4月18~19日と神戸・大阪・京都をハシゴしてきました。
この春は杜氏さんの技能を考える機会が多かったので、神戸では灘の酒蔵資料館を4ヶ所ハシゴし、伝統的な酒造り職人の技や作業工程をじっくり“復習”してきました。4月から連載再開した日刊いーしずの地酒コラム【杯は眠らない】にて後日紹介します。
大阪では話題の新スポット・あべのハルカスに行ってきました。物見遊山には違いありませんが、一番の目的は、あべのハルカス美術館の開館記念『東大寺展』と、19日午後に開かれた記念シンポジウム【神も仏も日本のこころ】の聴講です。
講師は宗教学者の山折哲雄氏。パネリストに、筒井寛昭氏(華厳宗管長・東大寺第221世別当)、松長有慶氏(高野山真言宗管長・金剛峰寺第412世座主)。日本の宗教学界の最高峰ともいえる頭脳が、日本一のタワービルに新設された美術館で神道と仏教を語り合うなんて、なんともスリリングな企画! 山折氏の基調講演は30分、3人の鼎談は70分。案の定、この時間で語り尽くせなかったであろう深い深~いお話でした。
日本人の宗教観って「神社に初詣に行き、教会で結婚式をし、寺で葬式をする」と揶揄されるように、混沌としてチャランポラン、と言われたりします。イスラムやカトリックなど宗教に厳格な国の人々から見たら、確かにそうかもしれません。最近では観光で来日するイスラム圏の人々が日本滞在中にアラーに祈りを捧げる場所が少なく、イスラム教徒向けのおもてなしサービスが急務だ、なんてニュースもありましたしね。
しかし、物事というのは、角度を変えて視る、複眼で見ると、いろいろな評価ができるものです。
山折氏は「外来宗教(仏教)と土着宗教(神道)がこれほど平和に融合した国は世界に例がない。しかも神仏が共存しているという実感は平安時代から認識されていた」と解説。筒井氏も「日本の神道は、地震・津波・火山爆発など人間の力ではどうしようもない自然への畏敬や自然共生の思想が原点。そこに、インド中国から仏教が伝わり、人が学ぶことで社会を変えることができると聖徳太子が解釈したように、人間の力で変わるという思想が加わった。“変わらない”と“変わる”が日本人の思想の両輪となった。日本は、この2極を矛盾なく持ち続ける世界でも類い稀な国」と評価。
松長氏は、来日したダライ・ラマ氏が「石にも仏性がある」と考える日本人が理解できなかったようだが、最近ではそれが(神道と融合した)日本の仏教だと納得したというエピソードを紹介。筒井氏も「本当は神仏が融合した日本独自の新しい宗教になってもよかったが、それぞれのよさを大切にしてきた」と“日本のこころ”を説きます。こういうお話を聞くと、日本のチャランポランな宗教観に、ノーベル平和賞並みの価値を感じるから不思議です。
面白かったのは、仏教が神道に与えた影響について。日本の神様は姿かたちが見えない存在でしたが、仏教に仏像という分かりやすいシンボルがあって人々を魅了する状況に危機感?を持ち、神像がさかんに造られたそうです。
最初は菩薩像に近く、次第に神官のいでたちのような姿になり、熊野の速玉大神坐像は老人のようなお姿(大阪市立美術館で開催中の「山の神仏展」で公開中です)。山折氏は「仏像の若若しい肉体美に対抗し、神に一番近い人間=翁を模したのでは」と解釈。酒の神様でお馴染みの京都松尾大社の男神坐像(重要文化財)は足を坐禅のように組んでおり、上半身が神、下半身が仏というまさにミックスブレンドなお姿。これが平安時代の神像の特徴だそうです。
ちょうど1年前、東京国立博物館の『大神社展』で拝顔したとき(こちらを)は、へぇ~お酒の松尾さまってこういうお姿なんだ~って感心しただけでしたが、山折氏の解説を聞くと、有難味が一層深まってきますね。松尾大社のHPで確認してみてください。
神道が仏教に与えた影響として、なるほど!と思ったのは、仏像の“秘仏化”です。仏像とは本来、ほとけの教えを大衆に解りやすく説くため、目に見えるシンボルとして造ったはずなのに、大衆に見せないようにするというのは、日本の仏教に、目に見えない神のごとくお守りする、という思想が芽生えた証拠だということ。
好例が、お水取りで名高い東大寺二月堂の本尊十一面観音像で、12~13世紀以来、東大寺の僧侶を含め、誰一人見たことがないという秘仏中の秘仏。長野の善光寺本尊も誰も見たことがない秘仏で、身代わりの前立本尊が7年に1度御開帳されますね。
山折氏は「ひょっとして厨子の中には何も入っていないかもしれないが、目に見えない=ゼロほど強大なものはない、という日本の神道の考え方を活かし、本尊を永久保存しようとする日本人の優れた知恵。人類史上、誇れる知恵と言ってもよい」と解説しました。
