杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

寅年関西初詣&遊学

2022-02-01 16:30:22 | 歴史

 2022年も2月に入ってしまいましたが、改めて、本年もよろしくお願いいたします。

 昨年末からいくつかの執筆業務に追われ、慌ただしい年明けでした。12年ぶりに迎えたわが干支かつ記念すべき還暦の年ですから、初詣だけはちゃんとしておこうと、1月9~10日に寅の寺で名高い奈良信貴山の朝護孫子寺、大阪の十日戎今宮神社、1月21~22日には京都妙心寺、相国寺、松尾大社を巡りました。朝護孫子寺の初おみくじで「凶」を引くなど御利益は期待できそうにありませんが、観光客が少ない真冬の古都散歩で、久しぶりに静かで心穏やかな時間を過ごすことができました。ということで本年最初の投稿は、1月の関西初詣&遊学の備忘録です。しばしお付き合いくださいませ。

 

1月9日 大阪くらしの今昔館「茶室起こし絵図」展

 前回のブログ記事で昨年11月に朝鮮通信使地域連絡協議会総会で大阪入りしたことに触れましたが、この時、空き時間に鑑賞し、とてもユニークで見応えがあった展覧会。後日、駿河茶禅の会で報告し、興味を示した友人を伴って再鑑賞しました。

 展示されたのは、江戸幕府の大工頭を務めた中井家に伝わる重要文化財「大工頭中井家関係資料(5195点)」のうち、建築指図・絵図645点の中の一部。起こし絵図というのはご覧のとおり、厚紙に書いた設計図を組み立てたもので、基本的に現存する建物を平面と立体で表現し、建築に関する詳細な情報を保存管理します。建築分野に昏い自分にとっては初めて見るものでした。

 中井家初代藤右衛門正清(1565~1619)は関ヶ原直後から伏見城、二条城、駿府城、名古屋城、日光東照宮の作事を担当し、茶人の古田織部や小堀遠州とも親しかった人物。二代正侶(1600~1631)は大阪城の拡張工事や仙洞御所の造営を手掛け、三代正知(1631~1715)・四代正豊(1692~1735)の時代に茶室起こし絵図の製作を始めたようです。

 会場では国宝「待庵」をはじめ、表千家座敷「残月亭」、裏千家茶室「又隠」、大徳寺龍光院「密庵」、大徳寺孤篷庵「忘筌」、鹿苑寺(金閣)茶室「夕佳亭」、高台寺茶室「傘亭」「時雨亭」等など、茶道を聞きかじったばかりの私でも知っている名だたる茶室の起こし絵図がズラリ。

 数寄屋造りの茶室や書院は、細部に亘って亭主のこだわりや工夫が施され、とても複雑な造りになっていますから、プロがきちんと計測・記録した上で立体的に理解できるようにし、しかも折りたためばどこにでも持ち運びできるという絵図は亭主や施主からも重宝されたことでしょう。起こし絵図のパーツを作るのも一つの技術のようです。火事や自然災害の多い日本で、伝統的な木造建造物が災禍を乗り越え、復元され続けてきたのは、こういう職人技術の下支えがあったんだなあと胸が熱くなりました。

 

1月10日 信貴山朝護孫子寺

 信貴山は河内と大和を結ぶ要衝にあり、山麓にある朝護孫子寺(こちら)は、聖徳太子が物部守屋討伐の際、寅年の寅の日、寅の刻にこの地で毘沙門天王から必勝の秘法を授かったという縁起を持ちます。といっても自分は今まで阪神タイガースファンの聖地だという認識しかなかったのですが(苦笑)、とにかく今年の初詣にふさわしいと思い、同じ寅年の友人と共に参拝しました。

 

 境内はとても広く、本堂に着くまでにたくさんの塔頭や神社が点在する神さま仏さまのテーマパークのよう。神仏習合時代の名残がそこかしこに感じられました。

 毘沙門天王を祀る本堂では「戒壇めぐり」を体験。約900年の昔、覚鑁上人(新義真言宗の開祖)が毘沙門天王より授かった「如意宝珠」を本堂の地下に祀っており、宝珠を納める錠前に触れると心願成就のご利益があるそうですが、なにしろ地下は真っ暗闇の迷路。ダイアログ・イン・ザ・ダークのお寺版というのか、視力を失った人はこういう世界で生きているのか!という畏怖の念をまざまざと感じました。錠前は無事触れることができましたが、それよりもほんの数分の回廊めぐりが永遠に続くような不思議な体験でした。

 塔頭の千手院では、ちょうど1月10日まで護摩焚き祈祷をしていたので、護摩木に「感謝」の文字を添えて焚いていただきました。昔なら「心願成就」等など願い事を強くお祈りしたものですが、年相応に力が抜けてきたのか、〈今、生かされていることに感謝〉というのが一番しっくりくるようです。これもコロナ禍の心理的影響なのかな・・・。

