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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

亡国のイージズ

2009-04-26 14:49:47 | 映画(は)
評価点:37点/2005年/日本

原作:福井晴敏
監督:坂本順治

ミスがあるとすれば、それは監督人選だ。

専守防衛をその任務とするイージス艦。
圧倒的な防衛力を誇るこの戦艦が、テロリストに占拠された。
しかも、テロリストたちは、そのミサイルに「GUSOH」と呼ばれる米軍の特殊化学兵器が積まれ、東京を照準としている。
もし発射されれば、東京は数十分で壊滅状態になるという。
事件を事前に嗅ぎつけた自衛隊の特殊部隊のDAISのメンバー、如月と、イージス艦の先任伍長仙石の二人が、そのテロリストからイージス艦を奪還すべく立ち上がるが……。

日本にアクション映画は作れない。
小説「亡国のイージス」は映画化不可能だ。

誰が言ったか知らないが、このようにささやかれていた日本映画界に、アクション超大作として銘打たれた「亡国のイージス」が公開された。
しかもキャスティングがすごい。
真田広之、中井貴一、寺尾聡、佐藤浩市、吉田栄作などなど。
これだけの予算をくみ、これだけのキャスティングを擁した映画も珍しいだろう。

しかも夏休み公開。
これで話題にならないはずはなかったのだが。
 
▼以下はネタバレあり▼

この映画、実際にはそれほど悪くはない。
おそらく、キャスティングや、予算などを考えなければ、努力賞はあげてもいいくらいだっただろう。
だが、このキャスティングと予算、規模でこの程度の映画しか撮れないというのは、期待を裏切ったとしか言いようがない。

その理由の大半は、監督による演出のレベルの努力でなんとかなったに違いないから、悔やみきれない。
この映画にミスがあるとすれば、それは監督の人選ミスだろう。

まず、僕が最初にこの映画に不要なものを見つけたのは、映画が始まる前だった。
パンフレットは映画を見る前に買うことにしているが、そのパンフレットの値段が千円。
分厚さもふつうの映画の倍はある。
僕は冗談で、「こんなに分厚くするなら、原作もくっつけたらいいやん」と言った。
そして笑いながらページをめくると、なんと映画全編の台本がついていた。

――それはいらんわ。

映画が始まる前からいきなり裏切られた気持ちになってしまった。

それはおいておいて、いろいろな要素を詰め込もうとしすぎたきらいがある。
その割には、肝心な部分できちんとみせ切れていない、とい印象だ。

まず、人物が多すぎる。
単純に登場する人物が多すぎるのではない。
それは過去を説明する人物が多すぎるという意味だ。
特殊工作員の如月、副館長の宮津、どこかの国の工作員のヨンファ、その娘の寡黙な女戦士、主人公の仙石……。
確かにキャラクターの色分けという意味では重要だが、彼ら一人一人の過去が丁寧に描かれすぎるため、テンポが悪くなっている。
いちいち過去の回想を違和感たっぷりに描くのではなく、態度や言動などにそれを込めることは十分にできたのではないか。

というのは、それだけ丁寧に描いておきながら、結局内面はよくわからないのだ。
しかもその割には短い上映時間。
それだけのいろいろな要素を取り入れてしまうと、中心がぼやけてしまうのは目に見えている。
それなら、主要な人物だけのキャラクター性を、しっかり丁寧に描いたほうが良かった。
感情を共感できないと、人物としては魅力に欠けてしまう。
それは多くの映画の成功と失敗が語っている周知の事実だ。

すくなくとも、如月と、ヨンファの娘の過去の挿入は不必要だった。
如月は特に、あれだけ丁寧に描いておきながら、結局、設定があいまいで、しかも若いためにキャラクター像がよけいに不透明になってしまっている。
ラスト、宮津に父親をダブらせて、「おまえのせいで母さんは……」といい、それに答えるように、宮津の方も息子をダブらせて、「そうだな、父さんが悪かった」という。
あれは本当の親子などではなく、お互いの親子にお互いをダブらせたのだろう。
その悲しみは理解できるが、それでも感情として共感できるほどでない。
やはり抜け落ちた事実が大きすぎて、よくわからないことからきている。
それを中心にしたいなら、もっときちんと描くべきではなかったか。

主人公の先任伍長はいいとして、敵の親玉であるヨンファも実に適当だ。
「某国偵察局」というきわめて曖昧な表現で呼ばれる彼こそが、いちばん意味不明な動機不純なキャラクターに見えてしまう。
だから、彼が起こした行動そのものに疑問がわいてしまうのだ。
そこまでこだわろうとした理由がいっこうに見えてこない。

