昨年末、沼津市原の高嶋酒造で早朝4時から始まる上槽(搾り)を取材するため、自宅を2時30分に出発しました。駐車場のある南南西の夜空には鮮やかなオリオン座が輝き、国道1号線バイパスの興津~由比あたりを走っていたら、煌々とした月が駿河湾の黒いさざなみを照らしていました。15分ほど早く原に到着し、松蔭寺周辺をドライブしながら、白隠禅師もこうして冬の美しい夜空を眺め、いろんなことを思索されていたんだろうなあと想像しました。白隠さんは「宇宙」という概念をお持ちだったんだろうか・・・。
写真は高嶋酒造で熟成中の「白隠正宗」のもろみ。なんとなく宇宙的でしょう?
現代科学の知見を持たない白隠の時代、修行僧たちは星や太陽やもろもろの自然現象をどのように捉えていのか、あの早朝の漠然としたハテナに答えが見つかるのではと思い、参加したのが、1月24日(土)、新宿紀伊国屋ホールで開催された【白隠フォーラムin東京2015】でした。テーマは「私は誰か?宇宙はどこから来たのか?」。講師は宇宙物理学の第一人者・佐藤勝彦氏(自然科学研究機構長・東京大学名誉教授)、佐々木閑氏(花園大学仏教学部教授)、芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所教授)。各分野の日本最高峰の論客による深遠な内容で、とりわけ佐藤博士のインフレーション宇宙論は90分かそこらで理解しようと思っても科学初心者にはハードル高すぎでした(苦笑)。帰宅後、【別冊Newton~宇宙、無からの創生】を購入し、目下、懸命に復習中です。
かろうじて「理解の入口に立てたかも」・・・と思いたいのが、芳澤先生の講演「万法帰一と白隠」。先生がよく取り上げられる“白隠メビウスの輪”でお馴染み、「在青州作一領布杉、重七斤」の布袋図を題材に、白隠さんの宇宙観、ともいえる教えの一端に触れることが出来ました。
この布袋図は、真ん中にニコニコ顔の布袋さんと3人の童子。布袋さんは長方形で帯のように長い紙の両端を持って、ぐるっと円にして両端を頭上に掲げています。右側には紙の表面に「在青州作一領」の文字、左側には紙の裏面に「布杉、重七斤」。文字もちゃんと裏返しで書かれています。画像ナシではピンと来ないと思いますが、勝手にコピー使用するわけにもいかないので、試しに自分で作ってみました。こんな感じで、真ん中の輪っかの中に布袋&童子の顔が描かれています。
これは実際に表面に「在青州作一領布杉、重七斤」と描いて半分を裏返しにして端っこをつないで、“メビウス”状態にした3次元のものを写真に撮っただけですが、白隠さんは2次元の紙の上に、ひねった紙を構図として描かれたわけです。な~んでこんな七面倒くさい表現方法を??と誰しも思います。
まずは「在青州作一領布杉、重七斤」の意味を先生に解説していただきました。11世紀の宋の時代、圜悟(えんご)が書いた『碧巌録』に、「趙州万法帰一(じょうしゅうまんぽうきいち)」という有名な公案(禅問答)があります。唐の時代、趙州和尚という高僧がいて、あるとき、若い僧から「万法帰一、一帰何処(あらゆる存在は一なるものに帰着するといいますが、その一はどこに行くのですか?)」と訊かれ、件の言葉―すなわち「わしは青州におったとき、襦袢を一枚作った。重さは七斤あったんじゃ」と答えたそうです。さすが禅問答!ちんぷんかんぷんな答えです(笑)。
碧巌録の著者、圜悟は「趙州和尚の答えは非論理的だが見過ごしてはいけない。自分がそのように訊かれたら、“腹が減ったら飯を食い、疲れたら寝る”と答えよう」と言ったそうです。その答えも非論理的でしょう~とツッコミたくなりますが(笑)、圜悟自身は「但参活句不参死句(参句=常識を超えた言葉の意味を考えなさい、不参句=常識的な言葉に惑わされてはいけないよ)」と禅問答集の編者らしい物言いをする人でした。
最近の研究では、趙州和尚の出身地青州では赤ん坊の体重が七斤(約4.2kg)とされていることから、「帰一」とは、おぎゃあと産まれ落ちた生身の自己に帰るという意味だと、きわめて常識的に解釈されているそうです。でもその説が正しかったら、白隠さんなら赤ん坊の画か何かで解くはず。あえて難解なメビウスのひねりを描いたほんとうの理由=白隠流解釈は別にありそうです。
