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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(V)

2022-10-15 18:18:50 | 映画(わ)
評価点:76点/2019年/アメリカ/161分

監督:クエンティン・タランティーノ

ハリウッドスターが、スクリーンを飛び出すとき。

1968年、ハリウッド。
テレビのスターから映画に鞍替えを図ろうとしたリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、かつてお茶の間のヒーローとして一世を風靡したが、すでに干されはじめていた。
オファーはすべて悪役で、センスのかけらもないようなものだった。
素行の悪さから、そのスタントマンであるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)もアルバイト程度の収入しか得られなくなっていた。
そんなある日、やぶれかぶれの中悪役が回ってきた。
必死にリックは演じようとするが、二日酔いでなかなか台詞が出てこない……。

タランティーノの監督作品第9作。
すでに10作しか作らない、と宣言しているのでもしかしたらあと1作で終わってしまうかもしれない。
正直あまりハリウッドのゴシップネタに明るくないので詳しくは知らないけれど。

実際にあったハリウッドでの殺人事件をモティーフにした作品。
リックの隣に住んでくるのは、ロマン・ポランスキー監督である。
このころにリアルに生きていたわけではない私にとっては、そういう話が合ったこともあまり知らない。
だからこの映画がどのようにアメリカ人に受け止められているかはわからない。

だが、そういう知識はなくとも面白い映画であることは間違いないので、見ていない人は是非見るべきだ。
まじでかっこいい。

▼以下はネタバレあり▼

タランティーノなので、そんなにわかりやすい話も出なければ一般受けするような話でもない。
上映時間はやはり長いので、集中力が必要かもしれない。
しかも、話がどのような方向に進むのかわかりづらい。
それでも映像として見せてしまうのは、二人の役者が本当に素晴らしいからだろう。

この映画が映画として完結性があるのは、シナリオというよりも演出によるところが大きい。
わかりやすいのは、火炎放射器という装置だ。
熱くて持ちたくないような重火器を冒頭で出して、リックは露骨に嫌がる。
けれどもラストでリックが倉庫から持ち出してくる火炎放射器は勇ましいほどの強力な相棒となる。
これが「リックの変身」を浮き上がらせる。

要するに、演じているだけの男だったリックが、本物のヒーローになるのだ。
そう考えるとこの映画のテーマが見えてくる。
リックもクリフも、ラストのヒッピーの襲撃によって本物になる。
だからラストは隣人のロマン・ポランスキーという映画監督の家に招かれる。
かれ(ら)は名実ともに本当にハリウッドスターに上り詰めた瞬間なのだ。

このように捉えるとこの映画はずいぶんとすっきりするはずだ。
タイトル通りハリウッドを舞台にした作品ではあるけれど、終盤に半年ほどの時間がすっ飛ばされる。
これもイタリアでの「リックの成功」は物語にとってなんら意味がなかったからだ。
しかし、そのきっかけになる出演したドラマや映画の撮影は重要だった。
特に悪役で登場することになったテレビドラマ「対決ランサー牧場」で、何度も台詞を練習し、そして改心の演技を見せる。
やぶれかぶれにかったリックは、そこで役者として窮地に立たされることで「本物」になる。
それまではただ担ぎ上げられただけのラッキーボーイだったのが、役者になるのだ。

ヒッピーに連れられて「スパーン映画牧場」を訪れたクリフが、かつての友人を訪ねに行くシークェンスも重要だ。
明らかに不穏な雰囲気のなか、武器も持たずに堂々としたたたずまいでヒッピーのたまり場に向かう。
スタントマンとして陰の仕事ばかりしていた彼は、自分ではほとんど意識していなかったが、自分の足でジョージに会いに行く。
考えて見れば、自分の意志で何かをしたのは劇中ではこれが初めてだ。
それまでは他の人の言いなりになって、トラブルを起こしていた。

ジョージの様子を見に行くクリフは、西部劇の映画の主人公そのものだ。
この場面が、ラストのヒッピー集団を撃退する際、物怖じしないクリフへとつながっていく。

この映画はだから、ハリウッドという街や役者に対する強いリスペクトがある。
憧れ、と言ってもいい。
クリフも、リックも、だから何もしなくてもかっこいい。
落ちぶれて、うだつがあがらなくて、どうしようもない男二人を、ハリウッドスターの二人が演じているという点も面白い。
その二人をわざとコミカルに、コメディとして描き、そしてラストではスターへと再び昇華させる。
ハリウッドへのアイロニカルな冷笑と、ハリウッドの矜恃、この二面性を描けるのはやはりキャリアを積み上げてきたタランティーノならではなのだろう。

スタントマンとブルース・リーと戦わせてやっつけてしまったり、女優気取りの8歳の少女と落ち目のディカプリオをマッチングさせたり。
見せ場をつくりつつ、ふざけ倒しつつ、映画としての物語を構成していく。
こういう映画が「映画」として成り立ってしまうところが、タランティーノのすごさだ。
おそらく普通の監督は、こんなシナリオで映画が成り立つとは思えないだろう。

しかも、実際に起こった事件で、その関係者はまだ生きている。
非常に繊細な内容になりかねない。
アメリカでこの映画がどのように受け入れられたのか気になるところではある。
(そんなに気になるわけでもない。)

とにかく、映像、演出、音楽、脚本、すべてがハイセンスだ。
ヲタク気質なタランティーノがにやにやしながら撮影していた姿が目に浮かぶ。

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