杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第4弾「お酒の原点お米の不思議2016」

2016-07-17 14:56:40 | しずおか地酒研究会

  7月3日(日)、しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画第4弾として、静岡県の酒米・誉富士の育種を手掛ける静岡県農林技術研究所作物科三ケ野圃場(磐田市)を訪問しました。研究会発足直後の1996年6月、8月、10月と延べ3回にわたって、県内で本格的に栽培が始まった山田錦の圃場見学を行い、まさに「お酒の原点」である「お米の不思議」をフィールドワークで学んだ20年前を振り返ろうという企画(ちなみに誉富士の開発が始まったのは2年後の1998年)。当時参加したのは蔵元や酒販店など業界関係者だけでしたが、今回は一般参加者がメイン。20年前にも参加してくれたのは片山克哉さん(地酒かたやま店主)、松下明弘さん(稲作農家)の2人だけでしたが、この2人のおかげで交流会も大いに盛り上がり、20年の酒縁のありがたみをひしひしと感じました。

 

 作物科の研究は主に、水稲・畑作物の①新品種育成、②優良品種の選定、③水田の病害虫・雑草などの管理技術研究、④小麦の大敵・ネズミムギの防除技術研究、⑤新しい除草剤の適応性検定、⑥水稲小麦の低コスト&エコ&安定栽培のための新素材研究、⑦水稲小麦の原原種、原種の育成ーの7つ。今回は①②⑦について、研究スタッフの宮田祐二さんと外山祐介さんに丁寧に解説していただきました。

 米の新品種というのは、人工交配や突然変異の誘発(放射線を当てる等)によって優れた特性を作出し、選抜可能な世代まで3~5年間実験と観察を繰り返し、形質が優れた個体を選抜し、遺伝的特性などを系統的に見極めて選抜を進め、純粋な種を取るための『採種用』と、一般栽培特性(収量・食味・耐病性など)を検討する『試験用』に圃場を分けて実験を繰り返します。試験用圃場では、疎に植えたり密に植えたり、さまざまな植え方も実験していました。

 

 約3万6千平方メートルある三ケ野圃場。原原種・原種を育てる『採種用』の田んぼでは飯米用のコシヒカリ、にこまる、きぬむすめ。酒米では誉富士とその親筋にあたる山田錦の原原種が大切に育てられていました。米の原原種は原産地が管理を厳しくしており、兵庫県が原産地である山田錦の原原種を他県で育種する例はまれでしょう。

 宮田さんによると、山田錦の原種は昭和40年代に兵庫から静岡県農業試験場に入ったようで、それを累々と今まで継続して試験用の種を取っており、今年度、原原種を育成するために大規模に採種を始めたとのこと。また昨年度から、岡山県より「雄町」の正式な種子を譲ってもらい、これをベースに新品種の開発をスタートしたとのこと。正式に種子を譲ってもらえたのは望外の喜びだったそうです。
 長年、酒どころのイメージ同様、酒米産地のイメージが薄かった静岡県ですが、多くの研究者の地道な研究活動によって、純正種子を育種できるようになった。そのベースがあって生産者が安心して栽培に臨める。醸造家の手元に来るまでさまざまな人々の知られざる努力があったのです。ふと20年前の見学会を思い起こし、目頭が熱くなりました。 

 左下の写真、真ん中のブルーのポールから右が山田錦、左が誉富士の原種です。静岡県の酒米の生命線ともいえる貴重な田んぼです。

 

 見学会終了後は菊川に移動し、手打ちそば処「だいだい」で交流会。20年前、静岡新聞社より「そばをもう一枚」を上梓された先輩ライターである山口雅子さんがコーディネートしてくれたお店で大いに盛り上がりました。ピリッとわさびが効いたそばがきのまろやかさが、誉富士の軽やかな丸さに調和し、絶妙の味わいでした!

