杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

サトウキビからアル添酒へ~dancyu3月号日本酒特集追補

2015-02-06 13:46:00 | 地酒

 もうすぐバレンタインデー。ということで、この時期の酒蔵取材での手土産も、必然的にチョコレートとなります。先日、某蔵へ、チョコではなく(以前取材した)高糖度トマトを差し入れに持っていったら、社長から「最近チョコをもらえなくなったんだよなあ」とポロッと言われちまいまして、帰りに百貨店のバレンタイン特設コーナーをのぞいたら、高級輸入チョコがズラリ。全取材先に配ったら破産しそうなプライスでした(苦笑)。

 疲れがたまるとき、すぐにエネルギーになる甘いものは重宝しますよね。最近、醸造アルコールの原料でもあるサトウキビの歴史を調べてみて、日本酒に対する見識をまた一つ深めることが出来ました。

 

 砂糖の原料となるサトウキビ。発祥の地は南太平洋ニューギニアともインドとも言われているそうで、インドの仏典に砂糖やサトウキビに関する記述があることや、砂糖の英語名「Sugar」の語源がサンスクリット語で「Sarkara(サッカラ=さとうきび)」に由来することから、インド発祥説が有力のようです。

 ハチミツに頼らずに甘味が得られる魔法の葦=さとうきびは、インドから東は中国へ、西はアラビア→ヨーロッパへと伝播しました。日本には鑑真和尚がもたらしたとされていますが、遣唐使がちょこちょこ持ち帰っていたらしく、当時は、お茶と同様、高価な薬として貴族や僧侶など上流・知識階級の間で重宝されていたようです。

 中国では13世紀、元の初代皇帝フビライ・カーンが中国福州にアラビアから技術者を招いて草木の灰による精製法を確立し、白い砂糖が製造されました。これを見たマルコ・ポーロが東方見聞録で「白い砂糖がある!」と驚きの記述をしています。

 15世紀末、コロンブスが西アフリカ・カナリア島産のサトウキビを、西インド諸島の一つヒスパニオラ島に移植し、アメリカ大陸にも伝播していきます。室町期の日本では禅僧を中心とした茶文化とともに、和菓子に使われる砂糖が一般に広まっていきます。また1549年に来日したフランシスコ・ザビエルが、ボーロ、カステラ、金平糖といった南蛮菓子を初めて紹介しました。このあたりは昭和女子大学国際文化研究所の荒尾美代研究員が興味深いレポートを発表していますので、こちらのサイトを参照してください。

 

 コロンブスによってアメリカ大陸にもたらされたサトウキビは、ブラジルやカリブ海を中心にサトウキビ・プランテーション(・・・世界史の授業で習ったなあ)を展開し、現地で生産された砂糖はアフリカから送られる多くの奴隷と交換されるなど国家間の重要な貿易物資となっていきます。サトウキビは糖分のピークを見計らっていっせいに刈り取りを行い、刈り取った後は発酵を防ぐために硬い茎を急いで粉砕し、搾り汁を取ります。これを鍋で煮詰めて冷やして結晶化させたのが砂糖。刈り取り・粉砕・搾り作業は大量の人手を擁し、一気にやらねばならぬ労働集約型産業ですから、黒人労働者たちが酷使された情景を想像すると心が痛みます。昨年アカデミー賞作品賞を受賞した【それでも夜は明ける】は、綿花のプランテーションが舞台になっていましたが、さとうきび農場でも同じような歴史が繰り返されていたんですね。

 プランテーションの過酷な暮らしの中から生まれたのが、サトウキビを原料としたラム酒やカシャーサ(カシャッサ、ピンガとも言う)といった蒸留酒でした。廃糖蜜(サトウキビの搾り汁を煮詰め結晶化させた砂糖をとった残りの液。糖分は約60%)を水で薄め、35~45℃で発酵させた後、それを蒸留して樽に数年間貯蔵したもの。農場主は労働者たちの気晴らしや疲労回復につながるなら、と彼らの飲酒を黙認し、そのうちに自分たちも飲むようになり、オランダから高性能の蒸留機械が持ち込まれたりして酒質が向上したようです。詳しくは東京農業大学名誉教授の中西載慶先生がこちらで解説されていますので参照してください。

