杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

尺八&箏曲が伝える物語

2020-02-02 20:11:16 | 歴史

 令和2年も節分立春。年齢を重ね、経験値が溜まると、新たな出来事にいちいち感動することが少なくなって日々がマンネリ化し、月日が経つのも早く感じるといいますが、この年始は感動のセンサーが珍しくよく働いて、時間が少しゆったり感じられました。ブログ更新もスローモードになってしまってますが、今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。

 

 1月11日、静岡音楽館AOIで『新春 ZEN YAMATO ジョイントコンサート』を鑑賞しました。ZEN YAMATOとは、尺八の善養寺惠介氏&箏・三絃の山登松和氏による古典音楽ユニット。三曲(箏・三絃・尺八)は雅楽がルーツで、三絃といえば口承文学の語り部が伝え、尺八は深編笠姿の虚無僧が托鉢しながら伝えたことでも知られます。

 AOIの会員割引券も期限間近だから、正月らしく邦楽でも聴きに行くかと軽い気持ちで行ったところ、とても興味深い演目ばかりでした。

 

〈尺八古典本曲〉は、禅宗のひとつ・普化宗の虚無僧が修行のために吹いていたものです。尺八本曲の世界では、尺八一管の内に森羅万象を蔵すという思想があるそうで、目を閉じて、霧に覆われた湖に浮かぶ小舟に乗った自分を瞑想するとどこからともなく聞こえる笛の音や、霧が晴れてもなお耳の残る笛の音・・・そんな調べの世界を表現しています。なるほどこれは禅の瞑想トレーニングに有効だと思いました。

  普化宗の始祖・普化は、9世紀に臨済義玄とも交流があったことから臨済宗の一派に考えられるのですが、檀家を持たず、尺八を吹き托鉢することを唯一の修行法にし、一切の仏教法事を営まないという異例の宗派。江戸時代は虚無僧の格好をしていれば諸国を自由に往来できたので、隠密活動にも重用されたんですね。

 今は京都の東山にある普化正宗明暗寺が総本山になっていて、尺八の根本道場もあるそうですが、かつては浜松に普大寺という虚無僧寺がありました。場所は旧七軒町(現・成子町)で、ここは後にヤマハの創業地になったのです。

 ヤマハの創業者山葉寅楠は浜松高等小学校のオルガンを修理したことをきっかけに、飾り職人の河合喜三郎と一緒にオルガンのレプリカを製作。明治維新の改革で廃寺となった普大寺の庫裏を借りて、明治21年に山葉風琴製作所を創業します。寅楠はここが尺八ゆかりの寺の跡だって知っていたんでしょうか・・・いずれにしても、虚無僧が尺八を奏でた寺の跡に、世界的な楽器製造メーカーが起業の一歩を刻んだなんて面白い偶然ですね。

 

 箏曲ではなんといっても菊岡検校の〈笹の露〉。酒の功徳をたたえた歌詞が付いていて、これが、私が研究している酒茶論の内容そのものでした! 

 

 酒は量りなしと宣ひし 聖人は上戸にやましましけむ

 三十六の失ありと 諫め給ひし

 仏は下戸にやおはすらん 何はともはれ 八雲立つ

 出雲の神は 八塩折りの 酒に大蛇を平らげ給ふ

 これみな 酒の功徳なれや

 大石避けつる畏みも 帝の酔ひの進むなり

 姫の尊の待ち酒を ささよささとの言の葉を 伝へ伝へて今世の人も

 聞こえをせ ささ きこし召せ ささ

 劉伯倫や李太白 酒を呑まねばただの人

 吉野龍田の花紅葉 酒がなければただの所

 よいよいよいのよいやさ

 

 箏のお稽古経験をお持ちの方や、お座敷文化にお詳しい方ならよくご存知だと思いますが、いずれも縁の無い私にとっては初めて聴く箏曲です。日本の歴史や伝統について、自分が知っていることって本当にほんの一握りで、まだまだ底なし沼のように深いなあと改めて思い知らされました。

 今更ですが、邦楽は、禅の歴史や酒の文化をもしっかり伝承している、これこそ本物のカントリーミュージックだと気づかせてくれた、新年早々幸先の良いコンサートでした。