私が今、バイトで通っているお寺にも、60年に1度しか開帳されないという薬師如来像があり、朝、厨子の前にお供物をお納めするときは、いつも、「どんなお姿なんだろう」「こっそり開けたら天罰が下るのかなあ」「生きているうちに御開帳の年にめぐり合う人はラッキーだなあ」と子どもみたいにドギマギしてしまうのですが、御開帳というしくみは、そんな心境にさせる効果があるって、しみじみわかります。これが、神道の影響だとは、目からウロコでした。
松長氏のお話で心に残ったのは、【カオスとコスモス】の解釈でした。カオスは〈混沌〉、コスモスはふだんあまり意識しませんでしたが、本来は〈秩序〉を意味するそうです。世界大百科事典でこのように解説されていました。
【コスモスとは整然たる秩序としての世界を表すギリシア語で,その反意語は,世界の生成以前の混沌を表すカオス。このコスモスという語は,今日では一般に,価値的な観点と融合した,あるいはまだそれから全面的には脱却していない近代以前の世界像を指すのに用いられる。この語は元来〈整頓〉〈装飾〉〈秩序〉を意味する言葉で,英語cosmeticが化粧品の意であることにうかがえるように,女性が服飾や化粧で装いを凝らした状態や,軍隊や社会の規律や秩序を表現するために使われたが,後に自然界の秩序立った様相を示すのに転用され,ついには〈世界の秩序〉あるいは秩序の貫徹した〈世界〉そのものを意味する語へと変貌を遂げていった。】
欧米は、カオス=混沌の社会から、秩序だったコスモス社会への発展こそが文明の進化であると疑わずにきました。第三国で起きる混沌とした政治状況にはつねに過敏ともいえる反応を示し、世界の秩序を旗印に介入します。「そこにはカオスに対する恐怖心がある。カオスにはすべてを白紙に戻してしまうエネルギーがある」と山折氏。ふと、STAP細胞論文取り下げに抵抗する小保方晴子さんのことが頭に浮かびました。「白紙に戻されることへの恐怖心は、欧米のコスモス価値観に拠るものなんだろう」と。
それはさておき、松長氏は「奈良平安期、カオスの中にあった日本の宗教は、鎌倉期になってコスモス化された」と興味深い解説をされました。奈良平安期は仏教寺院が大学の役割を果たしたように学問として究めようとする一方、修験道を究めた役行者のようなカリスマも存在したまさに混沌とした時代でした。
山に神が宿る、山そのものが神であるという古代神道は、日本土着の山岳信仰であり、山川草木や石ころにまで魂が宿るという思想はインド仏教にはなく、ダライラマが理解できなかったのも無理はありません。
カオス的な状況に思想的な裏づけを求めたのが仏教であり、鎌倉以降、コスモス化(理論体系化)が進みましたが、針や櫛など日用雑貨にまで魂があると考え、いまだに供養する日本の風習を西洋人が見たら、ハァ~?って感じかもしれません。一方で、「最近、三霊山(熊野、吉野、高野)に多くの外国人がやってくるようになった。彼らはどこかでカオス的なものを求めているのではないか」と松長氏。山折氏は「熊野と比較される世界遺産のスペイン巡礼サンティアゴ・デ・コンポステーラは、広大な平原に一本道が続く平坦な道。一方、日本の霊山道はクネクネと曲がりくねったカオス的な道が多く、精神的にもきつい。嫌が上でも自分の内面と向き合わなければならなくなる。そんなカオス的な状況に一度、自らを落とし込んで、自分を見つめ直すということを、人は求めているのではないか」と解説しました。
まったくレベルの違う話ですが、最近、この、あべのハルカスとか、東京のコレド日本橋とかスカイツリータウン・ソラマチとか話題の新スポットを歩いてみて、理路整然とセンスよくデザインされた商業空間になんとな~く馴染めず(しかも似たような店ばかり)、大阪では昔から好きだった阪神百貨店地下の粉もん立ち食いコーナーにわざわざ寄ったり、昔ながらの雑然とした古い商店街を歩いてホッとしたりする。私レベルでは、これも、コスモスからカオスへの回帰かなあと・・・笑。
お3人のお話、日本人の思想や精神を考えるうえで非常に重要なメッセージがたくさんありましたが、私レベルで解説するには限界ですのでこの辺で。あべのハルカス美術館開催中の東大寺展(こちらを)は5月18日まで。大阪市立美術館「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録10周年記念・山の神仏」(こちら)は6月1日まで開催中です。GWの予定にぜひ!