6月13日 読売新聞「編集手帳」
飲料会社の伊藤園が募集する「新俳句大賞」で、
かつて10歳の女の子のこんな作品が大賞に輝いたことがある。
<ベートーベンにらんでばかりおそろしい>
小学校の音楽室に飾られた肖像画だろうか。
ドイツの作曲家の情熱に満ちた視線を受けつつ、
オタマジャクシの浮かぶ教科書を開いたのを思い出す。
懐かしい気持ちになりながら、
この句にもう一つ思うのは季語である。
もしかしてべートーベン?
歳末恒例の「第九」の合唱が耳に響いてくる。
新型コロナウイルスが音楽の世界に与えた打撃は計り知れない。
深刻さが際立つのが合唱団といわれる。
マスクを着けて十分な声量で歌える人は皆無だろう。
さらには寄り添って互いに耳を澄まし、
ハーモニーを奏でるのが合唱である。
何十人もが集まらなければならないため、
一定の距離を空けるとなれば練習場所さえ見つからない。
新しい生活様式を続けていくと「第九」の響かない歳末が訪れるのかもしれない。
想像すると喪失感が大きい。
今年のような苦しい年にこそ喜びの歌が必要だろう。
肖像画のべートーベンが、
悔しくてにらんでいるように思える。