杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

世界遺産熊野へバス巡礼

2018-04-07 13:02:30 | ニュービジネス協議会

 3月25~26日、(一社)静岡県ニュービジネス協議会東部部会のタウンウォッチングで世界遺産の熊野古道へ行ってきました。私にとっては初めての熊野。古道歩きの巡礼ではなく、ほとんどがバス移動だったで、大っぴらに「熊野に行って来たー!」と言えないところもありますが、それでもこの地が霊場と参詣道として長い年月、篤い信仰を集めて来た理由の一端を感じることができたツアーでした。

 

 

 三島を朝5時30分に出発、私は7時過ぎに静岡ICで拾ってもらって一路伊勢路へ。お昼過ぎに到着した最初の訪問地は三重県熊野市、七里御浜沿いにある世界遺産『花の窟神社』です。

 ここは日本書紀に記される日本最古の神社で、神話の大母神イザナミノミコトが火神カグツチノミコトを産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵。社殿がなく、高さ45mの石巌壁がご神体です。イザナミノミコトの霊にお供えする花を巌の所々に花を手向けたことから、花の窟神社という美しい名前が付けられたそう。この地を訪ねた西行が「三熊野の御浜によする夕浪は 花のいはやのこれ白木綿(しらゆう)」と、これまた絵に描いたように美しい歌を詠みました。岩の壁しかないお社を前に「ふ~ん」という言葉しか出なかった自分にしたら、こういう歌が詠める詩人に心底憧れてしまいます。

 

 次いで伊勢路を南下し、和歌山県新宮市の『熊野速玉大社』と摂社『神倉神社』を訪ねました。

 熊野速玉大社は全国3000余社の熊野神社の総本宮。熊野の神々は、神代の頃、まず神倉山のゴトビキ岩に降臨され、日本書紀には神武天皇が神倉を登拝したことも記されています。その後、現在地に真新しい宮を造営して「新宮」と号し、平安初期に現存する12の神殿・熊野速玉大社が完成したということです。

 最初に神々が降臨した神倉のゴトビキ岩に至るまでは、古道の趣そのものの自然石を積み重ねた500数段の険しい石段を登ります。これが、這いつくらねばならないほどの急勾配で、二足歩行の人類が種として退化させられたような屈辱感?を味わいました。ゴトビキ岩の懐からは弥生時代中期の銅鐸の破片も発見されたとか。そう、ここは日本人が祈りの時を、大河の源泉のように永く溜め続けた場所なんだなあと思えてきます。

 神倉山には初め社殿はなく、自然を畏怖し崇める自然信仰、原始信仰の中心だったそう。日本酒の起源を調べようと、神道や仏教の歴史を少々かじってきた自分にとっては、いっそう胸に迫るものがありました。

 ガイドさんから、さかんにパワーストーンパワーストーンとせっつかれ、順番に岩を撫で撫で。急峻な石段を顧みると、パワーを授かりたいという願望はさておき、日本人のはしくれとして先祖の切なる祈りの声を受け止めなければいけないなと思えてきます。いにしえの巡礼者は、今の自分なんかよりはるかに、生きがいを持って生涯を送ることが困難、いや、その日その日を生き抜くこと自体困難な時代に生を受けた人々に違いありません。健康で平和に暮らせている自分は、まずはここに来れたことだけで感謝しなければいけないですね。

 速玉大社には樹齢一千年のナギの御神木があります。ナギの葉は葉脈が真っ直ぐで折れたり切れたり絡まったりしていないため、”縁が切れない”という言い伝えがあって、ガイドさんから「お財布に入れておくとお金と縁が切れませんよ」と葉っぱをプレゼントされ、喜んでホイホイもらっちゃいました。こういうところがまさに人間の弱さ、なんです(笑)。

 熊野本宮大社に着いたのは夕刻でした。今年平成30年(2018)は、創建2050年という記念の年だそうです。かつては大阪から熊野まで99の王子社を廻りながら長い苦難の巡礼旅の果てに詣でる本宮大社。バスでちゃっちゃと着いてしまった自分には、本当の熊野詣の有難味は理解できないだろうと反省しつつも、檜皮葺の荘厳な社殿の佇まいに素直に感動しました。ブラタモリでも紹介されていましたが、元は熊野川の中州にあって、明治22年の熊野川大洪水を機に現在地に移築。中州だった場所には、平成12年(2000)に鳥居が再建されました。

 境内で目に付いたのは、八咫烏のマーク。サッカー日本代表のエンブレムで有名ですね。八咫烏は神の使者として神武天皇を大和橿原まで導いた3本足のカラス。3本足とは天・地・人を表現しています。蹴鞠名人の平安貴族・藤原成道が熊野詣の際、「後ろ鞠」という妙技(どんな蹴り方なんだろ?)を奉納したそうで、そんなこんなでボールをゴールに導いてほしいという願いから、日本代表のエンブレムに選ばれ、サッカー関係者にとっての必勝祈願の地にもなっています。この黒ポストから手紙を投函すると、八咫烏の郵便印付きで届くそうです。

 

 本宮大社HPの解説によると、熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)では、熊野本宮大社の主祭神・家都美御子神を「阿弥陀如来」、熊野速玉大社の主祭神・熊野速玉男神を「薬師如来」、熊野那智大社の主祭神・熊野牟須美神を「千手観音」としてお祀りしています。そして三山はそれぞれ、本宮は西方極楽浄土、速玉は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落浄土と位置付けられ、平安時代以降には熊野全体が浄土の地として崇められた。まさに神仏混合の聖地です。

