評価点:45点/2009年/日本
監督:西谷弘
イタリアの観光地を舞台にした火曜サスペンス豪華版。
2009年12月21日、外交官黒田(織田裕二)は、イタリアで行われるG8で邦人をターゲットにしたテロが起こるという情報をもとに、イタリアの日本大使館に赴く。
翌日、イタリアにある美術館で、少女がさらわれる事件に遭遇してしまう。
たまたま居合わせた黒田は、身代金を払うと法律に引っかかることを知っていたので、イタリア語のできない母親(天海祐希)に代わり、父親だと名乗ってしまう。
イタリア警察に連絡をとり、解決に当たることになったのだが…。
フジテレビ開局50年を記念した、オールイタリアロケの話題作。
この夏の目玉といってもよく、観客の足並みも上々のようだ。
織田裕二、天海祐希、佐藤浩市、佐野史郎と、豪華なキャスティングで、しかもイタリアの観光地をバックに撮影されたとなると、その意気込みの強さを感じざるを得ない。
原作は、この映画のための書き下ろしで、「ホワイトアウト」の真保裕一。
織田裕二自身が言うように、一種のお祭りであることは間違いないが、その出来は映画館で確かめるといいだろう。
特にイタリアに行ったことがある人は、観に行くとにやりとできること請け合いだ。
だが、何事も過剰な期待は禁物。
それは僕の評価点が示しているだろう。
▼以下はネタバレあり▼
期待して観に行ったのだが、残念ながらおもしろくはない。
見所がなくはないが、同じ真保の「ホワイトアウト」の域を全然超えていない。
リアルさもなければ、サスペンスとしてもおもしろさもない。
こういう企画があったので、それに向けてシナリオを書いて、それに向けてキャラ設定そのほかを立てました、というのが丸見えだ。
よって、そこにはキャラクター内部にある哀しみや、テロという重み、テーマ性といったものは皆無だ。
僕自身、かなり疲れていたので眠かったことは確かだが、それを考えても、おもしろみは少ない。
真相を先に書いてしまおう。
誘拐事件だったように見えて、実は川越亘大臣を暗殺するための陽動作戦だった。
つまり、大臣の警備を手薄にし、セキュリティシステムに侵入するために起こした誘拐だったわけだ。
目的は、大臣が内紛状態にある国へ援助金を出したことによって殺された、ヴォランティア団体の遺族たちの無念を晴らすため。
佐藤浩市扮する藤井は、そのヴォランティアに参加していた唯一の邦人被害者だった。
真相を知ってしまうと、それほど違和感のある話でもないし、現在なら起こりうる事件だと納得もできる。
「亡国のイージス」に比べると、リアリティは何倍もある。
事件に参加した人間たちが、多種多様な理由も納得できる。
だが、根本的に不確定要素が多すぎて、事件を計画した段階で不可能であることが浮き彫りになってしまう。
一つ目は、偶然であった矢上母子が計画の中枢を担ってしまっているということだ。
終盤、藤井に脅された天海は、銃を取り出して警備会社を脅迫する。
だが、この警備会社に連れて行かれることをどこまで計画に含められるほど蓋然性が高いものだったのか。
あるいは、運良く警備会社のセキュリティ管理センターに入れたとしても、銃を握ったこともない女性が、果たして思い通りに動いてくれるかどうか。
そもそも、管理センターに入る際に、銃を取り上げられる可能性の方が高いわけで、それをメンバー以外の人間に背負わせるのは、ムリがある。
計画そのものも、どの段階から彼らは計画し始めたのだろう。
たとえば、美術館の警備員として働いていた女性テロリストは、どうにかしてまんまと警備員ふりをしたとしても、男性のキリスト教徒はそうはいかない。
さすがにばれるだろうし、そもそも短時間でビデオに細工などできるのだろうか。
映像をすっぽり差し替えるだけなら、そう難しくもないだろうが、人の姿だけをデジタル処理するのは、何日もかかるのではないか。
彼らにそういった才能や技術があるかどうかを劇中で明かしてくれなかったので、隠れ設定があったのかもしれないが、常識的に考えて不可能だろう。