芳澤先生は白隠禅師の漢文語録『荊叢毒蘂(けいそうどくずい)』を訓注・現代語訳され、今春刊行される予定です。白隠さんの駿河訛りの肉声がそのままテープ起こししたみたいに収録された超注目の語録とのこと。その荊叢毒蘂で白隠さんは「万法帰一、一帰何処。州曰、在青州作一領布杉、重七斤」について、「この公案は実によい。生死(=迷い)の根元をたち截り、無明のもとをくだくことのできる話頭である」と述べているそう。「この自己の鏡にむかって、この一鎚をふりあげ、朝も夜もひたすら拈提(ねんてい=公案について考える)するならば、七日たたぬうちに生死も涅槃も、煩悩も菩提も、一鎚に撃砕して全世界が木っ端みじんとなるような大歓喜を味わうであろう」と続きます。
ちょっと複雑な表現ですが、先生は「白隠は、万法(あらゆる存在=有)と一(絶対に分けられない存在=無)は別々であるが、実は同じモノの表と裏の関係と捉えた」と解説されます。好きと嫌い、肯定と否定、煩悩と菩提・・・二項対立のように見えるものは、みな同じ。そのことを、ひねった紙の表裏で表現した。しかも、ドイツの数学者メビウスが、不可符号曲面の数学的特徴である「メビウスの環」を提唱した100年も前に。そこから発せられる白隠さんのメッセージとは「絶対矛盾をつきつめよ」と先生。
そうはいっても、凡人が「万法も一も同じ、その矛盾を追究せよ」と言われたところで、何をどうすればよいのか、拈提の方法がわかりません。物事にオモテとウラがある、人の心にも本音と建前がある。そこまでは理解できるけど、突き詰めていったら「全世界が木っ端みじんとなるような大歓喜を味わう」ような境地になれるものでしょうか。
まあ、私のような、禅学のさわりのさわりをさすっただけの素人は、理屈で理解しようとしがちで、理詰めで考えたところで答えがでないのが禅の公案。仏教徒の誓いの言葉である『四弘誓願文(しぐせいがんもん)』には、
衆生無辺誓願度(いきとしいけるものを救え)
煩悩無尽誓願断(煩悩を絶て)
法門無量誓願学(法の教えを守れ)
仏道無上誓願成(仏道を完成させよ)
とあります。白隠さんは順番を少し変えて、
法門無量誓願学(まず仏教以外のことも含め、一生懸命学びなさい)
衆生無辺誓願度(それを周囲の人々に説いていきなさい)
煩悩無尽誓願断(そうすれば煩悩が自然に無くなり、)
仏道無上誓願成(仏道に達することができる)
と教えたそうです。利他の精神で日々勤行するその先に、矛盾にとらわれない澄んだ鏡のような心境に近づけるのかもしれません。自分の場合はこうして学んだことを復習し、活字にまとめて発信し続ける、ということなのかな。
ところで、1154年に刊行された『祖庭事苑』という日本最古の禅語辞典に、宇宙とは「天地の四方を宇という。古往今来を宙という」とあるそうです。宇は空間を、宙は時間を意味すると考えられていたんですね。「虚空」「無始無終」「無前無後」というような表現もされていました。
禅画によくある、大きな丸を描いただけの「円相」。白隠さんは何万点も禅画を描いているのに意外にも円相は4点ぐらいしかないそうです。あれだけ豊かな筆遣いや表現力をお持ちの白隠さんからしたら、丸を描いて終わり、なんて物足りないに違いありません。それでも数少ない円相には「十方無虚空、大地無寸土」という画賛が添えられています。「虚空もなければ大地もない。ただ清浄円明なる大円鏡の光が輝いている」という意味だそうです。・・・これは、考えようによっては、量子論を取り入れた最新の宇宙物理学によって、「宇宙の始まりは“無”だった」「宇宙が誕生する瞬間、“虚数時間”が流れた」「それによって宇宙の“卵”が大きくなり、急膨張した」「高温・高速度の火の玉状態(ビッグバン)を経て恒星や銀河が出来た」という宇宙の成り立ちを表現しているようにも思えます。
白隠さんのことだから、夜空を見上げるうちに、「時間も空間もない無から宇宙が始まった」ことを観念的に理解したのではないか・・・などと妄想したくなるほど、思惟ある画賛です。三千世界を彷彿とさせる壮大な宇宙観。科学の力で観測・実証できたとしても、人間自身が認識するものである以上、宇宙イコール自己、と言えなくもない。
今、読んでいる武藤義一氏の『科学と仏教』に、「釈尊は宇宙の創造神を認めず、内観によって自己を知り、智的直観によって宇宙や人生の全てを成り立たせる法を悟った」とあります。「科学はwhat に答えるもので、仏教はhowに答えるもの」ともあります。となると、“絶対矛盾をつきつめよ”という教えを科学者が実践してきたからこそ、今日の宇宙物理学があるとも言える。白隠さんが現代に生まれ変わったら優れた科学者になっていたかもしれませんね。