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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

自然主義としての日本人像

2023-11-10 19:57:59 | 毎日コラム
ずいぶん前に、内田樹の「日本辺境論」を読んだとき、「なるほど!」と思ったのを覚えている。
そこにも書かれていたはずだが、日本人はとにかく「日本人とは何か」を考えたがる民族であるようだ。
それは確固たる国民像がない、あるいはそれを共有できないことの裏返しだろう。
日本の歴史は脈々と……と語られることが多いが、では日本人とはどういう民族なのかと言われても即答できない。

あるいは、安倍謹也がいうように、世間を重視して建前と本音を使い分けるという説明もある。
恥を重んじる行動原理を説いた人もいるし、空気を読むという言い方も使い古されている。
だが、これほどまでに経済大国になりながら、格差が拡大して、ずる賢い一部の人間に富を独占されているにもかかわらず、我慢強く糊口をしのいでいる国民性はいったい何なのだろう。
デモに参加するわけでもないし、ストライキを行使するわけでもない、おとなしい国民。
為政者からは都合が良いと思われているのかもしれない。

と考えていて、私は自然主義なのだろう、という思いに至った。
おそらくこれも誰かが言ったことがあるのかもしれないが、私なりに少し考えてみた。
ここでいう自然主義とは、「nature」の自然ではない。
むしろ、「蓋然性」ということばに近いかもしれない。
おのずからそうなっている様、その流れに身を任せるのが日本人の本質ではないか、と。

多くの人が「その流れが自然である」と感じることに従うこと。
これが日本人の本質的な行動原理なのではないか。
だから、空気を読む、ということばも、その場の流れが自然なものであるという方向に付き従っていく。
不自然なことをすると、「空気が読めない奴」と批判される。

そんなふうに仮定してみると、いろんなことが説明が付くのではないかと思い始めたのだ。
ということで、続きはまたこんど。

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