 

 サトウキビ・プランテーションとして厳しい歴史を刻んだブラジルでは、カシャーサが国酒として愛飲されています。1789年、ポルトガルに対して起こった独立運動は失敗しましたが、この時、独立を叫んだ若い将校たちが「独立の乾杯はポルトガルワインでなくカシャーサだ」というスローガンを打ち出したことから、独立のシンボルとして一般大衆に浸透し、愛飲されるようになったそうです。現在は大衆向けに一般流通されているカシャーサと、希少価値の高いアルチザン・カシャーサがあります。私はカシャーサをライムと砂糖で割ったカクテル「カイピリーニャ」は飲んだことがありますが、酒造職人こだわりのホンモノのアルチザン・カシャーサ、一度は飲んでみたいものです。

 

 

 そんなこんなで、前置きが長くなりましたが、日本酒に添加される醸造アルコールは、今やサトウキビから蒸留されたエタノールをバイオエネルギーにまで展開し、この分野の先進国となったブラジルから輸入されています。海外から輸入した、しかも米以外の原料で造られた醸造アルコールを日本の国酒に添加するということは、酒の業界の中でも長年、大きな論争になっていますが、本日2月6日発売のdancyu 3月号日本酒特集で、「喜久醉」の青島酒造蔵元杜氏・青島傳三郎さんを取材し、アルコール添加の解説記事を書かせていただきました。醸造アルコールの精製方法や添加方法についてはこの記事(P59)を参照してください。

 

 dancyuというメジャー誌、しかも日本酒の特集雑誌ではダントツの売上を誇るメディアで初出稿させていただくテーマがこれか・・・と、最初はビビリましたが、アル添解説を引き受けた青島さんの「うちがアル添酒を造っているのは事実だし、この機会にうちの考えをしっかり伝えることも大事だと思ったから」という大人な対応に感化され、自分なりの調査や取材経験を加味してみました。レイアウトの都合上、ここに書いたブラジルのさとうきび蒸留史をはじめ、青島さんの個人体験等の記述はカットすることになりましたが、“異物を添加した不純な酒”とみなされがちなアル添酒の背景に、植民地の歴史や砂糖の伝播史があること、現代のアルチザン(職人)が先人の築いた技をどう生かしているのかを知る有意義な取材でした。

 日本酒も大陸から伝わった稲を原料にし、貧しい民が大地を懸命に開墾して稲を育て、豊作の年もあれば凶作に苦しむ年もあり、その中から試行錯誤を繰り返して澄んだ醸造酒を造り上げ、江戸時代には焼酎(蒸留酒)を添加して品質を保持する技術を、明治~大正~昭和と近代化のもとで原料米の不足を補う添加技術を生み出し、戦後、豊かな時代になってようやく米100%の純米酒がフツウに飲まれるようになった。・・・われら日本人の民族の酒が刻んできた変えようのない歴史です。今回の執筆にあたっては、アル添酒を○か×かで論じるのではなく、出来る限り広い歴史観を持って国酒の歩んできた道を認識し、純米酒が支持される時代に造るアル添酒の価値や意義を考えてみました。アメリカ大陸のプランテーションで蒸留酒を育んだ人々への敬意を“添加”して―。

 

 私自身は、アル添の有無にかかわらず、どんなお酒も、そのお酒との出会いに感謝し、アル添ならば美味しいアル添が飲める今の時代を幸せだと思って美味しくいただいています。記事の文末でつづった思いそのものです。dancyu3月号についてはプレジデント社公式サイト(こちら)をぜひ。



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