杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

波瀬正吉に捧ぐ。満杯2杯目

2015-12-19 17:10:03 | 地酒

 10月23日に出版した「杯が満ちるまで」が、みなさまのおかげで第2刷となりました。

 無名のローカルライターが、静岡県内の日本酒に限って書いた(1600円と決してお安くない)本が重版になるとは、いまだにピンと来ないのですが、これもそれも、静岡新聞社出版部の“英断”と、書店営業してくださったスタッフのみなさま、1冊1冊店頭で手売りしてくれた掲載店や、一人で何冊も買って他人に薦めてくれた酒友のおかげです。そのベースにあるのは、間違いなく、静岡酒の確かな人気と実力。私はその恩恵にあずかっているだけと恐縮しつつ、本の製作にかかわった方々になんとかご迷惑をかけずに済みそうだ・・・とホッとしております。本当にありがとうございました。

 

 重版の知らせを聞いた今月早々、本で紹介した能登杜氏四天王のお一人、故・波瀬正吉さんの奥様から、能登のカニがドーンと届き、びっくり感激。さっそくお世話になった静岡新聞社の石垣詩野さんにカニ鍋やろう!と声かけし、取材や販促にご協力いただいた酒友のみなさんに緊急メール。12月の日曜招集ということで、声かけした全員に来てもらうことはできませんでしたが、それでも濃ゅ~いメンバー8人が集まりました。

 酒は松下明弘さんが喜久醉純米大吟醸松下米40&50を持参してくださったほか、引退した富山初雄さん(喜久醉前杜氏)がかけもちで醸していた曽我鶴純米大吟醸(昭和63年醸造)、故・滝上秀三さん(初亀元杜氏)が醸した初亀純米吟醸・瓢月(平成15年醸造)、静岡県の酒米誉富士の初年試験醸造酒である富士錦(平成19年醸造)、そして篠田酒店さん持参の開運純米大吟醸 作・波瀬正吉(平成13年醸造)と、貴重なレジェンドの酒を楽しませてもらいました。

 会場の「湧登」は休業日だったため、厨房を借りて参加者がおのおの調理。松下さんがカニをさばいてくれたり、「ダイドコバル」の平井武さんが「湧登」の厨房に立つという珍風景も楽しませてもらいました。結局イチバン働いたのが湧登のご主人山口登志郎さんだったんですけどね(笑)。私の地酒取材に長い間寄り添い、本の出版を後押ししてくれた酒友たちと、本では十分に伝え切れなかった波瀬さんへの思いに対し深い真心をお返しくださった奥様に感謝感激の忘れ得ぬ酒宴になりました。

 

 「杯が満ちるまで」の能登杜氏の章では、ページ数の都合でカットせざるをえなかった波瀬さんのエピソード。元ネタはこの「杯が乾くまで」のブログ記事です。もう7年も経ってしまった当時の情景が、カニ&開運波瀬正吉を味わううちに鮮やかに甦ってきました。「杯が満ちるまで」をきっかけに、「杯が乾くまで」を知った方もいらっしゃると思いますので再掲させていただきます。

 

 

波瀬正吉と呑む贅沢  「杯が乾くまで」2008年2月10日より

 

 (2008年2月)9日午後から10日朝にかけ、『開運』の醸造元・土井酒造場(掛川市大東町)で開催された「花の香楽会~蔵見学&日本酒講座」に飛び入り参加してきました。

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 『花の香』という酒は、明治初期まで旧大東町土方で造られていた地酒で、醸造元の子孫である鷲山恭彦さん(東京学芸大学学長)が、土井酒造場に依頼して昨年、復活させたもの。静岡県の新しい酒米・誉富士と地元産コシヒカリを原料に、地域の有志を中心とした楽会員が、田植えや稲刈りや酒の仕込みや酒器の製作などを体験し、地域の酒文化を再認識する活動をしています。Dsc_0058

 

