磐田市にある千寿酒造は、吟醸王国しずおかHPの『読んで酔う静岡酒』に紹介したとおり、蔵元の山下家と、不世出の名杜氏河合清さん(新潟杜氏)とその弟子たちとの強い絆で酒造の灯を守ってきました。
15~16年前、最初に蔵へうかがったときは、河合さん(故人)の弟子の中村守さんが顧問で、中村さんの弟子の高綱孝さんが杜氏で、高綱さんのもとには東京農大醸造学科を卒業した若い鈴木繁希さんが杜氏見習いで付いていました。その後、高綱さんが引退し、鈴木さんが社員出身の初めての杜氏に。社員杜氏とはいえ、新潟流儀をしっかり継承した立派な新潟杜氏さん。杜氏技術のバトンタッチとしては理想的だし、当時は専務だった山下高明さんも、大学卒業後に大手ビール会社で流通を学び、マネジメントに長けた若く意欲的な蔵元後継者。いずれ、山下―鈴木コンビが千寿の新時代を切り拓いていくだろうと頼もしく感じました。
そして、昨年10月の地酒まつりで久しぶりにお会いしたら、なんと、鈴木さんの名刺には「代表取締役社長・杜氏」の肩書が! 創業者一族以外の生え抜き社員が社長になる例は、静岡県では聞いたことがありません。…そもそも、中小企業の多くが社長業はいまだに世襲制が多いというのに、最も保守的な酒造業で随分思い切った継承をしたものだ…とビックリしました。
これは、改めて蔵へうかがい、鈴木さんからじっくりお話を訊きたいと、仕込みがひと段落したこの時期におじゃますることに。久しぶりにうかがった酒蔵は事務所棟の規模が縮小されていましたが、仕込み蔵のたたずまいはそのまま。日本酒の仕込みがひと段落した後は、醸造調味料、吟醸粕焼酎、梅酒等の仕込みが始まっていて、ぷ~んと酒の香りがただよっています。「あぁ、現役バリバリで動いている蔵だ!」とホッとしました。
会長顧問職に退いたという山下さんにお会いすることはできませんでしたが、経営が難しくなった、後継者がいなくなったと言って、蔵をたたむという選択をした蔵元を何人も見てきただけに、自身が退いても社員に継承させ、『千寿』という酒銘を守ろうとした山下家の選択は、呑み手や売り手関係者への責任を果たしたという意味でも価値があると思いました。前日におじゃました『萩の蔵』のように、別の蔵の酒銘を引き受けるという“守り方”がある一方で、『千寿』は、自社で培われた新潟流酒造りの伝統を守るという使命を自覚していたのでしょう。
…我々呑み手は、そんな蔵元が必死に守ってきた酒造の伝統の上で、好き勝手に美味い不味いを謳います。
一般の呑み手は、もちろんそれでもいいんですが、私のようなポジションの人間は、どんな酒でも造る人のドラマを知り得るだけに、「スズキさんのおススメ銘柄は?」「好きな銘柄は?」なんて聞かれても気軽に応えられないんですよね…。「たまには県外の酒も呑みなよ」と薦められても、静岡の銘柄があると、やっぱりそれしか呑めない。その酒の去年と今年じゃ“ドラマの筋書き”が違うし、ましてや10年前と今では全然違う。違って当然です、人間が、米や微生物を相手に育てるんですから。
…そして、そのドラマは静岡だけでも20数通りあるわけですから、私の利き酒能力からしたら、静岡で精一杯なんです。
ちょっと話が脱線しましたが、晴れて“蔵元杜氏”になった鈴木さんは、「仕込みの量は減りましたが、代わりに自分で挑戦してみたい酒をいろいろ造っていきますよ」と意欲的。数年前から始めたという山田錦70%精米の山廃純米酒や、農水省認定“地産地消仕事人“41人の一人に選ばれた浜松の料理人・高林秀幸さんとコラボ企画した酒みりん・純米料理酒など、新しい商品が次々と生まれています。
大学を卒業したら、農業・畜産・バイオテクノロジー等、生物関係の仕事に進もうと思っていた鈴木さん。「自分が新卒で入社した昭和58年は、酒造業は斜陽産業になっていましたが、なんだか面白そうだったんですよ。実際、面白いって思わなければ続けられない仕事ですが」と苦笑いされますが、ご本人を見ていると、前日お会いした『萩の蔵』の萩原さん同様、漢(オトコ)が人生を投入して後悔しないと思える魅力が酒造の世界にはあるんだな~と実感します。代々造り酒屋に生まれ育った蔵元さんにはないモチベーションなのかもしれませんね…。
老舗の看板を継ぐという重みはご本人が一番感じているはずです。 鈴木さんが指揮する新生千寿酒造。我々も長い目で応援していきましょう!
ふるいにかけられ消えて行く山田錦から、我々晩酌ユーザーへ酒米山田錦として手に届く価格でお酒を提供して頂き、毎日その美味しさに感動しきりで有り難く呑ませて頂いてます。
確かな酒米と杜氏のこだわりを毎晩の晩酌に呑めることに感謝申し上げます。
感謝、感謝!!