専守防衛しかできない日本への警鐘として迫ってこない理由はここにある。
結局何がしたいのか、結局日本のどこが腐っているのか、まったくあぶり出されてこない。
これでは平和ぼけした日本が立ち直ることはないだろう。

どうせなら、「北朝鮮の」というふうに断言すればよかった。
それなら説得力と哲学が見て取れて、怖さと悲しみもよくわかったのだ。
もしくは日本の元自衛隊とかでも良かったのではないか。
自衛隊全面協力だからそれはできなかったのか、元自衛官が、あまりに理不尽な政府に寝返るというほうが、まだ説得力があった。
そう設定を変えてしまったとしても、全くストーリーに変更を加えなくても、進められたはずだ。
なぜなら、それだけヨンファの動機が不透明だからだ。
ヨンファでないとこの事件は起こらなかった、という不変的な、絶対的な必然性がほしかった。
そうでなければ、ドラマとして破綻してしまう。

敵に哲学がないから怖くない。
怖くないから、全然物語に移入できない。

ストーリーやキャラクターだけが問題なのではない。
アクション映画に欠かせない演出の面でも致命的なところが多い。

たとえば、イージス艦の説明。
冒頭から説明されるイージス艦は、「某防衛大学大学生」が書いたという論文だ。
いきなり「それは亡国のイージスでしかない」という否定形からスタートする。
イージス艦がどれだけ有名かよくわからないが、本来の目的は「亡国のイージス」ではなかったはずだ。
まず、イージス艦の本来の目的と意義を説明した後、そのイージス艦が無意味になりつつあることを示し、転倒させるべきだった。
そうでなければ、ほとんど無用の長物で、イージス艦というかっこいい憧れの戦艦になるところを、無意味さだけが強調されて見えてしまう。
これでは、イージス艦は日本に全く必要がないような描き方になってしまう。

(そういう意見はあるにしても)この映画ではそれはタブーだった。
なぜなら、無用の長物というイメージによって、イージス艦の威力、それを奪われたときの脅威などが半減する。
まずは、素人に説明するシーンなどを挿入して、イージス艦の本来の意義をきちんと映画的にでも説明するべきだった。
武装も結局わからずじまいでは、あまりに説得力に欠ける。

また、GUSOHなる特殊兵器についての説明も足りない。
どれだけの威力があるか、という台詞だけの説明ではなく、
実際にどれくらいの威力があるのか、きちんと描くべきだった。
そうすれば、それが東京に撃たれる脅威も感覚的に理解できただろうし、恐怖にもなった。
それがないから、どうしても非現実的に感じてしまうのだ。
まだサリンなど有名な毒ガスや化学ガスならそれがわかったが、全く新しい兵器なのに説明不足は明らかだ。
しかも形として登場するのは映画の後半も後半。
それでは緊迫感を維持することは難しい。

だが、この映画を駄作に陥れているのは、アクションの演出だ。
簡単に言えば、全体として引っ張り方が悪いのだ。
ああ、もうすぐおもしろくなりそう、という手前で解決してしまう。
戦艦を爆撃するシーンも、もっと手に汗握るように、緊張感を引っ張れば(あと20秒ほど引っ張れば)、観客にストレスを感じさせ、それが解決するにも、失敗するにも、
大きな感情の起伏につながる。
だが、この映画では、結果がわかってしまうのがすべて早い。
早いから、あっけなく一つ一つが解決してしまっていくのだ。
女戦士にしても、もっと長い格闘をさせればもっと怖い印象を持ったのに、「ああ、やっぱり女だもんね」というがっくり感が残ってしまう。

ラストのイージス艦の爆発にしてもそう。
火力発電につっこむことはまずない、ということは観客の誰もがわかっている。
だからといって、すぐに解決してしまうと、緊張感が生まれる前に終わってしまう。
もう数十秒引っ張るだけで、映画としての印象はまるで違ったのに、と思う。

全体的に「ザ・ロック」のパクリのような展開だったが、それでも構わなかったのだ。
出来さえ良ければ、パクリと思わせずに作ることもできたはずだ。
日本国民への警鐘も、もっと身に迫っていたはずだ。
これでは「何もない映画」になってしまっている。

ハリウッドに予算で負けたとは言わせない。
キャスティングで負けたとは言わせない。
単純に監督の器量で負けたのだ。
これだけ金を遣う予算があるなら、もっと監督は慎重に選ぶべきだった。

これではキャストとお金の無駄遣いと言われても仕方がない。

(2005/8/17執筆)

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