 

 

 しずおか地酒研究会の20周年アニバーサリーでなんとしてでも実現したかった20年越しの「お酒の原点お米の不思議」。強く願ったきっかけは、昨年上梓した「杯が満ちるまで」での取材でした。

 以下は収録しきれず、大部分を削らざるをえなかった草稿ですが、地元で酒米を育てるー名ばかりの地元米ではなく、真に静岡県の地酒としての酒質・品格を実現できる米作りについて粗削りに書き込んだ内容です。興味のある方はご笑覧ください。

 

 

酒米の王者・山田錦と松下米

 酒米の代表格といえば山田錦(兵庫県原産)と五百万石(新潟県原産)。この2品種で、全国の酒米作付面積の6割以上を占める。これを筆頭に、現在、約90品種の酒米が栽培されており、中でも平成12年(2000)以降、新品種に登録された米が36ある。まさに酒米百花繚乱時代であるが、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を凌駕する米は出て来ない。

 大正末期に兵庫県で生まれた山田錦は、雄町の系統『短桿渡船』を父に、在来種の『山田穂』を母に持ち、昭和11年に命名登録された。

 酒米は食用米に比べ、大粒で、米の中心の心白(注)がクッキリ発現するという特徴がある。心白があると麹米を造るとき、麹の菌糸が中心部まで食い込みやすく、糖化力の強い麹米になる。この糖を栄養にしてアルコールにするのが酵母。酵母の働きを左右する醸造の要を、麹米の糖化力が担っているわけだ。この糖化力を左右するのが米の心白であり、菌糸の食い込みをコントロールするのが杜氏の手腕といえる。

 山田錦の重さは千粒重にして27g(コシヒカリは22g前後)とビッグサイズながら、心白は線状の一文字型でやや小ぶり。線状心白は精白したときに心白の位置が片寄って、部分的に露出することもあるが、この表面から心白までの距離の不均一さが、酵母の作用速度をうまくコントロールするようだ。心白の形状には他に「眼状」「菊花状」等があり、楕円や球形に近いほど高精白すると胴割れしてしまう。

 山田錦の線状心白は、親の山田穂、雄町、渡船から受け継いだ遺伝的特徴で、どういうわけか山田錦を親にして交配しても、線状心白はなかなか子孫にあらわれない。これが、山田錦を超える米がなかなか出てこない理由の一つと言われてきた。

 兵庫県で育成された米だけに、西日本が主産地で、静岡県は栽培適地ではないというのも通説だった。

 山田錦研究で知られた故・永谷正治氏(元国税庁酒類鑑定官室長)は全国各地で栽培適地を発掘する名人でもあった。平成8年(1996)、ちょうど私がしずおか地酒研究会を立ち上げた年、静岡県酒造組合が永谷氏を招聘し、県内を視察するというので研究会も便乗し、山田錦の試験栽培に取り組む開運(掛川)と花の舞(浜松)の契約農家を、永谷氏を先導役に蔵元や酒販店主と廻った。花の舞の杜氏土田一仁さんは「酒造りは装置産業ではない。原料をけちってはいいものは出来ない。山田錦の酒をしっかり造る蔵はファンがちゃんと支持してくれると思う」と、栽培への期待を熱く語っていた。   

 

 この年、藤枝でも一人の稲作農家が山田錦の栽培を始めた。松下明弘さんである。

 背丈の高い山田錦は、田植えの際は間隔を開け、一カ所1~2本という極少量の苗付けが望ましいが、到底、多収穫は期待できない。松下さんが平成8年に初めて有機無農薬栽培で作った山田錦は、永谷さんに言われるまでもなく少量ながら太く健康的で、空に向かってまっすぐ伸びた、それは素晴らしい稲だった。稲刈りを手伝った私も、素人ながら、「稲とはこんなに強く美しいのか」と感激した。山田錦の完全有機無農薬栽培を成功させた生産者は兵庫にもおらず、自分が刈入れを手伝ったあの稲が日本で最初だったということを後で知って、感動もひとしおだった。

 松下さんは、やせた田んぼをあえて耕さず、苗を疎に植えた。1本1本の苗を厳しい土壌でしっかり根付かせ、たくましく育てるためである。田んぼにはタニシや豊年エビが現れた。土や稲が健康である証拠だ。彼は20代のころ青年海外協力隊でアフリカに渡り、人が土に生かされていることを学び、農の根本を考えたという。彼の稲作観については本人が著した『ロジカルな田んぼ』(日経プレミアシリーズ)を参考にされたい。