 私は4年前、大阪市立美術館で開催された紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録10周年記念「山の神仏」展で、薬師如来に例えられた熊野速玉男神坐像を実際に拝見し、神仏混合の歴史と意味合いについて興味深い講演を聞きました(こちらを参照)。実際に訪ねた熊野本宮や新宮は、世界遺産登録を機に周辺が整備され、却って霊場としての趣きが失われたんじゃないかとも思えますが、目に見えるものではなく、見えないものを感じる心が試されているのかもしれませんね。

 

 ところでニュービジネス東部部会でこのツアーが決まったのは、ひとえに部会リーダーである三嶋観光バス㈱の室伏強社長の行動力でした。東部部会では2020年東京五輪自転車競技の開催を契機に、静岡県東部や伊豆地区のヘルス・エコツーリズムの可能性を探るべく、先進地への視察を検討していた中、三島を舞台にした映画『惑う』の林弘樹監督から「熊野の玉置神社がスゴイ」と勧められ、同時期に偶然、別の観光業者からも「玉置神社は神に呼ばれた人しかたどりつけないらしい」と聞いて、これは呼ばれているかもしれないと思い立ったのだそう。社長自らバスを運転するという気の入れようでした。

 その玉置神社には、翌26日午前中に訪ねました。本宮大社から続く大峯奥駈道は現役の行場で、看板らしきものは一切なく、徒歩巡礼者にとっては難所中の難所とのこと。もちろん我々は国道168号線をバスで向かいましたが、国道といっても細く険しい難路で、途中でトラックと正面衝突しそうになったり、工事車両に道を阻まれたりと、”ひょっとしたらたどり着けない恐怖”を何度か味わいました。実際にハンドルを握っていた室伏社長、標高1000mにある玉置神社の鳥居が目に入ったときは、さぞホッとされたでしょう。

 鳥居から拝殿までは15分ほどの森林ウォーク。参道には紀伊半島が誕生した頃の枕状溶岩がせり出していていました。海底噴火の爪痕が標高1000mの高さまで堆積したんですね。さらに進むと、樹齢3000年と言われる神代杉、常立杉、大杉などの巨樹林が拝殿を覆うように林立しています。温暖多雨な気候と土壌のもと、永らく聖域として伐採が禁じられていたためです。晴天のこの日は、目に入るものがクリアなビジョンでしたが、霧がかかっていたら水墨画のような世界になるんだろうと想像しました。神代杉は確かに物の怪が宿ったようなお姿。私の好きな映画『ロード・オブ・ザ・リング』に登場するエントの木の髭を彷彿とさせます。

 この神社が創建されたのは10代崇神天皇の代、悪魔祓いが目的とのこと。根っから鈍な私は、神秘体験とはとんと縁がありませんが、正式参拝したとき「光の羽が見えた」と叫んだ参加者がいました。シックスセンスというのかな、そういう感性を持つ人がちょっぴり羨ましくなります。肝心の室伏社長は、参拝記念に玉置神社の名前入りタオルを貰っていたく感激。そうそう、神主さんが若い女性だったというのも意外というか、新鮮でした。

 

 次いで吉野熊野国立公園内の奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の大峡谷・瀞峡(どろきょう)を見学。古くは玉置神社の御手洗池だったそうで、巨岩・奇岩・断崖絶壁と深いコバルトブルーの水面が、日本の風景とは思えない強烈なインパクトを与えます。観光用のジェット船が疾走する姿が目に飛び込んできて、ああ、現代の観光地だと我に返りましたが、玉置神社同様、濃霧にでも覆われたらさぞかし原始的な風景を醸し出すのでしょう。休業中で中が見られなかった瀞ホテル、ここも実に絵になります。


 

 旅の終わりは入鹿温泉流荘でランチをした後の鉱山トロッコ電車乗車体験。三重県熊野市紀和町は1200年以上も昔から銅が採掘され、鉱山の町として発展してきました。その鉱山で実際に使われていたトロッコが観光用として復活。入鹿温泉ホテル瀞流荘と湯ノ口温泉の発着場を結ぶ約1kmの元鉱山トンネルを、約10分で走る小さなトロッコ旅が体験できます。瀞流荘の駅は桜が満開で、素晴らしいお花見&トロッコ体験を満喫しました。

 

 2日間ほとんどバス移動で、車中での過ごし方に一考の余地があったものの、熊野の聖地巡りは、自分が日本人でよかったと思えた素晴らしいツアーでした。見晴らしのよい季節ばかりでなく、見通しのよくない季節にも訪ねてみたいと思わせる不思議な魅力。第六感のない自分にも、見えないものに心を寄せて来た日本人の精神性をしみじみ尊く感じることができました。

 キリスト教の神学では神の存在を「存在するから信じるのではなく、信じるから存在する」と説明するそうです。存在するから~は科学的論理、信じるから~は宗教的論理。自然や歴史をテーマにしたツーリズムをビジネスとして考えた場合、どちらの論理も不可欠だろうと思います。今回帯同してくれた現地ガイドさんは、神倉神社を毎朝欠かさずお詣りしているとのこと。そういう人の言葉は心に響くということが、客目線で体感できました。ツーリズム成功のカギは、まずは人材育成というところでしょうか。