委員長を務めておられました。

 

 当時の自民党も、政権奪還を目標にあれこれ手を尽くし、社会党の村山党首を担ぎ出すという秘策に打って出ました。大政党である自民党が村山さんに「自分たちが支えるからやってくれ」と譲歩した。いくら政権奪取するためとはいえ、そこで党内がまとまったというのは、小里氏いわく「最後は、与党の混乱状態を長引かせたら、国家のためにならないとの思いが一致した。一度決めたら不思議と自然に、信頼や秩序が生まれた」そうです。

 

 

 そんなこんなで自民・社会・さきがけ3党で発足した村山政権が、いきなり直面したのが阪神淡路大震災でした。死者行方不明者6500人というのは、当時としては戦後最大の自然災害で、日本が戦後築き上げた文明の脆弱さを嫌が上でも見せつけられたわけです。

 

 村山政権で北海道・沖縄開発庁長官に就任した小里氏は、発生3日後の1月20日朝の閣議後に村山首相から「すべての権限を与えるから」と震災担当大臣を任命されます。就任後は、後藤田正晴氏や竹下登氏といった自民党の重鎮がこぞって支援・協力し、警察や自衛隊等の関係機関への報・連・相も徹底し、大阪府の横山ノック知事(当時)には「大臣の携帯に電話してもいつも話し中だ」とボヤかれたとか。

 

 

 「現場で動く実働部隊は、指示がしっかりしていればきちんと動く。公務員も、政治家が真剣に“汗をかいてくれ”“知恵を絞ってくれ”と言えば、真正面から取り組んでくれる。彼らが力を発揮できるしくみを作ることこそ政治の責任」と語る小里氏。氏が指揮した震災対策は後に「手堅く出来た」と評価を受けたようですが、その要因を、

①政官民の幅広いボランティア精神が醸成されたこと。

②官僚・役人の力を信頼し、大切にしたこと。

と振り返り、「オールジャパンで臨むというのは、こういうことだと実感できた」と語ります。

 

 

 ひるがえって、現政権は「政治主導・脱官僚」を旗頭にし、政・官関係があまり良好ではなかった状態の中で、3・11が発生した。非常時とはいえ、ただちに「オールジャパン」というわけにもいかず、官僚の中には現在の状況を非常に憂いて、自分なりに取り組もうと頑張っている人もいますが、現首相は「オレが、オレが」で自己中心で動き、専門委員会をいくつも作り、連日会議ばかりで、結局、具体的な現地対策や救済策が進まない。・・・確かに、今もテレビで予算委員会を聞きながら書いていますが、被災地に届くのはいつなんだと空しくなります。

 

 小里氏は、3・11の後、首相交代論が熱を帯びていたとき、「激流を渡る時、馬を乗り換えるのは得策ではない」と発言して批判を受けましたが、その後の状況を見て、「この馬に乗り続けていたら大変なことになる」と思い直したそうです。「今回の震災対策における政治の統治能力・とりまわし能力に、日本の命運がかかっている」と厳しい言葉で講演を締めくくられました。

 

 政治にしても、ビジネスにしても、チームスポーツで結果を残すにしても、組織を機能的に動かすことのできるリーダーの存在・資質が改めて、重く感じられます。リーダーは、キリストや聖徳太子みたいに神がかり的に生まれるものではなく、ある意味、社会が育て、社会が選ぶ存在であるならば、内側、外側、集団同士、いろいろな関係性の中で人とつながる根本的な意味を、今一度、考えてみる必要がありそうです。

 

 第三者ぶって評論家じみたことを言いっぱなしにするのは少々無責任だと思うので、私自身、今、新たに学びの場を作る準備をしています。また追ってお知らせします。