 松下さんの山田錦=松下米は、「酒米を作りたい」と飛び込みでやってきた彼に、「どうせなら山田錦を作ってみろ」と種子を与えて背を押した喜久醉(藤枝)が引き取った。たとえ失敗してクズ米になったとしても、社長の青島秀夫さんがポケットマネーで全量買い取るつもりだったという。

 今でも忘れられないが、最初の年に仕込まれた精米歩合40%の純米大吟醸を搾った直後に試飲したとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失った。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、永谷氏から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになった。山田錦の酒は春の搾りたてより、ひと夏を越して秋になると味がのってくると言われるが、まさに定説どおりだったのである。 

 松下米は山田錦なのに心白の出現率は全量の3割程度。化学肥料を使った通常の栽培では5割は確実、といわれるため、有機無農薬栽培が何らかの影響を与えているのかもしれないが、はっきり分からないそうだ。ただし杜氏の青島孝さんは「心白の有無は気にしない」という。硬く引き締まった米でよいと。心白がない分、米の中心はでんぷん密度が濃く、麹の菌糸が容易に食い込んでいかない造り手泣かせの米のようだが、慎重で精密な発酵を旨とする静岡吟醸の醸造スタイルにしっくり合うのでは、と想像する。

 現在、喜久醉純米大吟醸松下米40(40%精米)と喜久醉純米吟醸松下米50(50%精米)の2タイプ、この蔵のコンセプト商品として造られる。コンセプトを綴ったしおりの作成を手伝った縁で、私はこの酒を平成8酒造年度から毎年欠かさず、愛飲している。鑑評会の出品経験がないため、全国数多の山田錦の酒の中で、どれだけのレベルなのかは分からないが、私にとっては、山田錦の酒といったら、この酒が基準値になる。

 

注)心白とは細胞内のデンプン粒密度が粗く、光が乱反射して不透明に見える部分

 

<参考文献>山田錦の作り方と買い方/永谷正治、日本の酒米と酒造り/前重通雅・小林信也、山田錦物語/兵庫県酒米研究グループ、酒米ハンドブック/副島顕子、毎日新聞1997年10月30日付「しずおか酒と人」/鈴木真弓、ロジカルな田んぼ/松下明弘

 

 

 

静岡県の酒米・誉富士

 静岡県の『誉富士』は平成15年(2003)にデビューした。山田錦の変異系の品種である。

 山田錦は稲穂の背が高い。つまり背が高く穂先の重量が重いため、倒れやすいという栽培上のネックがある。酒にするには最高だが、農家にとっては作りにくい。そこで静岡県では、静岡酵母の成功に続き、「山田錦と同等レベルで、山田錦よりも作りやすい(=背が低い)酒米を」と考え、平成10年(1998)、静岡県農業試験場(現・静岡県農林技術研究所)の宮田祐二氏が中心となって育種がスタートした。

 まず山田錦の種子籾に放射線(γ線)を照射させ、翌年、約98,000固体を栽培し、その中から短稈化や早生化など、有益な突然変異と思われる約500個体を選抜。平成12年(2000)以降は、特性が優れた系統を徐々にしぼり込み、穂丈が山田錦よりも低い“短足胴長タイプ”で栽培がしやすく、収穫量も安定し、米粒の形状や外観が山田錦とよく似た『静系(酒)88号』という新品種を選抜した(注)。

 平成15年(2003)より精米試験や小仕込み醸造試験を実施し、一般公募で『誉富士』と命名。平成17年(2005)、県下5地域(焼津市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市)16名の農家が試験栽培を行い、酒蔵7社によって試験醸造が行なわれた。結果は良好で、誉富士を使ってみたいという蔵元は年々増え、平成26年酒造年度は25社から発注があった。

