ゆうべ(27日)は第30回しずおか地酒サロン「松崎晴雄さんの2008静岡県清酒鑑評会打ち上げ話」を開催しました。
“造り手・売り手・飲み手の和”をモットーに、96年に発足したしずおか地酒研究会は、当初、専門家や事業者を講師・パネリストに迎えての講座『しずおか地酒塾』をつごう6回、郷土食や精進料理や酒米を玄米で試食する地産地消活動『しずおかお酒菜会』を4回、南部杜氏のふるさと岩手県石鳥谷町・花巻への研修旅行、宮城県清酒鑑評会一般公開視察旅行などを行ってきました。
どちらかというと造り手や売り手側からの一方通行になりがちだった講座形式から、「飲み手目線で、地酒を扱う飲食店をもっと利用し、応援しよう」「造り手とも同じテーブルで杯を酌み交わし、ざっくばらんに語り合いたい」という観点にたち、2000年より『しずおか地酒サロン』に名を変えて、主に飲食店を会場に、ゲストも酒類関係者に限らず、地酒に縁のあるマスコミ人、陶芸家、作家、静岡在住の外国人などを招き、冬~春の時期は酒蔵見学も積極的に行っています。静岡酒を知る・学ぶことから、味わう・楽しむことへとステップアップしたつもりです。
2001年の静岡県清酒鑑評会から審査方法が変わり、5人の審査員が室温20度に保たれた県沼津工業技術センターの麹室の中で、品温15℃の出品酒を5点ずつ、個別に用意されたグラスで順番に採点する方法が採られました。これは世界の醸造酒や食品の味覚審査の方法に倣ったグローバルスタンダードで、日本酒の鑑評会では初めての試み。吟醸王国たる静岡ではそれだけ厳格で適正な審査をすべきという審査委員長河村傳兵衛氏の意向を、蔵元側も全面的に支持し、松崎晴雄さんは、民間の立場から初めて審査員に選ばれました。
しずおか地酒研究会でも、3月下旬の一般公開と表彰式の日、来静する松崎さんをつかまえて、「どんな審査だったんですか?」とうかがうサロンを2001年から始め、02年からは県知事賞受賞の蔵元も招いて、その年、最も静岡らしいと評価された酒の魅力や造りの苦労話などもうかがいました。
今回、静岡方式といわれた01年からの審査方法が、ふたたび、従前の方法に切り替わり、先のブログで紹介したとおり、会議室に、コの字に置かれたテーブルの上にすべての出品酒を一堂に並べ、10人の審査員がそれぞれ思い思いに試飲し、採点。室温は20度、品温は15℃にしてあるとはいえ、審査員のほか、係りのスタッフやマスコミなども自由に出入りできる会場は、やはり密封状態の麹室とは雰囲気が異なったようでした。
「麹室で5点ずつきき酒したときは、1分半あまりの制限時間の中で5点を即座に採点しなければならず、きき直しがきかないので、精神的プレッシャーがありました。それだけ目の前の酒に集中できたともいえます。今回は、30分ぐらいの時間で、50数点を自由にきき酒できるので、相対評価がしやすかったわけですが、最後の最後まで迷ってしまうというリスクもありました」と松崎さん。
「審査方法が変わったせいか、自分が静岡らしいと思っていた酒は少なかった印象でしたが、その数少ない静岡らしさを示した喜久酔が、審査員が増えても最上位に選ばれたのは、静岡らしさの定義が幅広い専門家に浸透した証拠です」と評価しました。
松崎さんは静岡のみならず、全国各県の清酒鑑評会の審査員を務め、東京ではマーケティングアドバイザーとして活躍中。この3月には、自身でネットショップ『ここだけ屋』を立ち上げ、プロ中のプロの眼で選んだ酒や食品を紹介しています。また日本酒輸出協会理事長として、アメリカ、アジアの日本酒市場開拓に精力的に飛び回っています。
「業界情報誌が首都圏の流通業者、飲食業者に日本酒産地高感度調査を行い、1位山形に次いで静岡が第2位に選ばれるなど、専門家の間で、静岡の銘酒どころとしての地位は確かなものになったようですが、末端の消費者や、新しく日本酒ユーザーになった人々の中で、この20数年来の静岡吟醸の歩みや静岡酵母の功績を知る人はまだまだ少ない。静岡の価値が知られることなく、福島や長野といった量産県がカプロン酸系の新型酵母(協会18号)の酒を評価し、そういう酒が首都圏にドッと入り、受け入れられる現状を見ると、静岡の酒もターニングポイントに来ているように思います」と大所高所からの指摘。
