今日(15日)は朝一で、初亀醸造の純米大吟醸上槽(搾り)の様子を撮影しました。
仕込み蔵へ入ろうとしたら、蔵元の橋本謹嗣さんが、入口の扉頭上にある神棚に二礼二拍手。この神棚は、今期杜氏1年目を務める西原光志さん以下、蔵人のほとんどが刷新されることになって、造りに入る前に神神社の宮司さんに造りの無事を祈祷していただくため新設したものです。
毎月1日と15日の朝は、必ず手を合わせてから入るという橋本さんの、杜氏や蔵人を思いやる気持ちが痛いほど伝わってきて、カメラを回すからもう一度、とお願いしました。
「おぉ、いい光が射し込んで来た!」とカメラマンの成岡さん。ちょうどカメラを向けたとき、神棚に朝の光がピンポイント照明みたいに射し込んできました。写真、すごいでしょ。自然光ですよ、これ。…陽光に照らされる神棚にお出迎えされるなんて運がいい!
中では一昨日に槽(ふね)に積み、搾り終わった酒袋から酒粕をはがす作業をしていました。槽搾りも、量が多い初亀では一日置きに積み上げ、一昼夜圧力をかけ、時間をかけてていねいに搾ります。そして酒粕をはがし終わった袋を、そのまま続けて次の搾りに使います。袋に変な匂いやクセがつかないよう、なるべく時間をおかずに袋を連続して使うのがポイント。これはどの蔵でも同じようです。
初亀の槽は、今まで見た中では一番大きくて、底も深くて、袋を積み上げるのに結構な体力を使っていました。西原さんはまだ30代、補佐する蔵人も20代ですから体力的には問題なさそうですが、前杜氏の滝上秀三さんや能登の蔵人さんたちは60~70代でした。こういう作業を目の当たりにすると、高齢の杜氏や蔵人の負担がいかに重かったかを実感させられます。
西原さんは会うたびに色白でスリムになっていました(うらやまちぃ!)。「僕、この造りで体重が10キロ落ちました」と吐息まじりに語る西原さんを見ていたら、うらやましいだなんて思うだけでも失礼ですよね・・・(反省)。
高齢化が問題になっているのは、人間だけではありません。「昨年から今年にかけて、蔵のあちこちで機械が故障したりトラブルが起きたりで大変でした」と橋本さん。昨春、滝上さんとともに引退した能登の蔵人さんたちが、帰郷する前に「最後のお勤めだから」と、いつも以上に丁寧に蔵の隅々まで掃除をしてくれたそうです。ところが気持ちが入り過ぎたのか、そのあと、冷蔵設備用のファンの配線が故障してしまい、別の冷蔵設備に負担がかかり過ぎてそちらも故障してしまうトラブル・スパイラルが起きてしまったとか。
暖地・静岡での酒造り、とりわけ低温発酵や低温貯蔵が必須である吟醸造りを主体にしていれば、冷蔵機器は年中フル回転せざるを得ず、メンテナンスも相応に気を遣います。
このように、静岡みたいなところでは、人の手当と同時に、蔵の維持や設備のケアにも大変な労力が必要です。この春、残念なことに宝歴元年(1751)創業という県内屈指の老舗酒蔵「忠正」の吉屋酒造(静岡市葵区)が、のれんを降ろすことになりましたが、酒造業を継続するということは、並大抵のことではありません。
…だからこそ、今、がんばっている酒蔵―とりわけ若い杜氏や蔵人を雇用して頑張ろうという蔵元や、蔵元自身が身を削ってのれんを守ろうとしている酒蔵を、応援せずにはいられなくなるのです。
初亀の仕込み蔵は、昭和初期の建造物と、昭和30年代の高度成長期に導入が進んだ機器が未だ現役で稼働しています。「台風のシーズンなんか、ちょっとした強風や大雨がくると、瓦が飛んで、そのつど雨漏りです」と苦笑いする橋本さん。フツウの製造業者のように、どこかに場所を移して、一から新しい建物と設備を導入して、人間の負担を減らせるようなモノづくりができれば、あるいは滝上さん世代の造り手がもう少し長く勤められたのかもしれません。古い機械をだましだまし使わなくても済むのでしょう。
酒蔵が背負っているものって、本当に一言では表現しきれないほど重いんですね。と同時に、使えるものはなんとかマンパワーでケアして使う酒蔵のモノづくりって、“MOTTAINAI“精神を体現しているんだと思います。
考えてみると、日本酒ってゴミがでない産業なんです。原料米は、精米した後のヌカもちゃんと二時利用できるし、水は多くの蔵が井戸水利用だし、酒を搾った後の粕も二次利用するし、瓶はリサイクルできる。冷蔵設備用の光熱費はなかなか削減できないけど、いずれは太陽光発電など自然エネルギーの導入が進めば、本当にエコ産業の代表格になるはず。
酒蔵のあるべき理想に向かって前進しようとする橋本さんや西原さんたちの志を、どうか手厚く見守ってください…と、私も神棚に手を合わせました。