 誉富士を多く仕入れる『白隠正宗』(沼津)の高嶋一孝さんは「沼津では五百万石を栽培していたが、新潟生まれのせいか、酒にすると線が細くて熟成に向かないという欠点がある。山田錦の系統である誉富士の酒は、熟成にも耐えるふっくら感があり、仕入価格は五百万石クラスということで、当社では五百万石使用分をすべて誉富士に切り替えた」と振り返る。宮田氏も「山田錦以外の血は混じっていない米だから、醸造適正は山田錦と同等と考えていいと思う」と自信をのぞかせる。

 誉富士は、残念ながら山田錦の小ぶりな線状心白のDNAを受け継がず、心白が粒全体の9割近くを占める大きさで、並みの精米機で高精白すると胴割れしてしまう。一方、高精白の大吟醸や純米大吟醸が売れていたバブル時代とは違い、マーケットでは低価格酒が主流。静岡県では精米60%クラスの純米・純米吟醸酒でも大吟醸並みの丁寧な仕込みをモットーにしており、コストパフォーマンスの高い良酒であることは飲めば分かる。事実、このクラスが最も売れており、まだまだ伸びる余地はある。蔵元では必然的に誉富士をこのクラスに使うようになり、ご当地米の話題性が追い風となって注目された。

 各蔵元は「誉富士の酒は、春に仕込んでも9~10月には欠品してしまうので、もっと量を増やしたいが、栽培農家が増えてくれないことにはどうにもならない」とため息をつく。 

 富士山の世界文化遺産登録以降、「富士」の名がついた酒に対する人気はうなぎのぼり。蔵元のニーズに対し、栽培が追いついていない。

 一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要である。漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり2万円未満。高嶋さんが指摘されたように、酒米では五百万石と同レベルと考えてよい。

 山田錦は一時期、一俵3万円を超える時代もあったが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、現在、平均2万4千円程度に落ち着いている。最近では精米歩合60~70%程度の純米・本醸造クラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場している。価格は頭打ちでも需要が高い分、産地は拡大しており、販路も多様化し、蔵元にとって“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようだ。ちなみに全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭』(山口)は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培面積を増やせないからだ」と政府に直談判し、規制緩和の道筋をつけた。

 誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米だと生産者にアピールされた。実際に試験醸造が始まり、山田錦ではなく五百万石クラスの米だと判ると、誉富士の価格もそれに準ずることになった。結果、「(山田錦並みに)高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していった。

 現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、酒蔵が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を栽培する意欲的な生産者がいた。食用米の価格はここ数年値崩れ気味だが、酒米の価格は下落幅が少なく、誉富士の価格はほとんど下がっていない。そこに着目し、生産者も少しずつ増えてきている。

 稲作ひと筋の人ばかりではなく、野菜や温室メロンの生産者も誉富士栽培に挑戦している。宮田氏は「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育てる」と期待を寄せる。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家だ。

 毎年6月初めには、志太地域の酒米生産者グループ『焼津酒米研究会』が誉富士の田植えイベント、10月には稲刈り体験を行なっている。毎回多くの蔵元や酒販店・飲食店オーナーたちが家族や従業員を伴って参加し、生産者を激励する。他県生まれの山田錦や五百万石では、こういう絆は生まれてこないだろう。

 宮田氏は、稲作の未来について「田んぼでは今、減農薬・減化学肥料という名目で、散布が1回で済むような高性能の農薬や肥料が使われている。稲がいつ肥料をほしがっているのか、いつ頃なぜ虫がつくのかを理解しないまま、作業効率だけを追い求め、坦々とこなす生産者が増えている。日本の稲作技術は先細りしないだろうか」と危惧する。そのためにも、山田錦や誉富士のように、少々手間のかかるやっかいな米に挑む生産者が必要なのだ。

 吟醸酒という大いに手間のかかる酒に市民権を与えた静岡県には、挑戦者を育てる土壌があると思う。河村氏や宮田氏のような、頑固だがトコトン熱い研究指導者がいて、松下さんのような開拓者もいる。静岡県の酒米づくりには、日本の稲作の未来がかかっている、といったら言い過ぎだろうか。

 

(注)現在、静岡県農林技術研究所では誉富士の改良種として『静系(酒)94号』を各蔵で試験醸造中。研究所では『静系(酒)95号』を試験栽培中。