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2012-06-07 13:52:48 | モントリオールあれこれ


   
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国家と電力

2012-06-07 07:40:34 | 報道/ニュース


 5月13日 サンデーモーニング


  電力を取り巻くさまざまな問題の根本は
  60年以上前に生まれていた。

  戦時下の日本
  アメリカ軍の空襲が激しさがますなか“灯火管制”が布かれ
  電力の使用も厳しく制限された。
  戦時中の1939年から戦後の混乱が続く1951年まで
  日本の電力は国有化され
  停電や使用制限がたびたび繰り返された。  
  それから60年余 
  今再び電力の国有化の動きが人々の大きな関心事となっている。

  5月11日、東京電力は家庭向け電気料金の7月1日からの値上げを申請。
  値上げ幅は平均で10,28%に達した。
  政府が認定した東京電力再建のための総合特別事業計画は
  1兆円の公的資金を注入し事実上の国有化を行なうほか
  電気料金値上げが盛り込まれ
  柏崎刈羽原発再稼動もその前提をされた。
  納得できないという町の声の背景にあるのは
  原発事故の対応のまずさを含めた会社の体質そのものへの不信感である。
  なぜこうした企業体質が生まれたのか
  話は戦前にまでさかのぼる。

  戦前 日本の電力業界は数多くの事業者が群雄割拠し
  激しい市場競争を繰り広げていた。
  しかし戦時統制が本格化するなか
  電力の国家管理が画策される。
  これに猛反対したのが
  当時民間電力会社を経営していた実業家 松永安左ヱ門だった。
  国有化されれば自由な企業化精神は死ぬ
  それは国を誤らせる
  
  社会の根本を支える電力。
  それを国家が管理することは自由な経済活動を妨げ
  ひいては戦争に利用される。
  そう考えた松永は徹底して反対を叫ぶが
  政府は国家管理を断行。
  1939年 国有化された電力会社は挙国一致の掛け声の下
  戦時体制に組み込まれ
  松永は電力業界から事実上追放されたのである。

  やがて迎えた戦後
  電力業界に戻った松永は電力会社の民営化を主張し
  周囲の抵抗にあいながらもその路線を押し通す。
  1951年 結果として民間主体の世界にも稀な電力態勢が生まれた。 
  そして各電力会社は民間企業としての経営努力を重ねながら
  安価で安定した電力を供給し
  戦後復興、高度経済成長を支えた。

  しかしその体質を大きく変えるきっかけとなったのが
  国策としての原子力発電だった。
  立地や最終処分を国に頼る原発事業は
  否が応でも国への依存を深めざるを得ない。
  国が進める原発を請け負うことで
  電力会社からは自由な企業家精神が失われていったのである。
  
  一橋大学大学院 経営史・エネルギー産業論 橘川武郎教授
  「国策民営で行なわれるから
   いろんな意味で原子力をやりやすくする保護政策が入る。
   その結果として『原子力村』という言葉があるが
   国と電力会社がもたれ合いになる。
   責任を持てない仕組みになっている。」

  そして去年3月11日
  情報公開の遅れやあまりにずさんな対応。
  民間企業でありながら“親方日の丸”的な企業体質が露呈し
  東京電力は世間の批判を浴びた。
  そして今 事実上の国有化。

  一橋大学大学院 経営し・エネルギー産業論 橘川武郎教授
  「元々原子力という事業を民間がやるのは無理。
   原子力の部分は切り離して国が責任を持つ形にする。
   もう原子力で稼ぐ時代は終わった。
   原発のたたみ方を考えないといけない。
   たたみやすくするためにも国が関わっていた方が良い。」

  今後 原発をどうするにしろまずその責任を国が担うべきと語る橘川教授。
  しかしその一方で責任を担うべき国について
  今は不安の念が隠せないと言う。

  「東電に責任があることは間違いないが
   国策民営でやってきた国にも責任がある。
   そこを明確にすることに対して今でも躊躇している。
   両方が責任を擦り付け合う仕組みが国策民営方式。
   そういう意味では国が明確な責任を取るべきだと思う。」

  この夏も電力不足が懸念される中
  暮らしに欠かせない電力は一体どうなってしまうのか。
 


  



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