 会員は、東京学芸大の学生やOBをはじめ、遠州全域から集まる地域おこしや地場産品づ くりの担い手たち。私は事務局杉村政廣さん(酒のすぎむら)から誘われてのオブザーバー参加でしたが、県中遠農林事務所所長の松本芳廣さん、地酒コーディネーター寺田好文さん、掛川駅これっしか処店長の中田繁之さん、旭屋酒店(浜松市)の小林秀俊さんなど顔なじみの面々もいて、すっかりくつろいで楽しく過ごせました。

 古民家のモデルルームのような立派な鷲山家の囲炉裏部屋で、手打ちそばや自然薯、かまど炊きの麦飯に採れたて野菜などを肴に、鷲山さん、土井酒造場の土井清幌社長、杜氏の波瀬正吉さんらを囲み、車座になって夜通し呑んで語り合いました。

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  とりわけ、鷲山さんの教え子でソプラノ歌手として活躍する小田麻子さんが即興で歌ってくれた「ふるさと」に、鷲山さん(真ん中)、土井社長(左)も立ち上がって一緒に歌いだし、波瀬さんが目を閉じてじっと聞き入る姿は、滅多に見られないお宝光景でした。

 この時期に蔵の外で、社長と一緒にこんなふうに呑んで過ごせるなんて、「そう滅多にはないよ」と波瀬さんも嬉しそう。土井さんとは40年来の名コンビで「社長とは裸のつきあいができる」と明言します。「真弓ちゃんがうちの蔵に初めて来たのは何年になるね?」と聞かれ、「平成元年の春です」と応えると、「わしは昭和43年だよ」としみじみ。土井社長はこの年に結婚し、当主として蔵を継ぎました。現在の『開運』の名声は、社長と杜氏の二人三脚の努力の賜物に他ありません。

 

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 現在、波瀬さんは75歳。静岡県の杜氏では、『初亀』の滝上秀三さんと並んで最高齢。「能登杜氏には自分より年上の現役がいるし、まだまだ新しい道具や機械も試してみたいし、もっといい方法はないかいつも考えているからなぁ」とツヤツヤした顔で応える姿に、過酷な酒造りの労働がすっかり板につき、身体の一部と化したような職人の背筋の通った生き方を感じました。

 

 波瀬さんのような造り手と向き合うと、日本酒が、いや日本のモノづくりが、労働を尊び、何歳になっても向上しようとする職人の精神に支えられていることをぜひ伝え、残さねばと痛切に思います。

 「花の香楽会」の雰囲気は申し分ありませんでしたが、私にとって、この夜は、波瀬さんと『開運』を酌み交わせたことが何よりの贅沢であり、波瀬さんのふるさと能登での暮らしをぜひ取材させていただきたいとお願いして快諾をいただけたことが、何よりの収穫でした。

 

 

 

 

能登杜氏を支える手 「杯が乾くまで」2008年8月22日より

 

 (2008年8月)20日(水)~21日(木)は石川県珠洲市で行われた能登杜氏組合夏期講習会の撮影に行ってきました。見どころは、「開運」の杜氏・波瀬正吉さん、石川県の地酒「ほまれ」の杜氏・横道俊昭さん、種麹メーカー秋田今野商店の今野宏さんが講師を務める吟醸造り体験発表・討論会。能登杜氏が勤める酒蔵の従業員や杜氏見習いが対象の講習会だけに、ハッキリ言って基礎知識がなければ、いや基礎だけ知っていても現場の体験がなければ付いていけない高度で専門的な内容です。本で読んだ基礎知識プラス、現場で多少見聞きした話ぐらいしか理解していない私にとっては、改めて酒造の世界の深さ・厳しさを実感させられるものでした。

 

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 強カプロン酸系の明利M-310で立てた酒母を、9号酵母の酒母とブレンドするという「ほまれ」の吟醸造りは、たぶん、静岡吟醸とはまったく違う酒なんだろうなぁと聞きながら、論理的に説明する横道さんや講演慣れしてるかのように饒舌に語る今野さんに、若い聴衆者がさかんに質問するのを見て、複雑な思いを抱きました。