そして致命的なのは、アマルフィというタイトルをつけているのに、アマルフィは事件(計画)の想定外の場所であり、事件とは全く関わりがないということだ。
英雄が死んでその後にこの街を作った、というくだりを入れるためだけの都市なのだ。
一日行って帰ってくるだけの場所をタイトルに選んだ理由がよくわからない。
サブタイトルの「女神の報酬」に至っては、その意図さえわからない。
原作を読めって? この映画のできでは読む気になれないでしょう。
また、キャラクターもつかめない。
黒田は外交官として邦人の要人を守るために派遣されてきたのに、全然無関係そうな誘拐事件に首を突っ込むとは、ほとんどプロ失格だ。
結果的につながっていたというだけであって、派遣した中井貴一もびっくりだろう。
ラストで藤井を説得するシーンなど、クールでニヒルだったはずが、完全に青島(「踊る」の)になっている。
同じ役者だから仕方がないのかも知れないが、イタリアで無血開城は、なんとも生ぬるい。
火曜サスペンスとなんら変わりがない。
血を流せばいいというわけではないが、耳を打たれた大臣からも血は出ない。
血も死もない映画では、あまりにも優等生すぎる。
矢上紗江子もよくわからない。
どういう身分の家なのか、看護士で、年末の忙しいときに、ローマに来られるほど生活が豊かなのか、母親としての紋切り型の愛情しか見いだせないため、感情移入しにくい。
台詞回しも、どこかクールな「ボス」のような印象を受けて、どういう人物なのか捉えがたい。
もちろん、映画としてのメッセージ性などあるわけがなく、扱っている問題の現実性、現在性のわりには、薄っぺらい。
なんだか本当に、織田裕二とフジテレビだけのために作ったような、あまちゃんな映画だ。
イタリアと織田裕二にのみこの映画の見所がある。
こんな映画を作っている限り、日本の映画やテレビの質は向上することはないだろう。
監督:西谷弘
イタリアの観光地を舞台にした火曜サスペンス豪華版。
2009年12月21日、外交官黒田(織田裕二)は、イタリアで行われるG8で邦人をターゲットにしたテロが起こるという情報をもとに、イタリアの日本大使館に赴く。
翌日、イタリアにある美術館で、少女がさらわれる事件に遭遇してしまう。
たまたま居合わせた黒田は、身代金を払うと法律に引っかかることを知っていたので、イタリア語のできない母親(天海祐希)に代わり、父親だと名乗ってしまう。
イタリア警察に連絡をとり、解決に当たることになったのだが…。
フジテレビ開局50年を記念した、オールイタリアロケの話題作。
この夏の目玉といってもよく、観客の足並みも上々のようだ。
織田裕二、天海祐希、佐藤浩市、佐野史郎と、豪華なキャスティングで、しかもイタリアの観光地をバックに撮影されたとなると、その意気込みの強さを感じざるを得ない。
原作は、この映画のための書き下ろしで、「ホワイトアウト」の真保裕一。
織田裕二自身が言うように、一種のお祭りであることは間違いないが、その出来は映画館で確かめるといいだろう。
特にイタリアに行ったことがある人は、観に行くとにやりとできること請け合いだ。
だが、何事も過剰な期待は禁物。
それは僕の評価点が示しているだろう。
▼以下はネタバレあり▼
期待して観に行ったのだが、残念ながらおもしろくはない。
見所がなくはないが、同じ真保の「ホワイトアウト」の域を全然超えていない。
リアルさもなければ、サスペンスとしてもおもしろさもない。
こういう企画があったので、それに向けてシナリオを書いて、それに向けてキャラ設定そのほかを立てました、というのが丸見えだ。
よって、そこにはキャラクター内部にある哀しみや、テロという重み、テーマ性といったものは皆無だ。
僕自身、かなり疲れていたので眠かったことは確かだが、それを考えても、おもしろみは少ない。
真相を先に書いてしまおう。
誘拐事件だったように見えて、実は川越亘大臣を暗殺するための陽動作戦だった。
