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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

クレーマークレーマー

2020-11-08 10:08:49 | 毎日コラム
クレーマーの心理を理解することは難しい。
そんな思考に私はならないからだ。
だが、彼らの言動を具に観察するとそこには私には理解できない、永遠に和解できない理由めいたものが見えてくる。

共通理解や和解というのはお互いの円がある点で重なり合うことだというイメージを漠然ともっている。
相手の怒り、要望、こちらの都合、不手際、立場、利益……。
謝罪で済む場合もあれば決裂という着地点を見出す場合もあるだろう。
相手の(理不尽な)クレームを聞きながらその着地点を探していく行為がクレーム処理の重要な任務なのだろう。

ある経営者なら「クレーマー対応が商品開発の最前線だ」なんて気の利いたセリフを吐いて我々を鼓舞してくれるのだろうが、最前線に立たされる者はそんな高尚な抽象化は到底難しい。

ともかくそういう終着点、円と円が辛うじて重なり合う地点を探ろうとする。

しかし、真のクレーマーと言えるクレーマーにはそれが見えてこないことがある。
(いや、ほとんどの場合見えてこないのだが。)
そういう時はこの人はなにを求めたいのだろうかと具に観察するわけだ。
(もはやまともに受けていたのでは心が保たない)

結果、私は、究極の「これじゃない感」を誰かに伝えざるを得ない人なのだ、という答えに最近至った。
彼らには想定できる答えは存在しない。
だからクレームという行為に変換しようとする。
自分でもなにが不満なのかわからない。
ただお前の対応は不満である、という点のみ相手にぶつける。
だからどんな対応をしても「これじゃない」と感じて堂々巡りになる。

例えば「シュークリームが食べたい」とコンビニで買って食べてみても、「これじゃなかった、やっぱりエクレアだった」となって更に買いあさる。
けれどもエクレアを買っても満たされることはない。
そうして気づけばただの不満だけが蓄積されていく。
こういうゼロからプラスを求める行為であればただ自分が太るだけで済むが、クレーマーは確固たるマイナスの感情から始まるからたちが悪い。

私にできることは、自分がその境地に至らないことを日々願うことだけである。



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