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 波瀬さんが「なんといっても麹造りが大事。酵母や麹につねに話しかけている。それが私の酒造り」と、杜氏として一番大切な姿勢を、言葉をかみしめるように語る声は、マイクの位置が悪かったせいか、聞き取りにくく、会場内では「爺さんが何しゃべってるんだかわからないから寝ちゃったよ」なんて雑言を吐く者も。この若造たちは、波瀬正吉の偉大さを知らないのかと思わずムカついてしまいました。確かに波瀬さんの声はカメラのマイクでも拾いづらいほど小さく、壇上の司会者や横に座っていた横道さんが一言マイクの位置を直してあげればいいものを・・・と気にはなっていましたが。

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 積極的に質問するのが若い女性の杜氏・蔵人だったことも印象的でした。横に座っていた「開運」の若き蔵人3人衆―榛葉農さん、山下邦教さん、野口剛さんに、「撮影しているんだから、手をあげて質問してよ」って声をかけたんですが、残念ながら不発。代わりに、3列後ろに 座っていた「初亀」の西原光志さんが果敢に挙手してくれました。

 西原さんは、この春引退した滝上秀三さんの後継者として初亀の次期杜氏に抜擢された人。若い彼の、偉大な杜氏の後を継ぐプレッシャーやチャレンジ精神は一つのドラマになりそうで、杜氏1年目の姿をじっくり追いかけてみるつもりです。 (*現在、西原さんは志太泉の杜氏です)

 

 夜は、波瀬さんのご自宅にお邪魔して、波瀬さんと蔵人3人衆で行う開運全タンクの呑み切り(夏場に熟成具合をチェックする作業)の様子をカメラに収めました。

 呑み切りは8月初旬に、河村先生や名古屋局鑑定官や工業技術センター指導員ら専門家によって行われましたが、その講評を参考にしながらのテイスティング。「先生によって評価が違うな」「この先生の表現は細かいなぁ」「こっちは大雑把だなぁ」と蔵人たちも楽しそうにきき酒します。「これはいDsc_0023 いなぁ」と波瀬さんが唸った酒を、私も思わず呑ませてくれぇと心の中で叫んでしまいましたが、自分がフレーム内に映り込んでしまったら元も子もありません。数が数だけに、あれこれ角度を変えて撮っているうちに、波瀬さんイチオシの酒がどれかわからなくなってしまい、撮影がひと段落した後は、オールチャンポン状態で呑み呆けてしまいました…(反省)。

 

 

 黙々と撮影をするカメラマンと私に、さかんに気を遣って、「うちの畑で獲れたから」とスイカを切ってくれたり、この時期に食べられるなんて夢のような本ズワイガニのボイルを1匹ドンとふるまってくれた奥様の波瀬豊子さん。50年を超える波瀬さんの酒造り人生を陰で支え、50年間、一度も正月を一緒に過ごしたことがないという家庭生活に愚痴一つこぼさず、3人の子を立派に育て上げ、今も1年のうち8か月を静岡で過ごす波瀬さんの留守をひとりで守って、畑仕事に従事するその姿に、ニッポン女性の母性の強さと逞しさを、まぶしいほどに感じました。

 

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 翌朝は、波瀬さんをさしおいて、豊子さんの畑仕事の撮影を敢行。農業後継者が減り、放置された畑が多い中、豊子さんが手をかけた畑には、イモやネギやスイカがみずみずしく育っています。

 「スイカは近所の老人ホームに届けて喜ばれてるんだよ」「売り物にならないネギは父ちゃんのところ(土井酒造場)へ送ってやるんだ。刻んで醤油かけてご飯に乗せて食べると美味いんだよ」・・・。75歳の波瀬さんを支える72歳の豊子さんの泥だらけの手が、化粧品のテレビコマーシャルで「杜氏の手が白いのは・・・」なんて女優が宣伝するよりも美しく気高く見えました。

(*このとき波瀬さん宅で呑みきりをした蔵人の榛葉農さんが、現在、開運の杜氏を務めています)

 



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