その通りです。
世間の流行に乗っかった、軽薄でミーハーなmenfithです。
さて、私は連載初期の段階から「進撃の巨人」を知っていた。
連載当時から熱心なファンで、毎号雑誌で読み込んでいた、という人ではない。
むしろ最初の1巻を読んで(無料だったか、マンガ喫茶だったか)、「これはない。」と思って無視し続けてきた。
理由は絵が下手すぎた、ということと、一つの疑問が物語の破綻であると感じていたからだ . . . 本文を読む
「情けは人のためならず」ということわざを人に示すと、「人のためにならないから情けは掛けるべきではない」という解釈になるらしい。
ここに、好意を人に与えることで自分に害が起こりうるという現代的な世相を反映しているように私は考えている。
無味乾燥な、個人主義が貫徹されたということを裏打ちしているとも言える。
私はアドラーに触発されたこともあり、このことわざの持つ奥深さを常日頃から痛感している。
「人 . . . 本文を読む
インターネットが一般的に利用されるようになり、読書の意義がむしろますます注目されるようになっている。
だが、電車の中を見渡してみると、9割がスマホをいじっている人ばかりで、本を読んでいる人は一昔前と比べても激減しているように感じる。
本だけではない。
マンガを紙で読んでいる人も、もはや絶滅危惧種といえる。
もちろん、週刊誌のマンガ雑誌を読んでいるような人も、随分と減った。
20年ほど前なら一般的だ . . . 本文を読む
不倫に対する過剰な批判はいったいどこから来るのだろう。
極めてプライベートな内容にまで踏み込まれた取材は辟易する。
しかし「世間」はそれを求めているようだ。
私はこれは羨望なのだと考えている。
多くの人は不倫なんてできない。
そんな甲斐性もないし、異性としての魅力もない。
だから、羨ましさとの裏返しとしての批判なんだと。
しかしそれだけではないような気もする。
批判する人は執拗に、徹底的に嫌悪感 . . . 本文を読む
一連のコロナによってこの地上で最も枯渇しているのは倫理ではなく相手への配慮であることがわかった。
マスクをすることで守れるのは自分ではなく他人であるからだ。
だから手洗いにしてもうがいにしても他人への配慮の表れとして行うように喧伝される。
時に過剰な不安を煽りながら。
同時に、ロックダウンや自粛【要請】にしても、医療従事者というその他の多くの人には見えにくい他者への配慮が求められる施策によってコ . . . 本文を読む
★ ★ ★
「ターミネーター」シリーズの全ての内容に関わる記事です。
閲覧にはご注意ください。
★ ★ ★
ターミネーターの新シリーズが、アメリカでおおこけで、サラ・コナーもびっくりの展開になっているらしい。
日本でもそれほどのヒットだとは聞かないので、おそらくこのままこの企画はフェードアウトするのだろう。
映画館で私も見に行ったが、やはり面白いとはいえない出来だった。
だが、このシリーズ . . . 本文を読む
細かい経緯は抜きにして、VRを体験してきた。
大阪のHEP FIVEにある、施設だ。
HEP FIVEじたいに入館するのが数年ぶりで、人の多さに辟易したが、VRの施設にはそれほど多くの人はいなかった。
日曜だったので、企業側の本音を言えば、もっと来て欲しいのだろうが。
一日券で体験したので、4本遊んだ。
約90分ほどで4本体験できた。
その後の時間の都合もあり、やりたいものをやるというより、比較 . . . 本文を読む
今年の日本プロ野球ドラフトは、歴代最高の瞬間視聴率を記録したらしい。
ここ最近、スポーツに対する話題に事欠かないようになってきた。
しかし一方で、スポーツに対する風当たりはかなり厳しいものがあるような気がする。
私の息子が中学生になる頃には、クラブ活動はなくなっているかもしれない。
スポーツが加熱する一方で、実際にスポーツをする人は少なくなってきている印象がある。
これはどうしたことか。
私はネ . . . 本文を読む
基本方針として、危険なこと以外は自由にさせるということで、うちの王子様は好奇心旺盛な性格に育っている。
ハイハイや歩き始めたころは、やきもきさせられたが、本棚が荒らされてカバーが全部外されることもないし、アイロンを触りに来ることも、ほとんどない。
ただ、そのためなのか、母親の戦略が奏功したのか、おしゃべりが止むことがない。
寝ているときも、起きているときも、一人でも、おしゃべりしつづけている。
. . . 本文を読む
真の意味での奴隷とはどのような人たちことだろうか。
私は、ただ身体や精神を主人に縛られた人のことではないような気がしている。
奴隷とは、「身体や精神を不自由にされているにもかかわらず、それに気づかない人」のことではないだろうかと思う。
不自由であること、束縛されていること、自分自身の意志をそがれていることに気づいている人間は、何らかの抵抗をするものだ。
それができないと分かっていても、である . . . 本文を読む