つまり、大臣の警備を手薄にし、セキュリティシステムに侵入するために起こした誘拐だったわけだ。
目的は、大臣が内紛状態にある国へ援助金を出したことによって殺された、ヴォランティア団体の遺族たちの無念を晴らすため。
佐藤浩市扮する藤井は、そのヴォランティアに参加していた唯一の邦人被害者だった。
真相を知ってしまうと、それほど違和感のある話でもないし、現在なら起こりうる事件だと納得もできる。
「亡国のイージス」に比べると、リアリティは何倍もある。
事件に参加した人間たちが、多種多様な理由も納得できる。
だが、根本的に不確定要素が多すぎて、事件を計画した段階で不可能であることが浮き彫りになってしまう。
一つ目は、偶然であった矢上母子が計画の中枢を担ってしまっているということだ。
終盤、藤井に脅された天海は、銃を取り出して警備会社を脅迫する。
だが、この警備会社に連れて行かれることをどこまで計画に含められるほど蓋然性が高いものだったのか。
あるいは、運良く警備会社のセキュリティ管理センターに入れたとしても、銃を握ったこともない女性が、果たして思い通りに動いてくれるかどうか。
そもそも、管理センターに入る際に、銃を取り上げられる可能性の方が高いわけで、それをメンバー以外の人間に背負わせるのは、ムリがある。
計画そのものも、どの段階から彼らは計画し始めたのだろう。
たとえば、美術館の警備員として働いていた女性テロリストは、どうにかしてまんまと警備員ふりをしたとしても、男性のキリスト教徒はそうはいかない。
さすがにばれるだろうし、そもそも短時間でビデオに細工などできるのだろうか。
映像をすっぽり差し替えるだけなら、そう難しくもないだろうが、人の姿だけをデジタル処理するのは、何日もかかるのではないか。
彼らにそういった才能や技術があるかどうかを劇中で明かしてくれなかったので、隠れ設定があったのかもしれないが、常識的に考えて不可能だろう。
そして致命的なのは、アマルフィというタイトルをつけているのに、アマルフィは事件(計画)の想定外の場所であり、事件とは全く関わりがないということだ。
英雄が死んでその後にこの街を作った、というくだりを入れるためだけの都市なのだ。
一日行って帰ってくるだけの場所をタイトルに選んだ理由がよくわからない。
サブタイトルの「女神の報酬」に至っては、その意図さえわからない。
原作を読めって? この映画のできでは読む気になれないでしょう。
また、キャラクターもつかめない。
黒田は外交官として邦人の要人を守るために派遣されてきたのに、全然無関係そうな誘拐事件に首を突っ込むとは、ほとんどプロ失格だ。
結果的につながっていたというだけであって、派遣した中井貴一もびっくりだろう。
ラストで藤井を説得するシーンなど、クールでニヒルだったはずが、完全に青島(「踊る」の)になっている。
同じ役者だから仕方がないのかも知れないが、イタリアで無血開城は、なんとも生ぬるい。
火曜サスペンスとなんら変わりがない。
血を流せばいいというわけではないが、耳を打たれた大臣からも血は出ない。
血も死もない映画では、あまりにも優等生すぎる。
矢上紗江子もよくわからない。
どういう身分の家なのか、看護士で、年末の忙しいときに、ローマに来られるほど生活が豊かなのか、母親としての紋切り型の愛情しか見いだせないため、感情移入しにくい。
台詞回しも、どこかクールな「ボス」のような印象を受けて、どういう人物なのか捉えがたい。
もちろん、映画としてのメッセージ性などあるわけがなく、扱っている問題の現実性、現在性のわりには、薄っぺらい。
なんだか本当に、織田裕二とフジテレビだけのために作ったような、あまちゃんな映画だ。
イタリアと織田裕二にのみこの映画の見所がある。
こんな映画を作っている限り、日本の映画やテレビの質は向上することはないだろう。
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