「こういう時期に、しずおか地酒研究会で酒の映画を作ろうと立ち上がったのは的を得た活動で、大いに期待しています」とうれしいエールも送ってくれました。
松崎さんの話を受けて、県知事賞受賞の喜久酔・青島孝さんが、これも現場の当事者ならではの秘話を披露してくれました。
「うちで使う山田錦は、兵庫県産特A地区、徳島県産、そして地元藤枝の松下明弘さんの計3種類。今期の兵庫産は融けにくい米質だったというのは多くの蔵が言ったとおりでしたが、徳島産はむしろ融けやすく、松下米は例年どおりでした。
夏場に松下圃場で米づくりにかかわってきた時点で、その違いを察知できたので、いざ造りに入る際、米の産地によって洗米時の吸水時間や麹を枯らす時間を調整する計画が立てられた。
出品酒の多くが兵庫産の融けにくい米で醸された結果、全体的に硬くしまったおとなしい酒が多かった中、うちの酒はいつもどおり適正な蒸し米に仕上がったと思う。これも、自分で米作りの現場を経験している成果だと思います。やはり酒造りは米作りから、が鉄則ですね」。
さらに、3月18日付け日経新聞に載った青島さんの紹介記事で、ポートフォリオ理論を駆使した生産計画について、ファンドマネージャー時代、債券や株式に、いくらの資産を投じるかを統計学で分析した経験を酒に当てはめ、欠品や余剰品をなくし、コストを減らし、品質を上げながら価格を下げるという業界の常識では考えられない英断を行った背景を紹介し、「適正な品質価格で売り手や飲み手の皆さんに喜んでいただくのが、老舗にとって企業継続の何よりの力。老舗が、利益を上げて拡大しようとしたら赤福みたいなことになる。老舗は拡大成長より継続を優先すべき」と明快に語ります。20代後半で800億円の資産運用をこなしてきた彼が、それを実践していることに、参加者は大いに驚き、感心しました。
「実は喜久酔が一番好きなんです」というカメラマン山口嘉宏さんに『吟醸王国しずおか』の撮影をお願いし、松崎さんや青島さんを囲んでなごやかに語り合ったり、真剣にメモを取る彼らの様子を映像に収めました。
発足当時からほぼ皆勤賞で来てくれる富士の米山庸さん&静岡の萩原和子さん&浜松の佐藤隆司さん、奥さんが青島孝さんのファンだという大村屋酒造場副杜氏の日比野哲さん夫妻、静岡酒や朝鮮通信使の紹介記事を作ってくれた静岡新聞論説委員の川村美智さん、雑誌sizo:kaを読んで入会してくれた市川勝美さん、ブログを見て参加してくれた佐藤さんなど、新旧の仲間が入り混じって、数十年来の酒友のように語り合う姿を見ていたら、松崎さんが心配される“ターニングポイント”をうまく乗り切った静岡酒の未来予想図が浮かんできます。
最後に、松崎さんに「東京の仲間にも映画支援を呼びかける会をやります。酒造りが始まる頃には仲間を連れて静岡の蔵見学もやりたい。東京と静岡をお互い行き来しながら、支援の輪を広げていきましょう」と励まされ、目頭が熱くなりました。
この夜だけで、ウン十万円の支援金も集まりました。夫婦別口で高額支援してくれた銀行マンの小楠享司さんなどは「映画のエンドロールの支援者欄に、アイウエオ順ならトップに載るかもしれないから」と、“愛飲会(静岡の地酒をこよなく愛する飲み手たちの会)”という会を自分で結成するというのです。嬉しくなって、ついつい、山口さんに、「代行タクシー代を出すから呑んでいきなさいよ、せっかく喜久酔全種が揃っているんだから!」と太っ腹なことを言ってしまいました。
映画作りの夢を、最初に、地酒研の仲間に話して本当に良かったとつくづく実感した夜でした。やっぱりここが自分のホームグラウンドなんだな、と。