 

1月21日 花園大学歴史博物館公開講座「五山文学の宝蔵を開く」/「両足院ーいま開かれる秘蔵資料」展

 前回記事で紹介した花園大学歴史博物館の「両足院ーいま開かれる秘蔵資料」を鑑賞し、関連する公開講座「五山文学の宝蔵を開く」を受講しました。両足院所蔵物を長年調査されてきた京都国立博物館名誉館員の赤尾栄慶先生が、調査の経緯や内容、そして歴史文書の保管・承継の意義について、国立博物館研究員の立場から貴重なお話をしてくださいました。

 五山文学とは、日本の中世(鎌倉~室町)に京都・鎌倉の五山禅僧が親しんだ漢文学で、主に七言詩や五言詩の型式で作られました。両足院は室町時代に五山文学の中心となり、多くの書画を所蔵。科学的調査は21世紀に入ってから本格的に始まり、赤尾先生は2004年から2006年にかけて国の科学研究費補助事業となった『五山禅宗寺院に伝わる典籍の総合的な調査研究ー建仁寺両足院所蔵本を中心に』で指揮を執られました。その後、再び補助採択を経て、2011年までに第1函から181函(1函@60冊)までの書目を調査しました。

 この中には、前回記事のとおり、片山真理子さんが紹介された以酊庵関連の資料(こちらを参照)のほか、余象斗本(1592年刊)の三国志伝1~8、19~20巻があります。現存する同本は英国ケンブリッジ大学が6~7巻、独ヴェルテンベルグ州立図書館が9~10巻、オックスフォード大学が11~12巻、大英博物館が19~20巻を所蔵しているとのこと。両足院のコレクションがいかにスゴイかが解りますね!

 赤尾先生のお話でひときわ心に残ったのは、「1250年前の古事記・日本書紀以来、一度も途切れずに国の歴史を記した書物が残っている、しかも1250年前の書物がそのまま今でも読めるという国は日本だけ」という言葉。文献保護の在り方についても「和紙に墨で書かれた書物は、湿気や火気さえ気をつければ半永久的に残る。事実、日本人はちゃんと残してきた。デジタル化がベストだとは思わない」と強調されていました。このコメントは、起こし絵図を伝え残した中井家の職人達の心意気にもつながるような気がしました。

 それにしてもこの日、花園駅で降りたら横なぐりの雪でビックリ。慌てて駅のコンビニでビニール傘を買い、せっかくなら雪化粧を拝もうと妙心寺退蔵院まで足を運びました。赤尾先生も「初弘法の日にこんな大雪が降ったのは初めてじゃないですか」とビックリしておられましたが、白雪の古寺って本当に絵になりますね。

 

1月22日 松尾大社/相国寺承天閣美術館ー継承される五山文学展/京都国立博物館「寅づくしー干支を愛でる」展

 翌日は朝、松尾大社をお詣りしました。コロナ前は年に1度はお詣りに来ていましたが、ここ2年ご無沙汰でした。さすがに22日ともなると初詣の人はほとんどおらず、静かな社殿を独り占めできました。

 門前の京漬物「もり」で松尾大社限定の酒粕漬けを購入したら、重さ3㎏はある聖護院かぶらをサービスしてくれました。これを持って帰るのか・・・!と一瞬ビビりましたが、頑張って静岡まで背負って帰って、漬物の素で即席千枚漬けにしてみたら、これが驚くほど美味で、さすが大根の質が違うんだなあと感心しました。

 いったん京都駅まで戻ってコインロッカーにかぶらとビニール傘を預け、相国寺承天閣美術館へ。両足院展につながる『禅寺の学問ー継承される五山文学』展(こちら)を鑑賞しました。初公開の「對島以酊眺望之図」や、宗義成と朝鮮国使が交わした朱印状など、朝鮮通信使を学ぶ者にとって貴重な史料も並び、改めて、中世~近世の禅僧が日本の外交の一翼を担っていた最先端インテリジェンスだったのだと実感しました。

 遊学の締めくくりは京都国立博物館の『寅づくしー干支を愛でる』展(こちら)。同館が所蔵する様々な虎の姿を時代別に鑑賞しました。生きた虎を見たことがない日本人がどのように想像を膨らませて表現してきたか、見比べてみるとその人なり、その時代なりの価値観が見えてきて面白い。今ならば地球外生物を空想して漫画や映画で表現するような感じでしょうか。

 展示の一角に、朝鮮通信使画員の李義養が描いた両足院所蔵「嗥虎図」を見つけ、嬉しくなりました。朝鮮国の絵描きさんはホンモノの虎を見たことあるのかな。2月13日まで開催していますので、機会がある方はぜひご覧になってみてください。