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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

人間関係までも可視化される世界

2023-11-09 18:01:09 | 毎日コラム
SNSによって、私たちは友達リストを作成することを強いられる。
SNSから逃れて生きていくという道も残されているが、民主主義の原則が「多数決」である以上、自分が多数派にいることは社会的に生き抜くための重要なスキルだ。
そうであれば、SNSを無視して生きていくという道は、ちょっと険しくなる。
ということで、私たちはせっせと友達リストを作って、人間関係を可視化することになった。

これは極めて残酷な行為だ。
どういう情報をどういう相手にいつ公開するか、という今まで感覚的に行っていたことが、すべて記録されるようになった。
広告と分かちがたく提供されるSNSなので、人間関係だけではなく、自分の嗜好や好悪さえも可視化される。
人間関係という、アナログで、グラデーションで、曖昧だったものが、数値となって示される。
友達に入れるかどうかを、主体的に、能動的に、意識的に、選択することを迫られる。

かくして、私たちは非常に明確な人間関係を強いられることになった。
これまで挨拶程度だった人を、友達に入れるのかどうか。
ただ同じクラスであるというだけで自分のグループに入ってくるあいつと、どこまで情報を公開すべきなのか。
人間関係とはそもそも、非常にもろく移ろいやすいものでありながら、すぐにまた修復可能なものでもある。
しかし、SNSで可視化されるとそうもいかない。
微妙さや曖昧さは、0か1かで表現せざるを得ない。

その数は、そして自分が「支持されているかどうか」という指標にさえなり得る。
そしてそこに反映されない人間関係は、あたかも存在しないかのように捉えられるわけだ。
見える化するということは、見えないものを見る力を極端に減退させる。
ちょうど天気予報が一般化することで、多くの人が空を見上げなくなったのと同じように。

しかし、見えない曖昧な人間関係こそ私を支える土台である、ということが忘れ去られていくことが、見えていることよりもむしろ本質ではないのか。

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